2013年01月25日
ものごと・裏・表、あさどれ(朝凪)・ようどれ(夕凪)
出だしを、落語のまくら風に・・・・。
ものごとっちゅ~ものは、必ず裏と表があるもんで・・・・。
これを昔の人は、うまく申しておりやしたな。
”一枚の紙にも裏表” 。
”盾の両面を見よ”
ちなみに英語では、There are two sides to every question.(物事にはすべて二面がある)
この事っちゅうのは、この歳になると忘れてはいけないことで・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
柳田國男氏の”海上の道”の2度目の読解に入りました。
方言周圏論を唱えた人だけに、言葉などの伝播から文化の流れを推敲する手法で、1度だけの読破では1割も理解できたかどうか・・・?
著者は、沖縄の東海岸沿いに残るグスク群と首里や浦添を中心とした勢力が大きく分けて存在したと、言語として残されたこん跡から推論しています。
沖縄学の祖といわれる伊波普猷(いはふゆう)によれば、歴史上の勝者が敗者を悪者にすることは古今東西あることで、15世紀の沖縄本島において、勝連半島を勢力下に置いた按司である阿麻和利の乱などは、奸計をめぐらして忠臣を葬り去り王位を狙った逆賊の誹(そし)りを免れない人物にされていますが、事実はそうであるかないか?
太平洋岸を伝い、大和・宮古・石垣とつなぐ海の道が古からあったと推測します。
その道は、あるいはニライカナイやミロク・ごうほら貝、そして稲を伝播した道ではなかったのかと・・・・。
一方、東シナ海に面した西側のルートは久米島の発展と共にまた航海技術の発達とともに大陸文化を運んだ道なのか?
このように、交易によって力を蓄えた勢力がぶつかり合った琉球統一史の勝者が残した評価だったのでしょうか?
尽きぬ興味が次回の沖縄行への夢を誘います。
次回、訪れる予定地決定。
浦添ようどれ。
そこには、伊波普猷顕彰碑に刻まれた東恩納寛惇の撰文があります。
彼ほど沖縄を識った人はいない
彼ほど沖縄を愛した人はいない
彼ほど沖縄を憂えた人はいない
彼は識った為に愛し愛した為に憂えた
彼は学者であり愛郷者であり予言者でもあった。
明治四十二年二月十一日稿『沖縄新聞』にて発表された”沖縄人の最大の欠点”と題する1文は、からゆ、やまとゆ、あめりかゆ、やまとゆと変遷する統治をしたたかにくぐり抜けてきたしたたかさを予言するものであったのでしょうか?
琉球王朝の中で玉陵(首里城近くの王家の墓所)への埋葬を拒否した1609年島津琉球入り当時の悲劇の琉球王 尚寧王が眠る墓所が浦添ようどれ。
そして、地位も名誉も家も妻も子供もすべて捨て一人の女性と添い遂げようとしたもう一人の伊波普猷。
何故か、墓は背中合わせと書かれています。
ついでに普天間基地は目と鼻の先ということでした。
伊波先生50歳を前にして・・・”運命”と出会ってしまったのです。
極めて人間的というか、”レンアイにも偏差値はひつようさぁ~”と言ってるみたいなことに。
当時、普猷49歳、冬子 27歳、22歳の歳の差。
で、すべてを捨てて沖縄から東京へと渡る。
やがて、その後半生の長い旅は、浦添ようどれで終わる。
詳しくは、伊波普猷とは?でね。
説明文にも書いてありますが、伊波が初代館長をつとめ、未亡人である伊波冬子もOGである沖縄県立図書館には、伊波冬子の自筆原稿13点が保管されている。
その内の一点『文化財巡り(ゆうどれ)』という原稿がある。
文末の日付は1960.10.22となっている。この原稿が、日付から伊波普猷の墓所を決定した視察の時に書かれたものであると分る。
一言も、亡き夫の墓所の確認とは書いてないのだけれども察してあまる心情を推察するために、沖縄県立図書館へ行くのもよい。
ものごとには、裏と表があるのです。
沖縄旅行が、段々マニアックになって怖いです。
次回は、稀代のスピリチュアル城(グスク)、玉城城を書こうか書くまいか?
体験記つきだから、面白いと思う。
案内する地の物語が語ることができれば”言の葉”となる。
80歳過ぎのばあさんたちが、”あんな楽しい旅は初めて”と今でも言ってくれている。
シニアのパソコン教室で、沖縄ツアーを頼まれました。
”観光客が行かない沖縄旅行”
えっ?期待値に押しつぶされそうです。
散々パラ、世界旅行している年寄りたちは、普通のお買いもの旅行にはもう興味を示さない。
でも、恋とロマンと歴史と悲劇が詰まった普猷、冬子の恋の物語。
1日がかりで、めぐるのも楽しいかも。
しかし、ヨメはんと、今企画しているのは無目的・無計画・無行動ひたすらグダグダする沖縄離島の旅。
候補地は、宮古島か南大東。
静かに行って、静かにもどる。
こころを空っぽにしたい。
風邪が治らないけれど、今日から稼ぐための仕事始めた。
毎日心傷つくこと多すぎ。
ものごとっちゅ~ものは、必ず裏と表があるもんで・・・・。
これを昔の人は、うまく申しておりやしたな。
”一枚の紙にも裏表” 。
”盾の両面を見よ”
ちなみに英語では、There are two sides to every question.(物事にはすべて二面がある)
この事っちゅうのは、この歳になると忘れてはいけないことで・・・・。
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柳田國男氏の”海上の道”の2度目の読解に入りました。
方言周圏論を唱えた人だけに、言葉などの伝播から文化の流れを推敲する手法で、1度だけの読破では1割も理解できたかどうか・・・?
著者は、沖縄の東海岸沿いに残るグスク群と首里や浦添を中心とした勢力が大きく分けて存在したと、言語として残されたこん跡から推論しています。
沖縄学の祖といわれる伊波普猷(いはふゆう)によれば、歴史上の勝者が敗者を悪者にすることは古今東西あることで、15世紀の沖縄本島において、勝連半島を勢力下に置いた按司である阿麻和利の乱などは、奸計をめぐらして忠臣を葬り去り王位を狙った逆賊の誹(そし)りを免れない人物にされていますが、事実はそうであるかないか?
太平洋岸を伝い、大和・宮古・石垣とつなぐ海の道が古からあったと推測します。
その道は、あるいはニライカナイやミロク・ごうほら貝、そして稲を伝播した道ではなかったのかと・・・・。
一方、東シナ海に面した西側のルートは久米島の発展と共にまた航海技術の発達とともに大陸文化を運んだ道なのか?
このように、交易によって力を蓄えた勢力がぶつかり合った琉球統一史の勝者が残した評価だったのでしょうか?
尽きぬ興味が次回の沖縄行への夢を誘います。
次回、訪れる予定地決定。
浦添ようどれ。
そこには、伊波普猷顕彰碑に刻まれた東恩納寛惇の撰文があります。
彼ほど沖縄を識った人はいない
彼ほど沖縄を愛した人はいない
彼ほど沖縄を憂えた人はいない
彼は識った為に愛し愛した為に憂えた
彼は学者であり愛郷者であり予言者でもあった。
明治四十二年二月十一日稿『沖縄新聞』にて発表された”沖縄人の最大の欠点”と題する1文は、からゆ、やまとゆ、あめりかゆ、やまとゆと変遷する統治をしたたかにくぐり抜けてきたしたたかさを予言するものであったのでしょうか?
琉球王朝の中で玉陵(首里城近くの王家の墓所)への埋葬を拒否した1609年島津琉球入り当時の悲劇の琉球王 尚寧王が眠る墓所が浦添ようどれ。
そして、地位も名誉も家も妻も子供もすべて捨て一人の女性と添い遂げようとしたもう一人の伊波普猷。
何故か、墓は背中合わせと書かれています。
ついでに普天間基地は目と鼻の先ということでした。
伊波先生50歳を前にして・・・”運命”と出会ってしまったのです。
極めて人間的というか、”レンアイにも偏差値はひつようさぁ~”と言ってるみたいなことに。
当時、普猷49歳、冬子 27歳、22歳の歳の差。
で、すべてを捨てて沖縄から東京へと渡る。
やがて、その後半生の長い旅は、浦添ようどれで終わる。
詳しくは、伊波普猷とは?でね。
説明文にも書いてありますが、伊波が初代館長をつとめ、未亡人である伊波冬子もOGである沖縄県立図書館には、伊波冬子の自筆原稿13点が保管されている。
その内の一点『文化財巡り(ゆうどれ)』という原稿がある。
文末の日付は1960.10.22となっている。この原稿が、日付から伊波普猷の墓所を決定した視察の時に書かれたものであると分る。
一言も、亡き夫の墓所の確認とは書いてないのだけれども察してあまる心情を推察するために、沖縄県立図書館へ行くのもよい。
ものごとには、裏と表があるのです。
沖縄旅行が、段々マニアックになって怖いです。
次回は、稀代のスピリチュアル城(グスク)、玉城城を書こうか書くまいか?
体験記つきだから、面白いと思う。
案内する地の物語が語ることができれば”言の葉”となる。
80歳過ぎのばあさんたちが、”あんな楽しい旅は初めて”と今でも言ってくれている。
シニアのパソコン教室で、沖縄ツアーを頼まれました。
”観光客が行かない沖縄旅行”
えっ?期待値に押しつぶされそうです。
散々パラ、世界旅行している年寄りたちは、普通のお買いもの旅行にはもう興味を示さない。
でも、恋とロマンと歴史と悲劇が詰まった普猷、冬子の恋の物語。
1日がかりで、めぐるのも楽しいかも。
しかし、ヨメはんと、今企画しているのは無目的・無計画・無行動ひたすらグダグダする沖縄離島の旅。
候補地は、宮古島か南大東。
静かに行って、静かにもどる。
こころを空っぽにしたい。
風邪が治らないけれど、今日から稼ぐための仕事始めた。
毎日心傷つくこと多すぎ。
Posted by yo1 at 20:29│Comments(0)
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