私が炊事・洗濯・お掃除今では、オールマイティなわけ。
あれは25年前のことで、西暦1984年のことです。(この年を割り出すのに、息子の入学年齢を引いて逆算しました。間違いない!)
昔話で、ありまする、いや、現在進行形の話でもありまする。
嫁はんと結婚して、子供が生まれその子が小学校に入学する時のことです。
これを機に、仕事引退したいと言う。
「そんなこと言わないで、貴女には才能がある。もったいない。それは人類に対する社会的損失で・・・。」などとわけのわからぬことを並べ立て説得をしたのです。
何を?
う~ん、それが思い出せない。
多分、嫁はんは生活と現実につかれていたんだと思う。
嫁はん結婚前、新進気鋭の陶芸家・各美術展で入選だけでなく受賞多数。
ちょうど、日展出品目前の勉強会に通い始めていた頃。
で将来を嘱望されていたとおもう。
親分の先生につき、派閥に入り兵隊として展覧会と言うヒエラルキーの頂点を目指す。
「そんなくだらんことやめとき!人生の価値はほかにある」
無責任にも、ほざいて国道から一気に山道に引きずり込んだ。
一度に、2つの人生は歩めない。
私には、選んでよかったと思える人生を嫁はんに送ってもらいたい負い目があった。(なんと純粋なお坊ちゃまだったんだろう)
互いが、心が折れそうになる結婚7年目の出来事であった。
金沢には、美術工芸大学と言う公立の大學があり、大学院の実習と専門知識の講義が受けられる選抜試験があった。
30歳近くで、居住地域など応募資格にほど遠いものであったが・・・・・・・・、(人を押しのけ)受かった。
30歳で、嫁はんは大学生となったのである。
朝早く1日の食事の準備をし、茶碗洗い、洗濯・乾燥、学校から帰った息子の着替え、娘の幼稚園の送り迎え・・・・・・・・が私の日課となった。
帰ってきた嫁はんは、ものも言わず2階に上がりお勉強。(いやぁ、一度社会に出てから大学入ったほうが人間勉強するわ。)
家事の教育的指導は、かなりきつかった。(自分の親の育て方を批判されているようで・・)
2年間続いた。
嫁はんは、私の家業の手伝いが忙しくなり2期目に入った途中で、出席日数が足りなくなり学校からくびにされた。
そのころは、互いに多少安定期に入っていたといえよう。
とある日・・・。
TVからネスカフェエクセラの宣伝が流れてきた。
パソコンの方は13分45秒のところのCMをぜひご覧ください。
携帯の方には、ナレーションを書き起こしておきます。
ネスカフェエクセラ1986年ごろのCM
BGMが流れパリのモンマルトルの階段を急ぎ足で登るミセス(ナレーションが重なる。)
「子供の入学と同時に、美術学校に通い始めたわたし」
場面は美術学校の回廊からデッサン室で学生たちと出来栄えについて談笑しながら、ネスカフェを手にするミセスの笑顔。
ナレーションが入る。
「ふと気が付くと学生気分に戻ったわたしがいました」
ナレーション
「このひと時、豊かな味わいネスカフェエクセラ・・・・」
とまぁ、こんなCMが流れた時は、のけぞった。
「なんじゃぁ~~~これは~~~~~?」
そのどこにも、旦那の苦労や甲斐性が表現されてないではないか。
・・・・そういえば、嫁はんコンパだと言って楽しそうによく外出してたっけ。
子供2人抱えてお留守番したこと思い出した。
後記・・・後に残ったものと言えば
その後、私の家事分担は、少なくなったが食事の支度は嫁はん、茶碗洗いとかたずけは私、TVはそれが終わるまで2人とも見れない、とも働きなので当然の義務と責任とそれは、30年近く2人になっても続いている。
2年3か月前、突然の人事異動?で日帰り温泉の社長になり小姑のような細かい掃除や洗濯・浴室掃除の指示は、この修練のたまもので、人間万事塞翁が馬と言う話であります。
夕べこの話、早速書こうと思ったが史実に忠実にとyoutubeのネスカフェのCMを夜中の3時まで調べていました。
結局、見つからず今日もしやと最初に検索した動画をこまかくチェックしたら・・・・あった。
エーイッチャ、男と言うものは・・・アホな生き物だとつくずく思う。
そして、夫婦と言う形を30年ほど前に残すことができた。。
それまで、どこにもないも・見たことのないものを生み出せたのだ。
・・・・・・・すこし、かっこよすぎるけどこれほんとの話なんよ。
・・・・・・・1昨晩、煽られてこの項をかきました。
嫁はん、あいかわらずこのブログの存在知らない。
ふふん
ユーシッタイ
男ををなめんじゃねぇよ~~~。
何とかの遠吠えでした。