2013年02月04日
1枚の写真
注文品の塗り込みの時間がずれこんで…午後10時近くまで仕事場にいました。
普段この時間は、TVを観ません。
NHKスペシャルが面白かったです。
ロバートキャパと言う写真家の1枚の写真のミステリーを大好きな作家の沢木耕太郎さんが追いかけるという筋立て。
顛末は文芸春秋の1月号に、「キャパの十字架」という題名で発表されています。
若きユダヤ人で野心満々の恋人同士のカメラマン。
二人がそれぞれ撮った写真を、1人のカメラマンの作品として発表。

、「崩れ落ちる兵士」という題名です。
この写真1枚で、ロバートキャパと言う架空の写真家は実存として存在することとなりました。
しかも、狙撃された瞬間と言われたこの写真。
・・・・・・・演習中の兵士が、滑って転んだ瞬間だと謎解きされてしまった。
この写真が発表される直前、この1枚を撮影したと思われるゲルダ・タローという女性カメラマンは戦場でなくなります。

ゲルダ・タロー:本名はゲルタ・ポホイル。
タローとは、パリにいた岡本タロー氏からもらったとか・・・・・。
恋人だった男性カメラマン:フリードマン・エンドレ・エルネーは、そのとき実存する”二人目のロバートキャパ”になってしまったのです。
撮影された77年前、真実を知るのは”二人目のロバートキャパ”:フリードマン・エンドレ・エルネーその人独りだったのでは?
”キャパ”が背負った十字架は、いかほどの重さであったでしょうか?
番組中、逃げ惑う人々に背を向けて戦場へと向かう二人の恋人同士のカメラマンの背中を捉えた写真が映しだされました。
彼等の背中に”いつか有名になる”という勇んだ気持ちを感じたのは私だけでしょうか?
否定するつもりは全然ありません。
むしろ当たり前。
しかし、生き残ったフリードマン・エンドレ・エルネーが背負った”十字架”を考えたとき・・・・・。
それからの彼が、”何をどのように撮る”という撮影の目的をどこに置かざるを得なかったか?
とてつもなく重い宿題を、神様は彼に与えたのでしょうか?
そこには、救いや神などの宗教的な安らぎがあったのか?
”十字架”とは重いものだと。
”神は耐えられる試練しか与えない”という聖書か何かの一節があったような・・・・。
ほとんどの多くの人が、大なり小なり”十字架”を背負って生きていると思います。
”二人目のロバートキャパ”は、架空のロバートキャパを超える1枚をどうしてもものにしなければいけなかったのです。
チャンスは、ノルマンディーオマハビーチにありました。
連合軍のDデイです。
先頭の上陸部隊の波打ち際のくぎ付け状態を、ドイツ軍の機銃掃射に背を向けてカメラを向けたのです。

”架空のロバートキャパ”と”二人目のロバートキャパ”が合体した瞬間なのでしょう。
彼にとって、もはや最後に賭けるものは”命”しかない。
十字架の重さはそのことにより、いささかでも軽くなったのか?
1954年5月25日 インドシナの戦地で地雷により亡くなる。
天は、二人の若き日のカメラマンの”願い”をこのような形で完結させたのでしょうか?
1つの”ウソ”をつくと、その”ウソ”を守るためにもう1つの”うそ”をつかねばならないことが往々にしてありませんか?
でも・・・・、”うそ”から”まこと”が出ることだってあるのです。

キャパを敬愛した沢田教一さん(1970年10月28日 カンボジア、プノンペンで狙撃されて死亡)の「安全への逃避」と言う1枚。

フィン・コン・ウト (AP通信)、「戦争の恐怖」
キャパの残した1枚の写真が与えた影響は、彼が背負った”十字架”に見合うだけの何かを残したのかもしれません。
これだけ詳しく書いたということは、仕事になってたのか?
なんと奇跡的にうまくいってます。
夕食は10時過ぎでしたが、そのあと観たETV富田勲さんの宮沢賢治作品の作曲と初音ミクとの共演制作風景も見ごたえあり。
今日は、夕方から時間があいたので話題のアべノミクスの本質とは何か?について少し資料集めしていました。
このブログ書くの遅れてしまいました。
予告。
近く、アベノミクス書きたいと思います。
”3本の矢の先には?”
先日石破さんが、90円台阻止の煙幕を張った。
それが意味するところとは?
円が90円台後半に向かうならば、思い切って手持ちの資産の円を売ってドルに替えた方がいいかも?
円安が120円台になると大変なこと起きるかも。
普段この時間は、TVを観ません。
NHKスペシャルが面白かったです。
ロバートキャパと言う写真家の1枚の写真のミステリーを大好きな作家の沢木耕太郎さんが追いかけるという筋立て。
顛末は文芸春秋の1月号に、「キャパの十字架」という題名で発表されています。
若きユダヤ人で野心満々の恋人同士のカメラマン。
二人がそれぞれ撮った写真を、1人のカメラマンの作品として発表。

、「崩れ落ちる兵士」という題名です。
この写真1枚で、ロバートキャパと言う架空の写真家は実存として存在することとなりました。
しかも、狙撃された瞬間と言われたこの写真。
・・・・・・・演習中の兵士が、滑って転んだ瞬間だと謎解きされてしまった。
この写真が発表される直前、この1枚を撮影したと思われるゲルダ・タローという女性カメラマンは戦場でなくなります。

ゲルダ・タロー:本名はゲルタ・ポホイル。
タローとは、パリにいた岡本タロー氏からもらったとか・・・・・。
恋人だった男性カメラマン:フリードマン・エンドレ・エルネーは、そのとき実存する”二人目のロバートキャパ”になってしまったのです。
撮影された77年前、真実を知るのは”二人目のロバートキャパ”:フリードマン・エンドレ・エルネーその人独りだったのでは?
”キャパ”が背負った十字架は、いかほどの重さであったでしょうか?
番組中、逃げ惑う人々に背を向けて戦場へと向かう二人の恋人同士のカメラマンの背中を捉えた写真が映しだされました。
彼等の背中に”いつか有名になる”という勇んだ気持ちを感じたのは私だけでしょうか?
否定するつもりは全然ありません。
むしろ当たり前。
しかし、生き残ったフリードマン・エンドレ・エルネーが背負った”十字架”を考えたとき・・・・・。
それからの彼が、”何をどのように撮る”という撮影の目的をどこに置かざるを得なかったか?
とてつもなく重い宿題を、神様は彼に与えたのでしょうか?
そこには、救いや神などの宗教的な安らぎがあったのか?
”十字架”とは重いものだと。
”神は耐えられる試練しか与えない”という聖書か何かの一節があったような・・・・。
ほとんどの多くの人が、大なり小なり”十字架”を背負って生きていると思います。
”二人目のロバートキャパ”は、架空のロバートキャパを超える1枚をどうしてもものにしなければいけなかったのです。
チャンスは、ノルマンディーオマハビーチにありました。
連合軍のDデイです。
先頭の上陸部隊の波打ち際のくぎ付け状態を、ドイツ軍の機銃掃射に背を向けてカメラを向けたのです。

”架空のロバートキャパ”と”二人目のロバートキャパ”が合体した瞬間なのでしょう。
彼にとって、もはや最後に賭けるものは”命”しかない。
十字架の重さはそのことにより、いささかでも軽くなったのか?
1954年5月25日 インドシナの戦地で地雷により亡くなる。
天は、二人の若き日のカメラマンの”願い”をこのような形で完結させたのでしょうか?
1つの”ウソ”をつくと、その”ウソ”を守るためにもう1つの”うそ”をつかねばならないことが往々にしてありませんか?
でも・・・・、”うそ”から”まこと”が出ることだってあるのです。

キャパを敬愛した沢田教一さん(1970年10月28日 カンボジア、プノンペンで狙撃されて死亡)の「安全への逃避」と言う1枚。

フィン・コン・ウト (AP通信)、「戦争の恐怖」
キャパの残した1枚の写真が与えた影響は、彼が背負った”十字架”に見合うだけの何かを残したのかもしれません。
これだけ詳しく書いたということは、仕事になってたのか?
なんと奇跡的にうまくいってます。
夕食は10時過ぎでしたが、そのあと観たETV富田勲さんの宮沢賢治作品の作曲と初音ミクとの共演制作風景も見ごたえあり。
今日は、夕方から時間があいたので話題のアべノミクスの本質とは何か?について少し資料集めしていました。
このブログ書くの遅れてしまいました。
予告。
近く、アベノミクス書きたいと思います。
”3本の矢の先には?”
先日石破さんが、90円台阻止の煙幕を張った。
それが意味するところとは?
円が90円台後半に向かうならば、思い切って手持ちの資産の円を売ってドルに替えた方がいいかも?
円安が120円台になると大変なこと起きるかも。
Posted by yo1 at 23:56│Comments(0)
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