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2013年03月03日

カムイたちの黄昏、その12



午後になっても腰痛が思わしくない。

で、思い切って今日は全面OFF。

小説読んで寝て、起きたらファンタジー書いてる。

登場人物が多すぎると、こんがらかるし少なすぎると逃げが打てない。

心理描写を入れないと、絵のない紙芝居の語りみたいに講釈師然となる。

読み手の自分として、どのくらいの満足度と予想の展開を裏切るかとか、いろいろ気になってきた。

そこで、登場人物の背景描写と心理状態を入れて、主人公にも悩んでもらうことにしました。

其処んとこが、12話の注意点。

書いてる自分が、先行き読めないように・・・・。

ウフアガリの島編は、バリバリ岩と言う島のスポットの紹介で終わる。

それでファンタジーは一応おしまいにするが、余韻のための仕込だと思っている。

アーサー王と日本神話と北欧神話をミックスさせ筋立てすれば、主体になるのが主人公たちの価値観だろうと思う。

ヒルコとタケルに”自分ってなんだっけ?”という疑問をもってもらった。

自分探しの旅になった。

それは、自分自身の興味というか、問いかけにもつながるということかもしれんね。

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バリバリの丘へ



タケルは、産まれてからずっと一人ぼっちだった。

タケルの兄は、帝(みかど)と呼ばれるヤマトゥの中つ国を治める大王(おおきみ)だった。

国を治めるために、1つの国に二人以上の力があるものを残さないのが王の不文律だった。

タケルは長じるにつけ、大王の影となった。

その秀でた容姿や果敢な勇気ゆえ、兄の大王からは疎まれ遠ざけられた。

常に辺境の異国(とつくに)の蛮族や反乱の討伐に向かわされていた。

たとえ、遠征が1つ終わっても息つく暇もなく次の遠征を命ぜられた。

今回、“琉の島“へ流れ着いたのもその任に赴く旅中のことであった。

たとえその異郷で彼が命を落とそうとも、それはそれで大王を取り巻いて形成される一族にとっては厄介払いの種を始末できたということで一石二丁という話であった。

彼を都で待ってくれている人はもういない。

母はその先の大王の後宮の一人で、先の大王が身罷(みまか)った折、ともその墓に殉じた。

男子だったので、幼くして母からは離されて育った。

唯一慈しみ育ててくれた乳母を、疫病が都に蔓延したときに亡くした。

闘かい続けることでしか、己が生きている意味を見いだせない日々を過ごしていた。

兄の大王は、タケルとは別の母から生まれた異母兄弟であった。

そんなタケルが、琉の島でカナシに出会ったのだ。

言葉を交わすこともなく、モーアシビーの夜に二人は初めて出あった。

そして、2つの魂(ちむ)は天照大神の差配する世界から宙(そら)の真理の口、光輝く環を見た。

肉体を離脱した魂(ちむ)は、その環をくぐりそのすべての“存在“を残された者の記憶以外に消し去り”宙の素“、つまり”無“となっていく様を見せられた。

そして、生きとし生きたものの記憶は、その“環”をくぐる前にその場所に振り落とされていくものなのである。

記憶の図書館がそこにあった。

タケルとカナシは、その場所で己の宿命(さだめ)を知らされた。

神とは生と死を司るもの。

神の手のひらのうえに、私たち常に永劫あらねばならないのか?

いま、カナシがタケルの手からこぼれ落ちていった。

タケルは己の一部がそぎ落とされたように傷ついていた。

白骨(しらほね)と変わり果てたカナシを前に、タケルが長い間こらえていた何かが音を立てるように崩れ落ちていった。

(わたしとはなんなのか?わたしとはなんだったのか?)

受け入れているはず・疑うことを知らなかったものが、堰を切ったようにあふれ出てきた。

ふと・・・・・。

後ろに気配を感じた。

蝙蝠の姿をした“ウフーソ・ヒルコ”であった。

“お前のきもち、よくわかる”

“わたしは、役立たずの(神)として産まれた。”

“三年経って、立つこともできなかったから祖神(おやがみ)イザナギに捨てられた”

“私が産まれた意味”

“ずっと、考えてたさ”

“誰の為に産まれてきのかねぇ?”

“タケル、私も神の端くれだ。”

“祖神イザナギは、母のイザナミを慕って根の国(黄泉の国)まで追っていった”

“よせばいいのに、振り返ってイザナミの姿をのぞきこんだばかりに、夫婦げんかになってしまった”

“その禍の種が、ばらまかれたってわけさ“

“お前さんはこれからどうするつもりなんだい?”

ウフーソ・ヒルコはここまでを、一気にタケルの心へと想念を流し込んだ。

タケルにはどうしたらよいかわからなかった。

ただ、カナシが失われたことが途方もなく悲しかった。

そんなタケルの想いを、ウフーソ・ヒルコは受け止めた。

しばらく沈黙が続いたが、ウフーソ・ヒルコはあることに気付いた。

“カナシは、まだ死んではいない!”

白骨を抱えたタケルが思わず、岩穴の天井にちょこんとぶら下がっている蝙蝠の方を振り返った。

“タケル!カナシの魂(ちむ)は(光の環)の処へ行かずお前の剣の柄がしらに留まっている。”

“光の環をくぐりぬけるまでは、カナシは一応死んでいないのだ!”

“もちろん、生きるものはすべて光の環をくぐるまえに黄泉の国へとおもむく。”

“黄泉とは黄泉がえりと言って帰ってくることもままある。”

“黄泉平坂(よもつひらさか)と言うこの世との境を引き返した話がいくつかある。”

アカハチの十束剣(とつかのつるぎ)で串刺しになったままの黄泉醜女(ヨモツシコメ)は黄泉の国の首魁の一人だ。

“何かの手段を知っていてもおかしくはない。”

””

タケルはウフーソ・ヒルコの言葉を聞いて、何のため、だれの為なら生きる証(あかし)がたてられるのかを考えていた。

タケルの心の気配を察してウフーソ・ヒルコがまた語りだす。

“私も、なんでこのような(神)に産まれたのか、そろそろコソコソしないで歩みださねばいけない時かもしれない”

“お前とともに、バリバリの丘へと行こうか?”

“バリバリの丘?”

“そうよ!アカハチは天から恐ろしい速さで十束剣(とつかのつるぎ)ごとこの島にいた黄泉醜女(ヨモツシコメ)めがけて突っ込んだのよ。”

“その時、岩山が音を立てたのよ。バリバリバリとな。”

”黄泉醜女(ヨモツシコメ)から何か聴きだすことができればカナシは甦る。”

タケルは、決意した。

自分の為に、十束剣(とつかのつるぎ)のもとへ赴くことを。

“カナシを損ねないように、結界を張っておこう“

ウフーソ・ヒルコは、蝙蝠の鉤爪を前後に巡らしカナシの遺骸に薄黄色のオーラを張り付けた。

これで簡単には、だれも近づかんじゃろう。

それから、ヒヌカンのもとになった火伏の神”アキバヒノヤギ“を呼び寄せた。

火伏の神”アキバヒノヤギ“は島が裂けて北のウフアガリの島へ飛ばされていたが、わずかな島人の守られ祀られていた。

火伏の神”アキバヒノヤギ“はカナシの遺骸の周りを、消えることのない炎で覆ってくれた。

カナシの遺骸は、損なわれることなく守られるだろう。

タケルとウフーソ・ヒルコは龍の亡きがらが鍾乳洞となった“星の洞窟”を抜けてさらに北の方角“バリバリの丘”へと向かった。


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