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2012年10月24日

かっこいいひとたち。その1

明日、温泉が引き継がれます。

初めの1年は、すべての業務を覚えるため積極的に番台にも座った。

自分は裏方でと、ほとんど2年間深夜の風呂掃除に徹した。

それでも、人手が足りないとき番台に座った。

今年、10回座ったのだろうか?

番台は、「人の交差点」でもあるんです。

最後の番台で、ろうの恋人たちが温泉に入りに来てくれました。

「あぁ、手話少しでも習っておくんだった」と想った。

この温泉、そんな人たちも当たり前に訪れる、そんな環境を整えられたらよかったな。

そんな想いで、このカップルを精一杯伝えられる「笑顔」で(ありがとう)と見送り最後の番台の「おもいで」にしました。

障害とか病気には意味があることを知ることができたこと、とっても得したような気分でいるんです。

どういうこと?

何日か前に「アポトーシス」というブログ記事書きました。

生物の細胞は、より良い状況を保つために「死」というプログラムをはじめから用意しているのです。

同じように、障害や病気は生き物が「命」をつなぐためにあらかじめプログラミングされた遺伝子上の約束事なんだそうです。

古代インカ等の人々は、この事をよく知っていて一つの才能として障害については理解していたそうです。

これを、4分の一の奇跡というそうです。

遺伝子は、4分の一の新しい可能性の遺伝子と4分の2の従来型の遺伝子と4分の一の障害や難病の病気を持つ遺伝子を造りだしそのことにより「命」を繋いできているということだそうです。

つまり、何も障害が無くうまれてくるということは、障害をもって生まれてきた人たちの代償によって支えられてきていると言う事に他なりません。

その障害や病気さえ、自分と他との個性の違いと捉え生きていくことの意味や皆、仲間と言う意識が持てたらいいなと思う。

幸いに自分は、「見える」「聴く」「話す」と言うことに不自由はしないし難病にもなっていない。

この事を、どの様に何に感謝するか、何も感じないかはとても大切なこと。

それは、障害のある人を隔離するのではなく、社会に普通に溶けこむように当たり前に暮らせる社会の実現ということ?

じつは、22歳から知的障害の人達と20年近く自分の会社で作業をしてきました。

そして今から20年近く前。

漆の手工芸生産のこの国での先行きを考えたとき、工場による生産体制では経営を支え切れなくなることが見えてきました。

皆、共倒れなのです。

色々な想いが錯綜した決断で・・・・・。

心の底で、それは痛みであり悔悟であり・・・。

障害のある人たちにとって、想いを伝えることの難しさや自分の人間としての未熟さを思い知らされることの数々。

あれやこれやで少なくとも、差別や憐憫(れんびん)の目線を持たないで接することができるようになったかも・・・。

それは、一つの個性で才能で。


動画を3つ。

Staff Benda Bilili !



コンゴと言う動乱の国で、ポリオと言う障害を持ったストリートミュージシャンのグループがその音楽性を高く評価され映画になり有名になりました。

桜坂劇場に映画来たはずです。

ポリオと言う曲です。(英語の字幕あり)





かっこいいひとたち。その2につづく。











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Posted by yo1 at 23:51│Comments(0)日記
 
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