てぃーだブログ › 雉鳴いちゃった › フクシマノート › 元気に・・・、いきいきと・・・。

2012年09月01日

元気に・・・、いきいきと・・・。

検索エンジンからキィワードを辿り関連の動画を今夜も観ていました。

「月日は、百台(はくたい)の過客(かかく)<長い年月の旅人>にして行きかう年も旅人なり」:奥の細道

記憶から記録へとの出来事の多くは、人々の脳裏から過ぎ去っていきます。

それは、「忘却の彼方」へと続く摂理でもあるのでしょう。

時間軸の今とは、過去と未来を否応なく繋ぐ接点です。

未来は見えない方がいい、判らない方がいい、・・・だから「今」という接点に「夢」があり「希望」が持てるとおもっています。

だとしたら、決まってしまった未来なんてあるのでしょうか?

今夜2本の動画を見終えました。

全村避難が余儀なくされた福島県飯館村の1年を、営み(生活)という定点観測でとらえたドキュメンタリー。

NHKETV特集、20120624 飯舘村一年~人間と放射能の記録

放射能の記録を、「人々の営み」という視点で追っていきます。

国は避難地域を3区分に分けて一部帰郷が可能にしました。

物理的な意味だけで決めていいのかという問題でもあります。

セシウムの半減期(無くなるのに要する時間)は、30年以上です。

事故前の年間被ばく限度量の20倍という新基準で、タバコの喫煙者よりリスクは小さいという説明で帰郷を促しているのです。

喫煙は、自己責任です。

原発事故は?

特に、原発立地の恩恵に浴さない地域につては?

事故後、いまたった1年半、されど1年半です。

いくつかの印象的な映像がありました。

行政と言う村組織が、未来のこの村の在り方についてシュミレーションした内容は、今という現実から未来へ「夢」と「希望」とを取りさって描く「近未来」の在り方でした。

過去全村避難した三宅島や山古志村でも帰村率は60%を超えるものではありませんでした。

内容とは?

放射能の汚染に弱者の若い人たちには、故郷を離れて元気に暮らす支援を、そして汚染に感受性が低くなっている高齢者には帰村して余生を「いきいき」と・・・。

「元気」と「いきいき」という言葉が、こんな悲しいフレーズとして伝わった事例をあまり見たことがありません。

其処には、一片の「夢」も「希望」もあり得ないのです。

人の命をその地では繋ぐことができないという現実。

悲しい色と言うものがあるならば、日本地図のその一角を塗りつぶしてあげたいと思いました。


20120624 飯舘村一年~人間と放射能の記録~(前) 投稿者 PMG5


20120624 飯舘村一年~人間と放射能の記録~(後) 投稿者 PMG5


同じカテゴリー(フクシマノート)の記事
記憶とタブー
記憶とタブー(2013-03-11 21:46)

集団疎開
集団疎開(2013-01-11 08:33)


 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。