やっと本が読めます。
造るという作業は、ストレスががたまるのかな?
自由創作に近い部分では楽しいが、納期とか予算がからむと途端に苦しくなるかも。
作家さんの多くは、苦しいところと言うか制作過程はあまり見せないかもしれない。
自分はそういう意味では特殊で、できたものにはあまり興味がない・・・・というかいつも「パーフェクト」がない。
要は、へたっぴな職人。
恥ずかしくって、とてもそんなところにいられないと何時も会場にいることを拒否する。
知りあいの多いところで、やったこともない。
何時も、数百キロ離れたところでガチンコ勝負。
以前は、デパートなんかでたちんぼしたが、一生懸命作ってなんでそれからセールスまでしなければと言う思いが強い。
で、そういう条件のところは、すべてバッサリ切った。
ただし、お店の責任者の方には、懇切丁寧に説明をする。
造る人とと売る人の勘所はちがうし、なによりもものが語ればよいと思っている。
だから、サインなど作ったものにしない。
100年経てば、、力のないものは消えてなくなっているし、第一人が使ってくれない。
はっきり言えることは、作り手と言うものは想いを形にして残すわけで、普通の人は100年経ったら跡形もないという話に帰着する。
わたしが造ったものが、作り人知らずで100年後残っていたら痛快である。
それが、ものつくりの醍醐味だと思っている。
たしか、3月の初めくらいから、本格的に動き出している。
正味20日間。
緊張感と集中力がつづくのは、そんなものかもしれない。
今日の朝で、途切れた。
午後からは荷物積み込み、夕刻からはリスト制作。
ついでに遅れていた温泉番台と浴槽掃除の4月分シフトの制作で深夜を超えた。
読書が進められなかった。
明日は、わが温泉と同じように加水加温をまったくしない御在所岳の麓の温泉に泊まる。
1冊の本を選んだ。
十返舎 一九の娘が葛飾北斎の娘などと繰り広げるものがたり。
光文社 諸田玲子著 「きりきり舞い」
きりきり舞いした後なので、きりきり舞いを読んでみよう。
行ってきます。
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