2012年11月19日
発酵!そして、奇跡は起こる。
なんと、誇大なタイトルだろう。
発酵食品は、平均気温27度の亜熱帯性気候沖縄でも、特異な食物を生み出しています。
豆腐よう(すきですねぇ)、あぶら味噌(石垣で食べたアンダーンスーは忘れられない!)、泡盛も発酵でしょう(与那国の舞冨名がごようたしでんがな)
しかし・・・・・。
私が住む石川には、日本で唯一、フグの猛毒テトロドトキシン(1匹のフグの卵巣で実験用マウスが5000匹殺せる量を含む)の塊の卵巣を食す文化が存在する地域です。
そのメカニズムは、いまだに解明されず伝えられた工程以外に踏み出せない未知の発酵食品なのです。
ご紹介しましょう。
「奇跡の毒抜き」
以下は上記ページからの抜粋です。
●ふぐの卵巣の糠漬け
「ふぐの卵巣の糠漬け」は文字どおり、ふぐの卵巣を塩と糠に漬けて、3年以上熟成させた食品。
「世界的に珍しい」とか「奇跡の食品」と紹介されることが多いようです。
というのも、ふぐの種類によっても異なりますが、ふぐの卵巣には青酸カリの100倍、2~3mgで人の致死量に達するほどの猛毒が含まれています。
その卵巣の毒が塩と糠に漬けることによって、無毒化され、食べても安全、そのうえ深い旨みを持った食品になるからです。
石川県では、ふぐの身の部分の糠漬けも製造されています。
江戸時代にはすでにつくられていたようです。
石川県にはほかにも、ニシンやイワシ、サバなどの糠漬けがあります。
北海道から島根県辺りまで、日本海沿岸では古くから貴重な保存食として、いろいろな魚の糠漬けがつくられてきました。
しかし、毒のある「ふぐの卵巣」を糠漬けにし、今も製造しているのは、石川県白山市美川地区と金沢市大野・金石地区。そして、輪島市だけです。
(私の生まれたところは、金沢市大野・金石地区で、ご先祖様は北前船という交易船の船主で、この卵巣の食品は子供のころから日常的に食していたものです。)
なぜ卵巣の毒が消えるのか?
科学的な解明がされておらず、解毒の過程は現在も謎のままです。
ですから、各地区では、製造方法を変えることができません。
ずっと変わらぬ方法で、今も「ふぐの卵巣の糠漬け」はつくり続けられているのです。
●どのようにして「毒」を抜くのか?

毒抜きに3年かかるそうです。
水揚げされ、製造所に届いたふぐの卵巣には個体差はありますが、5,000~10,000MU/gのテトロドトキシンが含まれています。
※1MU/g:1g中に体重20gのマウス1匹を死亡させる毒性を持つことを表す。
それが1年間の塩漬け後には30~50MU/gまで下がります。
塩漬け期間に卵巣から水分が抜けていきますが、その時に大部分のテトロドトキシンが一緒に抜けていったと推測されます。
その後、卵巣は1年半から2年以上糠漬けにされ、毒性検査を経て出荷されます。
糠漬け期間中、テトロドトキシンは水分と一緒に抜け出ていくと考えられます。
抜けていくだけであれば、塩漬けの塩水、糠漬けの糠の中に相当量のテトロドトキシンが残っていなければなりません。
ところが、毒性変化の調査では、総毒量は製造前と糠漬け1年後では約10分の1に減少しています。
なんらかの減毒作用があったのではないかと考えられます。
もっとも期待されているのは微生物、乳酸菌です。
乳酸菌による「発酵」によって、糠漬け中に残っているテトロドトキシンが分解され、毒量が減少するのではないかと考えられています。また、テトロドトキシンの非生物学的な構造変化によって毒量が減少する可能性もいわれています。
しかし、現在のところ、テトロドトキシンがどのように減少していくのかについて科学的な確証は得られていません。
なぜ毒が抜けるのか、謎は残ったままです。
●江戸時代北前船の流通記録から見えるロマン。
江戸時代中期から明治時代にかけて日本海の海運をになったのが北前船です。
大阪から瀬戸内海を抜け、山陰、北陸、東北を通って北海道まで、港々でさまざまな荷物を積み降ろししていました。
安政5年(1858年)、北前船が当時の本吉港(現在の白山市美川地区)で降ろした荷物の記録「加越能湊々高数等取調書」「加越能諸湊家数人数等調」が残されています。
そこには
佐渡国より干鰒(ほしふぐ)
佐渡、御国(おんこく)より鰒ノ子(ふぐのこ)
という記述があります。
「鰒ノ子」とはまさしく「ふぐの卵巣」のこと。
ほかの港には「鰒ノ子」の記述はなく、本吉港(美川)だけに降ろされています。
御国とは同じ加賀藩の輪島港と思われます。
このふぐの卵巣は何に使われていたのでしょうか?
この記録からだけではまったくわかりません。
しかし、ふぐの卵巣が積まれた港が佐渡と輪島。
降ろされた港は美川。
いずれもふぐの卵巣を食べる習慣が現在も残っている地域です。
なぜそこにだけ?という不思議なロマンや伝承がそこにあるのでしょうか?
ここまで書きながら、ふと思い起こされることが1つ。
我が家に伝わる奇跡のお話しを1つ。
4代前の当主は、北前船で秋田沖に差し掛かった時に濃霧で座礁しました。
いよいよダメと言う時・・・・・。
沈没する船から、船に安置していた小さな仏様を背に括り付け海に飛び込む瞬間、突然霧が晴れ、陸地の灯りが見えたそうです。
木切れにつかまりながら、水手(かこ)ともども誰一人命を落とすことなく陸地にたどり着いたそうです。
この先祖、すごいなと思ったのは嫁はんに連絡して金送らせて秋田で銅山を買って、陸地で銅を掘り儲けて再び船を作り交易しながら帰り着いたという話。
この間、水手(かこ)の家族の面倒をすべて帰りを待つ嫁はんが見たという、めでたしめでたしと言う話なんだけれど・・・・・。
その仏像やその他の各船に安置されていた10センチ余りの大小の仏像が今でも仏壇の横の厨子に3体安置されていること。
(なんか、樺太でオオカミに見つからないように身を隠した白熊の毛皮とか千国船の設計図もある。変なの!)
幼いころ、それらを見ながら、死んだオトンが話してくれた事をとつぜん思いだした。
ホントの話らしく、私はこの話を息子にはまだ話していないので、彼が苦しいときがあれば話してやろうと思った。
信心や宗教の話をするのではありません。
めげなかったたくましさを、まぶしく思ったということです。
人間も、塩漬けされ発酵がほどよく進むと生来の「毒」がぬけますように。
これは、自分に向けた言葉です。
そろそろ寝てもよい時間。
2時間ばかし、我慢して起きていました。
とりとめもなく、起きているためだけに書いた記事。
過去、2度3度とこのブログに訪れていただいて、もしもこの記事の最後まで読んでくださった方。(最近そんな方が何人かいらっしゃいます。)
なんか・・・・ありがとうと言いたいです。
おやすみなさい。
発酵食品は、平均気温27度の亜熱帯性気候沖縄でも、特異な食物を生み出しています。
豆腐よう(すきですねぇ)、あぶら味噌(石垣で食べたアンダーンスーは忘れられない!)、泡盛も発酵でしょう(与那国の舞冨名がごようたしでんがな)
しかし・・・・・。
私が住む石川には、日本で唯一、フグの猛毒テトロドトキシン(1匹のフグの卵巣で実験用マウスが5000匹殺せる量を含む)の塊の卵巣を食す文化が存在する地域です。
そのメカニズムは、いまだに解明されず伝えられた工程以外に踏み出せない未知の発酵食品なのです。
ご紹介しましょう。
「奇跡の毒抜き」
以下は上記ページからの抜粋です。
●ふぐの卵巣の糠漬け
「ふぐの卵巣の糠漬け」は文字どおり、ふぐの卵巣を塩と糠に漬けて、3年以上熟成させた食品。
「世界的に珍しい」とか「奇跡の食品」と紹介されることが多いようです。
というのも、ふぐの種類によっても異なりますが、ふぐの卵巣には青酸カリの100倍、2~3mgで人の致死量に達するほどの猛毒が含まれています。
その卵巣の毒が塩と糠に漬けることによって、無毒化され、食べても安全、そのうえ深い旨みを持った食品になるからです。
石川県では、ふぐの身の部分の糠漬けも製造されています。
江戸時代にはすでにつくられていたようです。
石川県にはほかにも、ニシンやイワシ、サバなどの糠漬けがあります。
北海道から島根県辺りまで、日本海沿岸では古くから貴重な保存食として、いろいろな魚の糠漬けがつくられてきました。
しかし、毒のある「ふぐの卵巣」を糠漬けにし、今も製造しているのは、石川県白山市美川地区と金沢市大野・金石地区。そして、輪島市だけです。
(私の生まれたところは、金沢市大野・金石地区で、ご先祖様は北前船という交易船の船主で、この卵巣の食品は子供のころから日常的に食していたものです。)
なぜ卵巣の毒が消えるのか?
科学的な解明がされておらず、解毒の過程は現在も謎のままです。
ですから、各地区では、製造方法を変えることができません。
ずっと変わらぬ方法で、今も「ふぐの卵巣の糠漬け」はつくり続けられているのです。
●どのようにして「毒」を抜くのか?

毒抜きに3年かかるそうです。
水揚げされ、製造所に届いたふぐの卵巣には個体差はありますが、5,000~10,000MU/gのテトロドトキシンが含まれています。
※1MU/g:1g中に体重20gのマウス1匹を死亡させる毒性を持つことを表す。
それが1年間の塩漬け後には30~50MU/gまで下がります。
塩漬け期間に卵巣から水分が抜けていきますが、その時に大部分のテトロドトキシンが一緒に抜けていったと推測されます。
その後、卵巣は1年半から2年以上糠漬けにされ、毒性検査を経て出荷されます。
糠漬け期間中、テトロドトキシンは水分と一緒に抜け出ていくと考えられます。
抜けていくだけであれば、塩漬けの塩水、糠漬けの糠の中に相当量のテトロドトキシンが残っていなければなりません。
ところが、毒性変化の調査では、総毒量は製造前と糠漬け1年後では約10分の1に減少しています。
なんらかの減毒作用があったのではないかと考えられます。
もっとも期待されているのは微生物、乳酸菌です。
乳酸菌による「発酵」によって、糠漬け中に残っているテトロドトキシンが分解され、毒量が減少するのではないかと考えられています。また、テトロドトキシンの非生物学的な構造変化によって毒量が減少する可能性もいわれています。
しかし、現在のところ、テトロドトキシンがどのように減少していくのかについて科学的な確証は得られていません。
なぜ毒が抜けるのか、謎は残ったままです。
●江戸時代北前船の流通記録から見えるロマン。
江戸時代中期から明治時代にかけて日本海の海運をになったのが北前船です。
大阪から瀬戸内海を抜け、山陰、北陸、東北を通って北海道まで、港々でさまざまな荷物を積み降ろししていました。
安政5年(1858年)、北前船が当時の本吉港(現在の白山市美川地区)で降ろした荷物の記録「加越能湊々高数等取調書」「加越能諸湊家数人数等調」が残されています。
そこには
佐渡国より干鰒(ほしふぐ)
佐渡、御国(おんこく)より鰒ノ子(ふぐのこ)
という記述があります。
「鰒ノ子」とはまさしく「ふぐの卵巣」のこと。
ほかの港には「鰒ノ子」の記述はなく、本吉港(美川)だけに降ろされています。
御国とは同じ加賀藩の輪島港と思われます。
このふぐの卵巣は何に使われていたのでしょうか?
この記録からだけではまったくわかりません。
しかし、ふぐの卵巣が積まれた港が佐渡と輪島。
降ろされた港は美川。
いずれもふぐの卵巣を食べる習慣が現在も残っている地域です。
なぜそこにだけ?という不思議なロマンや伝承がそこにあるのでしょうか?
ここまで書きながら、ふと思い起こされることが1つ。
我が家に伝わる奇跡のお話しを1つ。
4代前の当主は、北前船で秋田沖に差し掛かった時に濃霧で座礁しました。
いよいよダメと言う時・・・・・。
沈没する船から、船に安置していた小さな仏様を背に括り付け海に飛び込む瞬間、突然霧が晴れ、陸地の灯りが見えたそうです。
木切れにつかまりながら、水手(かこ)ともども誰一人命を落とすことなく陸地にたどり着いたそうです。
この先祖、すごいなと思ったのは嫁はんに連絡して金送らせて秋田で銅山を買って、陸地で銅を掘り儲けて再び船を作り交易しながら帰り着いたという話。
この間、水手(かこ)の家族の面倒をすべて帰りを待つ嫁はんが見たという、めでたしめでたしと言う話なんだけれど・・・・・。
その仏像やその他の各船に安置されていた10センチ余りの大小の仏像が今でも仏壇の横の厨子に3体安置されていること。
(なんか、樺太でオオカミに見つからないように身を隠した白熊の毛皮とか千国船の設計図もある。変なの!)
幼いころ、それらを見ながら、死んだオトンが話してくれた事をとつぜん思いだした。
ホントの話らしく、私はこの話を息子にはまだ話していないので、彼が苦しいときがあれば話してやろうと思った。
信心や宗教の話をするのではありません。
めげなかったたくましさを、まぶしく思ったということです。
人間も、塩漬けされ発酵がほどよく進むと生来の「毒」がぬけますように。
これは、自分に向けた言葉です。
そろそろ寝てもよい時間。
2時間ばかし、我慢して起きていました。
とりとめもなく、起きているためだけに書いた記事。
過去、2度3度とこのブログに訪れていただいて、もしもこの記事の最後まで読んでくださった方。(最近そんな方が何人かいらっしゃいます。)
なんか・・・・ありがとうと言いたいです。
おやすみなさい。
Posted by yo1 at 21:16│Comments(0)
│日記