2012年02月26日
西行桜
家に帰ってきました。
昼食を摂りながら、今朝の新聞をちら見。
文化欄の宗教の欄の冒頭。
「願わくは花の下にて春死なん、その如月の望月の頃。」
「望月」?道長のこの世をば・・・・・」
あ~、満月ね。
御釈迦さんは、新暦3月15日満月の夜に死んだということ?
「知ったか」できるかな。
部屋に入り、西行検索。
世阿弥作の「西行桜」という能楽作品があるという。
西行桜
京都、西行の庵室。春になると、美しい桜が咲き、多くの人々が花見に訪れる。
しかし、今年、西行は思うところがあって、花見を禁止した。
一人で桜を愛でていると、例年通り多くの人々がやってきた。
桜を愛でていた西行は、遥々やってきた人を追い返す訳にもいかず、招き入れた。
西行は、「美しさゆえに人をひきつけるのが桜の罪なところだ」という歌を詠み、夜すがら桜を眺めようと、木陰に休らう。
その夢に老桜の精が現れ、「桜の咎とはなんだ」と聞く。
「桜はただ咲くだけのもので、咎などあるわけがない。」と言い、「煩わしいと思うのも人の心だ」と西行を諭す。
老桜の精は、桜の名所を西行に教え、舞を舞う。
そうこうしているうちに、西行の夢が覚め、老桜の精もきえ、ただ老木の桜がひっそりと息づいているのだった。(ウィキペディアより)
じつは、新聞の記事の内容は、人間のの欲について書いてあった。
西行の詠んだ歌とあまり関係ない冒頭の書き出しで、「この知ったか坊主」と失礼なことに思ってしまった。
筆者は、深いところで「西行桜」まで行きつて書いていたのである。
「う~~~む、深くて・・・・おぼれた。」
皮肉なことに、横に「今週のことば」と言うのがあった。
「もしも言葉に沈黙の背景が無ければ、言葉は深さを失ってしまうだろう」(マックス・ピカート)
行間が読めなくてはいけないし、深読みしすぎてもいけない。


人生、バランスだわ。
西行、出家の際に衣にとりすがるわが子を縁に蹴落として行ったという。そして、冒頭の歌のごとく望む日に往生したと伝えられている。
考え抜いた末に、自分のために生きた人であるかも。
少なくとも、私にはできないこと。
わたしも所詮、縁無き衆生なのである。

昼食を摂りながら、今朝の新聞をちら見。
文化欄の宗教の欄の冒頭。
「願わくは花の下にて春死なん、その如月の望月の頃。」
「望月」?道長のこの世をば・・・・・」
あ~、満月ね。
御釈迦さんは、新暦3月15日満月の夜に死んだということ?
「知ったか」できるかな。
部屋に入り、西行検索。
世阿弥作の「西行桜」という能楽作品があるという。
西行桜
京都、西行の庵室。春になると、美しい桜が咲き、多くの人々が花見に訪れる。
しかし、今年、西行は思うところがあって、花見を禁止した。
一人で桜を愛でていると、例年通り多くの人々がやってきた。
桜を愛でていた西行は、遥々やってきた人を追い返す訳にもいかず、招き入れた。
西行は、「美しさゆえに人をひきつけるのが桜の罪なところだ」という歌を詠み、夜すがら桜を眺めようと、木陰に休らう。
その夢に老桜の精が現れ、「桜の咎とはなんだ」と聞く。
「桜はただ咲くだけのもので、咎などあるわけがない。」と言い、「煩わしいと思うのも人の心だ」と西行を諭す。
老桜の精は、桜の名所を西行に教え、舞を舞う。
そうこうしているうちに、西行の夢が覚め、老桜の精もきえ、ただ老木の桜がひっそりと息づいているのだった。(ウィキペディアより)
じつは、新聞の記事の内容は、人間のの欲について書いてあった。
西行の詠んだ歌とあまり関係ない冒頭の書き出しで、「この知ったか坊主」と失礼なことに思ってしまった。
筆者は、深いところで「西行桜」まで行きつて書いていたのである。
「う~~~む、深くて・・・・おぼれた。」
皮肉なことに、横に「今週のことば」と言うのがあった。
「もしも言葉に沈黙の背景が無ければ、言葉は深さを失ってしまうだろう」(マックス・ピカート)
行間が読めなくてはいけないし、深読みしすぎてもいけない。



西行、出家の際に衣にとりすがるわが子を縁に蹴落として行ったという。そして、冒頭の歌のごとく望む日に往生したと伝えられている。
考え抜いた末に、自分のために生きた人であるかも。
少なくとも、私にはできないこと。
わたしも所詮、縁無き衆生なのである。

Posted by yo1 at 12:37│Comments(2)
│語り
この記事へのコメント
西行、、
1118年、清盛と同じ生まれ、、
そして、、
院を警護する北面の武士であった
しかし、、
29才の時、
「こんな警護やってられん」
衣に取り付く子供さえも、
縁側から突き飛ばし、、
独り歌の旅へ
しかしながら、、
西行、、
彼の足は西へ行く旅ではなく、
東へ、東へ

そして、、
平泉の藤原泰衡に会った頃、、
そこに居た義経の命は、
既に時間の問題であった
〜〜〜
江戸時代に入り“芭蕉”は、、
藤原三代の栄耀から没落を、
歌に詠んだ
夢の跡、、
1118年、清盛と同じ生まれ、、
そして、、
院を警護する北面の武士であった

しかし、、
29才の時、
「こんな警護やってられん」

衣に取り付く子供さえも、
縁側から突き飛ばし、、
独り歌の旅へ

しかしながら、、
西行、、
彼の足は西へ行く旅ではなく、
東へ、東へ


そして、、
平泉の藤原泰衡に会った頃、、
そこに居た義経の命は、
既に時間の問題であった

〜〜〜
江戸時代に入り“芭蕉”は、、
藤原三代の栄耀から没落を、
歌に詠んだ


Posted by すっぽんパグV at 2012年02月27日 09:28
ぱぐさん。
やはり、ただものではないわ。
>彼の足は西へ行く旅ではなく、
>東へ、東へ
座布団3枚。
北面の武士が、上皇の警護隊だと知ってるなんてなかなかいませんわ。
清衡、基衡、秀衡、泰衡・・・義経までつながる。
芭蕉、奥の・・・。
いやぁパグさん、あなた歩く世界遺産みたいなもんですね。
やはり、ただものではないわ。
>彼の足は西へ行く旅ではなく、
>東へ、東へ
座布団3枚。
北面の武士が、上皇の警護隊だと知ってるなんてなかなかいませんわ。
清衡、基衡、秀衡、泰衡・・・義経までつながる。
芭蕉、奥の・・・。
いやぁパグさん、あなた歩く世界遺産みたいなもんですね。
Posted by yo at 2012年02月27日 12:33