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2012年05月20日

「北木山」考。

先ほど、アマゾンで首里「潭亭」のご夫婦の著書、「北木山夜話」と「しあわせの沖縄料理」の2冊を中古本で購入しました。

書評を書かれたM氏とは、『北木山夜話』の余話の筆者でした。

著者が、琉球新報に載せた書評の一文に何故か納得しました。

曰く、「これまた前々から思っていたのだが、八重山の人はこんな小話を巧みに語る人がとても多い。」

「テンペスト」の著者、池上永一さんが、また「ガジュマルの家」大島 孝雄さんとかが、読んだ作家の小説で浮かぶ。

そうそう、知人ブロガーS氏も中々の筆達者である。

筆者は、それが

「思うに彼らの人生そのものが豊かなのである。島の歴史というのは、こうした島の人々が残した無数の小話によって紡がれていくのだろう。」

と締めくくっているわけです。

では、表題の「北木山」とは何ぞや?

日曜日です。

毎土曜日は、深夜の温泉浴室掃除の日で帰宅は未明の2時近く。

ゆっくり起きて、7時半。

午前中は、温泉スタッフとの打ち合わせに漆仕事少々。

ゆったりと,雉ブログを書く時間もほしいなとお昼寝時間を削ってパソコンに向かっているわけです。

買った本を読むに当たり、少し基礎的な知識をと検索していました。

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「北木山」とは、八重山の異称とのことであるという。

漢和辞典に「木山(そま)」とあります。

木を切り出す山、入会地とか集落の単位と言う意味なのでしょうか?

こちらから、先島をみると「南」ですが中国方面から見ると「北」なんですわ。

「北木山」とは「北の入会地」?

検索のキィーボードはここから、一転「小浜島の風水について(友野林太郎)」の調査報告書へと飛ぶことになりました。

文中、「八重山の風水を記した「北木山風水記」(1862,鄭良佐)」という記述があります。

1862,鄭良佐とは、久米三十六姓につながる通事(通訳?)の一人で先島の区画整理のような集落形態は風水をもとにした琉球王朝の行政指導の結果と推定しています。・・・・祭温の風水改革とも言うのかもしれない。

この報告書は、「風水」が最も正しく伝わった地は琉球であり、亀甲墓や沖縄本島の主に南部に多く見られ、「フンシー(風水)」「フンシーガミ(風水神・屋敷神)」と称されて屋敷の北側から北東にかけて祀られている沖縄に残る屋敷神崇拝の文化はこの影響と推論されています。

明治の廃藩置県は、宮廷につかえたこのような文人の廃業を招き、やがて巷間に広まったと伝えられいます。

さぁ、ここまで調べて明日の本の到着を待ちましょうね。

今日は、友人の職人さん夫婦と夕刻から餃子屋さんで飲み会です。

午后から、不動産関係のお仕事を済ませて乾杯だ!


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Posted by yo1 at 13:27│Comments(0)語り
 
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