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2012年11月13日

♪”ちびぬみ”も2度目なら~♪

♪恋も2度目なら♪という歌があるのだが・・・・。

そう!セカンドラブと言う題名だっけ。

まず,聴いて。



嫌だった検査を終わらせた解放感に今日は包まれてた。

なんとなく、HAPPY感。

・・・・予兆はあった。

昨夜、0時きっかり。

モヨオシタ。

で、・・・・便器を覗き込むと・・・・限りなく赤に近いショッキングPINKY。

「おんや?はて????」

眠いので寝た。

あさいち。

空っぽのお腹なので、限りなく無色の液体。

「ふ~~~、今日は良い予感」

朝から天気予報が冬型と言うことで、お山の温泉の融雪装置の設置に向かいお山を下りて、ビルの消防の設備点検に立ち会い。

午後から、漆の仕事場に入り元気いっぱい。

午後3時。

ふたたび、もぴょおす。

「しゃ~~~~」

「ゲリだわ!」

なにげに、覗き込む。

「ひぇ~~~~~、新鮮血、血、血、血・・・・・」

感動的な深紅でした。

「OH~~~~~~腸破れた」

「電話、電話・・・・」

「すぐこれますか?」

「(いわれなくても)行きます!」

”ちびぬみ(黄門様)”当分はご縁がないと想っておりましたが・・・・・。

「はい、手順はわかっておいでですね?」

すばやく、尻割れパンツをはかされ医療用と書かれたぜりーが塗りこめられる。

あぁ、学習能力高いんだ黄門様。

弛緩状態を作り、関所の通りをスムースにしている。

ほぼフリーパス、関所札なしで送り込まれる。

ちょうど、膝小僧を抱える体制で、挿入。

昨日と違う体位を指示されました。

片方の足を膝にかけて座り、そのまんまひっくり返したような体位。

そんなぁ~、もうバリエーションなんてはや~~~~いい~。

くだらない思考もそれまでであった。

モニターを見ていると、なんと腸の中がレッドチャイナローズ。

ドックンドックン昨日のポリープ切除痕から血が噴き出しているではありませんか。

「いやぁ、まいつた、まいつた」

なんか、血で画面が視界0になるたびに、空気とか水を吹きかけこれでもかこれでもかとホッチキスで止める。

留めた端から血が噴き出る。

(いやぁ、腸内から大量失血で頓死)

いやだなぁ、こんな死に方だけは想定外だった。

送り込まれる空気の量が半端で無い感じ。

腹と言うか、腹腔全体がパンパンになって・・・・・そう、オナラが出そうで出ない渋り腹に・・・。

ちびぬみに差し込まれた管の横から漏れ出した。(オナラです、中身汁ではありません。)

「ぶふぉー」

「失礼!」と紳士のたしなみ、わたし。

「あいや、これは空気ですから」と医者。

看護婦、無言。

・・・・救われたような、数いようがないような・・・・。

「出血、止まりました」と医者自慢そうに・・・・。

(これって、医療ミスかたんなるへたくそ?)私は心のなかで思った。

「いやぁ、ありがとうございました。たすかりました。」と心にもない返答を返す、わ・た・し。

それからが、地獄であった。

腸内に大量の血と空気が残されていて・・・・・。

出てこないのです。

こんな痛さは初めて。

〇〇ことオナラを出させないで拷問されている感じ。

約1時間の間、脂汗と吐き気に襲われ注射打たれるは、うめき声が出るわ。

ほうほうの体で、家へ逃げ帰った。

子供の頃、カエルの”ちびぬみ”にストロー差し込んで空気で膨らませてた”うーまく・わらぁばーた”。

いたよね?

今頃たたり?

くだらぬ反省を、心の中で繰り返しながらパソコンに座っています。

ぁ、神々の晩餐4下書きで書きかけ。

いよいよ、ティンカーベルとクック船長登場。

それにしても、しんどかったです。












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Posted by yo1 at 23:03│Comments(4)日記
この記事へのコメント
冗談じゃなく怖いです。
ほんとに大変でしたね。
だけどこうして記事UPできてるということでもう安心していい状態なんですね、よかった。
Posted by ★うずまきk★うずまきk at 2012年11月14日 04:43
腸破れて、死んだ!

かっこわるいじゃん。

これって、自分の体は悪いなりにバランスを保っているわけで・・・。

最近、気づきました。

人生は、バランス(均衡)とハーモニー(調和)。

崩すと、再構築(リストラクチャー)が大変。

実感した事件でした。

実際は、えらい目にあいました。

多分もう大丈夫。

切除した部位が、悪性でない限り・・・・。
Posted by yo1yo1 at 2012年11月14日 10:14
>人生は、バランス(均衡)とハーモニー(調和)。
私もほんとに実感します。
近頃は”死”を含めた均衡をとりたい。
納得させてくれる宗教をさがしているのだけど、なかなか見つからず。
Posted by ★うずまきk at 2012年11月14日 11:09
うずさんへ、

”死”ということが、自分でどのように理解できてるのか?

で、「わからんものは、わからん」が自分の結論です。

ならば、”生”を考えればいいわけで・・・・。

どう生きるか?

スピリチュアルに生きたいと思っている。

それは、「自分を大切にありのままに扱い、暮らしていくこと」が少しでもできればと考えています。

自分のいいところも嫌なところもありのままに評価して、その自分を大切に思うことができる人になれたらとおもっています。

プライドを持って生きたいとおもっています。

「自分は、何を大切にして生きるか」という価値意識(プライド)を常に忘れないように生きていたいと思っています。

たぶんそれには、宗教は必要ではありません。

宗教とは、「感謝」だと思うのです。

ティダを拝んで感謝、自分が今存在することは父母の誰ひとり欠けることなく”いのち”をつないだ結果に感謝。

宗教とは、自分がそこにいる事への”感謝”なのではないでしょうか?

自分の”救い”は宗教の中にはありません。

マザーテレサの様にわが身をささげることのできる人しか宗教の中で救われないのだと思っています。

信ずることのできない私は、”救われない”のだと思います。

それは納得につながらないからです。

難しい表現でしょうか?

それよりも、1匹の犬やねこ、いや1人の信頼できる人と互いに傍らで支え合えるならば、”死”を受け入れるために”生”がどれほど希望に満ちたものになるのでしょうか?

ど真ん中に直球ってかんじのコメントありがとう。
Posted by yo1yo1 at 2012年11月14日 21:59
 
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