2012年02月10日
アレキサンダーの贈り物。
乳香というたぐいまれな香料が、その昔珍重された。
ソロモン王治世の時代、灼熱の砂漠を渡って彼に会いに来た女王サバ。
「線香」ではなく、「乳香」を携えてきた。
金と同じ価値があるとされた。(一度は嗅いでみたいものである)
その700年後、ギリシャのど田舎マケドニアから出てきたアレキサンダー大王。
前334年アケメネス朝ペルシャへの侵攻を皮切りに大遠征を始める。
彼の家庭教師:哲学者アリストテレスは、遠征に先立ち得意とする3段論法で20歳で王になったアレキサンダーに進言する。
大前提:「エー、戦いで兵士が傷ついたらよく効く薬が必要だろ?」
小前提:「そう、君の兵士は最強だよね。」
結論:「だからね、最強の兵士には万能の力を持つ薬が必要ってわけよ。」
「わるかな~、アレちゃん~?」
それは歴史に残るデ~ジ偉業を達成するターニングポイントとも言うべき言葉であった。
そう!
サバの女王の国、アデンの西海上300キロの海上に浮かぶ島「ソコドラ島」。
そこに自生する「アロエ」
アレキサンダーは、アリストテレスの助言に従いこの島を占領して、最強の軍隊の常備薬として「アロエ」を携行させたのであった。
元気一発「アロエ軟膏」
ソソ、ソクラテスか?プラトンか?みんな悩んでアリストテレス?
歴史秘話である。
話を急ごう。
本論に入る前に、終わりそうになっている。
アレキサンダーは、ペルシャにいったかと思うと、エジプトへ向かいあっち行ったりこっち行ったりその領土を着々と広げていったのであった。
彼が目指したのは、人種をも含めた融合文化圏である。
兎に角無茶苦茶に進んだ。
10年近くでもうインド・インダス川まで渡ってしまった。
「社長!もうついていけません。これから先に行くならば社長一人で行ってください。」
遂には、部下たちのほうが根を上げてしまった。
なにせ、特効薬「「アロエ軟膏」でこきつかわれた部下はまったくたまったものではないのである。
「そうか、じゃここいらでやめっぺ」
仕上げとして、連れてきた部下全員に、ペルシャ系の女たちと集団結婚式を命じた。(もちろん、王自身も
統一教会みたいだな)
ギリシャ文化とオリエント文化の融合ヘレニズム文化の誕生である。
・・・後日談がある。
大王が身罷ると無理やり結婚させられた部下の多くは離婚届提出者が続出したんだそうだ。
・・・彼の遺言は有名である。
「強い者が我が帝国を支配せよ」と、後継者を決めなかったのである。(家康とはだいぶ違うわ。)
あ~~、まだ本論に届かない。
もう少し我慢してください。
え~~~っと、そうそう。
インドに仏教が誕生したは、前500年ごろ。
アレちゃん大王が、インド踏み込んだのが、前300年ごろ。
大王の帝国は3分割され、今話題のシリア(当時はアサドではなくセレコウス朝シリア)が旧ペルシャからインド西端を支配した。
これがまた分裂衰退し、東方にパルティア王国が誕生。
これはギリシア系の王国であった。
アレちゃん死後インドに前317年マウリヤ朝が興り、3世アショカ王仏教保護。
クシャーナ朝のカニシカ王が即位したのが、西暦125年以降。
(この辺は、中学社会か高校世界史に面白くもない記述で掲載されている)
アレキサンダーの東方帝国パルティアを破ったクシャーナ朝はギリシァ系の技術者を手に入れる。
やっと本題に入れる。strong>
ここで、ギリシャ文化と仏教が運命的な出会いをするのである。(嗚呼、ここが言いたかったのだ。)
「仏像っていつ誕生したか知ってますか?」
仏教誕生から500年は、かかったんですょ~~~~。
なんでって?
紙面の都合で」ご興味のある方はここ!
まっ、とにかく最初はお釈迦様は立像7頭身?
髪はアメリカ帰りのセルロイドならぬおやつはカールパンチ風か巻き髪風。(日本の仏像の名称では、螺髪(らほつという。)
これは、制作された地域がガンダーラとマトゥラと言う地域性による。
ちなみに、右巻きの渦巻きが正調、左巻きは・・・わたし、左利きはあさおかめぐみ。
(・・・疲れて、少し壊れてきました。)
本題です。
昨年、わがギャラリーにガンダーラの仏像がやってきた。
きっけは、大震災である。
「いのり」と言うテーマで開催した。
この不況で世知辛い世の中で、自爆覚悟の展覧会であった。(松永弾正爆死)
そんなに売れないわな。
そして、きっかけはやはり大震災であった。
地震に備え避難袋に、現金を常備していたのである。
銀行預金などを取り崩すと思うと逡巡するものなのだが…。
ガンダーラ美術売上協力で、避難袋の非常用現金をはたいた。
沖縄定期移住を考えていた。
家やマンション決まりもしないのに、飾りだけ新居用に買ってしまった。
かくなる上は、ガンダーラ美術に合う空間を想定して家さがしをする羽目になった。
ったく、しかし後悔はしていない・・・というか沖縄に家かマンション買えないかも。
私たちが買わねば、貧乏になった日本から海外に流出する運命のものであったからだ。(残りの多くがアメリカなどにもう渡りました。)
ふと考えたのである。
10年も乗れば、ポンコツになる中古の車買うくらいなら一生縁がないかもしれない2000年の刻(とき)を買おう。
当時、コレクター達は、動揺していた。
底値と踏んだ。
嫁はんもこういう説得に弱い。
こうして、分不相応の品が、我が家に迷い込んできたのである。
ロシアのイコンは迷っているうちに、目の前を通り過ぎていった。
やはり、あのことが大きく影響している。




偶像崇拝を嫌うイスラム教徒によって、所々顔が削り取られている。
座像と立像が混在し、過渡期の建造物の一部アーチと思われる。



芭蕉扇の様なものを持ち、ドレープが入った衣装に身を包むギリシャ風の婦人像。
はるか、西方の地では、ミロのビーナス・サモトラケのニケなどが、おおよそ100~203年前に生まれていたのである。
これを考えると・・・・ロマンですなぁ。
今から100年経って、これらの像とハイブリッドの新車とどちらがのこってる?
言わずと知れたことだわな。
物の価値がどこにあるか?
まぁ、像は私を乗せてリッター30キロでは走ってくれないが、時を駆けてくっるのは間違いない。
金持ちでは絶対、決してない。
物の価値観を、震災を境に変えたのかもしれない。
誰にも言わないでください。
ソロモン王治世の時代、灼熱の砂漠を渡って彼に会いに来た女王サバ。
「線香」ではなく、「乳香」を携えてきた。
金と同じ価値があるとされた。(一度は嗅いでみたいものである)
その700年後、ギリシャのど田舎マケドニアから出てきたアレキサンダー大王。
前334年アケメネス朝ペルシャへの侵攻を皮切りに大遠征を始める。
彼の家庭教師:哲学者アリストテレスは、遠征に先立ち得意とする3段論法で20歳で王になったアレキサンダーに進言する。
大前提:「エー、戦いで兵士が傷ついたらよく効く薬が必要だろ?」
小前提:「そう、君の兵士は最強だよね。」
結論:「だからね、最強の兵士には万能の力を持つ薬が必要ってわけよ。」
「わるかな~、アレちゃん~?」
それは歴史に残るデ~ジ偉業を達成するターニングポイントとも言うべき言葉であった。
そう!
サバの女王の国、アデンの西海上300キロの海上に浮かぶ島「ソコドラ島」。
そこに自生する「アロエ」

アレキサンダーは、アリストテレスの助言に従いこの島を占領して、最強の軍隊の常備薬として「アロエ」を携行させたのであった。
元気一発「アロエ軟膏」



歴史秘話である。
話を急ごう。
本論に入る前に、終わりそうになっている。
アレキサンダーは、ペルシャにいったかと思うと、エジプトへ向かいあっち行ったりこっち行ったりその領土を着々と広げていったのであった。
彼が目指したのは、人種をも含めた融合文化圏である。
兎に角無茶苦茶に進んだ。
10年近くでもうインド・インダス川まで渡ってしまった。
「社長!もうついていけません。これから先に行くならば社長一人で行ってください。」
遂には、部下たちのほうが根を上げてしまった。
なにせ、特効薬「「アロエ軟膏」でこきつかわれた部下はまったくたまったものではないのである。
「そうか、じゃここいらでやめっぺ」
仕上げとして、連れてきた部下全員に、ペルシャ系の女たちと集団結婚式を命じた。(もちろん、王自身も

ギリシャ文化とオリエント文化の融合ヘレニズム文化の誕生である。
・・・後日談がある。
大王が身罷ると無理やり結婚させられた部下の多くは離婚届提出者が続出したんだそうだ。
・・・彼の遺言は有名である。
「強い者が我が帝国を支配せよ」と、後継者を決めなかったのである。(家康とはだいぶ違うわ。)
あ~~、まだ本論に届かない。
もう少し我慢してください。
え~~~っと、そうそう。
インドに仏教が誕生したは、前500年ごろ。
アレちゃん大王が、インド踏み込んだのが、前300年ごろ。
大王の帝国は3分割され、今話題のシリア(当時はアサドではなくセレコウス朝シリア)が旧ペルシャからインド西端を支配した。
これがまた分裂衰退し、東方にパルティア王国が誕生。
これはギリシア系の王国であった。
アレちゃん死後インドに前317年マウリヤ朝が興り、3世アショカ王仏教保護。
クシャーナ朝のカニシカ王が即位したのが、西暦125年以降。
(この辺は、中学社会か高校世界史に面白くもない記述で掲載されている)
アレキサンダーの東方帝国パルティアを破ったクシャーナ朝はギリシァ系の技術者を手に入れる。
やっと本題に入れる。strong>
ここで、ギリシャ文化と仏教が運命的な出会いをするのである。(嗚呼、ここが言いたかったのだ。)
「仏像っていつ誕生したか知ってますか?」
仏教誕生から500年は、かかったんですょ~~~~。
なんでって?
紙面の都合で」ご興味のある方はここ!
まっ、とにかく最初はお釈迦様は立像7頭身?
髪はアメリカ帰りのセルロイドならぬおやつはカールパンチ風か巻き髪風。(日本の仏像の名称では、螺髪(らほつという。)
これは、制作された地域がガンダーラとマトゥラと言う地域性による。
ちなみに、右巻きの渦巻きが正調、左巻きは・・・わたし、左利きはあさおかめぐみ。
(・・・疲れて、少し壊れてきました。)
本題です。
昨年、わがギャラリーにガンダーラの仏像がやってきた。
きっけは、大震災である。
「いのり」と言うテーマで開催した。
この不況で世知辛い世の中で、自爆覚悟の展覧会であった。(松永弾正爆死)
そんなに売れないわな。
そして、きっかけはやはり大震災であった。
地震に備え避難袋に、現金を常備していたのである。
銀行預金などを取り崩すと思うと逡巡するものなのだが…。
ガンダーラ美術売上協力で、避難袋の非常用現金をはたいた。
沖縄定期移住を考えていた。
家やマンション決まりもしないのに、飾りだけ新居用に買ってしまった。
かくなる上は、ガンダーラ美術に合う空間を想定して家さがしをする羽目になった。
ったく、しかし後悔はしていない・・・というか沖縄に家かマンション買えないかも。
私たちが買わねば、貧乏になった日本から海外に流出する運命のものであったからだ。(残りの多くがアメリカなどにもう渡りました。)
ふと考えたのである。
10年も乗れば、ポンコツになる中古の車買うくらいなら一生縁がないかもしれない2000年の刻(とき)を買おう。
当時、コレクター達は、動揺していた。
底値と踏んだ。
嫁はんもこういう説得に弱い。
こうして、分不相応の品が、我が家に迷い込んできたのである。
ロシアのイコンは迷っているうちに、目の前を通り過ぎていった。
やはり、あのことが大きく影響している。




偶像崇拝を嫌うイスラム教徒によって、所々顔が削り取られている。
座像と立像が混在し、過渡期の建造物の一部アーチと思われる。



芭蕉扇の様なものを持ち、ドレープが入った衣装に身を包むギリシャ風の婦人像。
はるか、西方の地では、ミロのビーナス・サモトラケのニケなどが、おおよそ100~203年前に生まれていたのである。
これを考えると・・・・ロマンですなぁ。
今から100年経って、これらの像とハイブリッドの新車とどちらがのこってる?
言わずと知れたことだわな。
物の価値がどこにあるか?
まぁ、像は私を乗せてリッター30キロでは走ってくれないが、時を駆けてくっるのは間違いない。
金持ちでは絶対、決してない。
物の価値観を、震災を境に変えたのかもしれない。
誰にも言わないでください。
Posted by yo1 at 03:15│Comments(3)
│語り
この記事へのコメント
前述の記事「思えば遠くへきたもんだ」というのは、距離だけでなく時間軸のこともいっていたのですね。
すごいです。
すごいです。
Posted by ★うずまきk at 2012年02月10日 06:56
ひぇ~~。
そこまで深読みを・・・!
ありがとうごぜぇますだ。
あの記事、「思えば遠くへ来たもんだ」少し加筆します。
じつは、ガンバンベア号運転しながら主人公の想いが・・・・。
ぁ、結論書いたらまずいやん。
そこまで深読みを・・・!
ありがとうごぜぇますだ。
あの記事、「思えば遠くへ来たもんだ」少し加筆します。
じつは、ガンバンベア号運転しながら主人公の想いが・・・・。
ぁ、結論書いたらまずいやん。
Posted by yo at 2012年02月10日 09:52
世界三大美女
クレオパトラの血脈は、、
このアレクサンダ−の幼なじみ、
プトレマイオスのDNAが入っている
そして、、
ノーベル平和賞、、
マザー・テレサもマケドニア生まれ
(最も神に近い人間)

クレオパトラの血脈は、、
このアレクサンダ−の幼なじみ、
プトレマイオスのDNAが入っている

そして、、
ノーベル平和賞、、

マザー・テレサもマケドニア生まれ

(最も神に近い人間)

Posted by すっぽんパグV at 2012年02月10日 10:59