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2013年01月02日

きむたかの道

目覚めたのは、午前3時。

暮れから、ピロリ菌の除菌治療に入っています。

ピロリ菌について。

5種類の抗生物質を7日間服用し、結果を待ちますが治療の副作用がいろいろあります。

その所為ではないか?

トイレに目が醒(さ)めました。

外は深深とした雪になりました。

雪がふると、音が聴こえません。

四十万(しじま)は闇の中に消え、暗闇にただ雪が降り産む。

ストーブの規則正しい音だけが、絶え間なく続いています。

寝なおさないで、パソコンに向かいました。

そして、サウンドオブサイレンスの音を聴こうと思えば、それは雪が降る情景だとやっと気づきました。

きむたかの道

民俗学者:柳田國男と言う方の「海上の道」と言う本を沖縄旅行に備(そな)え読み始めています。

著者は古代から、この国では海上の道には大きく分けて東と西の道があったとします。

この海の道は、富と文化を中心にその寄港地を栄えさせます。

沖縄で言うと、勝連を中心とする”東の海の道”文化圏と那覇・首里を中心とした(北航路)浦添文化圏です。

北部国頭の安田・安波などの言葉は、極めて日本語に近いと指摘されています。

那覇を中心とする現在の中央集権的なくくりの中では、この地域は北部の辺鄙な地域と位置付けられるのではないかと思うのですが海の道の時代は、恐らく日本文化の伝わる寄港地として栄えたに違いありません。

「シヌグ」「ウンジャミ」と言われる祭祀は、民俗学的に言うならば、古代の日本との文化の接点の名残なのかもしれません。


琉球と言う沖縄の誇りを取り戻す活動とも私には見える、ミュージカル「肝高(きむたか)の阿麻和利(あわまり)」と著者の海の道論は勝連と浦添の文化の違いから生まれたという見方をすると、とても興味深い見方に変わるのではないでしょうか?

さらに著者は述べています。

阿麻和利は、従来沖縄では一般的に高い評価を受けていない人物であったようですが、それは勝者の首里の尚氏を中心とした史観ではなかったかと。

沖縄学の祖と言われる伊波 普猷(いは ふゆう)も指摘した通り、勝者の論理であり沖縄の万葉集”おもろ草紙”には”勝連は鎌倉のごとし”という記述も残されているほどです。

護佐丸の乱も含め歴史の真実とは常に権力の都合によりねじ曲げられてきました。

脱線しますが、以前この末裔の方とともに写真に納まった方のブログ記事に興味を抱きコメントしたのですが、コメントごと削除されてしまった苦い経験があります。(護佐丸の乱の時、唯一逃れた護佐丸の三男、盛親を始祖とする毛氏豊見城殿内を筆頭に五大姓(五大名門)の一つとして、その後門中からは三司官をはじめ、首里王府の主要な役職に多数が就き、
琉球屈指の名門の一つとして栄えた一族の末裔。)

削除の理由は、つまびらかではありませんが推測するに旧来の沖縄でのタブーに触れたのかなと思ってみたりしています。

同じもの造りをするブログ上の仲間ではありましたが、誤解を解くこともなく、”沖縄の村の論理”も理解することなく今日に至っています。

肝を沖縄では”きむ””ちむ”と言うようです。

肝高とは気高いという意味だそうです。

英語では、プライド?。

肝高の道とは、難しいものなのかもしれませんね。

私たち夫婦の足と口の悪いオカンたちに、沖縄の城を見せたいと思っています。

足許を考えると難しいかなとも思いますが・・・・・。

私が一番好きな”グスク”は読谷の”座喜味城”です。

あの美しい曲線美は、何なんでしょうか?戦の道具ではありますが、それを超えた芸術の領域の遺構だと思っています。

オカン沖縄周遊コースの選定に余念がありません。

もの造りは、ものが全てを語ってくれる場合があります。

それは、物が発する”空気”です。

感じるものは、主観ですがたしかにそれは存在します。

あっ、今5時20分近く。

2時間座ってしまった。

きむたかの道

元旦の朝は、夜明けとともに温泉に向かいました。

産土神など祀られた温泉の祭壇にに毎月1と15の日にお参りに行ってます。

それはオトンが続けてきたことなので、やめたら半分”たたり”が怖くて・・・・・。

さすがに吹雪できちかった。

きむたかの道

木工所後を日帰り温泉にした建物なんですが・・・・・。

大晦日に、融雪を出し忘れたらしく一面50センチ近い雪の中で駐車場には入れませんでした。

長靴で一歩・一歩踏み固めながら、必要なことを済ませてきましたが2日から営業と言うことで心配して連絡だけはしておきました。

そういえば、この3年間自宅で大晦日・正月をすごしたことなかったっけ。

昨年のブログ記事は、温泉の宿直室からだったと記憶しています。

今年は楽です。

自宅で正月を迎えることが出来ましたもの。

温泉から還り、残されたわずかな一族ですが仏壇のある実家に集まりました。

きむたかの道

影膳が二人と言う顔合わせではありましたが、逝くものあり来る者あり。

しずかなスタートを感じました。

電脳の先の見えないかたへ、今年もよろしく。









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Posted by yo1 at 05:39│Comments(0)日記
 
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