2013年02月14日
元マリーン、J(ジェイ)
午前6時前には、起床。
TVのまえで、ヨメはんとみんなの体操。
続いて入浴と朝食。
合間に、パソコン。
最近、ここまでは判で押したような生活。
今朝はこの後、夜積もった雪の除雪と仕上がりつつある漆のチェック。
10時になって、昨夜遅く京都から帰った息子のネットオークションの品の荷造りのバイト。
大体15~16個の荷造りに4時間。
昼食は抜きです。
一応荷作り前にチェックと注意事項を聴く。
京都から帰った息子がぽつんと。
「おやじ、J(ジェイ)が死んだ。」
J(ジェイ)とはここ何年もまえから、西の骨董商のマーケットに姿を現し日本人以上に日本人的なせこい買い方する1人のアメリカ人の名前。
本名は誰も知らないし、だれも興味がない。
元マリーン(海兵隊)くらいしか皆知らない。
骨董の業者市と言うものなんぞは、ある意味人生の吹き溜まりみたいなところがあり、その人間の生命力と金だけが、最も”価値”があるところだと感じている。
1点数億という交換市もあれば最低500円という泥棒市もある。
J(ジェイ)は泥棒市専門だった。
それぞれが感じた金の匂いだけで値踏みして瞬間の駆け引きで現金決済。
セリに立ち会うと存在自体が”まやかし”か”まぼろし”と感じてしまう”金の力”だけのマーケットでもある。
J(ジェイ)は、関西の大手の業者に盾つき睨まれることになった。
行く市、行く市で1点も品を買うことが出来なくなった。
怒った業者が買わせないのである。
売れる値段に関係なく、J(ジェイ)の付けた値段の↑値をつけ、商売のネタを与えないのである。
J(ジェイ)の買うものは資金力から言って、1点5000円以下が中心で売る相手は同じ欧米人。
彼でないとわからないものが多い。
骨董とは、他の商売と違い1点に対する其々の儲けでは考えていけない商売だと思う。
1点で、2万円損を出しても1点で10万円の益を出せば8万円の利益である。
トータルビジネスと考えないと、ふつう円形脱毛症になる。
この瞬間のやり取りに、アドレナリンをたっぷり出し”熱く”なれるやつか地獄を経験し冷静に対応できる奴しか生き残れない。
”損してもよいからJ(ジェイ)に買わせるな”
生きるために、J(ジェイ)はその大手の業者の力が及ばない敦賀の山を越えて北陸の市へと顔を出すようになって私が彼を見かけることになった。
(ここまでの経緯は、息子が北陸の市から関西の市へ進出したとき見聞きした情報)
J(ジェイ)は、いくつかの”レジェンド(伝説)”を残した。
骨董の市で誰も値をつけない品が登場すると、”前づけ”と言ってその前に競り落としたものに”ただ”で品物が付く。
あるときそんな品が出た。
セリ人がそんな時は、”前づけ”と言う。
セリ人の言葉が発せられる前に、J(ジェイ)は「J(ジェイ)に前づけ」と絶妙のタイミングで一声。
会場が、そのタイミングの良さと元マリーンアメリカ人が日本の習慣を知悉(ちしつ)していることに沸いた。
あるとき、米国映画の小道具の買い付けの監督をJ(ジェイ)が連れて来た。
監督の頭は、ドルである。
監督は日本語が判らないし、セリの形態も理解していない。
ひとの頭は誰でも同じ、”安く買いたい”。
”はい3000円から”と発句という開始値をセリ人が打つ。
日本円をドル換算してJ(ジェイ)は監督に通訳する。
通訳しながら許可をとり、セリ落とす。
買ったものは、必ず買わねばならない。
あたまっから、3万円は30万になっていく。
業者の許可書が必要なので、素人さんは入場して競れない。
結局、総額競り落としの金額30万円は監督の頭では300万円という思い込みに化けて、監督さんは日本人の仕入れ値で”大満足”で帰った。
このやり取りは、息子の目の前で行われた。
経費を差し引いても、J(ジェイ)は4~5時間で250万円は”益”が出た計算である。
最近J(ジェイ)は、大手業者の執拗な妨害をかいくぐって名古屋出日本人スタッフ10名程度を抱える貿易骨董商にまでなった。
かれは、生き残って軌道に乗りつつあったようだ。
なぜか、息子とJ(ジェイ)は”馬が合った”ようで・・・・。
彼が亡くなったバリ島へ旅立つ直前の市で、トラックに乗り込んだJ(ジェイ)が息子に向かって”ヘイ!〇〇バカンス・バカンス”と親指を立てて笑いかけた姿が彼が見たJ(ジェイ)の最後だったそうだ。
J(ジェイ)は、元マリーンだ。
兵隊になるということは、アメリカでは決して裕福ではなかったということかもしれない。
やっと、バリ島に行きバカンスが楽しめるところまで自力でたどり着いた。
彼は嬉しかったに違いない。
バカンスのバリ島で大酒食らいバイクを運転し、激突死。
「おやじ、J(ジェイ)が死んだ。」
「40歳だと」
「骨董屋は、同業の人が死ぬと喜ぶんよ、敵が減ったと」
「そして、必ずあのば~~~かというんよ」
息子は、35歳である。
人は、緊張して生きているときよりホッとしたときの方が隙ができるしつまづく。
最近息子の周りの40歳台の同業者の過労死や事故死が多い。
長く続ける仕事ではないなと傍から思う。
機械ではないんだから、休息も必要だとおもう。
収入だけ聞くと人はびっくりするけど、全然うらやましくない。
息子は、まだ私の言う価値観が理解できないようだ。
J(ジェイ)が死んだ。
赤字の部分の言葉。
かれは、このことからなにか1つ学んだようだ。
なんであれ。
TVのまえで、ヨメはんとみんなの体操。
続いて入浴と朝食。
合間に、パソコン。
最近、ここまでは判で押したような生活。
今朝はこの後、夜積もった雪の除雪と仕上がりつつある漆のチェック。
10時になって、昨夜遅く京都から帰った息子のネットオークションの品の荷造りのバイト。
大体15~16個の荷造りに4時間。
昼食は抜きです。
一応荷作り前にチェックと注意事項を聴く。
京都から帰った息子がぽつんと。
「おやじ、J(ジェイ)が死んだ。」
J(ジェイ)とはここ何年もまえから、西の骨董商のマーケットに姿を現し日本人以上に日本人的なせこい買い方する1人のアメリカ人の名前。
本名は誰も知らないし、だれも興味がない。
元マリーン(海兵隊)くらいしか皆知らない。
骨董の業者市と言うものなんぞは、ある意味人生の吹き溜まりみたいなところがあり、その人間の生命力と金だけが、最も”価値”があるところだと感じている。
1点数億という交換市もあれば最低500円という泥棒市もある。
J(ジェイ)は泥棒市専門だった。
それぞれが感じた金の匂いだけで値踏みして瞬間の駆け引きで現金決済。
セリに立ち会うと存在自体が”まやかし”か”まぼろし”と感じてしまう”金の力”だけのマーケットでもある。
J(ジェイ)は、関西の大手の業者に盾つき睨まれることになった。
行く市、行く市で1点も品を買うことが出来なくなった。
怒った業者が買わせないのである。
売れる値段に関係なく、J(ジェイ)の付けた値段の↑値をつけ、商売のネタを与えないのである。
J(ジェイ)の買うものは資金力から言って、1点5000円以下が中心で売る相手は同じ欧米人。
彼でないとわからないものが多い。
骨董とは、他の商売と違い1点に対する其々の儲けでは考えていけない商売だと思う。
1点で、2万円損を出しても1点で10万円の益を出せば8万円の利益である。
トータルビジネスと考えないと、ふつう円形脱毛症になる。
この瞬間のやり取りに、アドレナリンをたっぷり出し”熱く”なれるやつか地獄を経験し冷静に対応できる奴しか生き残れない。
”損してもよいからJ(ジェイ)に買わせるな”
生きるために、J(ジェイ)はその大手の業者の力が及ばない敦賀の山を越えて北陸の市へと顔を出すようになって私が彼を見かけることになった。
(ここまでの経緯は、息子が北陸の市から関西の市へ進出したとき見聞きした情報)
J(ジェイ)は、いくつかの”レジェンド(伝説)”を残した。
骨董の市で誰も値をつけない品が登場すると、”前づけ”と言ってその前に競り落としたものに”ただ”で品物が付く。
あるときそんな品が出た。
セリ人がそんな時は、”前づけ”と言う。
セリ人の言葉が発せられる前に、J(ジェイ)は「J(ジェイ)に前づけ」と絶妙のタイミングで一声。
会場が、そのタイミングの良さと元マリーンアメリカ人が日本の習慣を知悉(ちしつ)していることに沸いた。
あるとき、米国映画の小道具の買い付けの監督をJ(ジェイ)が連れて来た。
監督の頭は、ドルである。
監督は日本語が判らないし、セリの形態も理解していない。
ひとの頭は誰でも同じ、”安く買いたい”。
”はい3000円から”と発句という開始値をセリ人が打つ。
日本円をドル換算してJ(ジェイ)は監督に通訳する。
通訳しながら許可をとり、セリ落とす。
買ったものは、必ず買わねばならない。
あたまっから、3万円は30万になっていく。
業者の許可書が必要なので、素人さんは入場して競れない。
結局、総額競り落としの金額30万円は監督の頭では300万円という思い込みに化けて、監督さんは日本人の仕入れ値で”大満足”で帰った。
このやり取りは、息子の目の前で行われた。
経費を差し引いても、J(ジェイ)は4~5時間で250万円は”益”が出た計算である。
最近J(ジェイ)は、大手業者の執拗な妨害をかいくぐって名古屋出日本人スタッフ10名程度を抱える貿易骨董商にまでなった。
かれは、生き残って軌道に乗りつつあったようだ。
なぜか、息子とJ(ジェイ)は”馬が合った”ようで・・・・。
彼が亡くなったバリ島へ旅立つ直前の市で、トラックに乗り込んだJ(ジェイ)が息子に向かって”ヘイ!〇〇バカンス・バカンス”と親指を立てて笑いかけた姿が彼が見たJ(ジェイ)の最後だったそうだ。
J(ジェイ)は、元マリーンだ。
兵隊になるということは、アメリカでは決して裕福ではなかったということかもしれない。
やっと、バリ島に行きバカンスが楽しめるところまで自力でたどり着いた。
彼は嬉しかったに違いない。
バカンスのバリ島で大酒食らいバイクを運転し、激突死。
「おやじ、J(ジェイ)が死んだ。」
「40歳だと」
「骨董屋は、同業の人が死ぬと喜ぶんよ、敵が減ったと」
「そして、必ずあのば~~~かというんよ」
息子は、35歳である。
人は、緊張して生きているときよりホッとしたときの方が隙ができるしつまづく。
最近息子の周りの40歳台の同業者の過労死や事故死が多い。
長く続ける仕事ではないなと傍から思う。
機械ではないんだから、休息も必要だとおもう。
収入だけ聞くと人はびっくりするけど、全然うらやましくない。
息子は、まだ私の言う価値観が理解できないようだ。
J(ジェイ)が死んだ。
赤字の部分の言葉。
かれは、このことからなにか1つ学んだようだ。
なんであれ。
Posted by yo1 at 00:45│Comments(0)
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