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2013年02月06日

3本の矢の行方、その2



日本が”円高不況”に陥った時、ある意味日本経済の抜本的構造改革を急いだほうがよかったのかもしれません。

なぜなら、今にして思うと国としての体力が現在よりまだあったからです。

現在と当時の大きな違いの1つが、生産される物の国内依存度が現在より大きかったからです。

簡単に言うと、製品は日本国内でほとんど作っていたので原材料の支払い以外の売り上げは日本国内にお金が廻っていたのです。

”円高不況”に対して日本銀行がとった政策は、不況に対応するために、1986年に公定歩合を5%から引き下げていき、1987年には公定歩合を2.5%にしました。

「公定歩合」とは、日本銀行が民間の銀行にお金を貸すときの金利のことです。

するとどういうことになるか?

民間銀行が低い金利でお金を借りることができるようになると・・・・。

低い金利で企業に貸しても、十分儲けることができます。

銀行は企業への融資を増やしました。

企業も低い金利でお金を借りられるんですからウハウハです。

やがて、お金を借りた企業は、商売のための設備投資などのお金を使いましたが、どんどん低い金利でお金を借りることができるため、商売の設備投資だけでは、お金を使い切ることができなくなってきました。

”円高不況”の後に表れたこの現象を「カネ余り」といいます。

余ったお金の行き先は?

そう!土地や株など本業を忘れた投機的なビジネスへとつぎ込まれていったのです。

あくせく働くより手っ取り早い方法で稼げるのですから、人は楽な方へと流れていきます。

日本銀行による公定歩合の切り下げは、本来「円高不況」を脱却することが目的でした。

しかし、公定歩合切り下げによって金利が低下した世の中は、不況を通り越して好況となり使い道のないお金が有り余るほどになってしまいました。

そうすると、使い道の見つからないお金を持つ企業は土地や株を買いあさりました。

土地の地価や株価はどんどん上昇していきました。

「土地の値段はこれからも上がり続ける」という「土地神話」が根拠もなく信じられるようになりました。

これがかの有名な”バブル”の到来です。

バブル(泡)ですから、はじける日が来る。

どのようにしてはじけたか?

土地の価格があまりにも急激に上昇していくので、日本銀行や政府はびびりました。

でっ、”借金して土地を買うような動きをこのまま放置することはできない”と考えました。

日本銀行は、公定歩合を2.5%から6.0%までかち上げていきました。

冒頭の逆の政策ですよね。

アベノミクスの話は、このお金の動き(金融)が理解できないと漠然としたわからない話になると思います。

結果、民間銀行は今まで貸していた安い金利のお金を、高い貸出金利へと変更しないとやっていけなくなったのです。

こうした日本銀行の動きに合わせて、政府も不動産バブルを抑えるための対策を取りました。

銀行に対し土地を買うために使われる融資を制限する法律の制定。

「不動産融資総量規制」という法律です。

公定歩合の引き上げと不動産融資総量規制によって、加熱した動きに急ブレーキがかかりました。

いや、急ブレーキが効きすぎたともいえます。

1980年代に上昇を続けた土地や株は、1991年に急落を始めました。

これが「バブル崩壊」の始まりでした。

そもそも、借りたお金が原資、つまり元手のお金でした。

借しだされるお金の金額は、土地と言う担保物件の評価により算定されています。

バブル崩壊により担保となった土地の評価額が下落しました。

お金を借りていた人は、土地を売った代金での返済ができなくなりました。

不良債権と言う名の大変な額の評価損が民間銀行に発生してこの時期、銀行や証券会社が何社も倒産していきました。

銀行なども、たくさんの土地を持っていたわけですから大変なことになったのです。

「貸し渋り」とは、企業が銀行からお金を借りたいと思っても、銀行がお金を貸すのを渋ることをいいます。

「貸し剥がし」とは、銀行がお金を貸している企業に対して、「お金を返してくれ」と迫りお金を取り返すことをいいます。

なぜ、民間銀行は貸し渋りや貸し剥がしをしたのでしょうか?

自己資本比率と言う言葉を、どこかで聞いたことがありませんか?

国際的な取引をしている銀行には、あるルールがあります。

それは、銀行全体の持っているお金の中の顧客の預金以外に銀行自体のお金をいつも一定の割合で持たなくては商売できないよと言うルールです。

これを、銀行の自己資本比率といいます。

損失を抱えた銀行は、「貸し渋り」や「貸し剥がし」を始め自己資本比率を高める方向に行きました。

銀行は、バブル崩壊によって損失を抱えたために企業へお金を貸すことに消極的になってしまいました。

これまで銀行から借りたお金で商売をしていた企業が、突然銀行からお金を引き揚げられたら、商売ができなくなります。

そのため、企業は事業の規模を縮小せざるを得なくなりました。

事業の縮小に応じて、従業員を減らす会社も多く現れました。

このころ、「リストラ」という言葉が生まれました。

また、中には銀行からお金を借りることができなくなったために資金繰りがつかなくなり、倒産する会社もでてきました。

「給料が減るかもしれない」。

「リストラされるかもしれない」。

「自分の勤める会社がつぶれてしまうかもしれない」。

将来に対する不安が世の中に蔓延しました。

そして、人々は物を簡単に買うこと控え安心してお金を使わなくなってしまいました。

そのために企業の売上が落ちてしまい、さらに景気が悪化するという悪循環に陥ってしまったのです。

現在に続く、デフレの始まりでした。

失われた20年と言う言葉が生まれたのです。

この間、好景気と呼ばれた時代もありましたが、サブプライムローンと呼ばれるアメリカの不動産バブルによる好景気に引っ張られた偽りの景気だったことは、リーマンショックの結末で記憶に新しいことと思います。

この間さえも、賃金の上昇の実感もなく多くの人々は好景気を感じられなかったと思います。

プラザ合意以降の不動産バブルに始まるインフレとデフレの波のうねりの中で、日本の産業構造が大きくかわったのです。

中国と韓国の台頭です。

アベノミクスが目指すところは何か?

放たれた3本の矢の行方は?

リフレ派と呼ばれる人たちの台頭がそこにはあります。

う~~~ん、最後まで書かなくてはと思いがんばりましょうね。

結構、大層なことを書き始めたなと後悔しています。

しかし、この事実を踏まえ矢の行方がどうなろうと”リスクヘッジ”を用意しなければと考えている根拠を何とか自分で見つけたくて頑張って書いているわけで・・・・・。

シニアのパソコン教室で2時間、帰ってから自室で2時間キィボード叩いたらちょっと疲れたな。

0時過ぎました。

寝ます。









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Posted by yo1 at 00:13│Comments(0)語り
 
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