漱石とアンデルセン?

yo1

2013年03月10日 10:51

今日、日曜日?

孫守りがあたったので、彼女がTV観ているうちに記事書いとこうかなと。

金沢、雨です。

今日の記事は、いつUP出来るかわかりません。

孫のプリキュア動画攻撃をかいくぐり・・・ということ。

自分のノートパソコンもってきたんだけど、ネットワーク接続のセキュリティキィーかルーターの再設定させてもらえず・・・・。

古いXPを起動して、記事書いている。







お風呂で読む本と、寝る前に読む本を分けてます。

1枚目と2枚目の写真の5巻は、漫画です。

近世(江戸時代)から近代に移行する歴史の波に翻弄される漱石先生の姿を通して、”ぼっちゃん”という小説の登場人物のモデル達が実際の史実の事件と絡み合って進むという筋なのかな?(風呂読みで、まだ1巻おわったばかり)

3枚目の写真の本は、映画になったやつ。

之も読み始めたばかり。

漱石先生の”坊ちゃん”のあら筋から、この漫画の作者はある結論を導き出しています。

痛快小説として捉えられた部分を抜くと、結局この物語の主人公が抱いた憤慨の相手の赤シャツや野だいこが学校に残り”ぼっちゃん”は東京に帰る。

漱石先生、近世の江戸の価値観と西洋の新しい価値観のはざまで、苦悩した。

彼が、本質的に近世(江戸期)の価値観の持ち主で彼のロンドン留学において著しく神経を衰弱させたという事実が彼をして”ぼっちゃん”という小説を書かせたということなんでしょうか?

例えを変えれば、”権力・常識”などという言葉にたどり着くと考えました。

話をポ~~~ンとアンデルセンに振ると・・・・。

彼は、バイセクシュアルでした。

妻を娶(めと)り子をもうけながら、同性愛者。

昨年5月頃まで日本語タイトル”おやゆびひめ”を英語から約してみました。

結末は、同じものは同じもの同士の元へ還ってしあわせ・めでたしめでたしと言う結末で、感じ方や価値観ですっごく不満が残る(えっ!そうじゃないでしょう?)という結末になるんですが・・・・・。

このどうしようもない締念というか、”世間ってこんなもんじゃないでしょうか?”という隠されたメッセージのお話です。

文豪といわれる人たちが、感じたとてつもない厚い壁。

フクイチの事故で、隠されていた部分に綻(ほころ)びが生じ露(あら)わになった”壁”を感じた2年でもあるし、沖縄の憂鬱を知ることの出来た10年でもあります。

明日は、震災が興ってから2年目の日。

その前後は沢山の意見やエピソードがメディアに溢れるでしょうね。

自分なりにこんなこと感じてます。

この記事のカテゴリーは、語りとフクシマノートです。

語りきれない所に、事実も有るんだと・・・。

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