「五芒星」

yo1

2012年04月01日 23:39

30年以上前に造ったお皿が、食器棚の大移動で本当に久しぶりで姿を現した。





20歳代の作品だと記憶しています。

5角と言う選択が当時としては、自分の主張だったのかな?

そのころの自分が、写真だけでなく形にして見られるということが「ものつくり」としてうれし。(これ音楽・文学もそうだよね。)

嫁はんが、拭き漆(漆の樹液・生漆で拭きあげる技法)し直してくれと。

一度、仕上げてあるから、最高級のしあがりになるな。

工房に運んだ。

沖縄に住めたら、自分たち用に持ってコット。

今の工房のガラス窓に、1枚のポップが貼ってある。



若いころ、どっかの展覧会で「わたしの漆のかたち」というお題目いただいて、提出したもの。

「自然だけでは生まれない、人間だけでも造れない」

我ながら気に入って、工房移転するたびに持ってきている。

当時から気が付いていたことがある。

先祖や、両親の家系には漆も含めて極めて工芸やデザインの人間が多くいる。

絵を描くことは好きだったが、オトンも含め周りがうますぎた。

描いても楽しくなかった。(これは極めて重要な要素かも知れない)

自分で才能がないと、壁作った。

高校に入って、選択は最悪の習字を選んだ。(字、判読不能な文字を書く)

アートからは、離れた。

作文能力も、捨てた。

大學は、お金儲けの学問選んだ。

人生万事塞翁が馬。

ものつくりして、これが後年役立つとは!

仕事を継いだばかりに、工夫することになった。

自分に才能がないなら、自然の力を借りればいい。

唯一、才能は諦めないこと。

そして、才能がない人間が生き残るためには、他のモーメントの力。

そう、高校時代遊んでばかりだった柔道クラブ、「柔」の極意(相手の力を利用する)

自分の人生の積み重ね以上は出せないのだから、オトンとは違う生き方を模索した。

件の言葉が生まれた。

私のこの仕事の原点だと思っている。

改めて、この「五芒星」の皿を見つめ直している。

なんか古くない。

この仕事で、わたしが目指したものは、「エバーニュー」

いつだって新鮮。

「五芒星」の形は、あまりない。

若いころのYO君、よくがんばったね。

悪くないぜ。

こんな夜もありますわ。

(糸井重里ならこれで何百万かも、それにしても気になってきた、この表現どっかからのパクリかも、いやぁ自信ないな。だとしたら赤っ恥やんか)

追補

確信にちかい!

このフレーズ、絶対この当時のCMにあった。

思いだせないが、とげ刺さってる。

誰か知りませんか?

このポップの原文。

今更この記事、削除するのもったいないわ。

再追補

気になって、フレーズをインターネットで検索。

当たり前であるが、自分がTOPにきている。

今のところ、類似無い。

それから、「五芒星」のデザイン原形は変えないが、縁と平底のバランスは変える。

その辺は、かなり感覚変わってきています。


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