記念パーリー

yo1

2013年03月02日 20:08

小学校の頃、”路傍の石”とか”次郎物語”そして”今日も生きて”とか、貧乏ネタの本をオンオン泣きながら読んだ記憶を、ヨメはんと共有している。

それは、身近とか日常に近く今より豊かな人々とそうでない人との格差がたしかに目に見えてあった時代だった。

”今日も生きて”

遠足か何かに行くときに、色物のセーター(よそいき)が無くて、タンポポの煮汁で染めた。

いまなら、草木染とおしゃれなのだが、汗などで滲んで・・・・。

布団は、新聞紙に柿渋塗ったもの。(ごわごわとした感覚が想像できる。)

自分たちより苦労している人たちがいた。

今から思うと、ナンに感動したかと言うと・・・・生きていく事すら必死だった時代は生きていくことだけでいっぱいいっぱいだったということ。

すごく単純だけれど、判り易かった時代。

結局、この日本と言う国が始めから豊かでなかったことを知ってる最後の方の年代かもしれないと夕食で語り合った。

二人とも昭和20年台生まれの同級生。

互いに時代も家庭も決して豊かではなかった記憶がある。

だけど、何か夢があった。

きっと今のアセアンや中国のように未来への伸びしろを、子供心に大人たちが感じているのを汲み取った時代なのかなぁ。

なんの記念パーリーか?

借金完済記念パーリーですわ。

それと、財布がおけら状態記念パーリー。

30年近くの戦いの中で、ヨメはんは戦友になりました。

で、戦友と労わりあいました。

お店の火鉢に炭火を起こし・・・・。



戴きものの豚肉のスライスを出汁に、大根おろしを鍋に煮たて旬の野菜のみぞれ鍋。



お酒を飲みながら薄暗い照明のなか、膝はぽかぽか。





愛犬と3人で、火鉢を囲んで静かな静かなパーリーです。

鍋が、ぐつぐつと音を立てます。

”野菜っておいしいね”

”うん”

言葉はそんなに続きません。

冒頭の”今日も生きて”の互いが読んでいたエピソードを語り合いました。

同じ時代を生きて、何かの記憶を共有できたことの幸せ。

何なんでしょうね。

仕合せとかびんぼとかいう話ではなく・・・・・。

そのなんというか、まぁ、ある時間にどっぷりつかりました。

酔って候。

ファンタジーの展開の構想練るの楽しいから、これから寝転んで考えましょうね。














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