この項、要らないディテール省いて書き直しました。
まっ。判らないなりにそれなりに原因があって結果があるということで。
琉球・・・・この漢字改めてじっと見ていると・・・
・ドラゴンボール!!!
神龍の球を集めると、願いがかなう、なんとロマンのある物語だったのでしょうか。(そうそう!んちゃDRスランプあられちゃん大好きです。)
子供が小さいころは水曜日の晩は家族全員で、TVを見たものです。
尚氏治世15世紀初頭(1429年)から19世紀後半(1879年)、テンペストの時代背景はこの王朝時代の後半の物語ですよね。
黄金の日々と言われる時代は、やはり1609年薩摩の侵攻を受けるまでの200年近くなのではないでしょうか?
中国の書物の記載に流求と書かれたのが由来だそうですね。
沖縄って誰が名づけたの?
新井白石だそうです。?(
沖縄人による沖縄歴史探索日記より)
大国・強国のはざまで揺れ続けた人口17万あまりの小さな国。
「おもろそうし」のような独自の和歌形式を持ち万葉の相聞歌のような「トウッバルマー」など文化的な成熟度のひだは、今でもこの島々に色濃く残っていると思います。
曲がりなりにも、自治を認められた琉球は近世に入り羽地朝秀→蔡温にいたる農本主義への政策転換により従来の絹製品や漢方材料の中継貿易に自国産の黒砂糖・うこんなどの特産をくわえた原産品貿易を加えることにより、利益の幅を広げることで王国の2重朝貢の負担を和らげたのですね。
その時代の繁栄が基礎となって、現在沖縄に見られる文化・伝統はアイデンテティとして根付いたのでしょうね。
占領とか統治は、その地域の住民の自己否定から始まります。
アイデンテティをそぐのです。
突然ですが、琉球の笑いの原点はどうしようもない現実を見て「わらいとばすしかないっしょ」という比喩表現のカタチをとるパターンがあるのかなと思いました。
「笑う沖縄」小那覇ぶーてんは「ヌチヌ、グスージサビラ」と今残っているものにスポットを当てて明日へつなごうとしたのでしょうか?
ワタブーショー照屋林助の漫談に、さりげない感じで沖縄芸能組踊りの語りの口調が織り込まれているのは、この人がいかに観察力と洞察力が優れているかを感じさせます。
これが500年以上古琉球・近琉球の歴史の中、大国のはざまで揺れ続けた琉球の市井の人々のいわゆるアイデンテティなのかなと?
なんとたくましいことか。
なんと無く、世の中を不安がってもしょうがありませんよね。
目先の時事に、一喜一憂してもしょうがありません。
大きな河の流れに目を向けましょう。
潮目が変わるときは、チャンスなのです。
WAKE UP RYUKYU!
龍が目覚めるときが、すぐそこに来ているかも知れません。
辛いこと・厭なことなんでも、笑いにするこころの柔軟さを持ち合わせなければ、大きな流れにのみ込まれていくでしょう。
何であろうとも、現世では生き残った者が勝者なのですから…。
したたかに生きようということなのですね。
かっての、琉球人がそうだったように。
価値観の多様性への柔軟な感性。
古の琉球人が「海上の道」を自在に駆け巡ったころ、自然の変化に対応する柔軟性こそ必要とされる才能でした。
目の前の時事や変化は、大きな流れの1変化にしかすぎません。
わたしは、琉球って何か?というわたしへのスタンバイミーのなかでこんなことを思っています。