2012年04月12日
戦争を知らない子供たち。ざわわ。
ようつべ、森山良子(Moriyama Ryoko) - さとうきび畑(stou kibi btake) より
唐突に反戦や平和を訴える記事ではないのですが・・。
書かれたコメントが、なんとも雉が鳴きたくなるような、完全無欠に近い文章の構成力。
伝わってきた歌手の語りに近いような歌声とともに、迫ります。
携帯の方に、コピペで書き起こします。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その1
平和は、無条件にそれ自身の価値の為に求められるのではないだろうか。
もし平和への手段としての戦争などというものがあるなら、それ自身一つの矛盾に他ならないだろう。
自国の平和を実現する為に相手国の無辜の人民を殺戮、殲滅しなければならないとしたら、悲劇の底は限りなく深い。
我々の平和への希求が、空しい絵空事で終わらない為には、一体何が必要なのか?
恐らく、唐突に召集令状を突きつけられる局面まで来るならば、既に尋常の対抗手段はないであろう。
そこへ来るまでに、遅くとも戦争への準備過程においてこれを阻止するのでなければ、我々の組織的抵抗は不可能となろう。
我々の望む平和は、眼に見えない戦争への傾斜の大勢を如何にして発見し、それをどのように防ぐかに掛かっているのではないだろうか。
一つの戦争をまともに生き抜いた者のみが次の戦争を欲しない。
そうでない者は、終戦の翌日から再び戦争を始めるであろう。
今なお海底深く眠る戦没者の方々、満州の曠野において、或いは南方の島々の洞窟や密林の中に今なお眠る兵士や沖縄の民の尊い死を、彼らの無声慟哭を我々は決して軽んじてはならないし無駄にしてはならない。
その2
私にも14歳の中3の娘がいます。
この6月に修学旅行で沖縄に行ってきました。
1,945年3月米軍が慶良間(けらま)諸島に上陸を行い、約3ヶ月間日本と米国間で行われた国内最大規模の陸戦が行われた場所です。
凄惨な米軍の艦砲射撃に逃げ惑い、友軍からも見捨てられた人々が避難していた洞窟も見学したようです。
帰宅後どこか無口になっていました。
人も街も希望も慈しみも、それらとはまるで無縁のような無頓着さをもって、徹底的な破壊力が横行するのが戦争ではないでしょうか。
いつか平和の意味を考える事があるかもしれませんね。
その時はどうか沖縄の事を忘れずにいて下さい。
どうして3ヶ月間という短期間で18万人もの人がこの島で亡くならねばならなかったのか、思いを馳せてみて下さい。
米国を憎悪し、大和魂を振りかざす必要はありません。
私たちの歴史は、過去と未来との絶えざる対話の上に成り立っているのですから。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その1の方の言葉は、戦争と平和という2つの相関関係に横たわるパラドックスを端的に指摘しています。
(パラドックス;正しそうに見える前提と、妥当に見える推論から、受け入れがたい結論が得られる事を指す言葉である。)
その2の方の言葉はどちらが悪いとか何が正しいかと言う前に、歴史とは過去と未来が絶えざる対話を重ねて「今」を積み重ねていくべきと説いているように思えます。
<いつか平和の意味を考える事があるかもしれませんね。<
娘さんへの思いを語った言葉ですが、それは今も私たちにも問いかけ続けられている言葉でもあるんだと思いました。
>一つの戦争をまともに生き抜いた者のみが次の戦争を欲しない。
>そうでない者は、終戦の翌日から再び戦争を始めるであろう。
この言葉が沁みてきました。予兆などから食い止めることはできないと思っています。そんな意味で、この方の理念は理解しつつも、リアリストのわたしがいます。
戦争は、勝つことを目標に行われながらもノーサイドのゲームだと思います。おおいなるパラドックスに気づくべきなのでしょうね。
戦争とは、「排除の論理」そのものだと思えるんですが・・・・。
わたしは、「排除の論理」を嫌います。
戦争を知らない子供たちなんですけれども、それくらいは理解していると自分で信じたい。
私にとって大事なことは、自らを偽らずに生きていきたい。
仕事の合間にmineyoと電話で話した。
この記事の話題なんか話して無いんだけど、いまパソコンのキィボードを叩いています。
近々、沖縄行く予定。
この記事と、全く関係ない自分の問題を持って行きます。
答えのない答えを捜しに・・・・。
唐突に反戦や平和を訴える記事ではないのですが・・。
書かれたコメントが、なんとも雉が鳴きたくなるような、完全無欠に近い文章の構成力。
伝わってきた歌手の語りに近いような歌声とともに、迫ります。
携帯の方に、コピペで書き起こします。
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その1
平和は、無条件にそれ自身の価値の為に求められるのではないだろうか。
もし平和への手段としての戦争などというものがあるなら、それ自身一つの矛盾に他ならないだろう。
自国の平和を実現する為に相手国の無辜の人民を殺戮、殲滅しなければならないとしたら、悲劇の底は限りなく深い。
我々の平和への希求が、空しい絵空事で終わらない為には、一体何が必要なのか?
恐らく、唐突に召集令状を突きつけられる局面まで来るならば、既に尋常の対抗手段はないであろう。
そこへ来るまでに、遅くとも戦争への準備過程においてこれを阻止するのでなければ、我々の組織的抵抗は不可能となろう。
我々の望む平和は、眼に見えない戦争への傾斜の大勢を如何にして発見し、それをどのように防ぐかに掛かっているのではないだろうか。
一つの戦争をまともに生き抜いた者のみが次の戦争を欲しない。
そうでない者は、終戦の翌日から再び戦争を始めるであろう。
今なお海底深く眠る戦没者の方々、満州の曠野において、或いは南方の島々の洞窟や密林の中に今なお眠る兵士や沖縄の民の尊い死を、彼らの無声慟哭を我々は決して軽んじてはならないし無駄にしてはならない。
その2
私にも14歳の中3の娘がいます。
この6月に修学旅行で沖縄に行ってきました。
1,945年3月米軍が慶良間(けらま)諸島に上陸を行い、約3ヶ月間日本と米国間で行われた国内最大規模の陸戦が行われた場所です。
凄惨な米軍の艦砲射撃に逃げ惑い、友軍からも見捨てられた人々が避難していた洞窟も見学したようです。
帰宅後どこか無口になっていました。
人も街も希望も慈しみも、それらとはまるで無縁のような無頓着さをもって、徹底的な破壊力が横行するのが戦争ではないでしょうか。
いつか平和の意味を考える事があるかもしれませんね。
その時はどうか沖縄の事を忘れずにいて下さい。
どうして3ヶ月間という短期間で18万人もの人がこの島で亡くならねばならなかったのか、思いを馳せてみて下さい。
米国を憎悪し、大和魂を振りかざす必要はありません。
私たちの歴史は、過去と未来との絶えざる対話の上に成り立っているのですから。
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その1の方の言葉は、戦争と平和という2つの相関関係に横たわるパラドックスを端的に指摘しています。
(パラドックス;正しそうに見える前提と、妥当に見える推論から、受け入れがたい結論が得られる事を指す言葉である。)
その2の方の言葉はどちらが悪いとか何が正しいかと言う前に、歴史とは過去と未来が絶えざる対話を重ねて「今」を積み重ねていくべきと説いているように思えます。
<いつか平和の意味を考える事があるかもしれませんね。<
娘さんへの思いを語った言葉ですが、それは今も私たちにも問いかけ続けられている言葉でもあるんだと思いました。
>一つの戦争をまともに生き抜いた者のみが次の戦争を欲しない。
>そうでない者は、終戦の翌日から再び戦争を始めるであろう。
この言葉が沁みてきました。予兆などから食い止めることはできないと思っています。そんな意味で、この方の理念は理解しつつも、リアリストのわたしがいます。
戦争は、勝つことを目標に行われながらもノーサイドのゲームだと思います。おおいなるパラドックスに気づくべきなのでしょうね。
戦争とは、「排除の論理」そのものだと思えるんですが・・・・。
わたしは、「排除の論理」を嫌います。
戦争を知らない子供たちなんですけれども、それくらいは理解していると自分で信じたい。
私にとって大事なことは、自らを偽らずに生きていきたい。
仕事の合間にmineyoと電話で話した。
この記事の話題なんか話して無いんだけど、いまパソコンのキィボードを叩いています。
近々、沖縄行く予定。
この記事と、全く関係ない自分の問題を持って行きます。
答えのない答えを捜しに・・・・。
Posted by yo1 at 12:04│Comments(0)
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