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2013年02月10日

カムイたちの黄昏、その5









実は、最初の設定でつまづいてしまった。

落としどころ何とかなると軽く考えて始めた。

種明かしを最初にすると、軌道修正にワーグナーの歌曲ワルキューレの騎士(フランシスコッポラ監督”地獄の黙示録”のヘリコプターアタックシーン)で有名なニーベルンゲンの指輪の話をじっくりと吟味して使うことにした。

この話のもとは、グリムが北欧神話やドイツ神話から採取し、遡るとギリシャ・ローマ神話にたどり着く。

その話の種にたどりつくために、今まで書いた筋を少しづつ変える作業が今日やっと終わりました。

さすがに、自分で考えてると言えないので最初に種明かししときます。

でも文章の表現と感性はオリジナルの自信あり。

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雨と風は、天も地も溶け合うほどに激しく1晩中吹き荒れた

村人は、恐れおののき肩を寄せ息を殺してひたすら祈った。

やがて・・・嵐は、去った。

夜明けになって、月ぬ浜の様子を見に戻った村人が見た光景は、たき火の後を中心にクバの木々をなぎ倒しながら広がった放射状の焦げ跡だった。

タケルとカナシの姿は其処にはなかった。

二人が身を寄せ合ったと思えるあたりの地面は、雷(いかずち)の斧を振り下ろしたようにこそぎ落されていた。

集落のヌール(女性神官)であったカナシの母、トートームは半狂乱になりながら娘の姿を探し回った。

「カナシ~~」

「タケルは、マジムン(悪霊)の使いアカマタ(蛇神)の化身にちがいない!わが娘、カナシをさらって消えたわ!」

「おのれ、許さぬ!」



・・・どちらともなく曳(ひ)かれるように抱き合った二人は、自然に唇を合わせた。

抱き合う二人の空間だけが青白い透明な“繭(まゆ)”に包まれている。

二人は、光の柱の中にいた。

互いに意識が溶け合った。

絡み合うように一対になり求めあい目合(まぐあ)い、一つになっていった。

一つになった二つの意識が頂上へと駆け上がるにつれて、「無我」が広がっていく。

時もなく距離もなく二人は、ただその空間に浮かんでいる。

二人の意識は1つになって、目の前の光景を見つめていた。

この世の創生、遥か自分たちが今此処にいることの証(あかし)としての幾世代遡った父や母のそのまた父や母の姿。

膨大な過去が、パノラマとなって流れて行く。

1つ1つが、光り輝く知識の粒となって降り注いでくる。

いつしか、二人は「今、いる」という「意味」に到達した。

かって二人は一人であった。

造りし者の意思で阿修羅のような宿命を背負い、一つのものが分かれて連綿と人としての命をつなげてきたのだった。

はるか先に大いなる光に包まれた環が見えていた。

突然、声がおりてきた。

「光の環にまだ近づいてはならぬ。」

「この光、終(つい)にはおまえたちが還るところであるが、いまだその時ではない」

「はなれよ。」

「お前たちは、なにゆえ・なにの為に存在してきたか?ここにいるか?を伝えるために、ここに呼んだのだ。」

「お前たち二人は、天と地と地下を司る「和」が乱れたときに表れる役目を託されて生まれてきた子なのじゃ。」

「正確には、お前たちは三人なのだ。」

「“和(バランス)”とは、”つくりしもの”が与えた三つの器にて保たれるもの。」

「一つは、“剣・つるぎ”邪を払う、二つ目は“勾玉。まがたま”おのれ以外を慈(いつく)しむ愛の心、三つ目は“鏡・かがみ”おのれの心を映す。」

「いま邪により“剣”の守りが破られようとしている。」

降りてきたとしか説明のつかない“声”はさらに続けた。

「おまえたちは、それを守るために地上界に遣わされた身なのだ」

「今ここに宿命(さだめ)を悟るために来たのだ」

「護るべき剣は三振りある、十握剣(とつかのつるぎ)、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ・草薙の剣)、布流剣(ふるのつるぎ)じゃ。」

「タケル、お前が持つ剣はそのうちの一振り(草薙の剣)じゃ。そして、カナシ。お前が祖母クスマヤーから授かったタカラガイの首飾りは、持つに相応(ふさわ)しい者が掛けると、そのものにふさわしい輝きを放つ光玉の勾玉となり本来の姿を現(あらわ)すのじゃ。」

息もつかせず、“心の眼・眉間の第三の眼“で繰り広げられる光景にただ見とれるばかりだった二人が、タカラガイの首飾りに目をやるとタカラガイだった首飾りが薄紅色に光彩を放つ勾玉の首飾りへといつの間にか化転していた。

息をのむ二人に、「声」は続ける。

「“鏡”とは、(心・くくる)なのじゃ。想い・うむいのありたけが曇りなく映し出されるから“鑑・かがみ”なのじゃ。」

「だから、おまえたちが、ともにいることが三つの器を集めた(和)なのじゃ。」

「しかし、・・・まだ“鑑”を司(つかさど)るもう一人は、ここに来ることに間に合わんかった」

「声」は、しばらく沈黙を続けてから話を続けた。

「・・・・調(ととのえ)えられたすべてで、和(この世のバランス)が整えられるわけではない。」

「お前たち自身の心・くくるの強さ、(肝ちむ)が必要とされるのじゃ。」

「(器・うつわ)もまた、人を選ぶのじゃ。」

「持つにふさわしいかの試練がおまえたちを待っているだろう。」

「それが相応しくなければ、あるいは固辞するならば、おまえたちにあの(光の輪)をくぐることを許そう。」

二人は目をみ合わせた。

光の環とは、生きとし生けるものが終(つい)に還ることなく旅立つ入口の“門”であることは、すでに気づいていた。

目を凝らすと、ほとんど透明になったような淡いシャボン玉のようなものが、“光の環”へと吸い寄せられフッと速度を増したかと思うと吸い込まれていくのがみえる。

「魂だ。」

「魂はこの“光の環”のまえで、一瞬にその過去のすべてを振り返る。」

「想いを残すことがないものは、この環をくぐる」

(自分たちがなぜここにいるか?そして何のために生まれてきたのか?自分とは何なのか?自分たちの納得を捜して二人は互いに交信しあう。さだめとは運命を生きる事。)

繰り広げられた光景や降り注ぐように沁みこんできた“知識”はあますことなく、その意味を二人に伝えていた。

言葉もなく想うだけで心が通じ合うことに驚きを感じながら二人は、互いをたしかめあって(降りてきた声)に想念を送った。

「諾」と。

声が言う。

「琉の島より子夘辰(東南)の方角、その空・海果つるところに島がある。」

「島の名はウフアガリ。」

「そこに遥か昔ヤマトゥから遣わされた(ハチジョウアカハチ)という男がいる。」

「もとは人であったが、持ちし剣(つるぎ)の魔力に負けて剣の付喪神になり霊力に操られておる。その男に護られる剣こそ、十握剣(とつかのつるぎ)という3振りの霊剣のうちの1振りなのじゃ。」

「この男の護る十握剣(とつかのつるぎ)は、今”邪”への統制が利かない。何度も言うようだが手にするものの”心・くくる”が大事なのじゃ。」

「いけば、わかる」

(降りてくる声)は遠ざかって行った。

二人の視界が閉ざされていき、突如として中空に浮いた状態の二人の足元が割れた。

二人は闇の中に放り出され、トンネルの様な中を信じがたいスピードで滑り落ちていった。

二人は気を失った。

・・・・・・目覚めると・・・・・。

供物が捧げられている泉のほとりに横たわっていた。

どこかの御嶽(うたき)とおもわれる。

(この地で御嶽と呼ばれるものは、神が地上に降りるときに使われる出入り口であるとともに、死を迎えたものが帰すべきところへ向かう出発口でもあるのである。このような、ある種の霊気が吹き上がってきたり、空から降りてきたりする場所が地上にはある。
そしてこの出入り口では、意識のレベルによって星と星など惑星間や時空を超えて移動することもできる。生身の人間では己の肉体という概念から解き放たれないと時空のトンネルで”神”の概念、素粒子レベルまでの自己分解に至らない。従って唯一”死”とは”魂”という意識レベルが、肉体を地上の構成要素に返し解きなはなたれることを言う。)


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