2012年06月21日
フクシマから・・・ファイナル。
絵本の完成にむけて、ブログ記事を書く時間を振り分けています。
しばらく続きますので、数少ない定期的にご覧いただいている方には空足をお詫びいたします。
ごめんなさい。
絵本の完成が報告できたときが、雉がお休みするときにしたいと思っています。
フクシマノートと言うカテゴリーもこれで最後の記事になります。
この記事は、youtube上の動画の紹介ですのでパソコン以外の方はご覧になれないと思います。
ごめんなさい。
記事その1の動画は、東電の原発の社員で在った方が退社し医者になったと言う経歴の方が、インサイダー的な観点から述べている講演会の模様です。
記事2は今年3月に行われた東日本大震災の追悼式典での天皇のスピーチが何故か一部カットされたということで、元スピーチとカット箇所の紹介動画です。
いずれも、私の所見と言うより日本でフクシマから一番遠いところで発信するという意義だけのことですが・・・
この記事を持って、雉のフクシマノートのファイナルとさせていただきます。
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人吉-フクシマの真実と内部被曝(2012.5.13)
フクシマで何が起きたのか、どれだけの環境汚染が起きたか、放射能による内部被曝症状、ガレキ拡散をしてはならない理由 などをやや早口ですが・・内部被曝、ガレキ問題をより詳しく説明しています。
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天皇陛下の脱原発発言?
「原子力発電所の事故が発生したことにより、危険な区域に住む人々は住み慣れた、そして生活の場としていた地域から離れざるを得なくなりました。再びそこに安全に住むためには放射能の問題を克服しなければならないという困難な問題が起こっています」
2012年3月11日 国立劇場 「東日本大震災・追悼式典」より。
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スピーチ全文書き起こし(赤字部分がカット部分)
一年前の今日。
思いもかけない巨大地震と津波に襲われ、ほぼ2万に及ぶ死者・行方不明者が生じました。
その中には、消防団員をはじめ、危険をかえりみず、人々の救助や防災活動に従事して命を落とした多くの人々が含まれていることを忘れることができません。
さらに、この震災のため原子力発電所の事故が発生したことにより危険な区域に住む人々は、住み慣れた、そして生活の場としていた地域から離れざるをえなくなりました。
再びそこに安全に住むためには、放射能の問題を克服しなければならないという困難な問題が起こっています。
この度の大震災に当たっては、国や地方公共団体の関係者や 多くのボランティアが被災地に足を踏み入れ、被災者のためにさまざまな支援活動を行ってきました。
このような活動は、厳しい避難生活のなかで避難者の心を和ませ、未来へ向かう気持ちを引き立ててきたことと思います。
この機会に、被災者や被災地の為に働いてきた人々、また原発事故に対応するべく働いてきた人々の尽力を深く労いたく思います。
また、諸外国の救助隊をはじめ、多くの人々が被災者の為、さまざまに心を尽くしてくれました。
外国元首からのお見舞いの中にも、日本の被災者が厳しい状況のなかで、たがいに絆を大切にして復興に向かって歩んでいく姿に印象づけられたと記されているものがあります。
世界各地から大震災にあたって示された厚情に深く感謝しています。
被災地の今後の復興の道のりには、多くの困難があることと予想されます。国民皆が被災者に心を寄せ被災地の状況が改善されていくよう、たゆみなく努力を続けていくよう期待しています。
そして、この大震災の記憶を忘れることなく子孫に伝え防災に対する心がけをはぐぐみ、安全な国土を目指して進んでいくことが大切と思います。
今後人々が安心して生活できる国土が築かれていくことを一同と共に願い、御霊への追悼の言葉と致します。
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しばらく続きますので、数少ない定期的にご覧いただいている方には空足をお詫びいたします。
ごめんなさい。
絵本の完成が報告できたときが、雉がお休みするときにしたいと思っています。
フクシマノートと言うカテゴリーもこれで最後の記事になります。
この記事は、youtube上の動画の紹介ですのでパソコン以外の方はご覧になれないと思います。
ごめんなさい。
記事その1の動画は、東電の原発の社員で在った方が退社し医者になったと言う経歴の方が、インサイダー的な観点から述べている講演会の模様です。
記事2は今年3月に行われた東日本大震災の追悼式典での天皇のスピーチが何故か一部カットされたということで、元スピーチとカット箇所の紹介動画です。
いずれも、私の所見と言うより日本でフクシマから一番遠いところで発信するという意義だけのことですが・・・
この記事を持って、雉のフクシマノートのファイナルとさせていただきます。
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人吉-フクシマの真実と内部被曝(2012.5.13)
フクシマで何が起きたのか、どれだけの環境汚染が起きたか、放射能による内部被曝症状、ガレキ拡散をしてはならない理由 などをやや早口ですが・・内部被曝、ガレキ問題をより詳しく説明しています。
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天皇陛下の脱原発発言?
「原子力発電所の事故が発生したことにより、危険な区域に住む人々は住み慣れた、そして生活の場としていた地域から離れざるを得なくなりました。再びそこに安全に住むためには放射能の問題を克服しなければならないという困難な問題が起こっています」
2012年3月11日 国立劇場 「東日本大震災・追悼式典」より。
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スピーチ全文書き起こし(赤字部分がカット部分)
一年前の今日。
思いもかけない巨大地震と津波に襲われ、ほぼ2万に及ぶ死者・行方不明者が生じました。
その中には、消防団員をはじめ、危険をかえりみず、人々の救助や防災活動に従事して命を落とした多くの人々が含まれていることを忘れることができません。
さらに、この震災のため原子力発電所の事故が発生したことにより危険な区域に住む人々は、住み慣れた、そして生活の場としていた地域から離れざるをえなくなりました。
再びそこに安全に住むためには、放射能の問題を克服しなければならないという困難な問題が起こっています。
この度の大震災に当たっては、国や地方公共団体の関係者や 多くのボランティアが被災地に足を踏み入れ、被災者のためにさまざまな支援活動を行ってきました。
このような活動は、厳しい避難生活のなかで避難者の心を和ませ、未来へ向かう気持ちを引き立ててきたことと思います。
この機会に、被災者や被災地の為に働いてきた人々、また原発事故に対応するべく働いてきた人々の尽力を深く労いたく思います。
また、諸外国の救助隊をはじめ、多くの人々が被災者の為、さまざまに心を尽くしてくれました。
外国元首からのお見舞いの中にも、日本の被災者が厳しい状況のなかで、たがいに絆を大切にして復興に向かって歩んでいく姿に印象づけられたと記されているものがあります。
世界各地から大震災にあたって示された厚情に深く感謝しています。
被災地の今後の復興の道のりには、多くの困難があることと予想されます。国民皆が被災者に心を寄せ被災地の状況が改善されていくよう、たゆみなく努力を続けていくよう期待しています。
そして、この大震災の記憶を忘れることなく子孫に伝え防災に対する心がけをはぐぐみ、安全な国土を目指して進んでいくことが大切と思います。
今後人々が安心して生活できる国土が築かれていくことを一同と共に願い、御霊への追悼の言葉と致します。
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Posted by yo1 at 13:38│Comments(0)
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