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2013年02月11日

カムイたちの黄昏、その6











今週は、祝日が明けたら多分すっごく忙しい。

数えても、大きなヤマ場が最低3回くる。

すべてが、自分の今後に直結する事柄ばかりだ。

なんで重なるの?

かなり、スピリチュアルを感じている。

自分の勘は、5分5分。

つまり、”わからん”ということ。

先週までは、間違いなく何かの流れが良い方向だった。

バイオリズムってある。

今更どうしようもないが、”運”を天に任せて自分を信じたいと思っている。

静心(しずこころ)で、午後3時すぎ仕事を切り上げてからアーサー王の伝説の筋を読み返し自分のファンタジーの舞台とする島の背景と重ね合わせて筋の展開を書き始めた。

いま、午後10時半前。

食事以外は、6時間近く座っていたことになります。

アーサー王の伝説は、ケルト民族とアングロサクソンの攻防の歴史でもあるらしい。

神剣エクスカリバー、聖杯・・・・・。

これから、記事をUPしてケルト音楽聴こう。

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ウフアガリの島にて

二人が降り立った島は、天照大神の差配する領域の最西端にあたる島であった。

琉の島からは“あがり“すなわち陽・ティダが昇る東に位置するが、ヤマトゥからみれば西・イリ、陽が沈むところ若しくは南・フェイ・ハイの方角である。

神々が生まれるもっと前、島は環礁というドーナツ型のサンゴ礁であった。

サンゴの屍が累々と築きあげられ、海面からせりあがっていった島である。

そして、地の底の移動とともに、遠く南の海から気の遠くなるような時間をかけて北へと移動してきたのである。

カルデラという地形に似ていて、外輪山(がいりんざん)に当たるのが幕(まく)と呼ばれる競り上がった外壁のような地形である。

大海の孤島という外見の荒らしさと別の静寂な空間に、内輪部分は満たされている。

秋葉(あきば)という名の社・祠は今でも全国に多い。

これは、概ね“火伏・ひぶせ”や“鍛冶・かじ”の神を祭ってある。

“イザナギ”と“イザナミ”との間に生まれた火の神“カグツチ”が“イザナミ”の陰部・ホーを焼き尽くし産み母“イザナミ”を黄泉へ送った。

逆鱗した“イザナギ”は持っていた十束剣(とつかのつるぎ)で“カグツチ”に切りかかった。

切り殺された“カグツチ”の血が飛び散り再び神々が産まれた。(古事記より)

飛び散った血の一部は、この島に落ちた。
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島の蝙蝠“ウフーソ・ヒルコ”は、二人の男女が突然空間を割いて現れたことに驚いていた。

(また、禍が来たのかしら?)

“ウフーソ・ヒルコ”は、御嶽の見えるサンゴによる石灰岩の割れ目にいた。

長い年月を生きて“高いセジ・霊力”がついた蝙蝠のウフーソは実はイザナギに捨てられた“蛭児(ヒルコ)”の霊力による化身である。
(蛭児・ヒルコとは、神として生まれながら三歳になっても脚が立たなかったので天磐豫樟船(あめのいはくすふね)という船に載せられて風のままに放ち棄てられた神である。)

“ヒルコ”は風の間にまを漂いながら、この島に降り立った。

若くて好奇心が強い生命力あふれる“ウフーソ”という蝙蝠がいた。

ヒルコは、この若い蝙蝠に憑くことによりその身を永遠に隠していたのである。

“ウフーソ”の中に“ヒルコ”がいて、“ウフーソとヒルコ”は一体だった。

この島の降り注ぐほどに天を覆い尽くす星の数の年月(としつき)・・・島の中は平穏だった。

あの時から、ウフーソは年を取らなくなった。

自分の実態さえ分からなくなっていた。

そう、あの時から・・・。

あたりを見回す二人をしばらくの間観察していた彼女は、とても好奇心が強かった。

とうとう我慢出来ずに塒(ねぐら)にしていた割れ目から声をかけてしまった。

「あなたたちは、誰なの?何しに来たの?」

二人(の心)に問いかけた。

「失われた“剣・つるぎ”を探しに来たのです。」

「剣?」

「“剣”の名は、十束剣(とつかのつるぎ)と言います。」

「なんと!だいそれたことを。やめときなさい!」

「知っているのですか?その“剣”がどこにあるのか」

「知っているも何も、その“剣”はどこへもこの島から持ち出せないよ」

「あるのですね?」

「あることはあるのだけどね・・・・。」

“ウフーソ・ヒルコ”は、思い出していた。

彼女が憑いた蝙蝠が、まだ若く仲間たちと夜の闇に月桃のかぐわしい香りに誘われて恋を語らっていた頃の話である。

夜空が燃えるように赤く染まり、天空の一角が轟音と共に大爆発を起こした。

幾千もの光が空一面に飛び散って落ちていった。
(それは、“イザナギ“が“カグツチ”へ怒りにまかせて“剣”を振り下ろしたときの事であった。)

その1本が矢のように、“島”へと一直線に落ちてきたのだ。

光の矢は“幕”の内側の密林に突き刺さり、燃え上がりあたり一面を焼き尽くした。

ウフーソたちは、逃げ惑った。

一人の男が、焼け跡に立っていた。

琉の島では“ヒヌカン“と呼ばれている火伏の神”アキバヒノヤギ“が降りてきた瞬間であった。

ウフーソたちは、ようやくのこと、岩の割れ根や洞窟に逃げ込み難を逃れていた。

やがて、焼け跡の場所に雨が来たあと、遠く天空まで途切れず続く“虹”がかかるようになった。

島の御嶽(天空への路)の誕生である。

その後、天空ではイザナギがイザナミを追って“黄泉の国・根の国”へと足を踏み入れていた。

這う這うの体で、黄泉比良坂(よもつひらさか)から逃げ帰ったイザナギが黄泉の国の“穢(けが)れ”を落としたとき、黄泉の“悪霊”もふるい落とされ天空の路より島にこぼれ落ちてきた。

黄泉醜女(ヨモツシコメ)である。

“シコメ”は黄泉の鬼女である。

食らい尽くすことでも救われぬ“飢餓”に住む鬼女である。

わずかではあったが、流れ着いた人々が島に住んでいた。

シコメは、この島をわずかのうちに飢餓の島に変えた。

黄泉の鬼女は、物を食らわない“こころ”を食らうのである。

人々は争いその憎しみや我欲の心を、シコメはむさぼり食らった。

島は、暗雲がいつも垂れ込めたようになった。

ヒルコが静かに隠れて暮らす“島”の安寧が破られようとしていた。

ヒルコの弟は海の荒ぶる神、“スサノオ”である。
(姉は、太陽を司る三神ティダアマテラス・天照大神・モシリコロフチ、兄は月を司る“ツキヨミ”である。)

十束剣(とつかのつるぎ)は黄泉の国からの“イザナギ”の逃走に力を発揮した。

一度は、悪霊の追撃を振り切ったはずの十束剣(とつかのつるぎ)を持つ、スサノオにヒルコは救援を求めた。

剣を携えて遣わされたのが、“ハチジョウ・アカハチ“であった。

絶海の孤島で、黄泉の国で繰り広げられた戦いが繰り広げられたのであった。


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