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2012年11月29日

未来。

たとえば、昨日嘘をついた者に、今日信じて、明日を託せるだろうか?

経済や社会保障も「今」の私たちには重要な問題です。

同事に、未来につながる子供たちやまだ見ぬその子供たちへの「責任」も私たちに課せられた大きな「責任」ではないでしょうか?

原発問題の是非が、ようやく選択肢として形を成してきたような気がします。

原発を廃炉にすると、使われた核燃料のゴミが大きな問題となり、保管場所や再処理場所が誰も引き受け手がないことになります。(青森県の六か所村は一時保管場所としているのですから・・・・。)

原発を廃止にすれば、当然その問題が浮上してくるわけです。

打つべき手がないから、現政権は、原発廃止と核燃料の再処理という矛盾したことを言うしかなかったのです。

オキナワの米軍基地移転の構図と重なります。

維新とか言ってらっしゃる方、たしか知事時代「関空」に持ってくればいいじゃんと言ったはずの人が、今では県内移転やむなし。

政治家ならば、許されるウソ?

何か非常に、胡散臭さを感じているのは私だけかしらん?

「未来」という原発の廃止を旗印に立てた政党が出来ました。

ワンイッシュ(1つのテーマ)で、国の将来を託す危うさや、背後に隠れる政治家たちの「思惑」を論じる他陣営やコメンテーターの意見が大手のメディアの論調です。

なんか、これらを「マスゴミ」と言うらしいです。

世論操作?

このような批判に・・・・・。

党首となる女性知事は言いました。

「他からとやかく言われたくない」

この言葉の背後の彼女の「気持ち」が私には「言の葉」として伝わりました。

そうなんです。

真剣に、自然と未来を守ろうという訴えに既存の政治家や国家と言う官僚組織が、言を翻(ひるがえ)してとにかく臭いものに蓋をするように争点をぼかし安全協定すら結ばなかったことを・・・・。

「3.11が起こって最初の国政選挙です。原発の是非を是非争点としてほしい」

3年前の選挙で、私の心が裏切られたように、今回も裏切られるのかもしれません。

それでも、未来への責任を私なりに感じています。

諦めないで、信じていきたいのです。

それが、私個人の「未来への責任」のとり方だと思うから。

BUーの言葉に「言の葉」は感じられないのです。

昨日嘘をついた者に、今日信じて、明日を託せるのでしょうか?














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