2013年02月05日
3本の矢のゆくえ、その1
3本の矢の話とは?
毛利元就が3人の子供に。「1本の矢では簡単に折れるが、3本纏めると容易に折れないので、3人共々結束すること」を説いた逸話から有名な言葉で、チンギスハンの母が幼少期のテムジンとその兄弟が諍いしていた際に教え説いた教訓として、アジアでは早くから有名であり、イソップ寓話にも「3本の棒」という類似の話があるそうです。(ウィキペディアより)
でっ今、なにがなんでも、なにがしたいの?
アベノミクスとは?
2012年12月に誕生した安倍晋三内閣の経済政策。
エコノミクスとかけ合わせた造語で、レーガノミクス(1980年代・米レーガン政権の自由主義経済政策)にちなむ。
「財政出動」「金融緩和」「成長戦略」という「3本の矢」で、長期のデフレを脱却し、名目経済成長率3%を目指す。(知恵蔵より)
表面上の目的は、デフレーションからの脱却です。
デフレーションとは:ひとことで言うと、物価の持続的下落。言い換えれば通貨価値の持続的上昇。
わからない?
物を買う時、お金が強いかものが強いか?
モノの値段が上がらないときは、お金が強いということです。
”不況”というのは、経済がインフレかデフレという健康体でない状態の時に起きます。
で、いまは”デフレ”なんです。
そもそもと言うお話しをしなければいけません。
1985年NYのプラザホテルで当時の先進5か国の経済関係の首脳があつまり、ある相談をしたのです。
プラザ合意とは、1985年のG5(アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、日本の財務大臣と中央銀行総裁が集まる会議)で、「アメリカドルの低下を容認する」ことを合意したことをいいます。
アメリカの貿易赤字拡大が問題となっていたため、アメリカドルの価値を下げ、アメリカ製品の価格を下げることが目的だった。
アメリカが作る品物が高くて売れないくせに、アメリカ国民が使う品物は海外(日本など)から安くジャンジャン入ったため、家計が大赤字になってしまってた。
”売れないのは、ドルの価値が高いせいだからこの際、他の国との通貨の交換比率を下げて、アメリカの品物を買いやすくしましょうね”
そして世界はドル安になり、”円高不況”という不況が日本を襲いました。
プラザ合意後、G5各国は強調してアメリカドルが安くなるように為替市場を誘導した結果、目論見通りドルは下落していきました。
ドルの価値が低下したためアメリカ製品の値段が安くなり、アメリカ製品の輸出は増えていきました。
アメリカドルが安くなるということは、アメリカ人から見ると他の国の通貨は高くなる、ということです。
つまり、アメリカ人から見た日本製品の値段は値上がりすることになります。
そのため、アメリカ人は高い日本製品よりも、安い製品を買うようになりました。
そして、日本の輸出は減っていきました。
日本の輸出企業の業績が落ち、従業員のボーナスや給料が減らされると、従業員は支出を切り詰めるようになります。
また、輸出企業に部品などを販売している関連会社の業績も落ちてしまいました。
こうして、日本は不況になってしまいました。
この当時の不況を、円高が原因の不況であることから「円高不況」とよびます。
長々と昔のことを書いたのは、その後に起こった”バブル景気”と”失われた20年”という現在のデフレ不況の原因と”3本の矢政策”の是非を検討するためです。
朝起きて、仕事もしないでパソコンに向かう時間の限界まで記事書いています。
昨夜も、資料やエコノミストの解説を読み返していましたが、今日はこれまで。
毛利元就が3人の子供に。「1本の矢では簡単に折れるが、3本纏めると容易に折れないので、3人共々結束すること」を説いた逸話から有名な言葉で、チンギスハンの母が幼少期のテムジンとその兄弟が諍いしていた際に教え説いた教訓として、アジアでは早くから有名であり、イソップ寓話にも「3本の棒」という類似の話があるそうです。(ウィキペディアより)
でっ今、なにがなんでも、なにがしたいの?
アベノミクスとは?
2012年12月に誕生した安倍晋三内閣の経済政策。
エコノミクスとかけ合わせた造語で、レーガノミクス(1980年代・米レーガン政権の自由主義経済政策)にちなむ。
「財政出動」「金融緩和」「成長戦略」という「3本の矢」で、長期のデフレを脱却し、名目経済成長率3%を目指す。(知恵蔵より)
表面上の目的は、デフレーションからの脱却です。
デフレーションとは:ひとことで言うと、物価の持続的下落。言い換えれば通貨価値の持続的上昇。
わからない?
物を買う時、お金が強いかものが強いか?
モノの値段が上がらないときは、お金が強いということです。
”不況”というのは、経済がインフレかデフレという健康体でない状態の時に起きます。
で、いまは”デフレ”なんです。
そもそもと言うお話しをしなければいけません。
1985年NYのプラザホテルで当時の先進5か国の経済関係の首脳があつまり、ある相談をしたのです。
プラザ合意とは、1985年のG5(アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、日本の財務大臣と中央銀行総裁が集まる会議)で、「アメリカドルの低下を容認する」ことを合意したことをいいます。
アメリカの貿易赤字拡大が問題となっていたため、アメリカドルの価値を下げ、アメリカ製品の価格を下げることが目的だった。
アメリカが作る品物が高くて売れないくせに、アメリカ国民が使う品物は海外(日本など)から安くジャンジャン入ったため、家計が大赤字になってしまってた。
”売れないのは、ドルの価値が高いせいだからこの際、他の国との通貨の交換比率を下げて、アメリカの品物を買いやすくしましょうね”
そして世界はドル安になり、”円高不況”という不況が日本を襲いました。
プラザ合意後、G5各国は強調してアメリカドルが安くなるように為替市場を誘導した結果、目論見通りドルは下落していきました。
ドルの価値が低下したためアメリカ製品の値段が安くなり、アメリカ製品の輸出は増えていきました。
アメリカドルが安くなるということは、アメリカ人から見ると他の国の通貨は高くなる、ということです。
つまり、アメリカ人から見た日本製品の値段は値上がりすることになります。
そのため、アメリカ人は高い日本製品よりも、安い製品を買うようになりました。
そして、日本の輸出は減っていきました。
日本の輸出企業の業績が落ち、従業員のボーナスや給料が減らされると、従業員は支出を切り詰めるようになります。
また、輸出企業に部品などを販売している関連会社の業績も落ちてしまいました。
こうして、日本は不況になってしまいました。
この当時の不況を、円高が原因の不況であることから「円高不況」とよびます。
長々と昔のことを書いたのは、その後に起こった”バブル景気”と”失われた20年”という現在のデフレ不況の原因と”3本の矢政策”の是非を検討するためです。
朝起きて、仕事もしないでパソコンに向かう時間の限界まで記事書いています。
昨夜も、資料やエコノミストの解説を読み返していましたが、今日はこれまで。
Posted by yo1 at 09:27│Comments(0)
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