2012年05月06日
その男、木乃伊(みいら)につき。
外は、雷を伴った激しい雨です。
4月の展示会の請求書の制作や、葬儀の礼状・1月から3月までの温泉の入湯者数の役所への報告資料の作成その他色々などまだ多くのデスクワークを抱えています。
午前中は、パソコンの前から離れられない。
考古学の仕事を、生業にしたかった。
随分、とんまな話で後になって気が付いた。
それで食っていけたら・・・・・。
ナショジオを彷徨う。
心が少年のように高鳴る。

20年ほど前、ヨーロッパアルプスのチロル地方の氷河で、1体の男の死体が発見されました。
はじめ、数百年前の羊飼いの凍死死体と思われましたが、5000年前のわたしたちの先祖の遺体が、冷凍保存されて血や肉とともにそんぐりタイムスリップしてきたのです。
同じようなケースは、南米ペルーのいけにえにされた少女の木乃伊などにもあります。(美術館へ見に行きました)
そうそう、愛知万博の「マンモス」の赤ちゃんにもありました。
この遺体が、どれほど貴重かと言うと。
その頃、シュメール人やエジプト人はやっと中央集権国家を形成し、楔形文字が発明された頃で、ピラミッドは一つも建設されていなかったと資料にあります。
石器にまじって銅を使った簡単な道具が使われ始めて先日の企画展(我がお店の古代ビーズ展)の青銅器の副葬品が製造された頃なのです。
日本では、プレ縄文時代と呼ばれる石器時代が続き狩猟によるその日暮しのような原始生活が果てしなく続いていた時代で、弥生と呼ばれる農耕が始まり文明社会らしいものが形成されるには、まだまだ、3000年以上も待たねばならなかったころにヨーロッパアルプスという当時の文明社会から遠く離れた地の山岳地帯に彼は生きていました。
”アイスマン”と名付けられたこの男の遺体は、当時の生活の様子や技術レベルがどのくらいだったのかを「タイムカプセル」に詰めて、いきなりタイムマシンから現れたようなものなのです。
5年くらい前に、この発見の邦訳本を読んだ記憶があります。
書庫に行けば、その本あると思います。
ナショジオに、男の復元映像が掲載されました。

男は、背中に致命傷の傷を負っていました。
そして,亡くなる数時間前に野性山羊の脂身をたらふく食していたのです。
右耳には、ピアスの穴跡、背中に2本の横タトゥー、ひざの裏には同じく十字のタトゥー。
なによりも、副葬品に目が釘付けになりました。

おしゃれだと思いませんか?
レプリカですが、今でも穿いてみたくなるデザインです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
サイズは24.5センチで、底は革製で楕円形をしており縁が巻き上げられて革紐で縁取りされていて、 中にはネットが縫い込まれており、その間に干し草が詰められていた。
恐らく、暖房用でもありクッション機能の両方を兼ねていたと思われる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
資料として読んで参考にしたアイスマンの謎と言うページには上のことが書かれていました。
想像したことを、検証しながら事実を積み上げて全体像を明らかにしていく作業。


少し前のブログで紹介させていただいた,今回の企画展の私の「お買い物」。
「アイスマン」と同じ年代5000年前のメソポタミアで使われた「おはじき(ゲーミングビーズ)」(内緒ですが、すっごく安く譲ってもらったんです。)
ネックレスとして、組み込みをお願いしてありましたが、ストラップにもなるようにオーダーしました。
白い留は、古代の琥珀だそうで、赤いのは、石榴石でしょうか?。
いまから、デスクワークに戻りますがお仕事する前に無駄なことをする「儀式」が私には、必要なのです。
午前中を無駄に過ごしたのかな?
ささっ、お仕事。
この作業すっごく、苦手なお仕事です。
わじわじ~するのです。
まずいわな~。
午後から漆の仕事の予定だったのに・・・・・。
4月の展示会の請求書の制作や、葬儀の礼状・1月から3月までの温泉の入湯者数の役所への報告資料の作成その他色々などまだ多くのデスクワークを抱えています。
午前中は、パソコンの前から離れられない。
考古学の仕事を、生業にしたかった。
随分、とんまな話で後になって気が付いた。
それで食っていけたら・・・・・。
ナショジオを彷徨う。
心が少年のように高鳴る。

20年ほど前、ヨーロッパアルプスのチロル地方の氷河で、1体の男の死体が発見されました。
はじめ、数百年前の羊飼いの凍死死体と思われましたが、5000年前のわたしたちの先祖の遺体が、冷凍保存されて血や肉とともにそんぐりタイムスリップしてきたのです。
同じようなケースは、南米ペルーのいけにえにされた少女の木乃伊などにもあります。(美術館へ見に行きました)
そうそう、愛知万博の「マンモス」の赤ちゃんにもありました。
この遺体が、どれほど貴重かと言うと。
その頃、シュメール人やエジプト人はやっと中央集権国家を形成し、楔形文字が発明された頃で、ピラミッドは一つも建設されていなかったと資料にあります。
石器にまじって銅を使った簡単な道具が使われ始めて先日の企画展(我がお店の古代ビーズ展)の青銅器の副葬品が製造された頃なのです。
日本では、プレ縄文時代と呼ばれる石器時代が続き狩猟によるその日暮しのような原始生活が果てしなく続いていた時代で、弥生と呼ばれる農耕が始まり文明社会らしいものが形成されるには、まだまだ、3000年以上も待たねばならなかったころにヨーロッパアルプスという当時の文明社会から遠く離れた地の山岳地帯に彼は生きていました。
”アイスマン”と名付けられたこの男の遺体は、当時の生活の様子や技術レベルがどのくらいだったのかを「タイムカプセル」に詰めて、いきなりタイムマシンから現れたようなものなのです。
5年くらい前に、この発見の邦訳本を読んだ記憶があります。
書庫に行けば、その本あると思います。
ナショジオに、男の復元映像が掲載されました。

男は、背中に致命傷の傷を負っていました。
そして,亡くなる数時間前に野性山羊の脂身をたらふく食していたのです。
右耳には、ピアスの穴跡、背中に2本の横タトゥー、ひざの裏には同じく十字のタトゥー。
なによりも、副葬品に目が釘付けになりました。

おしゃれだと思いませんか?
レプリカですが、今でも穿いてみたくなるデザインです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
サイズは24.5センチで、底は革製で楕円形をしており縁が巻き上げられて革紐で縁取りされていて、 中にはネットが縫い込まれており、その間に干し草が詰められていた。
恐らく、暖房用でもありクッション機能の両方を兼ねていたと思われる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
資料として読んで参考にしたアイスマンの謎と言うページには上のことが書かれていました。
想像したことを、検証しながら事実を積み上げて全体像を明らかにしていく作業。


少し前のブログで紹介させていただいた,今回の企画展の私の「お買い物」。
「アイスマン」と同じ年代5000年前のメソポタミアで使われた「おはじき(ゲーミングビーズ)」(内緒ですが、すっごく安く譲ってもらったんです。)
ネックレスとして、組み込みをお願いしてありましたが、ストラップにもなるようにオーダーしました。
白い留は、古代の琥珀だそうで、赤いのは、石榴石でしょうか?。
いまから、デスクワークに戻りますがお仕事する前に無駄なことをする「儀式」が私には、必要なのです。
午前中を無駄に過ごしたのかな?
ささっ、お仕事。
この作業すっごく、苦手なお仕事です。
わじわじ~するのです。
まずいわな~。
午後から漆の仕事の予定だったのに・・・・・。
Posted by yo1 at 10:37│Comments(0)
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