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2013年01月03日

「ちむぐりさ(肝苦りさ)」

二日のブログ記事で、肝(ちむ)という言葉をふと取り上げました。

今朝の新聞(北陸中日新聞)を読んでいるとエイサーという沖縄の芸能の起源は、遠く近世(江戸期)1600年代に福島県いわき市あたり出身の袋中(たいちゅう)上人という方が、浄土宗の布教に琉球を訪れ”念仏踊り”を広めたのが始まりとか…。

400年以上もまえですよねぇ。

奇しくも、現在沖縄は基地問題、福島は原発事故と土地や人を犠牲にして成り立っている”偽りの平和”・”偽りのの繁栄”という問題を抱えています。

記事は、”ずっとこの2つの土地は昔からつながっていて、昨年暮れにエイサー踊りは里帰りしたんだよ”と記(しる)し「ちむぐりさ(肝苦りさ)」と言う言葉を紹介していました。

灰谷健次郎さんの”太陽の子””優しい時間”という中で紹介されている「島言葉」なんだそうですね。

これに該当する日本語はないそうです。

”可哀そう”では、他人行儀過ぎるという意味なんですね。

ちむぐりさ・・・・・心が苦しくなる気持ち?・・・・・・・心苦しい?・・・・自分が知らぬ顔では申し訳ない?・・・・・・

なんとなく伝わるものがあります。

暮れの最終ブログ記事”生きるということ”は、一生懸命生きてきた人に畏敬というか簡単な賛辞や激励なんて送れないという自分の”「ちむぐりさ(肝苦りさ)」”を書いたつもりなんだけど・・・・・これで意味的に合ってるのかしらん?

検索するに、人の痛みを わがこととしてとらえる ・「かわいそう」とか「お気の毒に」のように他人行儀な意味ではなくて、他人のことを我がことのように思いやって自分の胸が痛んできてどうしようもないと言う意味だそうです。

これって、いちゃりばちょーでー(行逢りば兄弟)とともに相手の思いを自分のものとして共有する精神と言ってる人もいました。

感じる”こころのタネ”が大きく育たなければ人の痛みも感じられないわけで、それは生きるという価値観がその人にとって何か?という問題にもつながるわけで、う~~~ん、心が相手の心に触れられなければ・・・・でどう触れるんよ?・・・・・感じる?

暮れから思うままに書き連ねた結果、心に残った言葉となりました。

ものを作るときに、自分が確かにつかんだことがあります。

基本、すっごく不器用なんです。

自分で気が付くまで、誰も教えてくれなかったことなんですけど・・・。

指先に”眼”を持って作業すること。

仕事的に曲りまっすぐになったのは、その後かな?

今年は喪中で正月ないし~、1月1日からがっちり仕事してます。

いよいよ、ラストスパートに入っています。(時間もないのに沖縄行くんだけど~)

手に眼を持つという典型的な作業を今日していました。

今日の記事は「手に眼を」を書こうと思って、デジカメに記録しておいたのですが横道にそれてしまいましたとさ。

「ちむぐりさ(肝苦りさ)」
仕事場の外は、ツリーが雪の帽子をかぶっていて、深深と冷えています。

「ちむぐりさ(肝苦りさ)」
朱に塗り上げた下には、黒が塗り込んであります。

「ちむぐりさ(肝苦りさ)」
冷たい水に(別にお湯でもいいのですが、じゃまくせえ)かじかみながら、紙やすり(上手な方は砥石や炭を使います)でわざと麻布で凸凹に塗った面を研ぎあげていきます。

これって、とぎ汁になった漆の朱の粉と水が混じりあい視界ゼロに近い感じで下の黒を程よく研ぎださなければいけない。

馬鹿みたいに、手を動かしていると下の麻布まで研ぎ破ったり、朱と黒のバランスが下品になってしまう。

で、指先に眼が必要になったというたわいもない失敗から生まれた”気付き”のお話しでした。

この技法を、根来塗と言います。

この記事を、プロが見ているといけないので白状します。

このままだと、紙やすりの研ぎ足が、仕上げにもろに出てしまうんです。(炭などを使うのは研ぎ足の問題もあります。ただし高額な特殊炭です。)

「ちむぐりさ(肝苦りさ)」

じゃ~ん、半端職人は車の艶出しみたいな、コンパウンドという漆専用の秘密兵器を持っています。

それに、医療用のロール脱脂綿。

これで、円運動をひたすら繰り返し研ぎ足が無くなるまでひたすらくりくりコネコネと・・・・。

「ちむぐりさ(肝苦りさ)」

研ぎだされた粉は微粒子状なので、お手手についた研ぎ粉は非常に・・・・・・取れません。

これで、トイレに行くとオカンに怒られます。

トイレに行くときは、これも専用のお手手が荒れないという特殊ビーズの汚れ落としでいちいち洗い落とします。(これ高い!)

「ちむぐりさ(肝苦りさ)」
あ~~~ら、びっくり!水をはじくくらいまで表面をつるつるにしましたとさ。

ここで、ヘラで、生漆(漆の木を傷つけて”漆の木が痛い!”と治療用のかさぶた代わりになる樹液を出したものをかすめ取ったもの)をすくいあげ塗り伸ばして仕上げのコーティングを施します。

ミクロン単位で何度も塗り重ね、朱色の上に堅牢な膜を施すのです。

「ちむぐりさ(肝苦りさ)」

「ちむぐりさ(肝苦りさ)」
今日からこの生漆を、擦り込んでは余分な漆をふき取って乾かす作業を5回ぐらい繰り返します。

「ちむぐりさ(肝苦りさ)」

下が、1回塗り込んだもので上がその前の段階。

普通漆の職人さんは、こんな昔のちゃぶ台を漆塗りなんかしないでお椀やお皿を真面目に仕上げているんだけれども、私は、誰もやらない対象物をおもちゃにする。

ナンバーワンではないけれど、オンリーワンに近い。

なぜなら、骨董屋さんと漆やさんの2足のわらじに、木工職人もしなければいけないから・・・・。

「ちむぐりさ(肝苦りさ)」

このふみ机はほとんど明治時代の物で、白い部分が無くなってしまったものを作り足して天板のセンターに布貼り根来のラインを施してあります。

これって、たぶん自分だけしかやってないと思う。

だって、通しで制作すると結構大変。

やれる人あまりいません。

物珍しさで売ってるようなもんで、結構修理なんぞが舞い込んでなんとかこれから生きていこうと思っている。

別に今いる場所でなければいけないことなくて沖縄に住んでいてもできる仕事で、フェリーで材料持ち運びしてやんばるの山ン中で作業すればよいし、やんばるの森の木の枝一本で、スプーンや洋服掛けハンガー・フォーク造って漆塗ってなんて楽しいかな?

今、目の前にずいぶん前に作ったサクラの枝のペーパーナイフがあったので、お見せします。

そう、ジョーズと言うサメの映画が流行っていたころ造った。

「ちむぐりさ(肝苦りさ)」

落ちているタダの物使うの得意かも。

”琉球松”とか”せんだん”など、沖縄の木の木目にすっごく興味あります。

こんどの訪沖時に、やんばる行けたら落ちてる枝拾って、浜辺のサンゴのかけらや貝を広いなんか面白いことしてみようかな。

これって、稼げるかも?

”海上の道”読んでいたら、子安貝は沖縄が宝庫らしい。

東村でカヌー乗った時、海辺で拾いました。

古代のタカラガイだったんですよね。

今日は、ただ思いつくままに無責任にキィ叩いてます。

以前から、長すぎる文章と批判を多くいただいています。

自分でも長いと思います。

「ちむぐりさ(肝苦りさ)」 の心でおゆるしを。









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Posted by yo1 at 21:05│Comments(2)日記
この記事へのコメント
あけましておめでとうございます。

ふむふむ
>骨董屋さんと漆やさんの2足のわらじに、木工職人
たぶんここらへんがキモ(肝)だと。
生き抜くチエだと、マルチに。

「人生やったもん勝ち」という言葉もあるし。
経験は金。
Posted by ★うずまきk at 2013年01月04日 02:52
はぐるまkさんへ

宗教上の戒律?、喪中と言うことでおめでとうを言えないもどかしさを感じながら「ことしもよろしく」

あと1時間もしないうちに、ヨメはんとラジオ体操。

腰痛・肩こりの解消に最高です。

これも生き抜いてきた知恵かと・・・。
Posted by yo1yo1 at 2013年01月04日 05:51
 
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