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2012年06月12日

わたしだったら・・・。

今、午前3時半。

夕食後、・・・・・・・・・寝てしまった。

午前2時・・・・・・・・・目が覚めた。

水彩色鉛筆で塗り絵。

少しづつ、扉がひらく感じ?

たのしいかも・・・・・。

童話、訳し直ししようとパソコンに向かうも、横道にそれる。

オウムの逃走犯が読んでいた本。(ワイドショーでちらちら映ってた)

カスタネダ・・・・・・・・名前検索。

しばらく追っかける。

読むまでもないと結論。

縁がないんだわ。(今必要としない)

カテゴリー「フクシマノート」で書き始める。

昨日フクシマの友人と、携帯で話した。

仕事上のことであるが、話題は最後にフクシマのこと、ちょこっと。

先週の土曜日の午後近く、フクシマの母子家庭の親子のドキュメントの後半をTVでちらっと見た。

1年以上線量が高いので、子供は外で遊んでない。

山形に避難先を借りて、久しぶりに独り息子がサッカーして遊ぶ。

「この子を絶対守ってみせる」…・母は言う。

この話、たぶんフクシマでは日常。

友人の知人は、教師です。

ご主人が亡くなって、母子家庭。

どう考えても、現場にいても放射能が人体にはただちに影響がないと思えなかったらしく子供を長野の方へ避難させた。

自分の子供は避難、フクシマに残った子供たちを教師として見守る。

1年近く続けた生活を、長野県へ代用として移転することで「おしまい」にしました。

友人も、この地で死にたいという両親と子供を守るためには移転というジレンマの中で東京とフクシマに2か所の生活拠点。

仕事の都合で、深夜バスで移動と言う生活を1年近く続けています。

そして、その事実はたぶんフクシマでは伏せられたままです。

言えないと思う。

わたしだったら・・・・・。

こころが、冷える。

どこかで,裂ける。

観念・感情ではなく生きていかなければいけない。

この事実は、学ばなければいけない、シュミレーションをしておかなければいけない。

なぜなら、世間や政治が悪いと言っている場合ではないのだから。

自分の身は、自分で守るしかないと言われているようなものだとおもうから。

多くの人が、自分の国を信用できなくなっているのか、それとも何とかしてくれると思っているのか?

話は、携帯を切る間際にメガクェーク(巨大地震)の話になりました。

NHKが、日曜日の晩日本列島は地殻の活動期に入ったのではと特集。

2回目の3.11が起きたら、この国経済的にはたぶんOUT。

どうなるんだろう?

どうしたらいいんだろう?

個人のレベル越えてますから、どうにもならないんだろうけど・・・・・。

この国を動かしてきた権益・欲ボケしている国の中枢(官僚)と経済界の人たち何を考えているんだろう?

多分、想定外には弱いと思う。

リスク分散しかないかな。

4時半です。

カラスが鳴き始めました。

夜明けが、間近い。

少し寝る。

今日も忙しい。





















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この記事へのコメント
私だったらどうするか?

子供が小さかったら(自分も若いだろうから)フクシマも職も捨てて原発の無いところに行くと思います、多分。

いろいろ考えてみたけどまとまりません。
Posted by ★うずまきk at 2012年06月12日 17:40
うずまきKさんへ。

本日、福井県知事は現地での再稼働に事実上、GOサイン出しました。

わざと国に言わせたそうです。(今朝の新聞に作戦勝ちと書いてあった。この人元官僚。石川県も)

これから(福井県民の生活のために)原発全部稼働させると。

お墨付きを、殿様カエルは与えたのです。

馬鹿な国民は、来年になるときっとそんなこと忘れるとおもっています。

おじさんは、ほんとにそうなるんではと少しだけ思っています。

で、この記事の話なんですけれども、私もまとまりませんでした。

日本では原発のないところは、沖縄しかないけれど台湾にある。

逃げるために沖縄行きたくないなぁ。

現地の実情は、昨年2度行きましたから少しわかります。

聴いていると、つらいです。

生活の基盤が、現地にあり動けないけど守るべき子供がいる中での選択肢は、その事実を隠して、ふりをして生活の糧のために生きることなのです。

残って、「放射能にまけねぇど」と子供に言わせる教育現場、表土を削って線量が減ったと胸を張る農業従事者。

絶望を希望と夢に換えて生きていくしかないのでしょうか?

真実と現実に向き合うことは辛いことかもしれません。

でも、多くの人はそうではないようです。

そのことに落胆する歳でもありません。

人は辛いからこそ、ブログの記事でも楽しい話題や笑い話、井戸端会議に興ずるんでしょう・・・。

誰だって最後まで逃げきれないのは、判っているのにね。
(自分からは、逃げきれないということ)

もうすぐおしまいの雉ブログ、次の再開は、沖縄に拠点作ってからのつもりです。

本拠地のブログは、意識的に嫁はんの一本立ちまで書きませんでしたが、そろそろ還る頃合いですね。

ホント、楽しかったです。

これからもよろしくね!
Posted by yo1yo1 at 2012年06月13日 01:18
 
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