2013年03月11日
記憶とタブー
重い文章です。
読むことをあえてお勧めはしません。
その上で、よみ進めてください。
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その激しい憤(いきどお)りと諦念。
1年前に、私に寄せてくれたメールの文章は今読んでも悲憤に満ちている。
文中の表現に適切性に欠ける部分もあるかもしれない。
以前、私が述べた”村の論理”と”記憶の合理化”と言う言葉は、フクシマを体験した友人の言葉から派生している。
了解を得てはいたが、あの当時全文公開を躊躇した。
伝えきれない事実ってある。
これは、観念論ではなく唯物論ではなかろうか?
すっごく重く難しいテーマが、其処に横たわる。
地元フクシマで生涯を終えたい両親と、一人息子の健康を心配する母親。
両方の願いの折衷案は、彼が東京・福島という2つの家を行き来する生活だった。
その生活が、1年を過ぎようとしている。
母は、老いて認知症を発症した。
父は、癌の術後である。
避難地域でないので、自費生活だ。
終息の見通しは立たない。
行くも帰るも、安寧の道は遠い。
ただ、嘆息するのみの自分も惨めだ。
以下、友人からの1年前のメールです。
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震災から一か月がたとうとした頃、あるおばあさんに「福島の人には悪いけれど、震災、震災と、もういいわ。ほんと他のテレビ見たいわ。」と面と向かって言われ、内容というよりその口調の激しさに驚いたことがあった。
正直なところだと思う。
悲劇情報のみを一方的に、そして一か月にわたり朝晩問わず受とめ続けられる程、人間の精神は強くない。
ネット社会になっての未曾有の震災のため、その内容の細かさと激しさは明らかに個人の精神の許容範囲を超えていた。
また言葉や地理や歴史物語などによって、同一感、同族感が強いといわれる日本国民。
その日本国民の悲劇に対し、ただ傍観するしかない「同じ日本国民のはずの自分」に多くの人は矛盾を感じ、引き裂かれる思いだったと思う。
この国の同族意識の強さは、より人々の無力感と心の傷を深めたと思う。
結果的に、さっきのおばあさんのように、やり場のないストレスを抱えざるを得ない。
また同じ日本国民として、被災者より相対的に幸福に見える自分の精神的負債を返すために、ボランティアを行う人々もいたと思う。
ただ多くの人は、「東北はかわいそうだ」と思い涙しながらも、知り合いもいないし、あまり行ったこともないし、募金はかなりしたけれど、いろいろな距離感を感じ、負い目を感じつつ時が経ってゆく、というところではないだろうか。
被災地に友人知り合いがいない場合、心のきっかけがつかめず、残念ながらリアリティが持てない。
まるで海外の事故のように。恥ずかしながら私も阪神淡路の震災ではそうだった。
一年が経ち、東京の本屋の震災コーナーは消え、マスコミの震災の扱いは予想どおり少なくなった。
そして被災地でのむき出しの悲劇のニュースは、より控えめになったような気がする。一段と美談が増えた。
マスコミは人びとの気持ちを間接的に代弁しているのだと思う。
単純に心の傷が大きかった分、早く強く癒されたい。
つまり出来事が大きかった分、社会の本能として「忘れたい」と思う力も強いのではないのだろうか。
結果的につらい記憶を忘れることは、人の精神のバランスには必要なことだと思う。
積み重なる子供時代からの失敗事をすべてありありと思い起こす人間は精神的に破綻すると思う。
それとともに重要なことは、人は現在の自分に都合よい物語にするため、記憶というものを無意識に少しずつアレンジし続けている、という話を聞いた。
「記憶の合理化」というそうだ。
ある時私は、ズーズー弁で必死に窮状をカメラに向かい訴える被災者に向かって「訛るな!」と叫んでしまったことがあった。
一般に海側に住む人々は訛がきつい。
東北弁と交じり合い、やはり字幕をつけられてしまった。
私でさえ違和感をおぼえるその訛り、大都市や西日本から聞けばなおさらだ。
その違和感はズーズー弁に対する根拠のない「愚かで貧しい」のイメージを残酷にも際立たせ、「私達とはやや異なる人々だ」と思わせてしまうだろう。
それが無意識の「記憶の合理化」のなかでいっそうの距離感を作ってしまう。
そこに放射能が加われば、「愚かで貧しく」に「恐ろしい」イメージが加わり「忘れたい」をいつのまにか加速させることになるかもしれない。
そして健康被害の映像が全国に流れた瞬間、距離感などという生易しいものではないだろう。
特に同族意識が強いこの国はよく一つの「村」に例えられる。
「村」のタブーは歴史が示すように暗くて重いものだ。
自分たち権力者・多数派の利にならないとされた者は、善悪関係なく異なるものレッテルが張られる。
異なるものとレッテルを一度貼られると、強い同一性が前提となっている分、激しい拒絶反応、しいては差別が起こる。
排除が適当と判断されれば排除され、排除がかなわぬ場合はタブー化され隠語で呼ばれる。
「村」の排除の論理は恐ろしい。
これは「いじめ」だけではなく日本の会社等組織全般で日々行われている事とも言えるが…。
また美談復興話も社会的な「記憶の合理化」の一つの方法だと思う。
原発事故以来ようやく再開された小学校で、低学年生に向かい取材者が「友達に会えてうれしいですか」と質問する。
それは嬉しかろう。
子供の満面の笑顔でニュースが終わる。
見る側は被災地が平常に戻ったと、過去のトラウマは癒され、少し震災が遠いものになったと思う。
しかし、ニュースでは触れられないが、事故後閉鎖されていた学校のほとんどが、文科省の放射能汚染地図で見ても、今でも間違いなく放射線管理区域だ。
放射線管理区域とは本来そこにあるものは持ち出してはいけない、飲食禁止、睡眠禁止の場所だ。
この現実を指摘する人は「記憶の合理化」に反する者、社会の和を乱す者として一部の人から忌むような視線を浴び、本人の希望だと思うが、テレビでは危険を指摘する一般人や、避難した人の目にぼかしがいれられる場合が増えた。
また別な形の合理化もある。
多くの理由で地元に残る苦しい決断をした福島の人々は、健康被害が起こらぬよう祈るような気持ちで日々生活している。
その「リスクある土地で、生活を行わなければいけない」という矛盾を解決するためには、リスクについて「大丈夫であってほしい」から「大丈夫に違いない」に変化してしまう場合が多い。
「わが子は大丈夫だ」そう思わなければ、それこそ日々の精神が持たない。
危険情報に耳をふさぐ。
悲しい合理化だ。
空襲の中でも、すがるように日本の勝利を信じていた人のように。
地元の番組では「がんばる福島」「放射能に負けねーぞ!」「愛 福島」というある意味抽象的な言葉が空疎に踊る。
それは、いまだ信じられない、あまりにむごい現実に直面し続けなければならない人々は、抽象的な言葉にすがり付くしか道は残されていないのだろうか。
その祈るような気持ちの福島の人々と、無意識に精神的トラウマを早く癒したい日本社会と人々。その人びとの気持ちを意識的に利用し、事故を小さく、そして過去のものに見せ、金を節約しようとする東電イコール国。それらが意識無意識かかわらず、大手マスコミの論調をリードし、現実の被災地を美談復興でより押し包んでいくだろう。
その復興美談物語にあらがうものは異なるもののレッテルを貼られ抑圧される。
それが「日本村」の多数派の論理だろうか。
3年後5年後と震災を過去の出来事とモニュメント化し、精神的負債だけではなく具体的責任まで風物詩として時に流す。
流しきれないものはタブー化する。
意識的な権力者は論外だが、やはり最も恐ろしいことは「悪意がない、無意識」の流行・マスコミに依存的な多数派が、この国の無責任の体系を支えてきた事だ。
阪神淡路大震災の10年後、まだ仮設住宅があることを知った時、現実を残酷に時に流す社会と、多数派の共犯者であった自分を深く自覚した。
「日本村」の権力者、多数派が異物のレッテルを貼った者に対し過去に行ったことを思うと心が重い。
足尾銅山。関東大震災。第二次世界大戦での数々の愚行。
在日の人々への対応。原爆被災・水俣病・ライ病の人々への扱い。
沖縄の基地。これらは国の裂け目だと思う。
今回はその裂け目に美談を詰め込み、国の虚構性を隠すのだろうか。
連呼された「絆」も虚構性を持つ国というものが、自らの裂け目に向かって叫んだ恐怖の声かもしれない。
丸山真男などの学者の文を出すまでもなく、戦後、小説家の田中小実昌や詩人の金子光晴が繰り返し述べたように「この国の人々は実は何も変わっていないし、これからも変わらないのではないか」という事が今、被災地で深く悲しく証明されつつある。
「我慢強い」と決められた東北人の被災者の自殺者数が、静かにカウントされることによって。
読むことをあえてお勧めはしません。
その上で、よみ進めてください。
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その激しい憤(いきどお)りと諦念。
1年前に、私に寄せてくれたメールの文章は今読んでも悲憤に満ちている。
文中の表現に適切性に欠ける部分もあるかもしれない。
以前、私が述べた”村の論理”と”記憶の合理化”と言う言葉は、フクシマを体験した友人の言葉から派生している。
了解を得てはいたが、あの当時全文公開を躊躇した。
伝えきれない事実ってある。
これは、観念論ではなく唯物論ではなかろうか?
すっごく重く難しいテーマが、其処に横たわる。
地元フクシマで生涯を終えたい両親と、一人息子の健康を心配する母親。
両方の願いの折衷案は、彼が東京・福島という2つの家を行き来する生活だった。
その生活が、1年を過ぎようとしている。
母は、老いて認知症を発症した。
父は、癌の術後である。
避難地域でないので、自費生活だ。
終息の見通しは立たない。
行くも帰るも、安寧の道は遠い。
ただ、嘆息するのみの自分も惨めだ。
以下、友人からの1年前のメールです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
震災から一か月がたとうとした頃、あるおばあさんに「福島の人には悪いけれど、震災、震災と、もういいわ。ほんと他のテレビ見たいわ。」と面と向かって言われ、内容というよりその口調の激しさに驚いたことがあった。
正直なところだと思う。
悲劇情報のみを一方的に、そして一か月にわたり朝晩問わず受とめ続けられる程、人間の精神は強くない。
ネット社会になっての未曾有の震災のため、その内容の細かさと激しさは明らかに個人の精神の許容範囲を超えていた。
また言葉や地理や歴史物語などによって、同一感、同族感が強いといわれる日本国民。
その日本国民の悲劇に対し、ただ傍観するしかない「同じ日本国民のはずの自分」に多くの人は矛盾を感じ、引き裂かれる思いだったと思う。
この国の同族意識の強さは、より人々の無力感と心の傷を深めたと思う。
結果的に、さっきのおばあさんのように、やり場のないストレスを抱えざるを得ない。
また同じ日本国民として、被災者より相対的に幸福に見える自分の精神的負債を返すために、ボランティアを行う人々もいたと思う。
ただ多くの人は、「東北はかわいそうだ」と思い涙しながらも、知り合いもいないし、あまり行ったこともないし、募金はかなりしたけれど、いろいろな距離感を感じ、負い目を感じつつ時が経ってゆく、というところではないだろうか。
被災地に友人知り合いがいない場合、心のきっかけがつかめず、残念ながらリアリティが持てない。
まるで海外の事故のように。恥ずかしながら私も阪神淡路の震災ではそうだった。
一年が経ち、東京の本屋の震災コーナーは消え、マスコミの震災の扱いは予想どおり少なくなった。
そして被災地でのむき出しの悲劇のニュースは、より控えめになったような気がする。一段と美談が増えた。
マスコミは人びとの気持ちを間接的に代弁しているのだと思う。
単純に心の傷が大きかった分、早く強く癒されたい。
つまり出来事が大きかった分、社会の本能として「忘れたい」と思う力も強いのではないのだろうか。
結果的につらい記憶を忘れることは、人の精神のバランスには必要なことだと思う。
積み重なる子供時代からの失敗事をすべてありありと思い起こす人間は精神的に破綻すると思う。
それとともに重要なことは、人は現在の自分に都合よい物語にするため、記憶というものを無意識に少しずつアレンジし続けている、という話を聞いた。
「記憶の合理化」というそうだ。
ある時私は、ズーズー弁で必死に窮状をカメラに向かい訴える被災者に向かって「訛るな!」と叫んでしまったことがあった。
一般に海側に住む人々は訛がきつい。
東北弁と交じり合い、やはり字幕をつけられてしまった。
私でさえ違和感をおぼえるその訛り、大都市や西日本から聞けばなおさらだ。
その違和感はズーズー弁に対する根拠のない「愚かで貧しい」のイメージを残酷にも際立たせ、「私達とはやや異なる人々だ」と思わせてしまうだろう。
それが無意識の「記憶の合理化」のなかでいっそうの距離感を作ってしまう。
そこに放射能が加われば、「愚かで貧しく」に「恐ろしい」イメージが加わり「忘れたい」をいつのまにか加速させることになるかもしれない。
そして健康被害の映像が全国に流れた瞬間、距離感などという生易しいものではないだろう。
特に同族意識が強いこの国はよく一つの「村」に例えられる。
「村」のタブーは歴史が示すように暗くて重いものだ。
自分たち権力者・多数派の利にならないとされた者は、善悪関係なく異なるものレッテルが張られる。
異なるものとレッテルを一度貼られると、強い同一性が前提となっている分、激しい拒絶反応、しいては差別が起こる。
排除が適当と判断されれば排除され、排除がかなわぬ場合はタブー化され隠語で呼ばれる。
「村」の排除の論理は恐ろしい。
これは「いじめ」だけではなく日本の会社等組織全般で日々行われている事とも言えるが…。
また美談復興話も社会的な「記憶の合理化」の一つの方法だと思う。
原発事故以来ようやく再開された小学校で、低学年生に向かい取材者が「友達に会えてうれしいですか」と質問する。
それは嬉しかろう。
子供の満面の笑顔でニュースが終わる。
見る側は被災地が平常に戻ったと、過去のトラウマは癒され、少し震災が遠いものになったと思う。
しかし、ニュースでは触れられないが、事故後閉鎖されていた学校のほとんどが、文科省の放射能汚染地図で見ても、今でも間違いなく放射線管理区域だ。
放射線管理区域とは本来そこにあるものは持ち出してはいけない、飲食禁止、睡眠禁止の場所だ。
この現実を指摘する人は「記憶の合理化」に反する者、社会の和を乱す者として一部の人から忌むような視線を浴び、本人の希望だと思うが、テレビでは危険を指摘する一般人や、避難した人の目にぼかしがいれられる場合が増えた。
また別な形の合理化もある。
多くの理由で地元に残る苦しい決断をした福島の人々は、健康被害が起こらぬよう祈るような気持ちで日々生活している。
その「リスクある土地で、生活を行わなければいけない」という矛盾を解決するためには、リスクについて「大丈夫であってほしい」から「大丈夫に違いない」に変化してしまう場合が多い。
「わが子は大丈夫だ」そう思わなければ、それこそ日々の精神が持たない。
危険情報に耳をふさぐ。
悲しい合理化だ。
空襲の中でも、すがるように日本の勝利を信じていた人のように。
地元の番組では「がんばる福島」「放射能に負けねーぞ!」「愛 福島」というある意味抽象的な言葉が空疎に踊る。
それは、いまだ信じられない、あまりにむごい現実に直面し続けなければならない人々は、抽象的な言葉にすがり付くしか道は残されていないのだろうか。
その祈るような気持ちの福島の人々と、無意識に精神的トラウマを早く癒したい日本社会と人々。その人びとの気持ちを意識的に利用し、事故を小さく、そして過去のものに見せ、金を節約しようとする東電イコール国。それらが意識無意識かかわらず、大手マスコミの論調をリードし、現実の被災地を美談復興でより押し包んでいくだろう。
その復興美談物語にあらがうものは異なるもののレッテルを貼られ抑圧される。
それが「日本村」の多数派の論理だろうか。
3年後5年後と震災を過去の出来事とモニュメント化し、精神的負債だけではなく具体的責任まで風物詩として時に流す。
流しきれないものはタブー化する。
意識的な権力者は論外だが、やはり最も恐ろしいことは「悪意がない、無意識」の流行・マスコミに依存的な多数派が、この国の無責任の体系を支えてきた事だ。
阪神淡路大震災の10年後、まだ仮設住宅があることを知った時、現実を残酷に時に流す社会と、多数派の共犯者であった自分を深く自覚した。
「日本村」の権力者、多数派が異物のレッテルを貼った者に対し過去に行ったことを思うと心が重い。
足尾銅山。関東大震災。第二次世界大戦での数々の愚行。
在日の人々への対応。原爆被災・水俣病・ライ病の人々への扱い。
沖縄の基地。これらは国の裂け目だと思う。
今回はその裂け目に美談を詰め込み、国の虚構性を隠すのだろうか。
連呼された「絆」も虚構性を持つ国というものが、自らの裂け目に向かって叫んだ恐怖の声かもしれない。
丸山真男などの学者の文を出すまでもなく、戦後、小説家の田中小実昌や詩人の金子光晴が繰り返し述べたように「この国の人々は実は何も変わっていないし、これからも変わらないのではないか」という事が今、被災地で深く悲しく証明されつつある。
「我慢強い」と決められた東北人の被災者の自殺者数が、静かにカウントされることによって。
Posted by yo1 at 21:46│Comments(0)
│フクシマノート