2012年05月03日
「竹取物語」と「とはずがたり」その3
イヌぐぁわーと散歩から帰ってきました。
夜来の雨は、遅咲きの八重桜に季節の交代を告げたらしい。

「青葉若葉の季節ですよ~!」

せかされた桜の花たちは、花ごともぎ取られるように、はたまた椿の落花のごとく地を桜色に染めています。
「五月雨(さみだれ)を集めて早し最上川」
奥の細道を著した翁は、水の流れが小川から大川へとピアニッシモからフォルテッシモへトリル(幾度も繰り返す)しながら飽かずに変化するさまを見事に詠んでいます。

「行く河の流れは絶えずして、元の姿に在らず」とも、流れゆく花びらのひとつひとつは、其々が咲くまでの人生を内包しつつ、同じ瀬の流れの終着へと身を任せて流れていきます。
鎌倉・室町以来の「無常感」は、泡沫(うたかた)の儚(はかな)さを、水の流れに例えています。
そんなことを感じながら、しっとりと湿り気を帯びた花の香りを吸いこんで帰ってきました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日は、番台さんのやりくりがつかず私は夕刻から番台に座り浴室掃除と深夜の帰宅になるので、午前中がOFFです。
嫁はんは、店のお客様の「里山歩き」がしたいというリクエストがあり花の季節の終わりを数人の友人とともに先ほど出かけました。
時にパソコン仕事を挟みながら、本を読みこのブログ記事を書きながらだらだらと至福の時間を過ごす予定です。
「弥勒の月」を読み終え、2巻目の「夜叉桜」に入りました。
作者の、トーンが明らかに変わっていると感じたのは私だけなのかなぁ。
人の世や、人にたいする作者の「想い」は、優しいまなざしに変わっています。
登場人物の描写に、優しさと慈しみが表れているような気がします。
初めて時代小説を書くという肩の力が、ストーンと落ちたような・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「竹取物語」。
日本最古の物語で、今は昔(今では昔の話になってしまったが・・・)という書き出しで始まります。
芥川がこの話が収録されている今昔物語を評して「美しいなまなましさ」「野蛮に輝いている」(ウィキペディア)と言ったそうです。
物語は、月の国から降り立った姫が長じて、あまたの求婚者の申し出を断り再び月の世界へ旅立つということでしょうか?
あまたの求婚者には、時の最高権力者帝(みかど)もふくまれていたとか・・・・・。
筋の中に、常識として当時の世の中では常識であっ女性の栄達、「玉の輿」が背景にあるのかな?
当時は、通い婚時代で一夫一妻制による厳格な戒律があるわけでなく、性は極めて朗らかなコミュニケーション手段だったと私は感じています。(万葉やおもろ草紙・トゥバルーマなど相聞歌)
現在のような価値観は、江戸期に入っての社会秩序の維持などを前提とした儒教・朱子学などの影響もあると感じています。
求婚(結婚だけでなくおめかけさんや想い人)されたかぐや姫の価値観は、当時の常識ではないということで「あんたらとは住む世界がちがうんよ。どうせ性格の不一致で離婚だわ」・・・・言い過ぎかなぁ。
これは、読み方にもよりけりなのですが当時としては完全に異端の考え方です。
人とは?
愛とは?
人間考えることは、昔も今もてーげーいっしょ。
昔が全て劣っているわけでもありません。
現代人の倫理観に匹敵する、かぐや姫の価値観は、特筆に値することかもしれません。
その,特異さを論じるブログがあります。
『とはずがたり』が語るもの。
ここで、私は初めて「とはずがたり」というタイトルの書物に出会います。
「とはずがたり」とは、作者の二条が日記風に回顧した当時の男女を取り巻く価値観と、男と女の本質てきな愛欲図の描写が「ひとりごと(とはずがたり)」として書かれている本なのです。
そうすると「竹取・・・」は建前、「とはず・・・」は本音と言うことも言える?
興味は尽きないのですが、松岡正剛の千夜千冊『とはずがたり』後深草院二条というネット書評があります。
知識の豊富さを引用等で巧みに織り込んだ書評で、確かなスタンスを感じさせるページです。
彼はこの中で、「二条は、女西行になりえたのである」と述べています。
文中「きっと二条は、そもそも少女のころからして、誰との出会いも結縁(けちえん)だったのだろう。愛された、犯された、好きになった、恋しくて苦しかった、邪険にされた、軽くあしらわれた、でも惚れた、というようなことすべてを結縁と思えたはずなのだ」と述べさせています。
おとことおんな。
愛憎の先に、どんな夜叉のサクラが咲くのか?
「夜叉」とは、インドの神様の一つで日本では「鬼子母神」といわれ、我が子のためには他人の子供を貪り食うこともいとわぬ鬼神のことで、その後、釈迦の救済により衆生の救済の神となった「ヤクシニー」という神さまのことです。

ガンダーラの仏像が我が家にやってきたとき、嫁はんと我が家に残そうと決めた仏像です。
ヘレニズムの影響を受けて、ギリシャ風のドレープをまとったその像は、約一年間近く我が家の店に飾ってありました。
縁があれば、海を渡り沖縄のわたしたちの仮の住まいに飾る予定でした。
乞われて、ガンダーラ展に出展しましたら売れました。
それもご縁なんでしょうね。
嫁はんと「もう十分楽しんだから、良いよね」と話し合っています。
そう、惜しくはないと思っています。
我が家の夜叉は次のご縁へと、ゆく河の流れに乗ったサクラの花びらのように、流れていきました。
「夜叉桜」を読み始めて二〇ページ足らずですが、あさのあつこが描く世界を興味深く読もうとしています。
この項、おしまい。
夜来の雨は、遅咲きの八重桜に季節の交代を告げたらしい。

「青葉若葉の季節ですよ~!」

せかされた桜の花たちは、花ごともぎ取られるように、はたまた椿の落花のごとく地を桜色に染めています。
「五月雨(さみだれ)を集めて早し最上川」
奥の細道を著した翁は、水の流れが小川から大川へとピアニッシモからフォルテッシモへトリル(幾度も繰り返す)しながら飽かずに変化するさまを見事に詠んでいます。

「行く河の流れは絶えずして、元の姿に在らず」とも、流れゆく花びらのひとつひとつは、其々が咲くまでの人生を内包しつつ、同じ瀬の流れの終着へと身を任せて流れていきます。
鎌倉・室町以来の「無常感」は、泡沫(うたかた)の儚(はかな)さを、水の流れに例えています。
そんなことを感じながら、しっとりと湿り気を帯びた花の香りを吸いこんで帰ってきました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日は、番台さんのやりくりがつかず私は夕刻から番台に座り浴室掃除と深夜の帰宅になるので、午前中がOFFです。
嫁はんは、店のお客様の「里山歩き」がしたいというリクエストがあり花の季節の終わりを数人の友人とともに先ほど出かけました。
時にパソコン仕事を挟みながら、本を読みこのブログ記事を書きながらだらだらと至福の時間を過ごす予定です。
「弥勒の月」を読み終え、2巻目の「夜叉桜」に入りました。
作者の、トーンが明らかに変わっていると感じたのは私だけなのかなぁ。
人の世や、人にたいする作者の「想い」は、優しいまなざしに変わっています。
登場人物の描写に、優しさと慈しみが表れているような気がします。
初めて時代小説を書くという肩の力が、ストーンと落ちたような・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「竹取物語」。
日本最古の物語で、今は昔(今では昔の話になってしまったが・・・)という書き出しで始まります。
芥川がこの話が収録されている今昔物語を評して「美しいなまなましさ」「野蛮に輝いている」(ウィキペディア)と言ったそうです。
物語は、月の国から降り立った姫が長じて、あまたの求婚者の申し出を断り再び月の世界へ旅立つということでしょうか?
あまたの求婚者には、時の最高権力者帝(みかど)もふくまれていたとか・・・・・。
筋の中に、常識として当時の世の中では常識であっ女性の栄達、「玉の輿」が背景にあるのかな?
当時は、通い婚時代で一夫一妻制による厳格な戒律があるわけでなく、性は極めて朗らかなコミュニケーション手段だったと私は感じています。(万葉やおもろ草紙・トゥバルーマなど相聞歌)
現在のような価値観は、江戸期に入っての社会秩序の維持などを前提とした儒教・朱子学などの影響もあると感じています。
求婚(結婚だけでなくおめかけさんや想い人)されたかぐや姫の価値観は、当時の常識ではないということで「あんたらとは住む世界がちがうんよ。どうせ性格の不一致で離婚だわ」・・・・言い過ぎかなぁ。
これは、読み方にもよりけりなのですが当時としては完全に異端の考え方です。
人とは?
愛とは?
人間考えることは、昔も今もてーげーいっしょ。
昔が全て劣っているわけでもありません。
現代人の倫理観に匹敵する、かぐや姫の価値観は、特筆に値することかもしれません。
その,特異さを論じるブログがあります。
『とはずがたり』が語るもの。
ここで、私は初めて「とはずがたり」というタイトルの書物に出会います。
「とはずがたり」とは、作者の二条が日記風に回顧した当時の男女を取り巻く価値観と、男と女の本質てきな愛欲図の描写が「ひとりごと(とはずがたり)」として書かれている本なのです。
そうすると「竹取・・・」は建前、「とはず・・・」は本音と言うことも言える?
興味は尽きないのですが、松岡正剛の千夜千冊『とはずがたり』後深草院二条というネット書評があります。
知識の豊富さを引用等で巧みに織り込んだ書評で、確かなスタンスを感じさせるページです。
彼はこの中で、「二条は、女西行になりえたのである」と述べています。
文中「きっと二条は、そもそも少女のころからして、誰との出会いも結縁(けちえん)だったのだろう。愛された、犯された、好きになった、恋しくて苦しかった、邪険にされた、軽くあしらわれた、でも惚れた、というようなことすべてを結縁と思えたはずなのだ」と述べさせています。
おとことおんな。
愛憎の先に、どんな夜叉のサクラが咲くのか?
「夜叉」とは、インドの神様の一つで日本では「鬼子母神」といわれ、我が子のためには他人の子供を貪り食うこともいとわぬ鬼神のことで、その後、釈迦の救済により衆生の救済の神となった「ヤクシニー」という神さまのことです。

ガンダーラの仏像が我が家にやってきたとき、嫁はんと我が家に残そうと決めた仏像です。
ヘレニズムの影響を受けて、ギリシャ風のドレープをまとったその像は、約一年間近く我が家の店に飾ってありました。
縁があれば、海を渡り沖縄のわたしたちの仮の住まいに飾る予定でした。
乞われて、ガンダーラ展に出展しましたら売れました。
それもご縁なんでしょうね。
嫁はんと「もう十分楽しんだから、良いよね」と話し合っています。
そう、惜しくはないと思っています。
我が家の夜叉は次のご縁へと、ゆく河の流れに乗ったサクラの花びらのように、流れていきました。
「夜叉桜」を読み始めて二〇ページ足らずですが、あさのあつこが描く世界を興味深く読もうとしています。
この項、おしまい。
Posted by yo1 at 10:49│Comments(0)
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