2012年05月20日
沖縄独立の夢
日曜欄の新聞をことさら楽しみにしている。
書籍紹介にいつも目を通す。
今週は、ドキュメント「沖縄経済処分」と「カフカ式練習帳」。
カフカは、メモ魔だったらしい。
彼はとにかく、1日の中で心に浮かぶことを始終書き留めメモしたらしい。
この方法をある小説家が取り入れた本です。
で、何も考えずに今から書いてみます。
結論は書きながら考える。
沖縄について今朝の書評欄を読んで感じたこと。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
琉球処分と言う言葉が、基地問題などで声高に唱えられる。
差別と言う意識が、常に付きまとう歴史的な事実であると思います。
「沖縄経済処分」とは?
沖縄返還時に沖縄に流通していたドルを日本円に切り替える際、どのようなドラマがあったかを克明にルポルタージュしたノンフィクションだと感じました。
要は、沖縄が軍政下(アメリカ世)B円と呼ばれる軍票から海外の投資を呼び込むドルに変更された混乱を経て、日本復帰に際し直前の71年の金本位制の廃止(ニクソンショック)から円への移行とインフレの嵐、その裏でアメリカが日本政府に要求した沖縄において交換したアメリカドルの廃棄を求めたことから始まります。
廃棄ってことは、どういうこと?
沖縄県民が持っていたドルは、そのころ回収ベースで1億350万ドル、360円レートで36225000000(362億2千5百万円)という金額でした。
これを返還に伴い、日本政府は交換したアメリカドルとして手元に置きました。
復帰の一年前、ニクソンショックで基軸通貨(金と交換できる兌換紙幣)としての機能をドルは放棄しました。
いわゆる、変動相場制への移行です。
1ドル=350円の固定相場は、その年の暮れのワシントン・スミソニアン会議にて一挙に308円に切り下げられたのです。
復帰の際の交換比率が沖縄において大問題となります。
鹿児島県選出の国会議員山中貞則の力により71年10月8日、突如銀行が封鎖され固定相場360円にての交換が実施されました。
2か月後です、308円になったのは。
アメリカはこの交換したドルを、初めから無かったものとするよう求めたのです。
ようするに350億円のお金を、沖縄県民へ日本政府がプレゼントしたことにしろ!と言うことです。
この交渉は、27年後の99年まで、交換したドルを執行せずアメリカ連邦銀行に無利子で預ける約束をさせられたのです。
99年といえば、プラザ合意で円は対ドル175円、それが103円前後。
360億円近いレート換算は、実に3分の一の100億程度になったのではないでしょうか?
返還前、ドルは金1オンス35ドルの兌換紙幣(唯一どこでも金に換えられる)。
高木凛著「沖縄独立を夢みた女傑照屋敏子」において、照屋は最後まで日本復帰に異を唱えました。
沖縄が唯一、独立を勝ち取るとしたらそして、個人レベルでも手持ち資金の目減りを防げるとするならば「金」にかえておけばよかったのかもしれません。
それは、琉球政府の資産となり国としての運営資金となりうる額になったはずです。
アメリカは困ったはずです。
恐らく道は険しくとも、良き指導者に恵まれていれば「琉球」という独立国がそこにあったかもしれません。
軍事的な非武装の緩衝地帯として存在し得る可能性は否定できないからです。
それが、琉球伝統の2重朝貢と言われようとも。
なによりも、それはテンペストが描く琉球の悩みではあるのですけれど…。
日曜版の小さな書籍紹介分でしたが、「沖縄、誰にも書かれたくなかった戦後史」という本と「沖縄独立を夢みた女傑照屋敏子」と「通貨」の本を読み通して感じることは、時々のパワーバランスになすすべもなく知らないうちに巻き込まれてしまっていた沖縄と言う現実です。
昨年の、都道府県別の経済成長率で沖縄県が成長率プラスで第一位でした。
牽引は、基地問題と沖縄振興策資金の流入にも大きな要因があると思います。
そのお金に、利権がどのようにして絡み、どれほどの実際が県民へと沁み込んでいるのかは知りません。
ふとそんなことを、飲み会から帰って書いてます。
沖縄、ゴーヤの生産量が今年中に宮崎県に抜かれ2位になるかもしれません。
実際に、ゴーヤの輸入?県になっているとも・・・・。
国際通りで、観光客が喜んで食べるゴーヤチャンプル、実は宮崎県産?
経済統計から見える沖縄の食料自給率。
産業構造。
この地域の宿命。
私にとって、沖縄はワンダーランドです。
フラッと行きたいな。
独立は、あの返還時唯一可能なチャンスだったのかもしれません。
中国やアジアがこれほどまでに成長可能地域と発展することが分かっていたならば。
仲井眞知事が、今後の沖縄の振興策として国に訴えたのは、観光振興策とともにアジアの地域へのハブ化です。
沖縄は今後ハブ化へ向けてプロジェクトが目白押しになるのかもしれません。
韓国の仁川は、ハブ化に成功して多くの物資が集積する極東の一大拠点になりました。
沖縄の夢は結実するのでしょうか?
15世紀を中心とした「黄金の琉球」。
過去ではなく未来にその日が来ることをふと夢見ます。
書籍紹介にいつも目を通す。
今週は、ドキュメント「沖縄経済処分」と「カフカ式練習帳」。
カフカは、メモ魔だったらしい。
彼はとにかく、1日の中で心に浮かぶことを始終書き留めメモしたらしい。
この方法をある小説家が取り入れた本です。
で、何も考えずに今から書いてみます。
結論は書きながら考える。
沖縄について今朝の書評欄を読んで感じたこと。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
琉球処分と言う言葉が、基地問題などで声高に唱えられる。
差別と言う意識が、常に付きまとう歴史的な事実であると思います。
「沖縄経済処分」とは?
沖縄返還時に沖縄に流通していたドルを日本円に切り替える際、どのようなドラマがあったかを克明にルポルタージュしたノンフィクションだと感じました。
要は、沖縄が軍政下(アメリカ世)B円と呼ばれる軍票から海外の投資を呼び込むドルに変更された混乱を経て、日本復帰に際し直前の71年の金本位制の廃止(ニクソンショック)から円への移行とインフレの嵐、その裏でアメリカが日本政府に要求した沖縄において交換したアメリカドルの廃棄を求めたことから始まります。
廃棄ってことは、どういうこと?
沖縄県民が持っていたドルは、そのころ回収ベースで1億350万ドル、360円レートで36225000000(362億2千5百万円)という金額でした。
これを返還に伴い、日本政府は交換したアメリカドルとして手元に置きました。
復帰の一年前、ニクソンショックで基軸通貨(金と交換できる兌換紙幣)としての機能をドルは放棄しました。
いわゆる、変動相場制への移行です。
1ドル=350円の固定相場は、その年の暮れのワシントン・スミソニアン会議にて一挙に308円に切り下げられたのです。
復帰の際の交換比率が沖縄において大問題となります。
鹿児島県選出の国会議員山中貞則の力により71年10月8日、突如銀行が封鎖され固定相場360円にての交換が実施されました。
2か月後です、308円になったのは。
アメリカはこの交換したドルを、初めから無かったものとするよう求めたのです。
ようするに350億円のお金を、沖縄県民へ日本政府がプレゼントしたことにしろ!と言うことです。
この交渉は、27年後の99年まで、交換したドルを執行せずアメリカ連邦銀行に無利子で預ける約束をさせられたのです。
99年といえば、プラザ合意で円は対ドル175円、それが103円前後。
360億円近いレート換算は、実に3分の一の100億程度になったのではないでしょうか?
返還前、ドルは金1オンス35ドルの兌換紙幣(唯一どこでも金に換えられる)。
高木凛著「沖縄独立を夢みた女傑照屋敏子」において、照屋は最後まで日本復帰に異を唱えました。
沖縄が唯一、独立を勝ち取るとしたらそして、個人レベルでも手持ち資金の目減りを防げるとするならば「金」にかえておけばよかったのかもしれません。
それは、琉球政府の資産となり国としての運営資金となりうる額になったはずです。
アメリカは困ったはずです。
恐らく道は険しくとも、良き指導者に恵まれていれば「琉球」という独立国がそこにあったかもしれません。
軍事的な非武装の緩衝地帯として存在し得る可能性は否定できないからです。
それが、琉球伝統の2重朝貢と言われようとも。
なによりも、それはテンペストが描く琉球の悩みではあるのですけれど…。
日曜版の小さな書籍紹介分でしたが、「沖縄、誰にも書かれたくなかった戦後史」という本と「沖縄独立を夢みた女傑照屋敏子」と「通貨」の本を読み通して感じることは、時々のパワーバランスになすすべもなく知らないうちに巻き込まれてしまっていた沖縄と言う現実です。
昨年の、都道府県別の経済成長率で沖縄県が成長率プラスで第一位でした。
牽引は、基地問題と沖縄振興策資金の流入にも大きな要因があると思います。
そのお金に、利権がどのようにして絡み、どれほどの実際が県民へと沁み込んでいるのかは知りません。
ふとそんなことを、飲み会から帰って書いてます。
沖縄、ゴーヤの生産量が今年中に宮崎県に抜かれ2位になるかもしれません。
実際に、ゴーヤの輸入?県になっているとも・・・・。
国際通りで、観光客が喜んで食べるゴーヤチャンプル、実は宮崎県産?
経済統計から見える沖縄の食料自給率。
産業構造。
この地域の宿命。
私にとって、沖縄はワンダーランドです。
フラッと行きたいな。
独立は、あの返還時唯一可能なチャンスだったのかもしれません。
中国やアジアがこれほどまでに成長可能地域と発展することが分かっていたならば。
仲井眞知事が、今後の沖縄の振興策として国に訴えたのは、観光振興策とともにアジアの地域へのハブ化です。
沖縄は今後ハブ化へ向けてプロジェクトが目白押しになるのかもしれません。
韓国の仁川は、ハブ化に成功して多くの物資が集積する極東の一大拠点になりました。
沖縄の夢は結実するのでしょうか?
15世紀を中心とした「黄金の琉球」。
過去ではなく未来にその日が来ることをふと夢見ます。
Posted by yo1 at 22:52│Comments(0)
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