2012年09月30日
たのかんさ~
濱田庄司宅が参考館になっています。
そのたたずまいは北関東独特の重厚な門構え、まるで坂東武者といわれたいざ鎌倉の「一所懸命」を髣髴とさせる武家の原型を見る想いがしました。
そこに、民が「用」の中からひとりでに現出させた「美」のかたちを陳列してあるのです。
それは濱田という巨匠が感じて集め見出した具象の中の「美的概念」という空間なのでしょう。
台所にあたる場所なのでしょうか?
「田の神様」

そこには、「感謝」という信仰が「形」としてあるんだなとかんじました。

片手に持っているのは、杓文字でしょうか?
たのしげで、ゆかいで心休まる風情ですね。
豪雪地帯でもないのに、梁や柱の材は、太く・厚く・長い材がふんだんに縦横無尽に使われています。


土間から建物1軒がふすまを開け放つことで1直線に見渡せます。

それは夏の暑いとき、屋敷林をくぐりぬけた風の回廊となるのでしょうね。
使われた木材の木目を辿ると、どの木の部位を使ったかが仕事柄推察できます。

作り付けの棚の欅の木目は、樹齢150年以上の大木の幹部分表面。

このような漣(さざなみ)のような木目は、樹表部分がこぶこぶの状態になる老木独特のもので、しかも板になるぎりぎりの皮部分で無ければとれませんし、それが写真のように何枚もの統一された木目板の形をとるのは幹回り5~10メーターにならなくては無理なのです。

この木は、杉です。
風が通りやすい書院の引き戸ですが、木目は狂いやすい模様をしています。
木の安定性をもとめずに、面白さを優先したのでしょう。
だから、狂い止めに「焼き杉」加工して先に所謂、「殺して」あります。
線が形成する部分を冬目と言い成長が止まった時期、すなわち秋から冬にかけて形成される部分です。
反対に、綿のような柔らかい部分は春から夏の成長の部分です。
2つ合わせて、年輪と言います。(上から見たら)
この板の木目から、この木がどんなところに育ったかがわかります。
まづ、右から裾野のように広がりながら上へと木目は流れています。
この木は根の部分に近く、地面からの生え際かもしれません。
木は、向かって左側の部分が芯に近い部分です。
向かって右の部分は間隔が狭いということは、木の皮に近く1年の木の太り具合が推察されます。
比較的感覚がゆるいので、環境が良い(日当たり)所に育ったのでしょう。
直径約1.5メーター以上の木の半分部分でしょうね。
木の木目から、北側がどちらかも推察できます。
木を読むと、それだけでも楽しいのです。
知らず知らずに身についた知識ですが、どうでもよいことかも。
家具に合わせて、間取りを造りつけたのでしょうか?


近江箪笥が、北関東の豪農の家にくみこまれている不思議さを感じないでもありませんが、しっくりと言う感じも否めません。
仕事場に漂う「凛」としたものを感じます。


仕事柄、職人さんや作家さんの仕事場に出入りします。
使いこなされた「艶」と「輝き」に満ち溢れているような気がします。

挽いた生地を干し上げるために軒先が長めに、そして生成りの柱が不規則なな形が規則性を持って配置されています。
自然にさからわず、しなやかに重力と戦う仕組み。
けっして「理(ことわり)」に逆らわない自分も自然の一部だという当たり前の謙虚さに感銘しました。
田の神様とはその象徴なのではないでしょうか?
感謝、そして畏敬と祈りがそこにあるのではないかと感じました。
忘れてはいけないと思うのです。
原子とは、神の領域でまだコントロールできない領域なのではないでしょうか?
なぜなら、放射能の半減期とは人の寿命の数百倍なのですから。
この家さえ、一番長く持って木造部分は1000~1500年くらい?
奈良・飛鳥の建築物がそうなように・・・・。
そのたたずまいは北関東独特の重厚な門構え、まるで坂東武者といわれたいざ鎌倉の「一所懸命」を髣髴とさせる武家の原型を見る想いがしました。
そこに、民が「用」の中からひとりでに現出させた「美」のかたちを陳列してあるのです。
それは濱田という巨匠が感じて集め見出した具象の中の「美的概念」という空間なのでしょう。
台所にあたる場所なのでしょうか?
「田の神様」

そこには、「感謝」という信仰が「形」としてあるんだなとかんじました。

片手に持っているのは、杓文字でしょうか?
たのしげで、ゆかいで心休まる風情ですね。
豪雪地帯でもないのに、梁や柱の材は、太く・厚く・長い材がふんだんに縦横無尽に使われています。


土間から建物1軒がふすまを開け放つことで1直線に見渡せます。

それは夏の暑いとき、屋敷林をくぐりぬけた風の回廊となるのでしょうね。
使われた木材の木目を辿ると、どの木の部位を使ったかが仕事柄推察できます。

作り付けの棚の欅の木目は、樹齢150年以上の大木の幹部分表面。

このような漣(さざなみ)のような木目は、樹表部分がこぶこぶの状態になる老木独特のもので、しかも板になるぎりぎりの皮部分で無ければとれませんし、それが写真のように何枚もの統一された木目板の形をとるのは幹回り5~10メーターにならなくては無理なのです。

この木は、杉です。
風が通りやすい書院の引き戸ですが、木目は狂いやすい模様をしています。
木の安定性をもとめずに、面白さを優先したのでしょう。
だから、狂い止めに「焼き杉」加工して先に所謂、「殺して」あります。
線が形成する部分を冬目と言い成長が止まった時期、すなわち秋から冬にかけて形成される部分です。
反対に、綿のような柔らかい部分は春から夏の成長の部分です。
2つ合わせて、年輪と言います。(上から見たら)
この板の木目から、この木がどんなところに育ったかがわかります。
まづ、右から裾野のように広がりながら上へと木目は流れています。
この木は根の部分に近く、地面からの生え際かもしれません。
木は、向かって左側の部分が芯に近い部分です。
向かって右の部分は間隔が狭いということは、木の皮に近く1年の木の太り具合が推察されます。
比較的感覚がゆるいので、環境が良い(日当たり)所に育ったのでしょう。
直径約1.5メーター以上の木の半分部分でしょうね。
木の木目から、北側がどちらかも推察できます。
木を読むと、それだけでも楽しいのです。
知らず知らずに身についた知識ですが、どうでもよいことかも。
家具に合わせて、間取りを造りつけたのでしょうか?


近江箪笥が、北関東の豪農の家にくみこまれている不思議さを感じないでもありませんが、しっくりと言う感じも否めません。
仕事場に漂う「凛」としたものを感じます。


仕事柄、職人さんや作家さんの仕事場に出入りします。
使いこなされた「艶」と「輝き」に満ち溢れているような気がします。

挽いた生地を干し上げるために軒先が長めに、そして生成りの柱が不規則なな形が規則性を持って配置されています。
自然にさからわず、しなやかに重力と戦う仕組み。
けっして「理(ことわり)」に逆らわない自分も自然の一部だという当たり前の謙虚さに感銘しました。
田の神様とはその象徴なのではないでしょうか?
感謝、そして畏敬と祈りがそこにあるのではないかと感じました。
忘れてはいけないと思うのです。
原子とは、神の領域でまだコントロールできない領域なのではないでしょうか?
なぜなら、放射能の半減期とは人の寿命の数百倍なのですから。
この家さえ、一番長く持って木造部分は1000~1500年くらい?
奈良・飛鳥の建築物がそうなように・・・・。
Posted by yo1 at 15:42│Comments(0)
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