2012年09月29日
テクスチャー【texture】
テクスチャー【texture】 と言う意味は、辞書で調べると以下となります。
1 織物の織り方。また、織り地。生地。
2 木材・石材などの手ざわり。感触。また、質感。
出張先からの帰り、嫁はんが40年前陶芸を始めるに当たり、「決意」を新たにした益子の地を案内してくれました。
「はまこー」ではなく、「はましょー」。
民藝運動の祖の一人、濱田庄司。
参考館という建物に案内されました。(お孫さんが管理されてるらしいです。)

「私の陶器の仕事は、京都で道を見つけ、英国ではじまり、沖縄で学び、益子で育った。」
嫁はんと私は、こういう場所に来ると、てんでんバラバラに行動します。
それは、ずっとずっとそうだったのかもしれないし、これからもそうだと感じている。
彼女は彼女の視点、私は私の感動。
終わった後に、確かめ合う。
ひとって、感じ方は万別。
だから、嫁はんといると「ぁっ、そんな感動もあり」という発見がおおい。
2~3日前からデジカメいじりに少しはまってしまった。
写真を織り交ぜながら、感じたことを進めてみましょうね。
<時空は未来から過去へと流る>

受付の建物に近づくにつれて、時空の歪みのような異空間の風情が漂い始めた。
「空の気」が違ってくるのです。

一瞬ではあるのだが・・・・。
見ている光景がゆがむ。
それはやがてそのものが発する磁力により、周りの景色さえ、おぼろげにしてしまう。
やがて、確かな感覚で刻(とき)が未来からやってきて過去の扉を開く。

辺りに、色鮮やかにコントラストの世界が広がるのだ。

そう!、内なる目の微調整をしないこんな風に見えちゃったりする。

それは、ちょっとしたコツを要するのだけれど慣れれば、心の中である場所のスィッチを押すだけで済むことなんである。
其処は、刻(とき)という「言葉」に満ちていた。
時間と言うノミが刻むのである。
テクスチャー【texture】・・・質感
その質感は、たとえば「マホロバ」とか「ウブスナ」という枕詞(まくらことば)を思い起こさせる。

このかたちが発するものは、わたしに出雲大社を思い起こさせてしまう。
同じ物など見かけなかったが、同じに感じる。
なんでだろうとおもった。
仏教伝来が、6世紀と伝えられるならばそれ以前、八百万(やおよろず)というほど、道端の小石にも神が宿っていたころの民族の精神性にたぶん帰来するのだと得心させられてしまう。
「民藝」は出雲にも根付いている。
沖縄にもあった。


数十年前運動家たちが見出した、うずもれていた、あたらしい「美」の再発見の旅の地に残る共通性とは?

沖縄の厨子甕(ジーシガーミ)が到るところに展示されている室内を覗いた。

時空が、再びゆがんだ。

心象は、セピアからモノトーンへと移ろう。

隣の部屋に、目を凝らすと・・・・・。
沖縄の古い家や、博物館などで見かけた祭壇風の棚がしつらえてある。
沖縄では先祖が、そしてここでのシチュエーションは神なのである。
濱田が捉えたものに及びもつかない。
及ぶべきもないし、及ぶとも思わない。
しかし、私なりのレベルである「目」がひらかれた。
「うつくしい」と感じたものを記録しよう。

茅葺の刈り込まれた軒(のき)の曲線の重厚でありながら柔らかな曲線。
うつくしい。

1本も打ち損じることもなく、正六角に割られた薪の集積と剥がれおちた漆喰の壁。
とてつもない根気と修練が刻(とき)を伴い増殖する空間。
見えているものから、見えないけれど感じる「うつくしさ」ってあるとおもう。




うつくしいとおもった。
機会があれば、残りの写真も交えて紹介したいと思います。

展示館を後にし、ふと振り返ると「みどり」が鮮烈に迫って追いかけてきた。
前に目を向けた途端、急速に「時」は「今」へとさかのぼって還ってきたのを感じた。
1 織物の織り方。また、織り地。生地。
2 木材・石材などの手ざわり。感触。また、質感。
出張先からの帰り、嫁はんが40年前陶芸を始めるに当たり、「決意」を新たにした益子の地を案内してくれました。
「はまこー」ではなく、「はましょー」。
民藝運動の祖の一人、濱田庄司。
参考館という建物に案内されました。(お孫さんが管理されてるらしいです。)

「私の陶器の仕事は、京都で道を見つけ、英国ではじまり、沖縄で学び、益子で育った。」
嫁はんと私は、こういう場所に来ると、てんでんバラバラに行動します。
それは、ずっとずっとそうだったのかもしれないし、これからもそうだと感じている。
彼女は彼女の視点、私は私の感動。
終わった後に、確かめ合う。
ひとって、感じ方は万別。
だから、嫁はんといると「ぁっ、そんな感動もあり」という発見がおおい。
2~3日前からデジカメいじりに少しはまってしまった。
写真を織り交ぜながら、感じたことを進めてみましょうね。
<時空は未来から過去へと流る>

受付の建物に近づくにつれて、時空の歪みのような異空間の風情が漂い始めた。
「空の気」が違ってくるのです。

一瞬ではあるのだが・・・・。
見ている光景がゆがむ。
それはやがてそのものが発する磁力により、周りの景色さえ、おぼろげにしてしまう。
やがて、確かな感覚で刻(とき)が未来からやってきて過去の扉を開く。

辺りに、色鮮やかにコントラストの世界が広がるのだ。

そう!、内なる目の微調整をしないこんな風に見えちゃったりする。

それは、ちょっとしたコツを要するのだけれど慣れれば、心の中である場所のスィッチを押すだけで済むことなんである。
其処は、刻(とき)という「言葉」に満ちていた。
時間と言うノミが刻むのである。
テクスチャー【texture】・・・質感
その質感は、たとえば「マホロバ」とか「ウブスナ」という枕詞(まくらことば)を思い起こさせる。

このかたちが発するものは、わたしに出雲大社を思い起こさせてしまう。
同じ物など見かけなかったが、同じに感じる。
なんでだろうとおもった。
仏教伝来が、6世紀と伝えられるならばそれ以前、八百万(やおよろず)というほど、道端の小石にも神が宿っていたころの民族の精神性にたぶん帰来するのだと得心させられてしまう。
「民藝」は出雲にも根付いている。
沖縄にもあった。


数十年前運動家たちが見出した、うずもれていた、あたらしい「美」の再発見の旅の地に残る共通性とは?

沖縄の厨子甕(ジーシガーミ)が到るところに展示されている室内を覗いた。

時空が、再びゆがんだ。

心象は、セピアからモノトーンへと移ろう。

隣の部屋に、目を凝らすと・・・・・。
沖縄の古い家や、博物館などで見かけた祭壇風の棚がしつらえてある。
沖縄では先祖が、そしてここでのシチュエーションは神なのである。
濱田が捉えたものに及びもつかない。
及ぶべきもないし、及ぶとも思わない。
しかし、私なりのレベルである「目」がひらかれた。
「うつくしい」と感じたものを記録しよう。

茅葺の刈り込まれた軒(のき)の曲線の重厚でありながら柔らかな曲線。
うつくしい。

1本も打ち損じることもなく、正六角に割られた薪の集積と剥がれおちた漆喰の壁。
とてつもない根気と修練が刻(とき)を伴い増殖する空間。
見えているものから、見えないけれど感じる「うつくしさ」ってあるとおもう。




うつくしいとおもった。
機会があれば、残りの写真も交えて紹介したいと思います。

展示館を後にし、ふと振り返ると「みどり」が鮮烈に迫って追いかけてきた。
前に目を向けた途端、急速に「時」は「今」へとさかのぼって還ってきたのを感じた。
Posted by yo1 at 00:29│Comments(0)
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