2012年12月28日
忍び寄る未来への選択。
真面目な文章書きます。
面白くないかもしれません。
毎日が只でさえ面白くないのだから、せめてブログだけでも笑って楽しみたいという方には不向きな記事だと思います。
笑って許してくださいね。
福島県の事故を起こした第一原発に隣接した町の1つが双葉町です。
この町の役場機能は、唯一県外に移転しています。(埼玉県)
この町の町長さんの名は、井戸川さんと言います。
衆議院選挙が終わった時期と前後して、彼への不信任案が町会議員全員の賛成多数で可決されました。
この事により、彼は議会を解散するか、辞職するかの選択肢を迫られることになりました。
詳細は、「正しいことしてるから叩かれる」
フクシマの問題の本質とは何か?
いくつもあるのですが、その1つは危機に際し「正しい情報の公開」と言う一語につきます。
為政者とよばれる方々について:
動乱や混乱を恐れて、規律ある統治と言う観点から問題処理をしてきたのではないか?という疑問をずっと感じています。
被災当事者の方々について:
放射能被災当事者の方々の「何もなかった」「もう大丈夫」とおもいたい気持ちはわlからないでもないのですが・・・・。
(実際に、発災後訪れた福島県喜多方町で働いている郡山在住の女性は、風評被害に困っていて自宅の家庭菜園の野菜を食べても元気ですよと明るく述べていました。)
両者の思惑が、一致しているのではないでしょうか?
井戸川町のホームページに記載された、”町長のみなさまへ”と言う文章があります。(新しい町長が選出されれば更新されるかもしれません)
要約させていただくと・・・・・。
「町民の皆様へ」
町民の皆さん、損をしないでください。財産には目に見えるものと見えないものが有りますので、区別しなければなりません。
目に見えるものは形や重みのあるもの価値が直ぐに判断できるものです。
見えないものは未来です。
一番心配なのは健康で、被ばくによる障がいであります。ウクライナでは障がいに要する費用が国家の財政を破綻させるような事態になっています。今のウクライナが25年後の日本であってはならないのです。
以上転載。
”チェルノブイリ25年後の健康被害 低線量汚染地域からの報告”というNHK出版の本があります。
26年前に起きたチェルノブイリ原発事故が、唯一フクシマの未来をより正確に測る物差しとして考えるならば町長が語る”みえない未来”とはまさにこの記録が暗示する世界を髣髴とさせると思います。
チェルノブイリは、住民の健康問題について事故後より今なお病気が増えつづけるという収束と反対方向へのベクトルを示しているそうです。
都合の悪い情報も隠ぺいしにくいインターネット社会が普及しています。
ただし、情報を受け取る側は真偽も含め自己責任を自覚しなければなりません。
”質”を問われるのです。
民主主義とは数の多寡ではあってはならないのですが、民意は見えない未来より見える価値を選んだと思わざるを得ません。
国民に線量計を持たせるなと放言した、伸晃君が原子力担当になりました。自民党政務調査会長”あまり”と言えば甘利さんは原発推進の本命。
一連の町議会の動きには、横並び・のりおくれるな・長いものにまかれるという村の論理と掟?
さいごに・・・・・。
室井祐月が片山さつきに「弱者のことは頭にないんだな」と憤る〈週刊朝日〉
自民党の憲法改正の骨子を、注意深く読んだ室井氏が指摘している憲法条文の言葉のさりげない置き換えについて。
以下抜粋
よくよく草案を読んでみると、憲法の第12条と、第13条と、第29条は、もともと使われていた「公共の福祉」という言葉が、「公益及び公の秩序」に変わっているのだった。ちなみに、第12条は人権保障についてで、第13条は人間の尊重について、第29条は財産権について。
「公共の福祉」と「公益及び公の秩序」では、どう違うのか? あたしの解釈だけど、「公共の福祉」とは、集団で生きている中の道徳みたいなことじゃない? でも、「公益」とは国の利益のことだし、「秩序」とは道徳より厳しい、罰則もあり得る決まりのような気がする。
自民党は国の権限を大きくし、そこに生きる人々のことは軽少にしていきたいってことなのね。そうそう、憲法第18条の、「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない」も削除したみたいだし。
片山さつき参院議員のツイッターに、「国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論をとるのは止めよう、というのが私たちの基本的考え方です。国があなたに何をしてくれるか、ではなくて国を維持するには自分に何ができるか、を皆が考えるような前文にしました!」と書かれていた。国のためになる人間じゃないと、生きていく価値ないってか? この人、弱者のことはまるで頭にないんだな。国ってそういうもんじゃないと思う。
以上。
さつきくんは、ケネディの演説の解釈を変成して理屈をこねていると私は、思う。
大いなる論理のすり替え。
シロアリ人種が目指すのは、見えざる手の永久統治。
見事に乗った国民がそこにいるわけで、どんな”日本をとりもどすのでしょうかねぇ?”
天に唾を吐けば、自分の顔に掛るわな。
自業自得・自己責任だとも思います。
面白くないかもしれません。
毎日が只でさえ面白くないのだから、せめてブログだけでも笑って楽しみたいという方には不向きな記事だと思います。
笑って許してくださいね。
福島県の事故を起こした第一原発に隣接した町の1つが双葉町です。
この町の役場機能は、唯一県外に移転しています。(埼玉県)
この町の町長さんの名は、井戸川さんと言います。
衆議院選挙が終わった時期と前後して、彼への不信任案が町会議員全員の賛成多数で可決されました。
この事により、彼は議会を解散するか、辞職するかの選択肢を迫られることになりました。
詳細は、「正しいことしてるから叩かれる」
フクシマの問題の本質とは何か?
いくつもあるのですが、その1つは危機に際し「正しい情報の公開」と言う一語につきます。
為政者とよばれる方々について:
動乱や混乱を恐れて、規律ある統治と言う観点から問題処理をしてきたのではないか?という疑問をずっと感じています。
被災当事者の方々について:
放射能被災当事者の方々の「何もなかった」「もう大丈夫」とおもいたい気持ちはわlからないでもないのですが・・・・。
(実際に、発災後訪れた福島県喜多方町で働いている郡山在住の女性は、風評被害に困っていて自宅の家庭菜園の野菜を食べても元気ですよと明るく述べていました。)
両者の思惑が、一致しているのではないでしょうか?
井戸川町のホームページに記載された、”町長のみなさまへ”と言う文章があります。(新しい町長が選出されれば更新されるかもしれません)
要約させていただくと・・・・・。
「町民の皆様へ」
町民の皆さん、損をしないでください。財産には目に見えるものと見えないものが有りますので、区別しなければなりません。
目に見えるものは形や重みのあるもの価値が直ぐに判断できるものです。
見えないものは未来です。
一番心配なのは健康で、被ばくによる障がいであります。ウクライナでは障がいに要する費用が国家の財政を破綻させるような事態になっています。今のウクライナが25年後の日本であってはならないのです。
以上転載。
”チェルノブイリ25年後の健康被害 低線量汚染地域からの報告”というNHK出版の本があります。
26年前に起きたチェルノブイリ原発事故が、唯一フクシマの未来をより正確に測る物差しとして考えるならば町長が語る”みえない未来”とはまさにこの記録が暗示する世界を髣髴とさせると思います。
チェルノブイリは、住民の健康問題について事故後より今なお病気が増えつづけるという収束と反対方向へのベクトルを示しているそうです。
都合の悪い情報も隠ぺいしにくいインターネット社会が普及しています。
ただし、情報を受け取る側は真偽も含め自己責任を自覚しなければなりません。
”質”を問われるのです。
民主主義とは数の多寡ではあってはならないのですが、民意は見えない未来より見える価値を選んだと思わざるを得ません。
国民に線量計を持たせるなと放言した、伸晃君が原子力担当になりました。自民党政務調査会長”あまり”と言えば甘利さんは原発推進の本命。
一連の町議会の動きには、横並び・のりおくれるな・長いものにまかれるという村の論理と掟?
さいごに・・・・・。
室井祐月が片山さつきに「弱者のことは頭にないんだな」と憤る〈週刊朝日〉
自民党の憲法改正の骨子を、注意深く読んだ室井氏が指摘している憲法条文の言葉のさりげない置き換えについて。
以下抜粋
よくよく草案を読んでみると、憲法の第12条と、第13条と、第29条は、もともと使われていた「公共の福祉」という言葉が、「公益及び公の秩序」に変わっているのだった。ちなみに、第12条は人権保障についてで、第13条は人間の尊重について、第29条は財産権について。
「公共の福祉」と「公益及び公の秩序」では、どう違うのか? あたしの解釈だけど、「公共の福祉」とは、集団で生きている中の道徳みたいなことじゃない? でも、「公益」とは国の利益のことだし、「秩序」とは道徳より厳しい、罰則もあり得る決まりのような気がする。
自民党は国の権限を大きくし、そこに生きる人々のことは軽少にしていきたいってことなのね。そうそう、憲法第18条の、「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない」も削除したみたいだし。
片山さつき参院議員のツイッターに、「国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論をとるのは止めよう、というのが私たちの基本的考え方です。国があなたに何をしてくれるか、ではなくて国を維持するには自分に何ができるか、を皆が考えるような前文にしました!」と書かれていた。国のためになる人間じゃないと、生きていく価値ないってか? この人、弱者のことはまるで頭にないんだな。国ってそういうもんじゃないと思う。
以上。
さつきくんは、ケネディの演説の解釈を変成して理屈をこねていると私は、思う。
大いなる論理のすり替え。
シロアリ人種が目指すのは、見えざる手の永久統治。
見事に乗った国民がそこにいるわけで、どんな”日本をとりもどすのでしょうかねぇ?”
天に唾を吐けば、自分の顔に掛るわな。
自業自得・自己責任だとも思います。
Posted by yo1 at 09:22│Comments(0)
│フクシマノート