2017年05月30日
風と波と渟名玉のため息と
800日以上放置していたブログ。
そろそろということでしょうね?
下書き状態ですが、完成形へ向けて・・・。
状態を確かめながら・・・。
射干玉(ぬばたま)の闇がどこまでも拡がっていました。
降る雨は邑全体をすっぽりと濡らし、風に乗った潮騒が静寂のの帳を破る夜でした。
タンタンシューットントン、タンタンシューットントン。
刀杼(とうじょ)と呼ばれる織込み箆で織目を締める音。
貫(ぬき)で、上糸と下糸の間に緯糸を通す音。
繰り返される布打ちの音・・・。
兄である意富入来(おおいりき)の為に織っている薄衣の機音(はたおと)と、真脇の海で獲れた海豚(いるか)の灯し油を吸った灯芯草の髄が、焦げて音を立てる音だけが、人の営みを気づかせる夜です。
ジジッジジジジ、ジジッジジジジ。
今宵の能登の邑智の里は、重い湿り気が立ち込めています。
重い雨の帳の中に音無き音となって、四十万の静寂に吸い込まれていきます。
私の名は渟名(ぬな)。
渟名とは、大王(おおきみ・ミマキイリビコ)である父が、私に与えた斎名(いみな・産れた時につける聖なる名)。
渟名とは、川に遊ぶ蒼の羽根を持つしょうびんという鳥の名前であり、神聖な魂が宿るという玉(ぎょく)の意味でもあるのでしょうか?
父の名は、ハツクニシラス・ミマキイリビコ(初めて国を治めた、纒の地のより日沈む処の男)
遠くない昔、大王の将軍たちが、都とこの地能登への道をつなぎました。
兄 意富入杵(おおいりき)は、大王に命じられ国造(王権の派遣・任命する直轄行政官)として能登に赴きました。
失意と焦燥の中にあった私は兄に連れられ、この静かな潟湖が拡がり海へとつながる畔の邑へとたどり着いたのです。
しかしこの地は、未だ人も心もさだまらぬ地で兄の苦労は絶えません。
兄は今も、いまだ祖神天之日神に祭ろわぬ者たちを追って深い森へと分け入っています。
兄の無事を、祈らずにはいられません。
もう直ぐ夏がやって来ます。
兄のために、夏衣を織ってさし上げねばなりません。
空蝉のように透明で、陽炎のように浮き立つ軽い布で・・・。
それは幣(ぬさ)のように清らかでなければいけません。
ひと織りひと織りに、身魂を込め織っていきます。
身魂を織り重ねる事でしか、あの祭ろわぬ者たちの魂(たま)を防げません。
タンタンシューットントン・タンタンシューットントン・・・。
規則正しい音は、「音魂」を招き寄せます。
音魂が震えとなり、祖神(おやかみ)の世界と魂(たま)の橋を架けるのです。
一心に織り祈る時、現(うつつ)という世界は遠ざかり、忘我の縁が意識の中に現れます。
祖神の世界と私の身魂がつながった時、織り込む布の中に祖神の「魂言力(たまことのちから)」が宿るのです。
私の身霊は昊(そら)に浮いています。
機織りをする私自身を見下ろしています。
やがてその姿も現(うつつ)とともに、翳んでいきます。
私はふわりと、揺蕩(たゆた)うように宙へ舞いあがります。
何も感じず何も思わない昊、私すらない昊(そら)へとひたすら昇っていきます。
無数の星のようなものが煌めき、ひときわ輝いて見える輝きの門が見えます。
私は、私を離れたのです。
一心に機を織り続ける私を後に、私の魂(たま)は昊(そら)へと翔けていきます。
ただ闇の中に光り輝く祖神・天之日神の座(いま)す門へと・・・。
(何かがやってくる・・・。)
ふと、私の身魂が揺らぎました。
さざ波のように、あるいは無数の粒のような波紋が私を包み、私を不安にさせます。
身に着けた渟名玉(勾玉)が、玉響(たまゆら・勾玉が触れ合う音)を発しました。
「チリーン、チリーン」
振り返る私の魂に邑の家々が、次々と燃えていく様が映りました。
闇と焔の間(まみま)に黒い影が、踊るように見え隠れします。
衛視は?いつも私の世話をしてくれる加那は?・・・、
地面に長々と横たわる人影が,七つ八つ・・・。
衛視たちの骸しょうか?
兄意富入杵は、まだ遠くです。
嗚呼、人々が逃げまどっています。
黒い影の者たちは、見知った邑の人々を襲っています。
霧のようなものが、黒い影たちを取り巻きうねっています。
あの地を這うような霧を、見たことがあります。
深く心に刻まれた、私の忌まわしげな記憶の中です。
大王が座(いま)す都、磯城瑞籬宮(シキノミズカキノミヤ)でのことでした。
ハツクニシラス(初めて国を治めた)と呼ばれた我が大王は、都からの四方に軍を遣わし多くの国々を従えていきました。
従えた国々の神々たちは、その地の国魂として座していました。
その国魂を斎祀(いつきまつ)らう場所の多くは、遠い遠い昔から大いなる力とつながる場所です。
私には”その場所”が、どのような場所かがわかります。
私の渟名玉(勾玉)は、その場所の揺らぎや響きと共に啼くのです。
チリ~ン・チリ~~ン。
玉響(たまゆら・勾玉が触れ合う音)を、発するのです。
この国の人々は、気の遠くなるような昔から”その場所”を体で感じました。
地の底から湧き出るもの、昊(そら)から降り注ぐものが集まり、大いなる力とつながる場所。
“その場所”とは、そのようなところなのです。
そして“その場所”とは、神が天降ることの出来る場所なのです。
そして”その場所”の揺らぎや響きを渟名玉(勾玉)が、玉響となって移し取り、その身を護ることをこの国の人々は知っていたのです。
大王は、“その場所”に、次々と祖神天之日神を祀らせました。
そして、祀らわれる場所を失った国魂達を鎮めるために、都の御所内に斎の宮をおき祖神天之日神と共に祀りました。
やがて都や国内(くにうち)に異変が続きました。
天之日神がお隠れになり、河が決壊し、地が水浸しになり、百穀が実らず多くの民が疫病に倒れ離反していきました。
大王は占問いを行いました。
降(くだ)された宇気比とは、大王の斎きの社へと次々と祀られていく国魂神と氏族の祖神の「魂言力(たまことのちから)」が崩れおち、鎮めていた禍津日(マガツ日・災厄)や祟(たた)りが漏れ出したことを伝えるものでした。
チリーン。
何度も玉響が、私の身魂への警告を発します。
宙に浮いた私の身霊(みたま)を揺らします。
(早く急いで、わが身へと戻らなければ・・・。)
遥かへ翔んでいた私の魂の乱れと共に、私は来た道を、天から真っ逆さまに降りていきました。
私は大王(おおきみ)の宮殿、瑞籬宮(みずかきのみや)で斎売(いつきめ)(神に仕える未婚の巫女。)の見習いとして姉の豊鍬とともに仕えることになりました。
私たちが斎売(いつきめ)とすなることを、大王に言向けされたのは、目妙比米(まくはしひめ)さまです。
目妙比米(まくはしひめ)さまは、瑞籬宮の奥ふかく、衛視に護られ何人たりとも立ち入ることが許されない場所におられます。
我が大王の御世が始まる前から永く目妙比米(まくはしひめ)さまは“その場所”におられると言われています。
“その場所”は、三輪の山の上に天之日神が顕われ、天を翔け二上の女山へと鎮まりあそばれる様を見渡す場所にあるのです。
姉の豊鍬と目妙比米さまのお姿を初めて拝した時のことを、わすれません。
打ち捨てられた白衣(しろきぬ)が輿に載せられているのかと思いました。
その白衣から、萎びた者が姿を現し、人を刺ようなす眼で語りかけて来たのです。
「神の御魂には,四つの魂がある。」
私は驚きのあまりに、声を発せられたのか魂に呼びかけたのか定かではありません。
次の言葉の穂を聞き取るのに焦れるほど時間が空いて、私たちの魂がすっと引き寄せられるのを感じました。
背筋に沿って、なにか熱い炎のようなものが上がっていきした。
「和魂(にぎみたま)・荒魂(あらみたま)・幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)じゃ」
それがどのようなものかが,私たちの心へと直接伝ってきました。
伝ってきたのは、和魂には「親しみの気」荒魂には「勇みの気」、幸魂には「愛しの気」、奇魂には「智しの気」という魂が宿るという意味だったと思います。
「この神御魂を斎きお護りするのが、お前たちの役目なのだ」
まともに目を合わすことさえ覚束ない儘に私たちは、控えの間に下がらせられました。
「目妙比米さまは、人の歳をくろうて生きておられる」とは、口さがない婢女のうわさばなしですが、私たちの周りの空の気の流れごと吸い寄せられて行くのが解りました。
お仕えが、始まりました。
人の音せぬ暁前、私たちは月の姿を映し取る真名の井から、清浄な水を汲み上げます。
二人で水くみした桶を天秤に下げもち、目妙比米さまが座す斎宮へと向かいます。
斎の宮は、楼閣高くにあります。
板張りの長い坂を、ただ息を切らして二人は登っていきます。
雨の日も雪の日も毎日休みなく・・・。
楼閣へたどり着くと、賢木(さかき)の枝をめぐらした柴垣の中に灯明の光が漏れ、風も無くに揺れています。
その灯りに、蹲(うずくま)るように目妙比米さまの坐す白衣が浮かび上がります。
欄干に止まった鳥居の木の飾りが今にも飛び立とうとする風情で、その先の渦巻き状の鴟尾はそれを押しとどめているかのようです。
暗闇の中、祀りとは魂を鎮め、魂を振る場であることを思い知らされます。
上がりの方角(東)に天に掲げるように鏡が一つ。
さらに手前に水をたたえた桶の中に、もう一つの鏡。
鏡の一つは、私たち氏族の祖神・天之日神さまの神魂を映しとったもの。
桶の中のもう一つの鏡は、国魂神さまの神魂を映しとったもの。
桶の水面は、いつも波立っています。
その前へ来ると、私の渟名玉の玉響は大きく揺らぎます。
静謐のなか、魂殯・たまもがりの儀式が始まります。
私たちが汲んできた真名の井の水桶に、国魂神さまのゐます鏡を移し替えるのです。
私たちは、安座し足の裏を合わせ桶を囲み、互いに小さく低く「ぅオ」という音を発します。
長く低く或いは高く「ぅお~~~」と発します。
声の調子が、次第に合ってきます。
一つの声のようになったとき、あれほど波立っていた水面は静かになります。
私たちの胸にかけられている渟名玉も、玉響の揺らぎをやめます。
刹那、空の気が震え、風が啼いて、虎落の笛のような音を立てます。
その騒めきを押しとどめる様に、幣(ぬさ)が振られます。
左・右・前・後・中と幣は振られます。
祓えの儀式です。
目妙比米さまにより、国魂神さまの神魂が桶の中から取り出し天之日神さまの鏡の下へと置かれます。
暗闇の現の中で、天之日神の鏡から大きく燃える火魂が降りていき、鏡の中の不思議な形のものを宙へと引き上げます。
国魂神さまの化身の蛇龍でしょうか?もがいています。
やがて、その姿は鏡の中に消えていきます。
再び鏡は、私たちが汲んできた真名の井の水桶に沈められます。
鏡は再び小さなさざ波を立てながら、暁に染まる樹の柴垣の中で眠りにつきます。
大王の遠征により、多くの国の国魂が座す“その場所”に天之日神さまの降りられる鏡を置きました。
坐すところを失った国魂神さまを鏡に移し、都の斎の宮の大鏡へと斎祀ってきました。
或いは嘆き、或いは憤激した国魂神の神魂は、この地にかって座した那賀須泥の登美毘古の霊を神霊として魂上げしたように鎮められるまで、この儀式は続けられるのです。
私たちの氏族がこの地へやって来たのは、大いなる昔ではありません。
大王や私たちの諡(おくりな)の”いりき“とは、私たちが天之日神の沈み入る所から祖神と共にやって来たことを意味します。
私たちがやって来た以前のこの地の“その場所”には、この地の国魂が祀られていました。
目妙比米(まくはしひめ)さまは、その神を氏族の石凝姥(いしこりとべ)に造らせた鏡に移しとられて鎮めの儀式を行ってこられたのです。
鏡は魂を鎮め、殯(もがり)というお仮屋の役目を果たします。
斎宮の一日は、この時のために費やされるのです。
大王の七年の時、都や国内(くにうち)に異変が続きました。
天之日神がお隠れになり、河が決壊し、地が水浸しになり、百穀が実らず多くの民が疫病に倒れ離反していきました。
大王は、目妙比米さまに三輪山の麓、浅茅原の大磐にて言代(ことしろ)の占問いを、お命じになりました。
目妙比米さまのお力御の一つが、依坐(よりまし・神霊が憑依して宣託を行う)です。
月あかりが輝き、星ひとつ見えない明け前の空にそびえる大きな磐に
大王はこの大いなる禍・祟を取り除くため、姉の豊鍬と私に御杖(みつえ・神や天皇の杖代わりとなって奉仕する者)として其々の神魂を斎祀ることをお命じになりました。
私が大王から一人前の斎売として認められる、初めての仰せだったのです。
私が斎祀ったのは、国魂神でした。
神の魂を運ぶとき、私たちの氏族は青銅(からかね)の鏡を使います。
この鏡は氏族の守護文様を刻み、天之日神の光を受けて使います。
受けた光を神魂に当てると、神魂を鏡の中に封じ込めることができます。
このようにして、私はこの国の地神を統べる大地主大神(オオトコヌシ)と言われた国魂を、市磯邑(イチシノムラ)へと移しました。
そろそろということでしょうね?
下書き状態ですが、完成形へ向けて・・・。
状態を確かめながら・・・。
射干玉(ぬばたま)の闇がどこまでも拡がっていました。
降る雨は邑全体をすっぽりと濡らし、風に乗った潮騒が静寂のの帳を破る夜でした。
タンタンシューットントン、タンタンシューットントン。
刀杼(とうじょ)と呼ばれる織込み箆で織目を締める音。
貫(ぬき)で、上糸と下糸の間に緯糸を通す音。
繰り返される布打ちの音・・・。
兄である意富入来(おおいりき)の為に織っている薄衣の機音(はたおと)と、真脇の海で獲れた海豚(いるか)の灯し油を吸った灯芯草の髄が、焦げて音を立てる音だけが、人の営みを気づかせる夜です。
ジジッジジジジ、ジジッジジジジ。
今宵の能登の邑智の里は、重い湿り気が立ち込めています。
重い雨の帳の中に音無き音となって、四十万の静寂に吸い込まれていきます。
私の名は渟名(ぬな)。
渟名とは、大王(おおきみ・ミマキイリビコ)である父が、私に与えた斎名(いみな・産れた時につける聖なる名)。
渟名とは、川に遊ぶ蒼の羽根を持つしょうびんという鳥の名前であり、神聖な魂が宿るという玉(ぎょく)の意味でもあるのでしょうか?
父の名は、ハツクニシラス・ミマキイリビコ(初めて国を治めた、纒の地のより日沈む処の男)
遠くない昔、大王の将軍たちが、都とこの地能登への道をつなぎました。
兄 意富入杵(おおいりき)は、大王に命じられ国造(王権の派遣・任命する直轄行政官)として能登に赴きました。
失意と焦燥の中にあった私は兄に連れられ、この静かな潟湖が拡がり海へとつながる畔の邑へとたどり着いたのです。
しかしこの地は、未だ人も心もさだまらぬ地で兄の苦労は絶えません。
兄は今も、いまだ祖神天之日神に祭ろわぬ者たちを追って深い森へと分け入っています。
兄の無事を、祈らずにはいられません。
もう直ぐ夏がやって来ます。
兄のために、夏衣を織ってさし上げねばなりません。
空蝉のように透明で、陽炎のように浮き立つ軽い布で・・・。
それは幣(ぬさ)のように清らかでなければいけません。
ひと織りひと織りに、身魂を込め織っていきます。
身魂を織り重ねる事でしか、あの祭ろわぬ者たちの魂(たま)を防げません。
タンタンシューットントン・タンタンシューットントン・・・。
規則正しい音は、「音魂」を招き寄せます。
音魂が震えとなり、祖神(おやかみ)の世界と魂(たま)の橋を架けるのです。
一心に織り祈る時、現(うつつ)という世界は遠ざかり、忘我の縁が意識の中に現れます。
祖神の世界と私の身魂がつながった時、織り込む布の中に祖神の「魂言力(たまことのちから)」が宿るのです。
私の身霊は昊(そら)に浮いています。
機織りをする私自身を見下ろしています。
やがてその姿も現(うつつ)とともに、翳んでいきます。
私はふわりと、揺蕩(たゆた)うように宙へ舞いあがります。
何も感じず何も思わない昊、私すらない昊(そら)へとひたすら昇っていきます。
無数の星のようなものが煌めき、ひときわ輝いて見える輝きの門が見えます。
私は、私を離れたのです。
一心に機を織り続ける私を後に、私の魂(たま)は昊(そら)へと翔けていきます。
ただ闇の中に光り輝く祖神・天之日神の座(いま)す門へと・・・。
(何かがやってくる・・・。)
ふと、私の身魂が揺らぎました。
さざ波のように、あるいは無数の粒のような波紋が私を包み、私を不安にさせます。
身に着けた渟名玉(勾玉)が、玉響(たまゆら・勾玉が触れ合う音)を発しました。
「チリーン、チリーン」
振り返る私の魂に邑の家々が、次々と燃えていく様が映りました。
闇と焔の間(まみま)に黒い影が、踊るように見え隠れします。
衛視は?いつも私の世話をしてくれる加那は?・・・、
地面に長々と横たわる人影が,七つ八つ・・・。
衛視たちの骸しょうか?
兄意富入杵は、まだ遠くです。
嗚呼、人々が逃げまどっています。
黒い影の者たちは、見知った邑の人々を襲っています。
霧のようなものが、黒い影たちを取り巻きうねっています。
あの地を這うような霧を、見たことがあります。
深く心に刻まれた、私の忌まわしげな記憶の中です。
大王が座(いま)す都、磯城瑞籬宮(シキノミズカキノミヤ)でのことでした。
ハツクニシラス(初めて国を治めた)と呼ばれた我が大王は、都からの四方に軍を遣わし多くの国々を従えていきました。
従えた国々の神々たちは、その地の国魂として座していました。
その国魂を斎祀(いつきまつ)らう場所の多くは、遠い遠い昔から大いなる力とつながる場所です。
私には”その場所”が、どのような場所かがわかります。
私の渟名玉(勾玉)は、その場所の揺らぎや響きと共に啼くのです。
チリ~ン・チリ~~ン。
玉響(たまゆら・勾玉が触れ合う音)を、発するのです。
この国の人々は、気の遠くなるような昔から”その場所”を体で感じました。
地の底から湧き出るもの、昊(そら)から降り注ぐものが集まり、大いなる力とつながる場所。
“その場所”とは、そのようなところなのです。
そして“その場所”とは、神が天降ることの出来る場所なのです。
そして”その場所”の揺らぎや響きを渟名玉(勾玉)が、玉響となって移し取り、その身を護ることをこの国の人々は知っていたのです。
大王は、“その場所”に、次々と祖神天之日神を祀らせました。
そして、祀らわれる場所を失った国魂達を鎮めるために、都の御所内に斎の宮をおき祖神天之日神と共に祀りました。
やがて都や国内(くにうち)に異変が続きました。
天之日神がお隠れになり、河が決壊し、地が水浸しになり、百穀が実らず多くの民が疫病に倒れ離反していきました。
大王は占問いを行いました。
降(くだ)された宇気比とは、大王の斎きの社へと次々と祀られていく国魂神と氏族の祖神の「魂言力(たまことのちから)」が崩れおち、鎮めていた禍津日(マガツ日・災厄)や祟(たた)りが漏れ出したことを伝えるものでした。
チリーン。
何度も玉響が、私の身魂への警告を発します。
宙に浮いた私の身霊(みたま)を揺らします。
(早く急いで、わが身へと戻らなければ・・・。)
遥かへ翔んでいた私の魂の乱れと共に、私は来た道を、天から真っ逆さまに降りていきました。
私は大王(おおきみ)の宮殿、瑞籬宮(みずかきのみや)で斎売(いつきめ)(神に仕える未婚の巫女。)の見習いとして姉の豊鍬とともに仕えることになりました。
私たちが斎売(いつきめ)とすなることを、大王に言向けされたのは、目妙比米(まくはしひめ)さまです。
目妙比米(まくはしひめ)さまは、瑞籬宮の奥ふかく、衛視に護られ何人たりとも立ち入ることが許されない場所におられます。
我が大王の御世が始まる前から永く目妙比米(まくはしひめ)さまは“その場所”におられると言われています。
“その場所”は、三輪の山の上に天之日神が顕われ、天を翔け二上の女山へと鎮まりあそばれる様を見渡す場所にあるのです。
姉の豊鍬と目妙比米さまのお姿を初めて拝した時のことを、わすれません。
打ち捨てられた白衣(しろきぬ)が輿に載せられているのかと思いました。
その白衣から、萎びた者が姿を現し、人を刺ようなす眼で語りかけて来たのです。
「神の御魂には,四つの魂がある。」
私は驚きのあまりに、声を発せられたのか魂に呼びかけたのか定かではありません。
次の言葉の穂を聞き取るのに焦れるほど時間が空いて、私たちの魂がすっと引き寄せられるのを感じました。
背筋に沿って、なにか熱い炎のようなものが上がっていきした。
「和魂(にぎみたま)・荒魂(あらみたま)・幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)じゃ」
それがどのようなものかが,私たちの心へと直接伝ってきました。
伝ってきたのは、和魂には「親しみの気」荒魂には「勇みの気」、幸魂には「愛しの気」、奇魂には「智しの気」という魂が宿るという意味だったと思います。
「この神御魂を斎きお護りするのが、お前たちの役目なのだ」
まともに目を合わすことさえ覚束ない儘に私たちは、控えの間に下がらせられました。
「目妙比米さまは、人の歳をくろうて生きておられる」とは、口さがない婢女のうわさばなしですが、私たちの周りの空の気の流れごと吸い寄せられて行くのが解りました。
お仕えが、始まりました。
人の音せぬ暁前、私たちは月の姿を映し取る真名の井から、清浄な水を汲み上げます。
二人で水くみした桶を天秤に下げもち、目妙比米さまが座す斎宮へと向かいます。
斎の宮は、楼閣高くにあります。
板張りの長い坂を、ただ息を切らして二人は登っていきます。
雨の日も雪の日も毎日休みなく・・・。
楼閣へたどり着くと、賢木(さかき)の枝をめぐらした柴垣の中に灯明の光が漏れ、風も無くに揺れています。
その灯りに、蹲(うずくま)るように目妙比米さまの坐す白衣が浮かび上がります。
欄干に止まった鳥居の木の飾りが今にも飛び立とうとする風情で、その先の渦巻き状の鴟尾はそれを押しとどめているかのようです。
暗闇の中、祀りとは魂を鎮め、魂を振る場であることを思い知らされます。
上がりの方角(東)に天に掲げるように鏡が一つ。
さらに手前に水をたたえた桶の中に、もう一つの鏡。
鏡の一つは、私たち氏族の祖神・天之日神さまの神魂を映しとったもの。
桶の中のもう一つの鏡は、国魂神さまの神魂を映しとったもの。
桶の水面は、いつも波立っています。
その前へ来ると、私の渟名玉の玉響は大きく揺らぎます。
静謐のなか、魂殯・たまもがりの儀式が始まります。
私たちが汲んできた真名の井の水桶に、国魂神さまのゐます鏡を移し替えるのです。
私たちは、安座し足の裏を合わせ桶を囲み、互いに小さく低く「ぅオ」という音を発します。
長く低く或いは高く「ぅお~~~」と発します。
声の調子が、次第に合ってきます。
一つの声のようになったとき、あれほど波立っていた水面は静かになります。
私たちの胸にかけられている渟名玉も、玉響の揺らぎをやめます。
刹那、空の気が震え、風が啼いて、虎落の笛のような音を立てます。
その騒めきを押しとどめる様に、幣(ぬさ)が振られます。
左・右・前・後・中と幣は振られます。
祓えの儀式です。
目妙比米さまにより、国魂神さまの神魂が桶の中から取り出し天之日神さまの鏡の下へと置かれます。
暗闇の現の中で、天之日神の鏡から大きく燃える火魂が降りていき、鏡の中の不思議な形のものを宙へと引き上げます。
国魂神さまの化身の蛇龍でしょうか?もがいています。
やがて、その姿は鏡の中に消えていきます。
再び鏡は、私たちが汲んできた真名の井の水桶に沈められます。
鏡は再び小さなさざ波を立てながら、暁に染まる樹の柴垣の中で眠りにつきます。
大王の遠征により、多くの国の国魂が座す“その場所”に天之日神さまの降りられる鏡を置きました。
坐すところを失った国魂神さまを鏡に移し、都の斎の宮の大鏡へと斎祀ってきました。
或いは嘆き、或いは憤激した国魂神の神魂は、この地にかって座した那賀須泥の登美毘古の霊を神霊として魂上げしたように鎮められるまで、この儀式は続けられるのです。
私たちの氏族がこの地へやって来たのは、大いなる昔ではありません。
大王や私たちの諡(おくりな)の”いりき“とは、私たちが天之日神の沈み入る所から祖神と共にやって来たことを意味します。
私たちがやって来た以前のこの地の“その場所”には、この地の国魂が祀られていました。
目妙比米(まくはしひめ)さまは、その神を氏族の石凝姥(いしこりとべ)に造らせた鏡に移しとられて鎮めの儀式を行ってこられたのです。
鏡は魂を鎮め、殯(もがり)というお仮屋の役目を果たします。
斎宮の一日は、この時のために費やされるのです。
大王の七年の時、都や国内(くにうち)に異変が続きました。
天之日神がお隠れになり、河が決壊し、地が水浸しになり、百穀が実らず多くの民が疫病に倒れ離反していきました。
大王は、目妙比米さまに三輪山の麓、浅茅原の大磐にて言代(ことしろ)の占問いを、お命じになりました。
目妙比米さまのお力御の一つが、依坐(よりまし・神霊が憑依して宣託を行う)です。
月あかりが輝き、星ひとつ見えない明け前の空にそびえる大きな磐に
大王はこの大いなる禍・祟を取り除くため、姉の豊鍬と私に御杖(みつえ・神や天皇の杖代わりとなって奉仕する者)として其々の神魂を斎祀ることをお命じになりました。
私が大王から一人前の斎売として認められる、初めての仰せだったのです。
私が斎祀ったのは、国魂神でした。
神の魂を運ぶとき、私たちの氏族は青銅(からかね)の鏡を使います。
この鏡は氏族の守護文様を刻み、天之日神の光を受けて使います。
受けた光を神魂に当てると、神魂を鏡の中に封じ込めることができます。
このようにして、私はこの国の地神を統べる大地主大神(オオトコヌシ)と言われた国魂を、市磯邑(イチシノムラ)へと移しました。
2017年05月30日
哀しみのルフランとノブレス・オブリージュ
ノブレス・オブリージュ:高い地位にあるものは、言動・行動にそれなりの責任が普通よりあるという自己中の危ない考え方?
本来的な意味を置いといて背後にあるのは、自分を律するプライドなのかな?
最近知った言葉「記憶の合理化」
オトンが死んで、事務的・世俗的な後始末が続いています。
忌明けになり、遺産分割協議の資料造りと会議の設定までこぎつけたわけで・・・・。
すべての段取りは、私に委ねられているわけだけど…。
自分の悲しみに蓋をして淡々とこなしているわけだけど、どこかでそろそろ「こころ」の開放をしなければいけません。
私だって、悲しみに浸りたいのです。
じつは、「オトンの死」直後の記事は、この下書き記事が元に書かれました。
そんな意味では、この雉が書かれ始めた最初を振り返るには良い文章となっています。
決して、書いてきた過去は消せません。
このあと、すべて削除しようとも記録ではなく記憶に残っているからです。
以下は、下書きで保存されていた文章。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
最初に・・・。
このブログに帰結と言うものがあるならば・・・・。
否、区切りと言う言葉が適切かもしれない。
それはこの記事が、ブログ上にUPされた時なんだろう。
この記事は、ひとつの時間で書かれないだろう。
何度も何度も、書き直しそして書き足し終章へと向かうはずだから・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ルフランはフランス語で、英語ではリフレイン。
特定の言葉などを繰り返すことを言う・・・・・・・。
新世紀エヴアンゲリオンという90年台に話題になったアニメの挿入歌の中に「魂のルフラン」というタイトルがあり、その言葉に酔った。
「色」。
そう!
その言葉が持つ「色」に酔ったのだろう。
サフランは「黄色」を連想し、私はルフランに形がはっきりしない「白」を感じた。
これから書こうとしている「語り」には、「答え」がないと感じている。
それは、人間は「神」ではないということと、同義語かもしれない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
弟が自死した。
捉まえたはずのわたしの手から、通り抜けて滑り落ちたかのような感覚であった。
誰にもいわなかったけれど、予兆の瞬間はあった。
彼は、1週間近くずっと付き添っていた私に「行くな」と動作で求めたのである。
私はそのとき疲労困憊していて、その日の夕刻家族のもとへ帰って行ったのである。
彼の歩んだ人生の大半を過ごした時期を捨てさせる代わりに、かれと共に歩む決意を胸に…。
翌朝、彼は「骸(むくろ)」となって私に発見された。
第一発見者は、犯人?
取り調べから始まり、両親への報告、かれの家族と私の家族との相克・・・・・。
すべてが私の上にのしかかりそのすべてが、冷静な計算と予測を伴うおおよそ「感情」とはかけ離れた「功利」と「打算」という判断が求められたと思っている。
死者への追慕ではなく、生き残ったもの達の着地点の「模索」と言えるだろう。
彼をとり落としてしまった自責は、己の中に今でも深く深く想いが漂流している。
彼を「殺した」のである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
自責と言えば、済む話でありそうしたいのは、やまやまである。
しかし、自分に説明がつかない。
「無明」と言う言葉がある。
「無明」とは人間が根本的に持っている無知のことである。人生における人間の苦しみは、すべてこの無明から始まることをブッダは、瞑想の中から発見した。人は、その無明というものを取り払うことで、心安らかに生きていける。(抜粋)
さらに・・・・。
「無明が人間の苦の根元である。だからこの無明さえ取り払って、真の智慧を獲得すれば、全ては解決する」
「ものごとは、人が思っているほど、複雑ではない。ごく単純な法則が、根底にあり、それが絡み合って見えるから、複雑に見えているだけなのである。」
そうなんだと・・・・。
「トリミングの法則」。
つまり、「最後にあなたに何が1つ残ればいい?」
そう、持っているものをすべて守ろうとするのではなく、残すもの1つを考える。
簡単・・・・・そして大変!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
無いものを、あると考えてしまう心の錯覚(働き)が無明の本質である。
心はタマネギのようなものだ。
だから心そのものが、自分の心を理解していないことは明らかである。
よく無明は闇にたとえられる。
人間の智慧(想像力)という光を持って闇を照らせば、確かにそこには何もない。
暗夜行路。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
死出の旅路という意味・・・・死んでからの黄泉の国での旅路か死へ向かう旅路か?
仏教徒は死ねば、次の世界に行く。天国・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六つの世界があり、何所へ行くかは十回の裁判によって決まる。初七日・二七日・三七日と続き、四十九日までに七回の裁判を受け、さらに再審として百か日・一周忌・三周忌(実質二年目)、計十回の裁判で結審となり行く先が決まるのである。
余談になるが、なんとか良い所へ行ってほしいと思い、残されたものは故人を偲び、讃え、裁判官によい影響を与えるために裁判の前日に法要を行う。これを逮夜(たいや)という。最近逮夜を土曜日、日曜日に行うところが多いが、理論的には裁判の前日以前に行わねばならず、裁判が終ってから逮夜をしても手遅れである。
初七日の裁判を受け、二七日に向かう途中、三途の川が流れている。生前比較的いいことをしてきた人は橋を、少し悪いことをしてきた人は浅瀬を、かなり悪いことをしてきた人は深みを渡らされることになるという三つの渡り方がある。
閻魔大王も五七日(三十五日目)の裁判官であり、地獄におられる方ではない。
ところで閻魔大王を初め、十回の裁判官が裁くのは、戒律を守り、仏教徒として生きてきたかという生前の罪である。
守るべき戒律を、私は次のように教えている。
物の命を殺すことなかれ、人の物を盗むことなかれ、男女の道を乱すことなかれ、酔いしれて勤めを怠ることなかれ、他人の過ちをいいふらすことなかれ、己を誇り他をあしざまに言うことなかれ、怒りによりて自分を取り乱すことなかれ、神仏や祖先に不敬の念を抱くことなかれ。
これだけの事であり、これができれば地獄に堕ちる事はないが、なかなか守れない。
お釈迦様もその事を知っておられ、私たちが戒律を守れない原因は、むさぼり・怒り・愚かさであり、自分の身と口と心により生じるのであって、自ら懺悔せよと言われている。ここで大切なのは戒律を守れなかったことの原因は、自分自身にあって、外のものや他人のせいにしてはならないという事であり、自己責任が仏教徒の原則であり、戒律を守ろうと努力し、守れなければ反省懺悔するということを繰り返していくのが仏教徒のたしなみなのである。
三途の川の渡り方、裁判の行方は、全て生前の自分の行いによって決まるということを現代人は肝に銘じてほしい。
三途の川は六文銭をもって行けば、渡し舟で渡してもらえると聞き、お寺で六文銭を買い、「俺が死んだら棺桶に入れてほしい」と奥さんに頼んでいる友人がいるが、奥さんはコソッと私に「絶対に入れてやらない」といっていることを本人は知らない。
また閻魔大王の前で、「俺が悪いんじゃない酒が悪いんだ」と言うこともなかれ。
(「京都新聞」2006年9月19日付夕刊、コラム「現代のことば」)(掲載:2007/01/15)
ふぅ~む、わかったようなわからんような微妙。
今更遅いわ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本来的な意味を置いといて背後にあるのは、自分を律するプライドなのかな?
最近知った言葉「記憶の合理化」
オトンが死んで、事務的・世俗的な後始末が続いています。
忌明けになり、遺産分割協議の資料造りと会議の設定までこぎつけたわけで・・・・。
すべての段取りは、私に委ねられているわけだけど…。
自分の悲しみに蓋をして淡々とこなしているわけだけど、どこかでそろそろ「こころ」の開放をしなければいけません。
私だって、悲しみに浸りたいのです。
じつは、「オトンの死」直後の記事は、この下書き記事が元に書かれました。
そんな意味では、この雉が書かれ始めた最初を振り返るには良い文章となっています。
決して、書いてきた過去は消せません。
このあと、すべて削除しようとも記録ではなく記憶に残っているからです。
以下は、下書きで保存されていた文章。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
最初に・・・。
このブログに帰結と言うものがあるならば・・・・。
否、区切りと言う言葉が適切かもしれない。
それはこの記事が、ブログ上にUPされた時なんだろう。
この記事は、ひとつの時間で書かれないだろう。
何度も何度も、書き直しそして書き足し終章へと向かうはずだから・・・・。
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ルフランはフランス語で、英語ではリフレイン。
特定の言葉などを繰り返すことを言う・・・・・・・。
新世紀エヴアンゲリオンという90年台に話題になったアニメの挿入歌の中に「魂のルフラン」というタイトルがあり、その言葉に酔った。
「色」。
そう!
その言葉が持つ「色」に酔ったのだろう。
サフランは「黄色」を連想し、私はルフランに形がはっきりしない「白」を感じた。
これから書こうとしている「語り」には、「答え」がないと感じている。
それは、人間は「神」ではないということと、同義語かもしれない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
弟が自死した。
捉まえたはずのわたしの手から、通り抜けて滑り落ちたかのような感覚であった。
誰にもいわなかったけれど、予兆の瞬間はあった。
彼は、1週間近くずっと付き添っていた私に「行くな」と動作で求めたのである。
私はそのとき疲労困憊していて、その日の夕刻家族のもとへ帰って行ったのである。
彼の歩んだ人生の大半を過ごした時期を捨てさせる代わりに、かれと共に歩む決意を胸に…。
翌朝、彼は「骸(むくろ)」となって私に発見された。
第一発見者は、犯人?
取り調べから始まり、両親への報告、かれの家族と私の家族との相克・・・・・。
すべてが私の上にのしかかりそのすべてが、冷静な計算と予測を伴うおおよそ「感情」とはかけ離れた「功利」と「打算」という判断が求められたと思っている。
死者への追慕ではなく、生き残ったもの達の着地点の「模索」と言えるだろう。
彼をとり落としてしまった自責は、己の中に今でも深く深く想いが漂流している。
彼を「殺した」のである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
自責と言えば、済む話でありそうしたいのは、やまやまである。
しかし、自分に説明がつかない。
「無明」と言う言葉がある。
「無明」とは人間が根本的に持っている無知のことである。人生における人間の苦しみは、すべてこの無明から始まることをブッダは、瞑想の中から発見した。人は、その無明というものを取り払うことで、心安らかに生きていける。(抜粋)
さらに・・・・。
「無明が人間の苦の根元である。だからこの無明さえ取り払って、真の智慧を獲得すれば、全ては解決する」
「ものごとは、人が思っているほど、複雑ではない。ごく単純な法則が、根底にあり、それが絡み合って見えるから、複雑に見えているだけなのである。」
そうなんだと・・・・。
「トリミングの法則」。
つまり、「最後にあなたに何が1つ残ればいい?」
そう、持っているものをすべて守ろうとするのではなく、残すもの1つを考える。
簡単・・・・・そして大変!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
無いものを、あると考えてしまう心の錯覚(働き)が無明の本質である。
心はタマネギのようなものだ。
だから心そのものが、自分の心を理解していないことは明らかである。
よく無明は闇にたとえられる。
人間の智慧(想像力)という光を持って闇を照らせば、確かにそこには何もない。
暗夜行路。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
死出の旅路という意味・・・・死んでからの黄泉の国での旅路か死へ向かう旅路か?
仏教徒は死ねば、次の世界に行く。天国・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六つの世界があり、何所へ行くかは十回の裁判によって決まる。初七日・二七日・三七日と続き、四十九日までに七回の裁判を受け、さらに再審として百か日・一周忌・三周忌(実質二年目)、計十回の裁判で結審となり行く先が決まるのである。
余談になるが、なんとか良い所へ行ってほしいと思い、残されたものは故人を偲び、讃え、裁判官によい影響を与えるために裁判の前日に法要を行う。これを逮夜(たいや)という。最近逮夜を土曜日、日曜日に行うところが多いが、理論的には裁判の前日以前に行わねばならず、裁判が終ってから逮夜をしても手遅れである。
初七日の裁判を受け、二七日に向かう途中、三途の川が流れている。生前比較的いいことをしてきた人は橋を、少し悪いことをしてきた人は浅瀬を、かなり悪いことをしてきた人は深みを渡らされることになるという三つの渡り方がある。
閻魔大王も五七日(三十五日目)の裁判官であり、地獄におられる方ではない。
ところで閻魔大王を初め、十回の裁判官が裁くのは、戒律を守り、仏教徒として生きてきたかという生前の罪である。
守るべき戒律を、私は次のように教えている。
物の命を殺すことなかれ、人の物を盗むことなかれ、男女の道を乱すことなかれ、酔いしれて勤めを怠ることなかれ、他人の過ちをいいふらすことなかれ、己を誇り他をあしざまに言うことなかれ、怒りによりて自分を取り乱すことなかれ、神仏や祖先に不敬の念を抱くことなかれ。
これだけの事であり、これができれば地獄に堕ちる事はないが、なかなか守れない。
お釈迦様もその事を知っておられ、私たちが戒律を守れない原因は、むさぼり・怒り・愚かさであり、自分の身と口と心により生じるのであって、自ら懺悔せよと言われている。ここで大切なのは戒律を守れなかったことの原因は、自分自身にあって、外のものや他人のせいにしてはならないという事であり、自己責任が仏教徒の原則であり、戒律を守ろうと努力し、守れなければ反省懺悔するということを繰り返していくのが仏教徒のたしなみなのである。
三途の川の渡り方、裁判の行方は、全て生前の自分の行いによって決まるということを現代人は肝に銘じてほしい。
三途の川は六文銭をもって行けば、渡し舟で渡してもらえると聞き、お寺で六文銭を買い、「俺が死んだら棺桶に入れてほしい」と奥さんに頼んでいる友人がいるが、奥さんはコソッと私に「絶対に入れてやらない」といっていることを本人は知らない。
また閻魔大王の前で、「俺が悪いんじゃない酒が悪いんだ」と言うこともなかれ。
(「京都新聞」2006年9月19日付夕刊、コラム「現代のことば」)(掲載:2007/01/15)
ふぅ~む、わかったようなわからんような微妙。
今更遅いわ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2013年12月30日
スピリチュアルと温泉
30年間ずっと捜してきた温泉を今日見つけました。
その温泉、ペルーの4000メートルの山の谷底にあります。
シャーリーマクレーンさんと言う有名な女優さんの「アウトオンナリム」というスピリチュアル本に30年近く前に出会いました。
その当時、スピリチュアル体験随分したので今のブームがそれなりに理解できます。
結論的には、let it beで良いと思います。
なにかに頼る事より、なにかの未来や過去を知る事より自分の正しい逝き方?
そう、生き方ではなく逝き方で考えることにしました。
人はいずれ逝かなければいけないんですよね。
逝くときどう思えるかを考えて生きようと思っています。
で、その本の中に著者がペルーの山中で炭酸泉の鉱泉に入りながら瞑想するシーンが在りました。
閃いたんです。
いくつかの検索ワードを入力すると・・・・・!
みつけたんだわ!
ヨメはんネタですけど、ヨメはんは”私は今は昔、ペルーに産まれてたと言い張るんです。”
ヨメはんは過去生でペルーに産まれてたかも知れませんが、自分は隣の富山県に産まれたという記憶もないんで、”ペルーか~~~?”と思ってましたが、この温泉入れるんならば、行ってもいいかなと。
マイアミ経由で、24~6時間かかるんですね。
行きたくなった。
1~2か月アンデス旅行したいな。
本の紹介
動画もあった。
その温泉、ペルーの4000メートルの山の谷底にあります。
シャーリーマクレーンさんと言う有名な女優さんの「アウトオンナリム」というスピリチュアル本に30年近く前に出会いました。
その当時、スピリチュアル体験随分したので今のブームがそれなりに理解できます。
結論的には、let it beで良いと思います。
なにかに頼る事より、なにかの未来や過去を知る事より自分の正しい逝き方?
そう、生き方ではなく逝き方で考えることにしました。
人はいずれ逝かなければいけないんですよね。
逝くときどう思えるかを考えて生きようと思っています。
で、その本の中に著者がペルーの山中で炭酸泉の鉱泉に入りながら瞑想するシーンが在りました。
閃いたんです。
いくつかの検索ワードを入力すると・・・・・!
みつけたんだわ!
ヨメはんネタですけど、ヨメはんは”私は今は昔、ペルーに産まれてたと言い張るんです。”
ヨメはんは過去生でペルーに産まれてたかも知れませんが、自分は隣の富山県に産まれたという記憶もないんで、”ペルーか~~~?”と思ってましたが、この温泉入れるんならば、行ってもいいかなと。
マイアミ経由で、24~6時間かかるんですね。
行きたくなった。
1~2か月アンデス旅行したいな。
本の紹介
動画もあった。
2013年12月30日
雪隠事変
ドアノブ事変のお話しします。
築30年と言うマッチ箱のような我が家。(2by4?)近年リフォームしました。
ところが思わぬ伏兵。
取り換えなかったドアノブが、疲労骨折?
トイレのドアノブ。
事変は、1昨日の午後興りました。
トイレの折れたドアノブ外して取り換え途中で、作業放棄していた私が悪かったんですが。(市販のものは内鍵式のサイズが合わない・・・)
ヨメはんが、入室して何かのはずみにドアがカチャ!
中から出られなくなった・・・。
家には2階の私と愛犬だけ・・・。
その時の私の部屋・・・”階下からリズム感のよいトントンという金槌を使う音がするねぇ ♪ドンドンひゃらひゃら・トンひゃらら♪”
”あ~ヨメはん、大工仕事やってるわ”
(我が家では、ヨメはんが私以上に何でも大工仕事こなすのが日常)
犬が、ワンワンと何度も吠える。
「のどかだな~~~。幸せって・・こんなこと?」なんて思ってたかもしれない。
犬の鳴き声は、そのうち止んだ。
それにしても、金槌の叩く音が30分も止まないな?
作業が一区切りついたんで、トイレに行こうっと…。
トイレ開けたら・・・・!!!
ヨメはんが、すごい形相でトイレに立ってるではあ~りませんか!
(わたしを呼んでたらしいが、聴こえなかった。)
”モぉ~~~あんたって人は、私に何があってもあてにならない人だということがよ~~~く判った!”
”犬の方がましやわ~!でもこの犬もすぐにおとなしくなるし~~~~”
怒りはその日の夕刻まで続きました。
ヨメはん偉いところ。
晩御飯までに、日常復帰。
よかった~~~。
この事は長く記憶にとどめよう
ヨメはん雪隠事変。
トイレのドアノブの修理?
速効でンがな。
私の部屋のドアノブ外して、付け替え。
これでも危機管理能力には、多少自信あり?
ところで、私の部屋のドアノブどうするん?って話だけど…。
2013年12月30日
時には母のないこのように
少し前に還ってきました。
車の行きかえりに、白鳥英美子さん聴いてて・・・・。
”哀しみのソレアード”がよかった。。
SOLEADO”ソレアード”とはスペイン語で「日だまり、日当たりの良い場所」という意味だそうですね。
英題では、 When A Child Is Born 。
何度も聴きかえして。
・・・・・・・・・・・・・・・。
でも寝る前の今夜の1曲。
MOTHERLESS CHILD
揺らされるようなスウィングが少しだけ静かに効いてくる。
ブルースチックな歌声。
家に還ると星空なのに、温泉は静かに静かに雪が降り積もっています。
静かな夜。
2013年12月25日
イブの夜
イブってなんだべか?
ふと思った晩でした。
検索エンジン始動・・・・・・・・。
2つあるな。
クリスマスイブとアダムとイブのイブ。
クリスマスイブの「イブ」とは、どういう意味ですか?
で、クリスマスからただのイブに興味が移ってしまった。
イブ(イヴ)とは
パラサイトイブという本あったなぁ。
人の体内に、共生異生物が住んでいる。
それの名前は、ミトコンドリア。
この形質は、母方からのみの遺伝で受け継がれるそうな。
50万年前、人類はアフリカの地を出て以来この”初めての人”の系統は変っていない。
このミトコンドリアという共生生物が、人を支配しようとした物語だった。
パラサイトではなくパラノイヤみたいになってきた
やばい。
書こうとしたことから離れています。
明日仕切り直し。
寝ます
今日の温泉の風景。
気温3度以下、でも温かいと感じた。
雨交じりの雪。
あったかいわ~。
木々に付いたのは雨粒でした。
きれいよ~。
ふと思った晩でした。
検索エンジン始動・・・・・・・・。
2つあるな。
クリスマスイブとアダムとイブのイブ。
クリスマスイブの「イブ」とは、どういう意味ですか?
で、クリスマスからただのイブに興味が移ってしまった。
イブ(イヴ)とは
パラサイトイブという本あったなぁ。
人の体内に、共生異生物が住んでいる。
それの名前は、ミトコンドリア。
この形質は、母方からのみの遺伝で受け継がれるそうな。
50万年前、人類はアフリカの地を出て以来この”初めての人”の系統は変っていない。
このミトコンドリアという共生生物が、人を支配しようとした物語だった。
パラサイトではなくパラノイヤみたいになってきた
やばい。
書こうとしたことから離れています。
明日仕切り直し。
寝ます
今日の温泉の風景。
気温3度以下、でも温かいと感じた。
雨交じりの雪。
あったかいわ~。
木々に付いたのは雨粒でした。
きれいよ~。
2013年12月22日
年の瀬ですね。
孫などへのグリーティングカードの印刷しています。
ついでに、シニアのパソコン教室”楽”さんの発表会に選んで頂くための印刷も・・・。
光沢フィルムと言うものを買って、在庫になっているのですがプリンターが古くて設定にない!
写真の設定にしたら少し落ち着いた。
これから封筒・クリアファイルなどを買いに文房具屋さんに行くので、なんか面白いラッピングないか捜してみましょうね。
昨日と片町行ったとき、夜中に苦しくて目が覚めました。
うまい食ってうまい酒、のみすぎ?
胃がびっくりしたのかもしれませんね。
今日は断食断酒。
腹減った。
別腹欲しいのこころです。
愛犬は、ソファーの腰当てを、ふわふわベッド代わりにして跨ってストーブに当たっています。
正直、頭を当てると臭いです。
2013年12月22日
夜更かし
う~~~ん、朝4時。
雪が降ったら、ブルの出動で待機しましたが、降ってないわ。
昨夜から冬バージョンお絵描きに没頭。
めちゃくちゃ重い・・・・・・!
画面が動かなくなった。
寝ます。
スノーボードとゴーグル描いて、ポップ入れたら完成。
2013年12月21日
旨いさけには、美味いなべ
せっかく、旨い酒いただいたんだからじっとその時を待っていました。
茶の湯では、釜の煮音と言うものを6種で大別するらしい。
「釜の六音」といい、其々”魚眼・蚯音・岸波・遠浪・松風・無音”と云うそうです。
鍋の煮音のしゃれた例えないかと検索してみたんだけど・・・?
グツグツグツだけじゃ~おもろくないわな。
岩手県の郷土料理にしゃべこと汁と言うもの在るらしい。
鍋がしゃべるんだと・・・・うん、わかる!
今日お店で、ヨメはんと鍋で念願の夕食。
静寂の中、ただ鍋の煮音と、嗅ぎ付けた愛犬の”まぜてよ~”の呼びかけだけ。
音を楽しんでほしい。
少し火力が強すぎたが、被せ蓋をしたら素晴らしい仕上がりになった。
胡麻ドレッシングにポン酢を好みでミックスするとイケマッセ!
動画をヨウツベにアップしながら記事書いてます。
鍋音と愛犬の声だけの静かな夜。
到来物の酒旨し。
能登のコメと能登の魚に自家製大根寿司。
外は静かな闇。
小さな小さな宇宙の音。
茶の湯では、釜の煮音と言うものを6種で大別するらしい。
「釜の六音」といい、其々”魚眼・蚯音・岸波・遠浪・松風・無音”と云うそうです。
鍋の煮音のしゃれた例えないかと検索してみたんだけど・・・?
グツグツグツだけじゃ~おもろくないわな。
岩手県の郷土料理にしゃべこと汁と言うもの在るらしい。
鍋がしゃべるんだと・・・・うん、わかる!
今日お店で、ヨメはんと鍋で念願の夕食。
静寂の中、ただ鍋の煮音と、嗅ぎ付けた愛犬の”まぜてよ~”の呼びかけだけ。
音を楽しんでほしい。
少し火力が強すぎたが、被せ蓋をしたら素晴らしい仕上がりになった。
胡麻ドレッシングにポン酢を好みでミックスするとイケマッセ!
動画をヨウツベにアップしながら記事書いてます。
鍋音と愛犬の声だけの静かな夜。
到来物の酒旨し。
能登のコメと能登の魚に自家製大根寿司。
外は静かな闇。
小さな小さな宇宙の音。
2013年12月20日
さむ~~~~~いねん
温泉の来月の勤務シフトを朝から制作中でした。
(たぶん、月の仕事のうちで一番心を砕く作業です。何度も見直す、で必ず間違い指摘される?つらい・・・・。)
朝8時半くらいまで、空は知らん顔してたんじゃないだろうか?
いきなり、粒雪降り始めて一面真っ白。
で午前11時過ぎる頃には、大気温が上昇して、降る雪は小さめの棉雪に変わった。
朝10時からは、ビルの駐車場の融雪ホースの点検へ。
お店開店前の10時半に雪かき始めました。
朝11時からお客様次々来房。
感謝と共に、除雪ママさんダンプに力が入る
雪がべた雪になったために全身ずぶぬれ!
さむ~~~~、下着まで着替えましたわいな。
これから温泉の冬バージョンのポスター印刷して除雪と融雪の点検に温泉行きます。
温泉の雪景色、楽しみだな。
体芯まで冷えてるわ。
2013年12月20日
めちゃんこ、いそがしいわ。
温泉ポスター冬バージョンは、山麓の限られたお店に割引チケットを置いていただいてるために、秋の紅葉ポスターと差し替え用なんです。
時期的に、サンタさんはあと数日ですからお正月&スキー用をすぐ制作しなければいけません。
すっごい無駄なんですが、人生には無理無駄はないと信じて・・・・。
温泉に行きがてらポスター片手に、ご挨拶行脚にも?
色々と今月忙しいのこころ。
来年は、カレンダーポスター作ろうかな?
ポスターもう少しで、印刷完了。
温泉へぶ~~~~~~~んんん?
1時間予定おくれだわ。
不思議の国のアリスの”うさぎさん”
時期的に、サンタさんはあと数日ですからお正月&スキー用をすぐ制作しなければいけません。
すっごい無駄なんですが、人生には無理無駄はないと信じて・・・・。
温泉に行きがてらポスター片手に、ご挨拶行脚にも?
色々と今月忙しいのこころ。
来年は、カレンダーポスター作ろうかな?
ポスターもう少しで、印刷完了。
温泉へぶ~~~~~~~んんん?
1時間予定おくれだわ。
不思議の国のアリスの”うさぎさん”
2013年12月19日
北陸の食の紹介
2時間ばかりですが、お接待で酒食を楽しんできました。
北陸一の繁華街”片町”。
滅多に行きませんが…。
お店は旅の人の指定でしたが、金沢の旬を満喫。
満足でした。
1お酒:宮城県石巻の日高見・・・この酒の口あたり秀逸!
2懐石風八寸:(タラコの煮つけ・からし菜・ウニと甘エビの和え物・アワビと甘エビのの炊きあわせ・バッテラ・きゅうりの漬物)
3香箱カニ外子の餡かけ茶碗蒸し
4イセエビ・アワビとほうれん草ソテー
5お造り:寒ブリ・鯛・あわび・たこ
6近江牛のステーキ・焼き野菜とにんにく揚げ
7香箱かにスダチ添え
8有機野菜特製・自家製マヨネーズソースのサラダ
9ご飯・お漬物・イセエビの頭の味噌汁
以上です。
結構覚えてるもんですね。
金沢は食が豊かなところだと思います。
このお店は機会が在ったらまた行きたいなと思いました。
お店の名前は”彩”
素材の味が際立つ。
大工町にあります。
2013年12月18日
母
お世話になったギャラリーさんが、突然お見えになりました。
お食事をご一緒しました。
待ち合わせまでの時間に母の年賀状の印刷を済ませました。
明日とどけます。
簡単ですが、4文字熟語を捜してきました。
「天馬行空」
かくありたいもんですね。
意味はリンク表示にて。」
一つ終了。
さて、さぁつぎ?
流れ作業はいけないと思いつつ・・・・。
手抜きか?
帰ってきて記事挙げてますが、もう限界・・・・・
おやすみなさいね。
「天馬行空」
2013年12月18日
グリーティングカード
上の写真をグリーティングカードに仕立てるために、制作中でした。
仕上がりました。
橇付け加えました。
星の数増やして、雪ダルマ減らした。
1~2日中に、約束した友人へ印刷して贈ります。
All Best Wishes for a Very Merry Christmas and a Happy New Year.
Please keep in touch with your good friends
ついでに温泉のポスターもこれにします。
2013年12月17日
♪あな~た~、あしたが~み~えますか♪
今日寝坊して朝起きたら・・・・ヨメはんがいなくなってた!
・・・事件ではありません。
其々の時間を大切にする習慣を心がけてきました。
ヨメはん、大阪・京都へ出張?。(お店は定休です。)
誘われていたんですが、昨日の足のレントゲンで骨のヒビ拡がってました。
ありゃ~~、動き過ぎという診断でした。予定ではギブスを外すつもりだったんですけど…。
今日私はパソコン教室なので、日帰り出張の嫁はんを迎えに行けません。
で彼女は、朝早く自分の車で駅に向かいました。(行くか行かないかも未定でした。行ったんだ!)
神棚のお水替えや朝食の用意、愛犬の散歩などこなしたら、10時前になっちゃった。
その日の優先順位で、その日の行動を決めるというパターン続いてます。
今日は、法人の決算終わったので個人の決算の資料造りや出納帳の打ち込みが中心ですが、海外の友人へのクリスマスカード・プレゼントなどの発送も・・・・。
今、母から年賀状の裏のデザインを頼まれた。(ダメともいえんわな)
性根入れて、決壊寸前の自分の能力に挑戦します。
全部完璧もう無理!
写真は愛犬とのリバーサイドの散歩道。
もう1週間で、サザンカの花は満開でしょう。
♪曇りガラスに~~~、背を向けーーーーて、あなた~~~ 明日がみえますか~~~?♪
んなもん、みえるかい!
その日暮らし?
2013年12月16日
読後感想文
今回、温泉蜂蜜フェアで森クマさんから貸し出していただいた1冊の本を読み終わって・・・。
・・・短い文章にまとめることに途方に暮れています。
ミツバチとの関連が疑われているネオニコチノイド系の農薬の特徴は、毒性が人体にも影響する有機リン系の農薬に代わって登場した魔法の農薬なんだそうです。
“大きな特徴は、表面に残留するというより植物の内部全てに浸透する農薬だということです。”
種を薬液に浸して発芽させると、そのどこの部分を昆虫が食べても昆虫の神経伝達機能を麻痺させてしまう農薬です。
人への影響が少ないと言われていますが、詳しくありません。
そして片方に、2007年春までに北半球のミツバチの4分の1が忽然と消えたという事実。
ネオニコチノイドという物質は、植物が昆虫に食べられないように自家生産してきたあの煙草の二コチンを模写して作られたものです。
農業はビジネス化されています。
経済行為は、効率化とシステム化を求められます。
欧米でミツバチたちは、採蜜という習性を利用されて花の咲く植物の受粉家畜として広大な農園に駆り出され、単一の作物プランテーション(アーモンド畑など)の中で酷使されました。
農薬が使用され、虫1匹いない環境に放たれたミツバチたち。
多くの報酬を養蜂家たちにもたらしたそうですが、ある日死骸さえも残さず忽然と巣箱から働き蜂達が消えたそうです。
それを、蜂群崩壊症候群(ほうぐんほうかいしょうこうぐん、Colony Collapse Disorder、CCD)と言い、ミツバチが原因不明に大量に失踪する現象に名づけられました。
原因物質は一つではなく複合的な積み重なり(ダニ被害)が疑われています。
この本は原因の解明とともにエキセントリックな農薬使用反対を唱えるのではなく、ミツバチの進化と習性を理解してミツバチがさらに進化していく可能性を示唆した本でした。
ミツバチは一度滅びるかもしれません。
著者は、わずかに耐性を持った種が復元力で再生してくることに期待を抱いています。
狂牛病の発生の背景をご存知でしょうか?
効率化の為に、小牛を母牛から引き離し病気で死んだ牛や羊の死骸から油を搾って骨粉化したものを小牛に食べさせて発育させた牛からヤギの病気が発生したのです。
中国産の安価な蜂蜜は蜂への抗生物質の投入と糖の増量、加熱などを加え、値段の安さで野火のように世界に広がっているそうです。
農薬がまかれた畑に近づけない、加熱処理をしない四季の花の純粋な蜂蜜は、私たちに何をもたらしてくれるのか?
その効能が、巻末に書いてありました。
ポスターを作るとすれば、その点を伝えることが非常に重要で、稲の花粉はミツバチにとって健康維持に重要な役割を果たすそうです。
その稲の害虫、カメムシ退治にネオニコチノイドの使用量が増大されます。
コメの収穫は保障されるでしょう。
日本におけるミツバチの行く末について、まだほとんどの人が注意を払っていないのが現状だとおもいます。
小さな蜂という昆虫がいなくなっても、本当の蜂蜜は瓶に入って店頭に並んでいると皆思っています。
2013年12月16日
ピンチヒッター
温泉の番台さんに用事が出来て、急きょ代役番台に。
そう!、急きょです。
その日の朝。
温泉で、10月に沖縄フェアやりました。
で、売上ベスト3を、温泉の定番に置くことに。
発表します。
いずれも完売でした。
(私はそのどれも口に入らなかった、私の一押しの油味噌や手びち汁、そーきの煮つけなどは、完敗。継続販売は断念しました。沖縄のスローフード美味しいのにね。)
3位:鍋ふち黒糖
2位:黒糖飴
1位に輝いたのは、雪塩ちんすこうでした。
この3つは、再仕入して売れ行き好調!
♪イケイケ沖縄。
行きたい行きたい沖縄♪
そう!、急きょです。
その日の朝。
温泉で、10月に沖縄フェアやりました。
で、売上ベスト3を、温泉の定番に置くことに。
発表します。
いずれも完売でした。
(私はそのどれも口に入らなかった、私の一押しの油味噌や手びち汁、そーきの煮つけなどは、完敗。継続販売は断念しました。沖縄のスローフード美味しいのにね。)
3位:鍋ふち黒糖
2位:黒糖飴
1位に輝いたのは、雪塩ちんすこうでした。
この3つは、再仕入して売れ行き好調!
♪イケイケ沖縄。
行きたい行きたい沖縄♪
2013年12月16日
空と雪景色観よう!
昨日の朝、FBページに挙げた記事のコピペです。
写真を載せたくて。
山肌の樹木の雪景色も刻々と景色を変えて行きます。
雪路の運転には目の前の道路に神経集中しなければいけません。
だけど、遠くに目をやりふと立ち止まることも素敵ですよ。
見過ごしてしまう”うつくしさ”を発見できます。
日々の生活や人生。
肩に力入れすぎなのに気がつかない。
顕微鏡で物事観てどうするん?
良いとこより悪いとこばかり目につくやん?
そんな気がした朝です。
写真を載せたくて。
山肌の樹木の雪景色も刻々と景色を変えて行きます。
雪路の運転には目の前の道路に神経集中しなければいけません。
だけど、遠くに目をやりふと立ち止まることも素敵ですよ。
見過ごしてしまう”うつくしさ”を発見できます。
日々の生活や人生。
肩に力入れすぎなのに気がつかない。
顕微鏡で物事観てどうするん?
良いとこより悪いとこばかり目につくやん?
そんな気がした朝です。
2013年12月15日
雪雪雪雪雪雪・・・ゆき~~~~~。
ちょっと前のメルセデスベンツのCM、素敵でした。
日本語の雨の表現の多様さをイメージに使ってたなぁ。
あのCMお気に入りでした。
雪のお話し。
津軽には”七つの雪がある”と太宰治さんが書いています。
新沼謙治さんは、この雪の名前を”津軽恋女”と言う曲で歌ってます。
♪こな雪(粉雪)
♪つぶ雪(粒雪)
♪わた雪(綿雪)
♪みづ雪(水雪)
♪かた雪(固雪)
♪ざらめ雪(粗目雪)
♪こほり雪(氷雪)♪
雪の分別、想像できますか?
雪国に住んで車のフロントガラスにぶつかってくる雪を観察してると、なんとなく其々の雪がこんな雪かなと想像します。(運転中夢想状態?危ないわ!)
でも吹雪の晩、ヘッドライトに浮かんでぶつかってくる白い軌跡に目を奪われるときあります。
一瞬、催眠術にかかったように景色が消えます。
で、粗目雪と氷雪は積雪の状態だと思うんだけど・・・・。
調べたら、粗目雪:春の日に解け、日没後再び凍り、それを繰り返すうちに互いに連結して大きい粒子となったものとありました。(weblio辞書)
今の時期の温泉の雪は、みず雪だわ。
ジャワジャワ、ベチョベチョ。
演歌にもならんな。
2013年12月15日
雪が来ました
一気に気温が下がって冬山に変身しました。
写真は昨年のものですが、今日もこんな感じで融雪作業やブルの運転に出かけます。
コートの下に4枚は着込んでいます
柿の木も雪の綿帽子をかぶってとてもさむぞうです。
本格的な冬が始まりました。
冬は始まったばかりですが、必ず春が来る。
温泉にいらっしゃったお客様が、「春になったら溶けてなくなる雪を、なぜいじくりまわす?」
それも1つの考え方。
全てのことに意味がある。
写真は昨年のものですが、今日もこんな感じで融雪作業やブルの運転に出かけます。
コートの下に4枚は着込んでいます
柿の木も雪の綿帽子をかぶってとてもさむぞうです。
本格的な冬が始まりました。
冬は始まったばかりですが、必ず春が来る。
温泉にいらっしゃったお客様が、「春になったら溶けてなくなる雪を、なぜいじくりまわす?」
それも1つの考え方。
全てのことに意味がある。