てぃーだブログ › 雉鳴いちゃった › 語り › 思い遣りの中に生きる国

2013年03月09日

思い遣りの中に生きる国

”語り”というカテゴリーで書きます。

つまり正解のない世界の話ってこと。

facebookをなぜ1年間開く気になれなかったのか?

3日間ほど、試運転してやっと気が付いた。

facebookはある意味共有感・価値観が支配するサンクチュアリ(聖域)なんだ!

昨夜、連続していくつかの記事を投稿してみました。

”いいね”という反応にばらつきがあるのに気が付いた。

そうか!

ハタと気が付いた。

少なくとも、相手も自分もわかったうえでのお付き合いって”思い遣り”という”安心感”が無ければいけないってこと。

いじわるおじいだから、”でも、その思い遣りってなによ?”って考えてしまう。

全体像がどうなっているかわからないけれど、”その場限りの思い遣り?”ってあるかも。

今朝の朝食のとき、ヨメはんに話したら、”それって、その場限りの思い遣りかもね?”と言われた。

うっかりブラックジョーク書けないんだと・・・・。

誤解を生みやすい性格であることは認める。

ブログもそうね。

コメントなどで失敗している。

ヨメはん曰く。

”また、村の論理に振り回されないように”

ぁっ、しっかり人の雉ブログよんでるやん!

ついでに、その場限りの思い遣りではなく”思い遣りのなかで生きている”を実感した次第。

うまくいえないけれど、”いいね”の向こうにみんなが求めている本当の何かが見えたような気がした。

でもそれならば、めっちゃ向き合い傷ついて判りあいがなければな!と思った。

人ってそんなに簡単に判りあえない。

でも、ここ何年かの沖縄ブログ生活でお会いしたこともなく、でも何年も互いの記事読んでたら誤魔化しようなくわかる部分ってある。

地雷を踏むことだってある。

でも、積み重ねた時間のなかにあるものの確かさは、美辞麗句を並べた文章より自分の内側?

思い遣りってなによ?

明日から、自分の”あなたの思い出家具・お直し品受け付けます”展覧会。

基本的な位置決めが、ヨメはんの「これは、こーでねぇと」で決まった。

思い遣りの中に生きる国

思い遣りの中に生きる国

そうそう、思い遣りのはなし。

思い遣りの中に生きる国

昔の足踏みミシンの椅子。

流行のくつろげる機能を科学した椅子ではないんですが、座った途端懐かしさがこみあげてくる座りごこち。

オカンがひざ痛めて玄関先で靴はけなくなって、間に合わせに作ってあげたところから始まったイス。

結果的に売れ続けていたけれど、売れ行きは鈍くなってきている。

使い手に段々、そんなゆとりがなくなってきているのを感じてます。

トレンドは、作り手の思惑を超えて動いていくものですが”芯”は動かしてはいけないと思う。

そんな思い遣りを、実感したいな。

出会いを求めて。











同じカテゴリー(語り)の記事
祈り
祈り(2013-08-25 02:17)

ぷりまべ~~~ら。
ぷりまべ~~~ら。(2013-03-18 22:45)


Posted by yo1 at 09:04│Comments(0)語り
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。