奇人変人続編。

yo1

2012年03月30日 19:29

観音さんと菩薩さん。

「違いはな~んだ」と問われて答えられる人何人いるんだろうか?

菩薩さんとは、まずお釈迦さん(ぶっだ)とは違うんだそうです。

菩薩さんは、仏教に帰依して道を究める人と悟りを具えた人の2種類ああるそうです。

そのなかで、天上界に昇って自分のためでなく、人の為に慈悲の心で働く仏様を観音菩薩と言うそうです。

これ以上詳しく書いても論文になりそうなので、例の観音菩薩像について。

・・・・といってもこの観音様、最低でも33変化する。

観音様って、おとこ?おんな?

基本は〇ん〇んついてますが、当意即妙、状況に応じて女にも変身する。

それは、うちなーなでしこ16変化の倍以上。

八田のおじじの観音像、今日カメラに収めてきました。

「この観音様、何観音?」



狩野元信が描いた「白衣観音(びゃくえかんのん)」



「白衣観音(びゃくえかんのん)」の慈母形でした。

わたしが生まれた頃には既にあり、子供心に決して優しいまなざしとは感じなかった、

否、とても怖かった。

死んだばぁさんがこのおじじが沖縄で言うガマに住み着きひたすら焼き物を作っているのを拾ってきた。

このじいさん、京の高名な焼き物師「諏訪蘇山」の高弟で雅号を「蘇岳」という。(本日おとんの透析の迎えに行って取材)


これ、ネットで拾ってきた初代蘇山の白衣観音。

似てると言えば、やはり師弟かなと納得。

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作り手の到達した想いの観音像にやはりなると思います。

その人が想う慈悲の姿。

見てみたいというリクエストもさることながら、自分自身も改めて見てみたいと…。

この白衣観音は、すべての菩薩の「母」と言われています。

オトンに言わせると、「ろくな設備も与えられず本来の力の半分も出せずとも、造形力の中に秘めた力と想いは充分に伝わる」・・・・・と。

妻も子も打ち捨てて、中国大陸に修行の旅に出たそうです。

彼の半生は、謎に包まれあまつさえ死後も作品が世に知れ渡ることはありませんでした。

子供は、「父とは思わない」と言ったそうです。

残された妻子の生活は、辛酸を究めたと言います。

わたしは知っています。

力があっても、時・人に恵まれず埋もれていく多くの才能があることを。

そして、家族の幸せと自分への追及の板挟みになる人々を。

ブログに載せようと思ったのは、供養なのだと思っています。

じっと顔を15分くらい見つめていました。





なぜか、興福寺国宝阿修羅像の苦悩とも迷いともつかぬ顔が思い浮かびました。

修羅の深さと己の業の深さを共に塗り込め阿修羅像は、内なる何かを閉じ込めています。

蘇岳翁の菩薩像の、半眼のまなざしの先に迷いはないようにわたしには思えます。

達観の先にさらに深い真理があるようにも…。

救いとは、見守られているということに他ならないのか・・・・?

「きりきり舞い」という痛快小説を読まなければ、このようにゾロゾロと引きずり出されなかった事柄です。

この先には其々のひとが、経験してきた人生に培った感性と言う世界が広がるだけなのでしょう。

感じていただければ・・・。

観音像は、温泉のお客様の目には触れないところで、毎日欠かさず番台さんがお水を差し上げ当主が、お酒と清めの塩を毎1日と15日に差し上げます。

人の目に触れることはありません。



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