てぃーだブログ › 雉鳴いちゃった

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Posted by TI-DA at

2013年08月27日

さわやか


爽やかな朝です。
気温が30度を切りました。
山葡萄が、初めて結実しました。


糸ススキが穂を上げ始めています。


地蔵盆が近づき酔芙蓉の花が鮮やかです。
藤の蔓は、蒼い空に向かい元気に伸びて、行き場に困っているようです。
秋はもうやってきてますね。
  


Posted by yo1 at 13:06Comments(0)日記

2013年08月26日

腿(もも)ではなく桃のおはなし。


母親が、昨日桃が手に入ったから取りに来いと。
1箱を”半分こ”しました。
産地は、福島産でした。
量が多いので、今朝もゴーヤとジュースにしていただきました。
お昼には、冷やしたものを丸ごといただきます。
83歳と62歳の親子と夫婦なので、放射能怖くて桃食べられるか!なんですけど・・・・。
フクイチ汚染水漏れのタンクのこと、思いだします。
このタンクは、セシウムを取り除いた水の貯蔵タンクだったと記憶しています。
素朴な疑問は、”じゃ~汚染物質は除去できたのなら、安心なはずだね?”という疑問。
今、マスコミさんは、ストロンチュームなど取り除くことが困難とされる物質の海への流出を盛んに問題にしています。
ということは、セシウム・セシウムとお題目のように唱えたこの3年間なによ?ということですよね。(一部の心配がほんとになりました感あります。知ってたよ。)

わたしたち素人は、知らないんだからしょうがありませんが、プロなんでしょ?と言いたい相手が少なからずいます。
私の拙い知識では、ストロンチュームという物質は体内に入ると骨に蓄積して体を内側から長年にわたり内部被ばくさせる物質です。
年寄りは食べて良いと思います。(納得の上なら)
せっかく、福島県の農家の方が丹精込めて作られたのですから。
病気になっても因果関係立証できないから、自己責任ですけど。

孫が明日やってきます。
ヨメはん、地元産の桃を今日買いに行くそうです。
ジジィとばぁさんは福島産で充分だけど正直孫には、抵抗有ります。
その理由は、上記の発表の経緯等で、お分かりだと思います。

私が20歳のころ”森永ヒ素ミルク事件”という大きな事件が社会問題になりました。
忘れられない事例を目にしました。
おっぱいが出なくて子供にそのミルクを与えた母親は、森永を責める先に”おっぱいが出なかった自分”を責めるのです。
辛い話ですよね。
この事が、自分の考え方の原点です。

母親は、”もう安全なんでは?”と私に云いました。
彼女の世界はTVだけなんで、しようがないのです。
”悪いけど、孫にはたべさせないわ”と説明しました。
これは、風評ではなく上記のようにきちんとした説明がなされていないのでは?という疑問が私の中にあるからです。
京都大学の小出さんと云う方が出演された”たまねぎジャーナル”というラジオ番組をYOUTUBEでずっと拝聴していました。
(漏水の問題も、彼は的確に対処方法を提案していたと記憶しています。)
彼は、福島県産の物を食べるなと言ってませんでした。

知らなかったといえ、原発の増設を許してきたのもわたしたち国民ですよね。
責任は、それを許したわたしたちにもあるんだと。
だから、疑わしき物は老人が食べて地域に住んで頑張っている人たちの応援すべきだと。
老人は放射能物質に対する感受性が鈍いそうです。
収束処理を間違えなければ、30年後には彼の地は再生するはずですよね?
30年後・・・・・。
生きてないと思うけど、未来に残せるものがあるとするならば今できることを考えなくてはいけませんね。
私は彼が言ったことを、信じます。
せっかく農家が苦労して作られて、ご縁で私たちの家にやってきたんですから。
甘くてみずみずしくておいしいですよ。
ヨメはん昨日もお客さまに”福島県産ですよ”と断って、おすそ分けしました。
今、桃高いんです、同じ年配なのでお客様は夫婦で1個づついただくそうです。  


Posted by yo1 at 10:13Comments(0)ひとりごと

2013年08月26日

あまおと


温泉へ出かけるついでに撮りためた写真とお店の庭先の6月の花を編集して、昔作った曲を付けて簡単な動画を作って遊んでました。
すでに、FB上では公開済みですが、ようつべに今アップロードしながらこの文章書いてます。
スマホまでは、観賞できるはずです。
お休み期間のこと、少しづつですが公開していきます。
ピアノ・・・・へただな。
画像構成は、まぁまぁでんがな。
完全オリジナルだけが、胸張れるか。

http://www.youtube.com/watch?v=AfW8iLOyFIc&feature=youtu.be  



2013年08月25日

祈り

今日FBでシェアさせて頂いた記事です。

信じますか?
私は、信じます。
というか、”あります”と断言します。
祈りとは、エネルギーだと感じているからです。
霊でもスピリチュアルでもなんでもありません。
人にエネルギーを与えるという、単なる行為だと感じます。
たぶん、判ってもらえないでしょうね。

以下はそのコピペです。

祈りは通じる

アメリカの研究で
こんな実験がありました。

末期がん患者を無作為に選んで、
AとBの2つのグループに分けます。


彼らから遠く離れたところに住む
10人の健康な人に、Aグループの患者さん
10人の名前を伝えて回復を祈ってもらいます。

Bグループの患者さんには、まったく何もしません。

その結果は、驚くべきものでした。


祈ってもらったAグループの患者さん
(自分が祈ってもらっているとは知らない)は、
あきらかに回復率が高かったのです。


祈っている人は、相手が誰かも知らないし、
祈ってもらっている人は何も聞かされていない
にもかかわらず、です。

何回実験しても、また
ニューヨークの病院の患者さんでも
ロサンゼルスの病院の患者さんでも
同じ、という結果になりました。


祈りの効果には、距離も関係がないことが
わかったのです。


現代の科学では、そのメカニズムは
まったく解明されていませんが、
その効果は、科学的に証明できたわけです。


それほどまでに祈りには力があるのです。


私がおもしろいと思ったのは、 祈るほうも たいして信心深い人ではなく、 特別に気合いをいれて(!?) 祈ったわけでもないのに、
効果があったという点です。


キリスト教や仏教の熱心な信者でなくても、 自分の祈りの効果を信じていなくても、 効いたというのですから驚きです。


自分のために祈っても無心の状態にはなれませんが、 誰か自分よりも大変な人を思い浮かべて祈ってあげると、一生懸命になれます。


あなたよりも経済状態が悪かったり、 病状がひどかったり、 人間関係に苦しんでいたりする人のために、ぜひ祈ってあげてください。


そういう人が まわりに思い浮かばない人は、 外国で戦争やテロの犠牲になったり、 食べ物を満足に食べられない子どもたちのために
祈ってあげてください。


すると、不思議なことに、 心が安らかになってきます。

無心になって人の幸せを祈ると、自分にも それが返ってくるからです。


愛は、差し出すことで、いくらでも自分の中から湧いてくるという不思議な性質を持っています。


でも、相手からその見返りが欲しいと思った途端、 愛が返ってこないと感じてイライラしたり 落ち込んだりします。

欲しいと思うと手に入らないのに、 他人にあげようと思った途端に手に入るとは、ユニークな仕組みです。

人間の心に、この仕組みが プレインストールされているのなら、 宇宙の摂理が そうなっているのかもしれません。


もし神様がいるとしたら、ユーモアのセンスがありますね。


「与えるものは、与えられる」のです。
  


Posted by yo1 at 02:17Comments(0)語り

2013年08月23日

汚染水

フクイチの汚染水漏れについて新聞やメディアが報道しています。
このままですと、継続的に福島県沖を起点として、汚染水は流され続けます。
1年以上も前ですが・・・。
元通産官僚だった古賀 茂明(こが しげあき)さんのTVでのコメントが記憶に残ってます。
フクイチ沖の海流は、黒潮に乗って三陸沖から大きくカーブして太平洋に向かい一部は海の底にもぐり再びフィリピン沖で黒潮として還流します。
また一部はアラスカから北米沖を流れる潮に乗っていくのでしょう(漂流物が沿岸に打ち寄せられているのが証拠ですね。)
フクイチの放射能物質は半減期と言う害が無い状態までに、最低30年掛るそうですね。
ここ1か月、TVのCMに福島県の農産物などの安全性をPRしたTVのCMが目立ちませんか?
何か、とっくの昔に原発事故は収束して何もなかった日常に戻りつつある安心感に包まれている感じ?
日本人が、もう終わったことで過去の事だと感じている何年か先に、他国から海洋汚染の損害補償を求められた時、国民は他人事と言えるのでしょうかねぇ?と、ふとおもうんです。
そうなったら、空恐ろしい額の賠償と国際信用の失墜は避けられないのでは?と感じています。
あの時、1つだけ手はあると古賀さんは言いました。
東電を、1企業として経営破たんさせることだそうです。
つぶれた会社に補償求めても、会社無いもん!
しかし、実態は、反対でした。
時の政府は、東電を国有化することを決めました。(株式の買い取り?)
このことについても、古賀さんは「民主党の間違いはJALのように破綻処理をして株主責任を取ってとの段階を踏まなかったこと。国有化は改革ではなく、単純に経産省のものになるということ」と論破されました。
つまり、国と東電は目先の利害で運命共同体になり、自動的にわたしたち国民が、その負担を分担する運命共同体の一員になる羽目に陥っているという事なのかな?
その時(海の汚染で魚などの漁業補償が起こった時)、私たち国民は、原発事故のセシウムは”無主物”で私たちの国の責任ではないと、他の国の国民にいえるのでしょうかねぇ~?(東電さんは、ゴルフ場に落ちたセシュウムなどは、自分たちの所有物ではないと主張しました。)
いやいや、その前に何とか堰き止めないと風評被害なんて言えなくなることがとても心配なんですけど・・・・。
同じメディアが放送する内容に、多少混乱しているのはわたしだけ?
それとも、陸と海は違うの?
風評に手を貸すつもり全然ありません。
しかし、本当の所は本当に知りたいと思いませんか?
私が今捉われている”不安”とは、自分の健康(どうせ、じじぃで老い先短い)ではなく、子供たちの未来なんです。
自分の子供たちの未来に影を差す親はあまりいないと思うんですけど・・・・。
  


Posted by yo1 at 09:08Comments(0)日記

2013年08月22日

“Emperor


”今日しか行けないわ”と”終戦のエンペラー”行ってきました。
レートショーで、22時過ぎからの上映。
まぁほとんど映画館独り占め状態でした。
映画観ながら、色々な想い出が去来しました。
私が、何度か米国に足を運んだのは住んでいる街の近くの大学のアメリカ人教授が友人だったから。
友人と言っても、現在89歳です。
父と同じ1923年生まれ。
彼は、1941年ハワイ時間12月7日真珠湾で日本軍の空襲を体験しました。
父は1945年8月6日、学徒動員され広島県の福山にいてヒロシマの惨状の目撃者でした。
この二人のぎごちない初体面を想い出しました。
東京裁判は、ラジオで聴いたという思い出話を、聴いたことあります。
guilty or not guilty?と聴くそうです。
その後にguilty。
映画のストーリーを追いながら、半藤一利さんの”日本のいちばん長い日”
というノンフイクションを思い起こしていました。
このノンフィクションを、休暇で行った沖縄の農連市場の近くの古本屋で買い求め、中部の民宿にこもり読みふけったことは懐かしい思い出です。
このベースがあったから、非常にわかりやすかったです。
英題は”“Emperor”。
そうですね。
開戦でもなく終戦でもなく”“Emperor”なんですよね。
誰も責任を取らない国、意見や主張には遠ざかって小利口に当たり障りなくサイレントマジョリティを通した方が生き残ることできるもんね。
などと考えながら家路につきました。
映画の感想でした。
おもしろかったです。
  


Posted by yo1 at 01:15Comments(0)日記

2013年08月21日

a swallow

ストレスがたまると造りはじめる紙芝居。
フォルダーの写真を組み合わせてみます。
パソコンの付属ソフト使って遊ぶ。
何本も造りました。

5月のある日、杉の子温泉で一羽のツバメが力尽きていました。
可哀そうなので、土に還してあげました。
三か月が経ち・・・・。
ツバメたちは、子育ても終わり南に帰る時がそろそろ来ているようです。
そんな時。
温泉の電話線に、つがいと一人ぼっちの三羽の姿が、亡くなったツバメのお墓の上にみられました。
一羽離れた所にとまっているツバメのパートナーだったの?
お話は、亡くなったツバメを思い起こすところから始まります。
仲のの良かった友達夫婦とかってのパートナーが、お別れを告げに来たのでしょうか?
心のなかの”おもいで”が彼らのあとを、ひらひらとついていったような気がしました。
杉の子温泉”、ひと夏の思い出”。

http://www.youtube.com/watch?v=tSr8fJBhwA4&feature=youtu.be  


Posted by yo1 at 18:06Comments(0)物語

2013年08月20日

古琉球

素朴に”古琉球”とはなんなんでしょうか?

高良倉吉さんと言う方の”琉球王国(岩波新書261)”という著書を紐解かせていただきました。
序の部分に現在の沖縄の人による沖縄史観とも言うべき興味深い指摘がありますが、それはこの本を読んだ方が考えればよいとおもいました。

古琉球とは、三山統一前の”察度”と呼ばれる按司(有力豪族)に明国が朝貢を求めることから始まり、尚思紹・尚巴志親子の三山統一を経て第二尚氏3代尚真王の時代に中央集権国家による王国成立の歴史を中心とした時代をさす言葉のようです。

基礎となす文化は、言語的にも話し言葉が文字になったかな文字(日本固有の文字)で公文書が発布されたことから、倭(やまと)の文化圏であったことは事実とも述べています。
更に、現存する沖縄の言葉の端々に中世の日本語が残っていることを考えれば一つの文化圏を共有した地域だったことは偲ばれます。

薩摩の侵攻が起こり明治政府による領土拡張政策から王国が滅びるまで、琉球は王国であり日本国内の幕藩体制による集権構造とは異なる独立国を形成していたとみるのが妥当なんでしょうね。

それを経済的に支えたのが、中国に対する朝貢と冊封体制と呼ばれるものでした。

これにより、琉球王国はマラッカ海峡からインド洋を望むところまでの海のシルクロードを自由に行き来できる権利を手にしたのです。

琉球王国は、中継貿易の拠点として、奴隷市場ももつ富の集積地となったのです。

まさに古琉球とは、琉球王国が享受した”黄金の日々”の時代だったんでしょうね。

その時代に、久米三十六姓に代表される中国文化の移入も行われました。

独自の文化形成が成立したのでしょうね。

廃藩置県の法的措置が及ばない独立王国を、明治政府が1872年(明治5)琉球藩設置(これは、日本に組み込むための第一段階)に始まり、1879年(明治12)の沖縄県設置に至る過程を琉球処分と云うそうです。

琉球王国が滅びた瞬間です。

アイデンテティと呼ばれるものを再び確立すべく、苦難が始まったことはその後の歴史としてよく知られるところなんでしょうか?

時計の針をもとに戻すことはできませんが、最後の経済成長の可能地域東南アジアへの交易や空路のハブ(拠点)としての可能性は、推進次第では、往時の”古琉球”の繁栄につながるような気がしてなりません。

東京を中心とした考え方にもう見切りをつける時が来ているような気がします。










  


Posted by yo1 at 23:18Comments(0)ひとりごと

2013年08月18日

沖縄のこと

雉の記事の整理がつかないので、まだフェースブックへの接続が出来ません。
じつは、半端でないくらい余裕がありません。
本来なら、このブログからの記事を上げたいと思っていまたが、時いまだ到らず。
以下”沖縄のこと”。

日曜日です。
映画”終戦のエンペラー”は興味深い映画だと思います。(風呂掃除が無い日にいきたいな)
午前中は、DM制作の準備とお帳面。
午後からヨメはんと本屋さん行きたいと思います。

”伊波 普猷(いは ふゆう)著「古琉球」岩波文庫”探しに行きます。

その前に徒然を。
文章長いので、興味のある方だけ限定ですよ~!

先日、沖縄の人達のナショナリズムの高揚が最近高まって来ていることを反映して日本国によって侵略された琉球国の独立の機運を論ずることへの反論文をFB上で拝見しました。

蛍の光という歌の原曲がユナイテッドキングダムの一つスコットランドの準国歌だということをご存知の方多いと思います。(オールド・ラング・サイン Auld Lang Syne はスコットランド語で、英訳すると逐語訳ではold long since、意訳ではtimes gone byとなる。ウィキより)
日本では「久しき昔」などと訳すそうです。

蛍の光歌詞
1)蛍の光 窓の雪
書読む月日 重ねつつ
いつしか年も すぎの戸を
開けてぞ今朝は 別れゆく

2)とまるも行くも 限りとて
互みに思う 千万の
心のはしを ひとことに
幸くとばかり 歌うなり

3)筑紫のきわみ 陸の奥
海山遠く へだつとも
その真心は へだてなく
ひとえに尽くせ 国のため

4)千島の奥も 沖縄も
八洲のうちの まもりなり
いたらん国に いさおしく
つとめよわがせ つつがなく

この歌の歌詞は、3度変更されているそうです。(後で、リンクをご覧くださいね)
琉球(沖縄)と倭(やまと)との関係は、蛍の光の歌詞が制定される明治10年より2年前、明治8年の明治政府による廃藩置県までさかのぼります。
それまで、琉球は日本国内の各藩とちがいキングダム(王国)だったのです。
その外交政策は、当時の薩摩藩と明国への二重朝貢(冊封(さくほう)制度と言います。)により奇妙なバランスを保ったものでした。
つまり、婚約を二人と交わしていたダブルブッキング。
明治政府は八重の桜の会津藩みたいに国内領ではないので、まず琉球藩を作ってそれから廃藩置県と言う手順で琉球(沖縄)を自国領としました。
1879(明治12)年3月末、政府の命を受け、警官と軍隊をひきいて「琉球藩を廃して沖縄県を設置する」ことを王府に通達しました(廃藩置県)。
これにより、旧琉球王国の土地・人民およびそれに関するすべての書類は政府に引き渡されました。
藩王の尚泰(しょうたい)は華族の身分をあたえられ、東京に居住を命じられました。
500年もの長きにわたる琉球王国はここに、完全に崩壊することになったのです。
これを、”琉球処分”と呼ぶそうです。

その後の基地問題などが複雑に琉球の人々に作用していることは、左翼民族自立系のメディアが強い沖縄県に於いては県民の関心を強く惹いているところは、想像に難くありません。

琉球は日本国内の各藩とちがいキングダム(王国)だったのです。
沖縄の地が大好きです。
だから、理解するために少しだけ沖縄の歴史を勉強してきました。
観念や情緒で論ずることのできない土地だと思います。
残念なことに地政学的に”パワーポリテックバランススポット(政治的な力学が働く場所」)”であることは、宿命(変えることのできない地)だと感じています。

邦詩の蛍の光と原詩訳を比べてみてくださいね。
何も言わずとも、心が伝わればと思いました。

蛍の光(オールド・ラング・サイン)原詩訳
旧友は忘れていくものなのだろうか、
古き昔も心から消え果てるものなのだろうか。

友よ、古き昔のために、
親愛のこの一杯を飲み干そうではないか

我らは互いに杯を手にし、いままさに、
古き昔のため、親愛のこの一杯を飲まんとしている。

我ら二人は丘を駈け、可憐な雛菊を折ったものだ。
だが古き昔より時は去り、我らはよろめくばかりの距離を隔て彷徨っていた。

我ら二人は日がら瀬に遊んだものだ。
だが古き昔より二人を隔てた荒海は広かった。

いまここに、我が親友の手がある。
いまここに、我らは手をとる。
いま我らは、良き友情の杯を飲み干すのだ。
古き昔のために。
付記(お隣の大韓民国の国歌は、イ・マンス大統領になるまでこの曲に歌詞を付けたもんだったんですよ。)
http://blogs.yahoo.co.jp/bonbori098/31600146.html
  


Posted by yo1 at 13:57Comments(0)ひとりごと

2013年07月05日

設定完了

hitorigoto
ブログ記事を、そのままFBに挙げる。
これの設定完了。
試験は終わりました。
あとは、このブログのどこまでを、全公開するかだけ。
少し内容を整理します。
なんせ400以上の記事があるみたい。
これで、毎日訪問していただいた律儀なあなたに応えることできるかも・・・・。
そう!貴女。!
貴女には負けました。
雉ブログ再開します。
FBで、お友達になった人も来ると思う。
今更何も隠さない。
試験記事のもと
  


Posted by yo1 at 18:39Comments(0)ひとりごと

2013年07月05日

設定準備中

hitorigotoです。
ブログ記事をそのままFBに挙げる手順があり、その準備に入っています。(アプリをブラウザーに加えます)
そのためこのブログは公になるのですが、必要な処置の上FB上に公開にしたいと思います。
動画など重いものは直接になりますね。
従来ガラ携では見られなかった”ようつべ”もスマホなどでは当たり前にみられて、自作の動画を制作出来たり新鮮な2か月でした。
新しい使い方にチャレンジしてみましょうね。
1か月以内・・・かな?
FBの表示ボタン設定で増やしました。  


Posted by yo1 at 08:30Comments(0)ひとりごと

2013年07月04日

鋭意検討中

Fb(フェースブック)とブログの記事が連動できるらしいと聴いた。
心苦しくもあり、何とかこのログ出来ないかと”足あと”見て感じている。
捨てたわけではなく、お休みではあるのですが・・・・。
圧力?感じてます。
”みにきてるんよ!”
何とかしたいと思っています。
もう少し時間下さい。
写真。
昨日までいた”会津磐梯山”の麓、会津若松市。
八重の桜で今有名。

  


Posted by yo1 at 17:04Comments(0)ひとりごと

2013年06月24日

フードバンクの再開

沖縄を知り始めて、フードバンクと言う活動を知りました。
活動自体は、昨年一旦区切りを付けました。
色々な意見や疑問もありましたが、基本、それは組織の方向に変化を与えることでその組織を継いで運営していく気概の無いものがとやかく言うのはおかしいという考えの基の決断。
1年経って、連絡あり。
当時の実働していた人たちも会を辞めたのです。
もともとの私たちの地域での、フードバンクの発案者だった方やそのメンバー達が再結集したみたいで、声をかけていただきました。
チョボラの精神でよかったらということで、参加することにしました。
私がやりたかった”フードドライブ”の原点は沖縄にあったので、けじめ上この記事挙げます。
これからどうなるかわかりませんが、積み重ねたものの上に明日が始まります。
写真は、会議の様子。
筋ジストロフィーの病に侵されている方も、積極的に参加。
傷だらけの、おばぁ、おじぃ軍団。
倒れるときも、前のめりに・・・・。
  


Posted by yo1 at 17:55Comments(0)ひとりごと

2013年06月23日

6月23日Fight!

・・・・・hitorigto.
68年前、6月23日。
戦いが終わった日。
人は理不尽の中に生きている。
どうしようもない理不尽さは、時には人の心をむしばみ自己の正当化さえ犯しかねない。
記憶の合理化が興るからだ。
それでも、その理不尽さと付き合わなければいけない現実がある。
中嶋みゆきさんの”ファイト”という歌はそんな歌かもしれません。

ファイト! 闘う君の歌を

  闘わない奴等が笑うだろう

  ファイト! 冷たい水の中を

  ふるえながらのぼってゆけ

それは、他者と戦う歌ではないと思いました。
自分と戦う歌なのではないでしょうか?
誰かに判ってもらいたいという歌ではないのでしょうが、誰だって苦しいときああります。
そんなとき、”友達”ではなく”仲間”が必要になります。


http://www.youtube.com/watch?v=bu0ZkgcFPcY

http://www.youtube.com/watch?v=nssUoeiHqRM

  


Posted by yo1 at 01:27Comments(0)ひとりごと

2013年06月03日

おやすみさせてください。

生活の形が、大きく変わりました。
沖縄ちょっと移住も諦めていませんが、ずっと先ではなくちょっと先になりそうです。
ブログよりスピードと反応の早いfacebookを4月から1年ぶりに再び始めました。
その世界で、お友達もできました。
どうしてもそちらの方に引きずられていく自分がいます。
自分どころかTIDAのブログ上のお友達のチェックも、ままならない日々が1か月続きました。
このまま放置しておくわけにはいかないと思いました。
何故か、訪問していただかれる方がそれなりに絶えません。
?????。
ファンタジーの未完が心残りです。
いつか、ふと、帰ってくるつもりです。
時々呟くかもしれません。
継続できないことに、ふがいなさを覚えます。
お休みさせてください。
  


Posted by yo1 at 01:09Comments(0)ひとりごと

2013年05月18日

5月18日の記事

加賀藩には加賀八家と呼ばれる八人の大名家老(年寄役・人持組頭)がいました。

加賀藩筆頭家老の本多家(加賀八家)の祖、本多政重は徳川家康の重臣本多正信の二男で、上杉家の家老直江兼続(与板城)の娘婿になるそうです。


どうも、父方も母方も、三河時代の前田家の家臣につながるようです。

我が家のルーツ自慢ではありません。

投稿記事の本題は、ここからです。

“本多さん“という前田のお殿様が鷹狩など赴いた時の休憩所を持っていた(近年、あっさりつぶされました。)お宅から私の祖父が70~80年年前に1株の未草(ヒツジ草・スイレン)を株分けしてもらいました。(本多さんの家系は、加賀八家の筆頭本多家につながります。)
そのヒツジ草は、前田の殿様が庭の泉水で愛でたという、いわくつき。{この項は過去記事にしています}

以来、我が家の三度の転居にもかかわらず現在私の手でこのヒツジ草は守られています。

由来がわからなくなれば、ただのスイレンですが、わかっていると少し気構えが違うものです。

そのヒツジ草(万葉名称使います。)が、根が広げられなくなったか何かの原因で、自ら根を切って子孫を他の水域に流す作業を始めたような・・・・。

何日か前から気づき、他の火鉢に採取してあります。

1株づつ、ミニポットに植え今夏大切に育てます。

命はつながなければいけません。

1昨年、沖縄のブログ友(めちゃくちゃ歴史好き)に宅急便で送りました。

前田家ゆかりのヒツジ草が、今頃一足早く咲き始めているでしょう。

琉球に、前田家ゆかりのヒツジ草が咲くって、ロマン。

我が家は、葉が水面にぽかり浮いてくる状態。

この2日で、作業を終える予定。




  


Posted by yo1 at 12:17Comments(0)

2013年05月17日

死に逝く春。


1か月ぶりのリバーサイドの散歩道。

少しづつですが、日常が戻ってきた感じです。

朝の散歩の人の賑わいと通勤の人が行きかう後に、はたと人通りが途絶える時間があります。



人っ子一人いない静かな路に、皐月の爽やかな風が水面を吹き抜けていきます。

あっ、春が残ってる。



というか・・・。



60年代から80年代にかけてコアに活躍した歌手に浅川マキさんと言う方がいます。

それは、私の青春と呼ばれる時機に巡り会ったため、強烈な印象が残っています。

ライブも見ました。

暗い…キャラと言ってよいでしょう。



”思春期”ではなく、”死春記”という彼女の歌が残されています。

”死に逝く春を記す。”

若いときは、ある種のセンチメンタリズム(深い意味さえ分からず、酔ったように自分の中で溺れてる)がこの歌を覚えさせたのかもしれませんね。

有名なのは”かもめ”や”朝日楼”がありますが、どちらかと言うと”赤い橋”とか”不幸せと言う名のネコ”など幽界を思わせる凄みのある歌詞や歌が好きだったかも…。

今聴くと、鎮静剤のようなけだるさを覚えてしまいます。



往く春を 省(かえり)看はせじ、五月かな

逝く春や 名残惜しみて 八重桜。

浅川マキさんの死春記です。

http://www.youtube.com/watch?v=KcqxEP8ZSWo









  


Posted by yo1 at 22:26Comments(0)ひとりごと

2013年05月16日

ひとり言。



”おふくろさん”と言う歌がありました。

寄る辺なき、わが身も顧みず、雨の日は傘をさし・・・・。
お前もいつかは、世の中の傘になれよと教えてくれた、貴女の貴女の真実。
忘れはしない。



真実は、フェークのネズミより儚く。



信頼は、海の深さ空の高さより遠い。



望むべき、安らぎの褥(しとね)は涙にぬれ・・・・。



若草も、しくによしなし。



押さえつけることは、腰を曲げても心は曲げず・・・・。



ただ、春霞の夕映えに跳梁を期するのみ。



薄暮の陽は落ち、寄する波の音(ね)に夜光虫の煌めきの侘しさよ。



いかなる色とて、失われし色を比べる哀しさよ。



祇園精舎、盛者必滅の理(ことわり)、いまだ哀しからず哉。




  


Posted by yo1 at 22:12Comments(0)ひとりごと

2013年05月09日

5月9日の記事

温泉の事務室への階段を上がり終えたとき、給湯配管の下の床に黒い靴下のようなものが落ちているのに目が留まりました。
じっと目を凝らすと、何か生き物のような気がしたんです。
ねずみ?
いやだなぁ。
死骸なら、番台さんに片づけときなさいなんて言えないし・・・・。
黒アゲハチョウ?・・・・・・鳥?
つばめ!
2~3日前から、ツバメのつがいが巣作り場所を探して、温泉のシャッターを出入りしてとても気になっていて・・・
Tさんに、“倉庫のシャッター大きく開けとかないでね、つばめが巣作りはじめたらシャッター閉められなくなるよ。”
指示したばっかり。
多分閉じ込められたつばめが暗い1階から2階へと階段伝いに抜け出そうとしたんだと思います。
Tさんの不注意と言ってるわけではありません。
わたしがシャッター開けた時にも“つがい”で出入りし、出てくまで待っていたのに、出てった形跡がないことに気づいていたから・・・・。
“彼女(瞬間的にそう感じました)”は、多分息絶えたばっかりだったとおもいます。
そっと手のひらに包むと、羽毛の暖かさが私に伝わって来るような気がしました。
息吹き返すかな?
・・・・・・だめ!。

手のひらの中の“彼女”からは、死を迎え入れたものが発する“もの”になったあの無生物感が伝わってきたからです。
そのときなにか、とても心が痛んだんです。
ふと思いました。
わたしの心は、何が痛いと思ったのだろう?
遠く南の国から旅した果ての死に対する憐憫(れんびん)?
そうかもしれないけれど、少し違うと思いました。
絶望のなかで、出口の見えないあがきの末に逝かなければならなかった“彼女”の魂を考えると・・・・こころが裂かれるように痛くなったのだと感じました。
“こころ“なんてどの本にもここにあるなんて聞いたことないんですけれど・・・
しかし生き物は“それのこころ”が抜け出したときに、“もの”になると感じています。
わたしが言う“こころ”とは“たましい”と云われるものかもしれません。
“もの”になった彼女を、土に返さなければと思いました。
温泉のしだれ紅葉の根元をを無に還っていく褥(しとね)に選びました。

じつは、ツバメという生き物には最近格別の想いがあります。
ツバメの童話を邦訳して、自分の言葉で孫たちに残せるならばと昨年3カ月かけて英文訳して孫たちに手渡したのです。
掲載した絵は、私がそのとき、色鉛筆で描いた手作り童話の挿絵原画の一部です。
お絵かきは中学の時の美術の時間で終わりそれ以降、美術教育受けていませんから稚拙なデッサンであること認めます。
そして、訳した童話の名はThumbelina、邦訳名は「おやゆびひめ」です。
これもプロの邦訳には遠く及ばないでしょう。
だけど、英文訳したらThumbelinaという単語は、文中1回だけしか出てこないし文中で頻繁に使われたtiny(ちっぽけと訳しました。)を、南の国の同族の王子様のもとへ運んだツバメが、実は“ちっぽけ”をとても愛していたにもかかわらず、彼女のしあわせの為に“愛の告白”せずに再びデンマークへと旅立ったことなんか多分書いてないし、“ちっぽけ”が初め世俗の習いのお金持ちと結婚という道を選びながらも、や~~めたとツバメの背に乗って恩を忘れ、すたこら逃げて行ったことなんて書いてあるはずもなく・・・・。



これらは、近代という個人主義の意識や自我が発達する黎明期の知識人共通の悩みであり、夏目漱石さんなぞの、“ぼっちゃん”や一連の作品は最たるものという評価もあるわけであながち、うがった見方ではないのかとおもうのですが・・・・。
ましてや、アンデルセンさん自身が、“バイ”で悩んでいてやはりその苦悩を登場人物のキャラに託しながら、当時の近世の常識の罠からぬけだそうともがいた作品なんて見方は、孫向けには跡形もだせなくて・・・・。
私自身、おくびにも出さない邦訳にしましたが、“わかるかな?わかんねぇ~~だろうな~”という謎かけした世界で3冊しかない本になってます。
しかし、美しい“骸(むくろ)だと思いました。
ツバメは、黒くありません!
一言で言うと瑠璃色?
石で言うと、ラピスラズリの深い藍色の中に白い斑点が星のようにちりばめられてる?

あぁ~、その石の名前が浮かんだので検索で、石言葉というものがあることを知りました。
古代から世界各地で聖なる石として崇められ、目に見えない尊い存在や人の尊厳といったものへの理解力が高まると云われているそうです。
逝った“彼女”に今日温泉に植えに来た“龍のひげ“と”ラピスラズリィ“という名前を手向けることにしました。

この記事は、今日の0時半ころに自分のfacebookに投稿するために、書き起こしたワードの文章のコピペです。
迷っていましたが、facebook続けることにしました。
こんご、ブログ記事投稿の間隔が間遠くなることを防ぐために、同一投稿を取り入れることにしました。
両方をご存知の方には。ごめんなさい。
これ以上自分に負担をかけることに、限界を感じています。  


Posted by yo1 at 08:43Comments(0)

2013年05月02日

なにがって?



これは犬好きな私でも、さすがに可愛いと思った。
facebook、タイムラインからのもらい物です。

何故かわいいと思ったか?

擬人化なんでしょうね。

ふと、考えてしまいました。

おまけ。





可愛いと思うイメージを拾ってくるのが最近趣味になりつつあります。  


Posted by yo1 at 21:42Comments(2)日記