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2012年03月01日

ゲマインシャフトとゲゼルシャフト


ゲマインシャフトとゲゼルシャフト

深沢七郎「楢山節考」を好演した緒方拳・坂本スミ子の映画をご存知の方も多いと思います。

「デンデラ」:新潮文庫佐藤友哉著…姥捨て山にはつづきがあった。

はっきり言って、読む人の知的レベルに合わせて楽しめるように書かれてると思った。(誤解を受けやすい表現・これしか言いようが今のところ思い浮かばない・私はその中の幾つに気付いたのであろうか?)

フィクションだということは、誰が読んでもわかります。

見える底があり、2重3重の組み立てで構築されている小説。

娯楽小説でありながら、純文学的要素が常に見え隠れするのです。

うっかりしてると、気づかずに通り過ぎるトラップの様な感覚?

そのうえで、犯人探しのミステリーもある。

スリル・サスペンスは申し分なく、筋読みしても充分楽しめる。

作者は文中の登場者に教養じみた言葉や価値観次々とを吐かす。

答えは指し示さない。

物語「デンデラ」は、そんな小説で池上詠一「テンペスト」のような単純明快さは求められない。

しかし、著者が目指す新しいノベルの世界は確実に感じられる小説です。

たのしみにしている人もいることですし、ネタばらしできないから読んだ感動をとっといてあげましょうね。

ここまでは、小説のお話。

以下は、書庫としての読後感想文。

かなり退屈な文章と知ったか。・・・・・読まなくても多分いい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
なんか、まじめに考えられる本渡されたようで…。

ドイツ人の社会学者、フェルディナント・テンニースは、あらゆる社会的相互作用や集団を人間の思考と意思とがつくったものとして考え、そのなかで実在的・自然的な本質意思 (Wesenwille) と観念的・作為的な選択意思 (Kürwille) とを区別し,前者にゲマインシャフト、後者にゲゼルシャフトという集団類型をたてた。(ウィキペディアより)

姥捨ての「捨てる村」は、典型的なゲマインシャフト(地縁・血縁社会)である。

捨てられた姥が生きるために寄り添って作られた「拾う村・デンデラ」は、目的の中に子孫繁栄もなければ、色恋もなく単一性が生きるということに対して「共益」という企業や会社の体をなしたゲゼルシャフトなのであろう。

一般社会は、家庭と会社と言う風にそれらが意識せずに混在している。

「デンデラ」という特殊な環境では、例えば「生きる」と言う意味が極端に先鋭化され、対立軸の「死」の意味が問われるのである。

それが、密接にからみあい50人近くの捨てられた姥たちが紡いでいく「死」と「生」。

わたしは、「作者、お前の云いたいこと何なんだ?すっごくその答え私も欲しい」と常に問い続けながら読み進めていくしかなかった。

消化に時間がかかるだろう。

確とした確信感が持てぬ間に物語が終わった。

映画での表現を見守りたい気がしています。



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Posted by yo1 at 22:44│Comments(3)物語
この記事へのコメント
いつものように私の引出しを増やしてくれる
yoさん
ありがとう(^○^)


ていねいな書評をありがとうございます
とりあえず私のアンテナに引っかかったのは・・・


答えは示さない
単純明快ではない
消化に時間がかかる


まあ!なんて美味しそうな本でしょう(#^.^#)

ミステリー
スリル
サスペンス

ときたら
ホラーを期待します・・・
映画も楽しみです!(^^)!
Posted by madan at 2012年03月02日 17:46
きょうはごめんよ。
Posted by yo1yo1 at 2012年03月02日 18:11
yoさんへ

以前すっぽんさんが

「madanさんは人間ができてる」って

ほんとにそうなんです
なーんてね
Posted by madan at 2012年03月02日 20:09
 
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