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2012年05月31日

キャサリンがかんがえてること。

アーティストの声明。

よく聞かれるんです。

「いったい,貴女のアイデアってどこからやってくるの?」

私感じてるんです。

アーティストとしての仕事の中で私の役割って、それははるか30年間の間の異国暮らしなどで私を取り巻いたさまざまな節目(the stages)の事や、私を取り巻いた女性たちの生活にもいま暮らしてる自然に囲まれた静かな生活にも充分に注意を払ってきたと言うことかしら。

私の作品の心象(imagery )は、そんな私の人生に注意深く刻まれたところからやってくるの、今まで注意を払ったものに意識を近づけ、何かそれらと「1つの和音(a chord )」を奏でようとすると、応答があり表現されるの。

私の以前の仕事は、どこかの誰かさんが面白いと手に取りたくなるものや、買いたくなる衝動が思い浮かぶように、それぞれのハンドバッグに女性の顔を描き美しくしつらえることに努めていたの。

時にはハンドバッグの裏面に聖書を組み込んだりしたわ、普通は旧約聖書とかヘブライ語の聖書で・・・・、持ってる人がパーティがだれたときなんかになんか意味深なもの持ってるなと感じさせることができるの。

最近はね、物の形・色彩の変化、そして森のどこにでもあるような自然の営みの繰り返し。例えばエンドウ豆のさや・つぼみ・苔・草花・木の葉・小枝や路傍の石ころなんかを注意深く観察するの。

それで私が「美いものみっけ」というのを踏まえて、どこかの誰かがやっぱり手に取ってみたいとか自分のものにしたいとか願うものを、美しい対象として造りだすように努力してる。

私の願いは、ちっぽけなえんどう豆や足元に踏みしだかれた名もない草花、人の営みの中で些細な、なんでもないことにも注意深く(それは物だけではなくひとさえも)心を向けるきっかけになってくれればと言うこと。

亦、しばしば尋ねられること。

「なんでハンドバッグ?」

「なんで、塑像や彫刻を造らないの?」

理由(わけ)は、塑像や彫刻は綿埃を被って置いとかれるだけですもん。

あなた方は、それらに触れるということを考えてないでしょ?

だけど、私のハンドバッグは機能が備わってるでしょ、あなたはそれらに触れる事、眺めて調べ確認することを思ってくれるでしょ?

それらは使えて、あなたと一緒に美しいものとしてあちこち御伴するって素敵で、あなたの人生が豊かになると思いません?

それが、私の造りだすものにやってほしいことでもあるんだけれど。

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訳文が、原文に忠実か?

そんなことわかりません。

私にはそう読めたんだということ。

コメント文で、同じ作者の作品?という疑問。

キャサリンと言う人の中では、繋がっているような気がします。

作品自身が、作者の本質的な部分を充分物語っているのは、言わずもがななんですけれど・・・・。

物を作る人は、頑張ればある程度までは行くと思うのですがそこからの道は、いつもいつも「ゆんで、めて」の二股道に分かれて行くんだと思います。

人生だってそうだと思うんです。

ブログタイトルの背景写真は、いつもそんな言葉を掛けてきてくれました。

だから、お気に入りだったのです。(携帯では見られなそうですね)

同じもの、同じ風景を見てるとしても、人はそれぞれの道を選びます。

そう、とりあえず前へ前へと。

道に迷うとしても…。

私はそんな時、せめて同じものを見て「暑いね」「寒いね」ぐらいは声を掛けられるものになりたいと思った。

私が迷った時、他の誰かが迷った時にも。

うわべだけでなくて…。

雉ブログは、そんな人を見つけられたブログだったんだと思っています。

































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Posted by yo1 at 23:56│Comments(0)語り
 
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