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2012年09月16日

ものづくり。

外科手術のような、修理をしました。

以前納めた足踏みミシンの丸椅子の支軸の部分が、経年の劣化でポキリと折れてしまいました。(さすがに内部の様子までは見えませんでした。)

修理依頼です。

丸い曲面どうしの接合でしかもほぞ加工(雄雌の凸凹組み)しなければいけません。

預かったのは、今年の4月。

納期の10月までに、日にちは残り少なくそろそろ修理方針を決めなければいけません。

1本の軸を削りだして交換することの難儀さは簡単そうに見えて大変なのです。

ものづくり。

火箸を2本用意しました。

ものづくり。
万力に挟み込みかな鋸で先端を切り分けます。

ものづくり。

ものづくり。

支軸のまんなかに穴をあけ、この火箸を仕込み相手方にも広めの穴をドリルで開けます。

ものづくり。

ものづくり。

広めに開けた穴には、エポキシ系の接着剤を満たして半分硬化の状態まで待ちます。
タイミングを見計らい、差し込み納まりのいいところで固定するのです。

ものづくり。

翌日から、漆で再塗装で仕上がりました。

修理代をもらえるか、微妙な仕事です。

でもしっかり時間かかりました。

このような修理方法は、骨折の外科手術にありますよね。

修理方針をあたまの中で立てて、シュミレーションします。

あとは、現実に沿ってなぞるだけ。

わたしにとって、ここに面白さと楽しさがあります。

だから、ものづくりというものが辞められないのかもしれない。

自分の感性を形にする仕事ではあるのだけれども、それが自己満足におちいることなく他の人の感性と共鳴したとき物が売れます。

・・・・・・たまには、売れない可哀そうな・義理でと「憐れんで」買ってくださる人もいるようだけれど・・・造る側が真剣であればあるほど「侮辱」以外の何物でもないと感じています。

失礼だな・・・・と。

だってそれで「ありがとう」と頭を下げるのだから…。

ものをとおして、「かんじる」という「こころ」のキャッチボールが成立したときに「仕合わせ」というプレゼントをもらえたような気がします。

もちろん、作り手にもそんなことに気が付かない「唯我独尊」の人も多くいます。

造っているときの「楽しさ」を、形にして伝えるためには技術はもちろん「かんじるこころ」を養うことが必要で、それって死ぬまでなんだなと「今」おもってます。

これからどうなるのかわからないんだけれど、全部捨てて自分の仕事の手伝いをと息子から言われています。

事務的な処理とかパソコン操作もふくめ、恐らく楽にこなせるだろう自分がいます。

収入は断然そちらの方が安定。

夢見る沖縄ビジター生活にかかるランニングコストも簡単にひねり出せるでしょう。

「生きる」ということは・・・?

明確なその「こたえ」を形にする時期が迫ってきています。

どうしょっかな~~?







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Posted by yo1 at 08:13│Comments(0)日記
 
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