2013年01月20日
終息ではなく収束
「終」は文字どおり「終わる」という意味ですが、「息」という漢字にも「止<や>む」という意味があります。つまり「終息」は、似た意味の漢字を2つ重ね合わせて「完全に終わる」という意味になっていると考えることができます。
次に「収束」について。これは「収まる」「束ねる」ということから、「(状況・事態などが)ある一定の状態に落ち着く」という意味になっています。NHKオンライン…放送用語から
この”雉”というブログは、過去に一度閉じられ再び開かれた経緯があります。
今回の”雉”ブログは、自分の備忘録みたいなものでオトンや弟の死に対して自分の気づきや学びとともに、自戒の意をわすれないためという側面が自分に対してはありました。
遺産分割の協議の話し合いにかたくなに参加してこようとしなかった相手の方からの話しあい提案でした。
事態は、終息ではなく収束の方向へ向かったとみています。
”政治的”という判断の範疇に入ったと言えるでしょう。
妥協案の大きな骨子は感情的な部分を話しあってほぐすことなく、先方の金銭的解決案をのめるならハンコを押してひとまず宙に浮いていた遺産問題を解決するという提案でした。
オカンたちと沖縄旅行から帰ってから、1通の連絡書と見積書を私から送っていました。
それは、いまだに所属がはっきりしないオトンの遺産の多くが築30年近くの貸しビルやアパート等の建物であり適切なメンテナンスも行われない部分があり老朽化している問題を抱えているということが前提でした。
簡単に言うと、遺産総額は大きいがその多くが建物であり、固定資産の評価額として計上されるものの遺産分割のために売却精算するには価値が0に近いものが大多数を占めていることです。
誰の所属になろうとも、これ以上の放置は看過できないので手始めに数百万単位のリフォーム・修理資金を投入することを決めたという内容です。
権利の主張には、義務と責任が伴うと考えています。
権利者同士の応分の負担を強請ではなく任意で求める内容でした。
費用は、オカンと私が負担することは決定済みでその帰属については問わないが、投入した資金は回収するという内容でした。
温泉も含め、これらの資産としての価値を維持するためには今後も数千万単位の投資が必要で、私の会社が運営を離れた今、その負担は用意・運用している独立した総合管理通帳からの収支によってすべて賄われるという内容です。
簡単に言えば、いつまでたっても通帳の残金は増えないということです。
オトンが残した現金の凍結預金と香典など現金に私の個人的なお金を足した金額を、相手に渡します。
しかし、その金額全てを修理代金として還流させてもよいという内容です。
それでも相続権利額の3分の1という提案です。
政治的な解決をきめました。
オカンが、俳句日記で本音を述べています。
これ以上、”喧嘩すなよ”というメッセージでした。
解決能力という点では力が及ばないオカンは、オカンなりに気に病み不眠の日々が続いていました。
これ以上自分の”我”にこだわる必要はないと言う判断です。
終息ではなく収束を選択しました。
フクシマ原発事故で”収束宣言”が出されましたが、港内の魚からは基準値の数千倍と言う放射線値が検出されたのはつい最近のことです。
我が家の放射線値も、いまだ終息に到ってないと思っています。
収束から終息へと、自分だけでなく家族の協力もこれまで以上必要です。
もとより、勝ち負けは考えていませんが関係の修復を図らなければと思っています。
どうあれ、結論は導き出されました。
沖縄お気軽移住への道のりは平たんではありません。
次に「収束」について。これは「収まる」「束ねる」ということから、「(状況・事態などが)ある一定の状態に落ち着く」という意味になっています。NHKオンライン…放送用語から
この”雉”というブログは、過去に一度閉じられ再び開かれた経緯があります。
今回の”雉”ブログは、自分の備忘録みたいなものでオトンや弟の死に対して自分の気づきや学びとともに、自戒の意をわすれないためという側面が自分に対してはありました。
遺産分割の協議の話し合いにかたくなに参加してこようとしなかった相手の方からの話しあい提案でした。
事態は、終息ではなく収束の方向へ向かったとみています。
”政治的”という判断の範疇に入ったと言えるでしょう。
妥協案の大きな骨子は感情的な部分を話しあってほぐすことなく、先方の金銭的解決案をのめるならハンコを押してひとまず宙に浮いていた遺産問題を解決するという提案でした。
オカンたちと沖縄旅行から帰ってから、1通の連絡書と見積書を私から送っていました。
それは、いまだに所属がはっきりしないオトンの遺産の多くが築30年近くの貸しビルやアパート等の建物であり適切なメンテナンスも行われない部分があり老朽化している問題を抱えているということが前提でした。
簡単に言うと、遺産総額は大きいがその多くが建物であり、固定資産の評価額として計上されるものの遺産分割のために売却精算するには価値が0に近いものが大多数を占めていることです。
誰の所属になろうとも、これ以上の放置は看過できないので手始めに数百万単位のリフォーム・修理資金を投入することを決めたという内容です。
権利の主張には、義務と責任が伴うと考えています。
権利者同士の応分の負担を強請ではなく任意で求める内容でした。
費用は、オカンと私が負担することは決定済みでその帰属については問わないが、投入した資金は回収するという内容でした。
温泉も含め、これらの資産としての価値を維持するためには今後も数千万単位の投資が必要で、私の会社が運営を離れた今、その負担は用意・運用している独立した総合管理通帳からの収支によってすべて賄われるという内容です。
簡単に言えば、いつまでたっても通帳の残金は増えないということです。
オトンが残した現金の凍結預金と香典など現金に私の個人的なお金を足した金額を、相手に渡します。
しかし、その金額全てを修理代金として還流させてもよいという内容です。
それでも相続権利額の3分の1という提案です。
政治的な解決をきめました。
オカンが、俳句日記で本音を述べています。
これ以上、”喧嘩すなよ”というメッセージでした。
解決能力という点では力が及ばないオカンは、オカンなりに気に病み不眠の日々が続いていました。
これ以上自分の”我”にこだわる必要はないと言う判断です。
終息ではなく収束を選択しました。
フクシマ原発事故で”収束宣言”が出されましたが、港内の魚からは基準値の数千倍と言う放射線値が検出されたのはつい最近のことです。
我が家の放射線値も、いまだ終息に到ってないと思っています。
収束から終息へと、自分だけでなく家族の協力もこれまで以上必要です。
もとより、勝ち負けは考えていませんが関係の修復を図らなければと思っています。
どうあれ、結論は導き出されました。
沖縄お気軽移住への道のりは平たんではありません。
Posted by yo1 at 06:49│Comments(0)
│日記