今日の記事だけ、”僕”と書かせていただきます。
きょう、僕のいとこの奥さんから初めて電話をいただきました。
いとこは、25年前に脳腫瘍で倒れました。
結婚して間もないころだと記憶しています。
それから25年間、寝たきりの彼をずっと誠心誠意介護してきていることを、知識として知っていました。
”知識”と言う言葉でしか表せない自分がいます。
いとこと言うことで、死んだオトンの妹さんの息子さんです。
親戚づきあいは、主に両親に任せてずっと彼のこと、奥さんのことは”知識”でした。
オトンが死んだので、最近祖父の50回忌(この忌にて個人への法要を一区切りとする)をオカンと共に仕切らせていただきました。
故人の遺した言葉を紐解き、故人の写経本や描いた絵、屏風、詩、俳句など仏間に飾りオトン以外はまだ健在なおば様方へ法要の写真や報告などを送りました。
当然、返書などが来るわけで・・・・。
送られてきた品の返礼などもふくめ、透明だった空間に糸が繋がり始めます。
結婚して25年間も寝たきりの夫に尽くしてきた妻にどう応対をしていいか、突然の電話で正直戸惑いました。
現在、いとこはがんに侵されているそうです。
「私は、彼が生き続けるという前向きな意識を失わない限り、支えていきます」
言葉なんかは軽いもので、心と心と言うか人間としてどう生きてきたかという見えないもののぶつかり合いになっていったような気がする。
「貴女はえらい」と言う言葉が、吐けませんでした。
言える資格なんてないのです。
”知識”だけなんですから。
かろうじて相手の名前を、手紙をしたためたとき覚えていて本当に救われました。
電話は、彼の病床でスピーカーになっているらしく彼に声をかけると、彼は動かせる片手で反応するらしいです。
実況を交え30分以上初対面の人と話したでしょうか?
昨日の鼻血ぶーの鍼灸師の女性は、イラストレーターとしてNYに向かう寸前バイクの事故で視力を失い、現在85歳になる母と2人で四国の遍路道を踏破し、鍼灸の資格を取り開業し、小説を書き、行けなかったNYのフルマラソンや全国のフルマラソンに伴奏つきで完走し、三味線を演奏するし、パソコンは音声付で使いこなすという僕に言わせれば、相当”強情”な性格で無ければできないことを成し遂げている人です。
そんな人たちに、僕は「あんたはえらい」などと絶対言えない。
「頑張って」なんて言えない。
もう充分そうしてきた人たちなんだから。
会話の途中で、自死した僕の弟の話になりました。
僕は、言いました。
「どうか、生き抜いてください、命ある限り」
生きている事の価値は、その人自身が決めることです。
偽りなく言える言葉はそれだけでした。
僕が、出来ることはそんな人たちが僕の身の回りにいてくれて、そして気づきや学びを与えてくれていることへの感謝です。
年の瀬になってきました。
生きるということを、今日も教えてもらえたことに感謝して。