てぃーだブログ › 雉鳴いちゃった

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Posted by TI-DA at

2013年03月25日

これでいいんかいな。

フクイチの現場からは一番遠い沖縄で、フクシマのこと細々と情報発信してきた。

それが何の意味があったのか?

2年経つと漠然と疑っていたことが露(あら)わになることがある。

震災から2年。原発事故発生のあの日私たちNHKはSPEEDIの存在を知りながら「精度の信頼性に欠ける」とした文部科学省の方針に沿って、自らデータを報道することを取りやめた。

国民の生命、財産を守る公共放送の役割を果たさなかった。私たちの不作為を徹底的に反省し謝罪しなければならない。


こんな言葉をツイッターに残し、NHKの1人のアナウンサーが辞めました。

堀潤 NHK退局の理由まとめ

内部告発に近い、そして勇気のあることだと思う。

なかなか踏み出せない1歩。

他方隠れてこの国を支配していたかれらは何でもできると思ってる。

なぜ?

国民が馬鹿だから・・・と思ってるに違いない。

自分たちは、頭が良くて自分たちほどこの国の未来を考えている人間はいないと思ってる。

自分たちは、選ばれたものだと思ってる。

どこが違うのか?

違うはずもない。

これを選民意識と言う。

区別することが、差別と気が付いていない人たちです。

TPPだって原発再開だって、辺野古移転だって熱が冷めればずるずる行くと思っている。

この国の国民は、アホだから・・・・とおもってる。

こういうことを、私は”べろん”と言っている。

舐められっ放しやんか。











  


Posted by yo1 at 20:59Comments(0)フクシマノート

2013年03月23日

つもりがつもって・・・・









築32年のぼろアパート。

入居者12室中1名という壊滅的なアパートがオトンの死後残されました。

固定資産税も出てこない最悪の物件。

リフォームを施しました。

募集の小冊子に載せていただいて、いただいてきました。

入居していただきたい方を想定してリフォームしました。

いわゆるターゲットを絞ったつもり。

その過程において、不動産屋さんの担当の方に説明したつもり。

この小冊子を受け取る段になって・・・・・。

”うちは、9割が学生専門の不動産屋です。”

えっ!

独身・独り暮らしの勤め人と言う設定がガラガラと崩れました。

”早く言ってよ!”

大学の合格発表はすでにほとんど終わっているし、部屋探しのピークとリフォーム完成にタイムラグが生じました。

借り入れでないので、返済などの負担は無いのが救い。

コツコツ1年かけて埋めてくしかないわな。

価格も、不動産屋さんの意見取り入れ・・・・。

安いんでないかい!

沖縄ちょっと移住の資金の一部廻した次第。

沖縄物件購入資金より、その後の生活資金の安定化はかりたかったわけで・・・・・。

現在最後の一人も退去し、入居者0!

自分で住もうか!

こんな事態にも、明るく爽やかに・・・・・・生きたいものですね。


  


Posted by yo1 at 18:28Comments(0)日記

2013年03月21日

はるよ~

けっこう、毎日大変です。

じっと我慢の時期かと・・・・。





お店の庭に”越前水仙”と”かたくり”がやってきました。

♪春がペンキを肩に~♪

自然は判りやすくてよい。

季節が来たら、手順を間違えずにちゃんと時間スゥィッチを押す。

人間様は?

そうは、いかんのですわ。

ここは焦らず、♪時の流れに~、身をまかせ♪

溺れないように、流されないように。

http://www.youtube.com/watch?v=kYFqI9h7MTw

ぁつ!夫婦関係とか愛情問題ではなく、自分の人生と言うかセカンドキャリアについてなんですけどいくつかの壁を感じてます。

我を張らずに、しかも流されずにという交渉事が続き・・・・。

終わったら、ヨメはんと沖縄行こうねと言っております。(はい!)  


Posted by yo1 at 07:34Comments(0)日記

2013年03月18日

ぷりまべ~~~ら。



以前紹介させていただいた、ポルトガルの演歌と言われるFADO。

それは英語で言うとFATE運命とか宿命と言う意味。(ウィキより)

ちあきなおみさんと言う歌手が好きで、彼女が歌った”FADO”というポルトガルのど演歌に出会いました。

マリーザさんと言う歌手のPrimavera (春)という曲。

昨夜聴いて寝ました。

朝、早めに起きたので・・・・。


そして歌声が沁みたので、エキサイト翻訳にいれてみたが・・・・。

いまいち。

日本語にならん。

単語ひとつひとつ拾い・・・・。

うそつき翻訳やっちゃいました。

今朝はfacebookに挙げてみたけど、あの場にはそぐわないスピード。

あまり良い反応なしだったけれど、自分の感動は大切にしたいと思う。

やっぱりいいわ。

意味わからずに聴くのじれったくなって。

Mariza Primavera 歌詞 - Audikoで元歌詞検索してくださいね。(こういうのコピペできないのですが、ソース表示させればいけるときあり。ダレニモイワナイデクダサイ。)

以下、すっごく意訳ですけど、歌の感じは掴めるかもね。

この詞は正確ではありませんが、僕のこころは以前よりこの歌に近づきました。

私たちが捕まってしまった愛と言う名の監獄。

私にとってあなたはのがれられない牢。

それも壊れてしまいました。

ああ、運命の”春”よ。

誰がこの事を感じえたのでしょうか?

あの春の日に終わりを迎えるなんて。

亡くなってしまった貴方。

貴方なしで、生きるなんて。

生きていくなんて。

貴方との日々の魅力を忘れることに、涙ぐみ想いは枯れません。

ああ、春よ。

春よ。

私に与えられたのは、孤独と言う名の”パン”と”試練”にいきていくこと。

それを糧にして、わたしの心臓も肺も生き続けなければいけません。

ああ、春よ。

孤独の春よ。

あの人が亡くなった。

私たちが捕まってしまった愛と言う名の監獄。

私にとってあなたはのがれられない牢。

それも壊れてしまいました。

春の日に貴方を永遠に失うという恐怖に。

めぐりくる春と共にそれは生き続けます。

ああ春よ。
  


Posted by yo1 at 22:45Comments(0)語りひとりごと

2013年03月17日

沖縄の川の中。







そろそろ、めだかさんの季節です。

今年の準備に入ってます。

美ら海水族館で、琉球アユの絶滅と奄美からの移植は知ってましたが、琉球メダカも危ないのかな?

メダカは、各河川ですべてDNAが違うそうです。

自分も地元産のメダカと他のメダカを分けて飼育しているし、絶対買ったメダカは川にリリースしない。

沖縄の河川は、もう熱帯魚天国みたいですね。

プレコなんて、アマゾンのナマズだし其の昔¥12.000で買ったことあり3日で死なせて泣いた。

御嶽メダカなんて名前で、10匹¥5.000?

沖縄住めたら、メダカ飼育しようかな?

というか、熱帯魚どうするんよ?

なんか、いまいる淡水種27種中20種外来魚!と言う話。

まずくないか?





  


Posted by yo1 at 22:31Comments(0)日記

2013年03月16日

早春賦



白きたおやかな峰。

私がそう名付けている”白山”。

フランス語で、”モンブラン”。

15日は、温泉の産土神に感謝のお参りに行く日でした。



温泉に行くと、番台のYさんが雪の融けた駐車場を箒で掃いておられました。

誰に求められるわけでもなく、気が付いたことを黙々と果たす姿に”大切で大事なもの”を感じました。

さらに・・・・。



これは、”円ブリオ基金”と言って、生まれて来る赤ちゃんとおかぁさんを支援するNPO法人なんだけれど、その募金箱がお客様から1年ぶりに還ってきました。


ずっしりと重い1年間の、積み重ね。

企業の社会的責任と言う言葉を、沖縄のFB(フードバンク)の方がおきなわFMラジオで話されたのを聴いて、実践してみたのです。(これ、石川県でもインターネットで聴ける)

色々な判断と決断で、温泉経営をバトンタッチしました。

このような活動は、新経営者の方には残念ながら受け入れていただけませんでした。

先日、経営の返還のお申し出を受けました。

それを受けて、5月から再び経営を受け継ぎます。

決して、楽でない路を選んだなと思っています。

家賃のロイヤリティの方が、楽に決まっている。

つくずく、ふら~

曲は早春賦、温泉の周りの風景そのものです。








  


Posted by yo1 at 09:11Comments(0)日記

2013年03月14日

・・・わからんな。

角松敏生さんと言う方の”Always Be With You ”という曲があります。

聴いてみて。



ようつべの投稿者の解説にある通り、アイヌ語と沖縄語でコーラスしている。(6分あたりから)

沖縄語は、なんとなく・・・・。

でも、判らない単語と言うか、自分の沖縄語辞典では追い切れない。

アイヌ語も、インターネット上に辞典持ってるが今夜はもう遅いので持ち出せない。

隔靴掻痒。

どうにかしてという気分。

訳してほしい。

寝られないけど、寝る。

おやすみなさい。  


Posted by yo1 at 23:48Comments(0)日記

2013年03月14日

この空の行方





自分が見上げる空の行方を、冬籠りの雪の中で考えていました。

春が来るのはわかってる。

どんな春かが問題。

今朝の新聞。

春闘トヨタ定昇・ボーナス満額回答?

とっさに思ってしまう。

輸出還付金制度。

下請け企業の分までも払った消費税、もどってくる仕組み。

もちろん国内下請け企業には、払い戻されない。

消費税5%から10%へと。

これ大きい。

リンクの記事でもデフレ下で8千14億円余り。

倍ならば1兆6千億円?

円安なので輸出企業には追い風もふく。

はたして、大手と下請けの賃金の企業間格差となるか円安による受注増を見込み全体ボトムアップするか?

アベノミクスの正体は、資産バブルの再来かも?と言われる。

確実にインフレターゲットは、達成される状況。

恩恵を受けられない業種は、消えていくしかないと予想。

産業の就労別人口の転換により、マクロ的に国内経済を変えていく必要性が叫ばれたのは1900年代だったと記憶します。

変われなかったからこそ、この国の従来の産業が中国や韓国などの近隣諸国へ移行したグローバル経済になっても同じ発想のループに陥ったのか?

TPPは、是か非か?

消費者には”安い”と言う点では絶対お得とおもうが、植民地時代のように単一プランテーション国家として、強い国の永久属国”ぽち”になる可能性あり。

つまり、車作るから食料と燃料おくれ。

国と言うプライド持てないのなら、”ぽち”にならざるをえない。

他方、ひょっとしたらエネルギー革命起こるかもしれない。

今の趨勢では、アメリカが非常に有利。

歴史的な産業転換がやってくる可能性が、大きい。

確実に言えるのは、格差が大きく広がりつつあること。

中間層は、この20年間で4分の一以下に激減している。

つまり、ゼロ・サム社会が近づいてきている。

人口問題とベビーブーム時代の退職者が大きく増える2015年あたりにターニングポイントか?

どうすればいいのか?

見上げる空の先、国境もなく果てなく続いているのだろうな。

考えているだけではしょうがないので、もう動いている。

自己責任です。

誰にも迷惑かけず退場すればいいのですから。




  


Posted by yo1 at 08:35Comments(0)日記

2013年03月12日

きみとぼくはともだちだ。

”骨董屋なんて商売は、「おはよう」と「こんにちわ」以外は信用しちゃいけない商売だ。”と聴いたことある。

それだけに、伝説的人物が多い。

80歳に近い隣県からやって来るじいさんは、市主と言って自分でセリ市場を持っている。

いわば、仕入れにやって来るのだ。

色々な駆け引きを展開する。

彼の口癖は、”きみとぼくはともだちだ。”。

初めての人間は、綺麗に1本とられる。

心底この商売好きなんだろう。

最近癌になったが、輸液の針刺し酸素のチューブ鼻にさして病院からやってくる。

そして、息も絶え絶えの病人が最後にはしゃんとして帰っていく。(ばけものか?)

じいさん韓半島からやってきて、初めは木こりやったらしい。

で、廃品回収から、骨董屋さんになったらしい。

おカネ?億の金溜めてるともっぱらのうわさ。

経験と根性が違うんだわ。

とてもまねできない。

真似できないと言えば、・・・・。

この御仁、特技がある。

まれにみる、絶対音感の持ち主。

あるとき、ホテルの業者懇親会でピアノの音程(鍵盤)を教えてもらったそうである。

業者市に出た古ピアノ競り落とし、・・・・・・・しばらく経つとなんと!このじいさんジャズよろしく両手で即興でメロディと伴奏ひいて披露したらしい。

歌も抜群にうまいらしい。

私の人生で、もう一人そんな人知っている。

その人のオカァさんは、筆曲”春の海”で有名な宮城某と言う方のお弟子さんだったらしい。

夜半、指を動かしながら口でメロディ口ずさみ練習していた母の姿を子供心に看ていたらしい。

その彼も、弾けないピアノを衝動で買い自分で触ってマスターしてしまった。

絵描きさんなのだが、いまではライブやる。

なんか、世の中にはすごいのがわんさかいる。

”きみとぼくはともだちだ”のじいさんの甥っ子?は、日本で超有名な演歌歌手だ。

これらは遺伝としか言いようのない事実なのか?

わたし?

絶対に音感もってない側の人間。

♪あの~音はいっていってし~まった、もうかえらない~~~~♪

ウソのようなホントの話なんよね~。

しかし、これも骨董屋の噂話。

まゆつば、まゆつば。

あ~、嘘の無間地獄にはまりそうだ。

”きみとぼくとは、ともだちだ”



  


Posted by yo1 at 23:46Comments(0)日記

2013年03月12日

”諭吉”のゆううつ

むかし”聖徳太子”、いま”諭吉”って言うらしい。

只でさえ、軽かった”諭吉”。

このところ、色々と値上げラッシュが控えてる。

羽生えたようなフェザータッチ?

スル-ペーパー。

経世済民 意味
世の中をよく治めて人々を苦しみから救うこと。また、そうした政治をいう。▽「経」は治める、統治する。「済民」は人民の難儀を救済すること。「済」は救う、援助する意。「経世済民」を略して「経済」という語となった。 (goo検索より)

諭吉さんが、中国の古典から引っ張り出したそうで。

おカネを上から流しても、途中でよそのおうちに拾われ代わりに物はよそのおうちが作ったものを自前で買わなきゃいかん。

つまり、途中の自分ちの収入が無いという状態に赤字の貿易収支と言う家計簿。

収入無いのに、もの買えないわ。

これが現実のグローバル経済と言うんだけれど、こんどから”経済”と言う言葉使いたくないわな。

だって、救われてないし~。

アダムスミスさんは、人々の欲が結果的に経済を活性化すると看破しました。

これを”見えざる手”というわけで。

収入無ければ、”手”は初めからうごかせない?

もお~、這っていくか、座るかな?

どうする日本?

”諭吉”はきっと苦笑い。

明治も昭和も遠くなった。

勉強すればするほど、この問題は難しい。



  


Posted by yo1 at 07:07Comments(0)日記

2013年03月11日

記憶とタブー

重い文章です。

読むことをあえてお勧めはしません。

その上で、よみ進めてください。

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その激しい憤(いきどお)りと諦念。

1年前に、私に寄せてくれたメールの文章は今読んでも悲憤に満ちている。

文中の表現に適切性に欠ける部分もあるかもしれない。

以前、私が述べた”村の論理”と”記憶の合理化”と言う言葉は、フクシマを体験した友人の言葉から派生している。

了解を得てはいたが、あの当時全文公開を躊躇した。

伝えきれない事実ってある。

これは、観念論ではなく唯物論ではなかろうか?

すっごく重く難しいテーマが、其処に横たわる。

地元フクシマで生涯を終えたい両親と、一人息子の健康を心配する母親。

両方の願いの折衷案は、彼が東京・福島という2つの家を行き来する生活だった。

その生活が、1年を過ぎようとしている。

母は、老いて認知症を発症した。

父は、癌の術後である。

避難地域でないので、自費生活だ。

終息の見通しは立たない。

行くも帰るも、安寧の道は遠い。

ただ、嘆息するのみの自分も惨めだ。

以下、友人からの1年前のメールです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

震災から一か月がたとうとした頃、あるおばあさんに「福島の人には悪いけれど、震災、震災と、もういいわ。ほんと他のテレビ見たいわ。」と面と向かって言われ、内容というよりその口調の激しさに驚いたことがあった。

正直なところだと思う。

悲劇情報のみを一方的に、そして一か月にわたり朝晩問わず受とめ続けられる程、人間の精神は強くない。

ネット社会になっての未曾有の震災のため、その内容の細かさと激しさは明らかに個人の精神の許容範囲を超えていた。

また言葉や地理や歴史物語などによって、同一感、同族感が強いといわれる日本国民。

その日本国民の悲劇に対し、ただ傍観するしかない「同じ日本国民のはずの自分」に多くの人は矛盾を感じ、引き裂かれる思いだったと思う。

この国の同族意識の強さは、より人々の無力感と心の傷を深めたと思う。

結果的に、さっきのおばあさんのように、やり場のないストレスを抱えざるを得ない。

また同じ日本国民として、被災者より相対的に幸福に見える自分の精神的負債を返すために、ボランティアを行う人々もいたと思う。

 ただ多くの人は、「東北はかわいそうだ」と思い涙しながらも、知り合いもいないし、あまり行ったこともないし、募金はかなりしたけれど、いろいろな距離感を感じ、負い目を感じつつ時が経ってゆく、というところではないだろうか。

被災地に友人知り合いがいない場合、心のきっかけがつかめず、残念ながらリアリティが持てない。

まるで海外の事故のように。恥ずかしながら私も阪神淡路の震災ではそうだった。

一年が経ち、東京の本屋の震災コーナーは消え、マスコミの震災の扱いは予想どおり少なくなった。

そして被災地でのむき出しの悲劇のニュースは、より控えめになったような気がする。一段と美談が増えた。

マスコミは人びとの気持ちを間接的に代弁しているのだと思う。

単純に心の傷が大きかった分、早く強く癒されたい。

つまり出来事が大きかった分、社会の本能として「忘れたい」と思う力も強いのではないのだろうか。

結果的につらい記憶を忘れることは、人の精神のバランスには必要なことだと思う。

積み重なる子供時代からの失敗事をすべてありありと思い起こす人間は精神的に破綻すると思う。

それとともに重要なことは、人は現在の自分に都合よい物語にするため、記憶というものを無意識に少しずつアレンジし続けている、という話を聞いた。

記憶の合理化」というそうだ。

ある時私は、ズーズー弁で必死に窮状をカメラに向かい訴える被災者に向かって「訛るな!」と叫んでしまったことがあった。

一般に海側に住む人々は訛がきつい。

東北弁と交じり合い、やはり字幕をつけられてしまった。

私でさえ違和感をおぼえるその訛り、大都市や西日本から聞けばなおさらだ。

その違和感はズーズー弁に対する根拠のない「愚かで貧しい」のイメージを残酷にも際立たせ、「私達とはやや異なる人々だ」と思わせてしまうだろう。

それが無意識の「記憶の合理化」のなかでいっそうの距離感を作ってしまう。

そこに放射能が加われば、「愚かで貧しく」に「恐ろしい」イメージが加わり「忘れたい」をいつのまにか加速させることになるかもしれない。

そして健康被害の映像が全国に流れた瞬間、距離感などという生易しいものではないだろう。
  
特に同族意識が強いこの国はよく一つの「村」に例えられる。

「村」のタブーは歴史が示すように暗くて重いものだ。

自分たち権力者・多数派の利にならないとされた者は、善悪関係なく異なるものレッテルが張られる。

異なるものとレッテルを一度貼られると、強い同一性が前提となっている分、激しい拒絶反応、しいては差別が起こる。

排除が適当と判断されれば排除され、排除がかなわぬ場合はタブー化され隠語で呼ばれる。

「村」の排除の論理は恐ろしい。

これは「いじめ」だけではなく日本の会社等組織全般で日々行われている事とも言えるが…。

また美談復興話も社会的な「記憶の合理化」の一つの方法だと思う。

原発事故以来ようやく再開された小学校で、低学年生に向かい取材者が「友達に会えてうれしいですか」と質問する。

それは嬉しかろう。

子供の満面の笑顔でニュースが終わる。

見る側は被災地が平常に戻ったと、過去のトラウマは癒され、少し震災が遠いものになったと思う。

しかし、ニュースでは触れられないが、事故後閉鎖されていた学校のほとんどが、文科省の放射能汚染地図で見ても、今でも間違いなく放射線管理区域だ。

放射線管理区域とは本来そこにあるものは持ち出してはいけない、飲食禁止、睡眠禁止の場所だ。

この現実を指摘する人は「記憶の合理化」に反する者、社会の和を乱す者として一部の人から忌むような視線を浴び、本人の希望だと思うが、テレビでは危険を指摘する一般人や、避難した人の目にぼかしがいれられる場合が増えた。

また別な形の合理化もある。

多くの理由で地元に残る苦しい決断をした福島の人々は、健康被害が起こらぬよう祈るような気持ちで日々生活している。

その「リスクある土地で、生活を行わなければいけない」という矛盾を解決するためには、リスクについて「大丈夫であってほしい」から「大丈夫に違いない」に変化してしまう場合が多い。

「わが子は大丈夫だ」そう思わなければ、それこそ日々の精神が持たない。

危険情報に耳をふさぐ。

悲しい合理化だ。

空襲の中でも、すがるように日本の勝利を信じていた人のように。

地元の番組では「がんばる福島」「放射能に負けねーぞ!」「愛 福島」というある意味抽象的な言葉が空疎に踊る。

それは、いまだ信じられない、あまりにむごい現実に直面し続けなければならない人々は、抽象的な言葉にすがり付くしか道は残されていないのだろうか。

その祈るような気持ちの福島の人々と、無意識に精神的トラウマを早く癒したい日本社会と人々。その人びとの気持ちを意識的に利用し、事故を小さく、そして過去のものに見せ、金を節約しようとする東電イコール国。それらが意識無意識かかわらず、大手マスコミの論調をリードし、現実の被災地を美談復興でより押し包んでいくだろう。

その復興美談物語にあらがうものは異なるもののレッテルを貼られ抑圧される。

それが「日本村」の多数派の論理だろうか。

3年後5年後と震災を過去の出来事とモニュメント化し、精神的負債だけではなく具体的責任まで風物詩として時に流す。

流しきれないものはタブー化する。

意識的な権力者は論外だが、やはり最も恐ろしいことは「悪意がない、無意識」の流行・マスコミに依存的な多数派が、この国の無責任の体系を支えてきた事だ。

阪神淡路大震災の10年後、まだ仮設住宅があることを知った時、現実を残酷に時に流す社会と、多数派の共犯者であった自分を深く自覚した。

「日本村」の権力者、多数派が異物のレッテルを貼った者に対し過去に行ったことを思うと心が重い。

足尾銅山。関東大震災。第二次世界大戦での数々の愚行。

在日の人々への対応。原爆被災・水俣病・ライ病の人々への扱い。

沖縄の基地。これらは国の裂け目だと思う。

今回はその裂け目に美談を詰め込み、国の虚構性を隠すのだろうか。

連呼された「絆」も虚構性を持つ国というものが、自らの裂け目に向かって叫んだ恐怖の声かもしれない。

丸山真男などの学者の文を出すまでもなく、戦後、小説家の田中小実昌や詩人の金子光晴が繰り返し述べたように「この国の人々は実は何も変わっていないし、これからも変わらないのではないか」という事が今、被災地で深く悲しく証明されつつある。

「我慢強い」と決められた東北人の被災者の自殺者数が、静かにカウントされることによって。




  


Posted by yo1 at 21:46Comments(0)フクシマノート

2013年03月11日

貯本

息子が引越ししました。

で、要らない本くれた。



昨日の紹介本はもらいもの。



worstというまんが、結構好きで・・・・・。

息子からこぼれてくるのをじっと待っている。

このまんが、前作がありこれも読ませていただいた。

孫の名前は、彼が前作の漫画の主人公から付けた。

なんとも単純な話かもしれないが、先日”彼(まご)が大きくなったいつか、この漫画を彼に見せる”。

”自分がどんな気持ちで名付けたか、伝えたい”。

なんとなく、良い話だなと。

昨日紹介した本


同じようなテーマ。

自分が受け継いで、息子に引継ぎする。

伝えるのは、そのことによる”お前と俺は、親子なんだ”という暗黙の確認というか・・・・。

離婚して、別の人が孫のお父さんになったわけだけど・・・。

大きな人生のテーマを彼は抱えている。

二人の”まなび”につながればと願っている。

人は、同時に2つの人生を歩めない。

自分の経験も伝承できない。

”まなび”ながら生きていくしかないと思ってる。

見守ることが、子離れ。

この”気付き”が、私の人生の”まなび”かもしれませんね。
  


Posted by yo1 at 07:17Comments(0)日記

2013年03月10日

おくなわ。いいね!

facebookというもの、再びすなる。

伝播力は、ブログに比べてかなりのものかもしれませんね。

友達の友達のページの紹介と言うことで、沖縄の奥、島の奥 おくなわのfacebookページが入ってきた。

面白いかも。

情報向こうから入ってくるところが、良い。

待ちの姿勢か、積極的な姿勢か?

なにするん?で決まるんかな。

少しわかってきました。

個人的には”飛ばし過ぎると息切れよ”とアドバイスもあり。

朝、5~6時起きの生活が続く限り、毎朝この雉ブログとfacebook併用はできるかも。

年寄りになったせいもあり、ビジネスにジャンジャンはもう無いし、結局どうなんでしょうかねぇ~。

今晩は、そろそろファンタジーの終章へとキィボード叩こうかな。

とりあえず、区切りつけなくてはね。





  


Posted by yo1 at 19:28Comments(0)日記

2013年03月10日

漱石とアンデルセン?

今日、日曜日?

孫守りがあたったので、彼女がTV観ているうちに記事書いとこうかなと。

金沢、雨です。

今日の記事は、いつUP出来るかわかりません。

孫のプリキュア動画攻撃をかいくぐり・・・ということ。

自分のノートパソコンもってきたんだけど、ネットワーク接続のセキュリティキィーかルーターの再設定させてもらえず・・・・。

古いXPを起動して、記事書いている。







お風呂で読む本と、寝る前に読む本を分けてます。

1枚目と2枚目の写真の5巻は、漫画です。

近世(江戸時代)から近代に移行する歴史の波に翻弄される漱石先生の姿を通して、”ぼっちゃん”という小説の登場人物のモデル達が実際の史実の事件と絡み合って進むという筋なのかな?(風呂読みで、まだ1巻おわったばかり)

3枚目の写真の本は、映画になったやつ。

之も読み始めたばかり。

漱石先生の”坊ちゃん”のあら筋から、この漫画の作者はある結論を導き出しています。

痛快小説として捉えられた部分を抜くと、結局この物語の主人公が抱いた憤慨の相手の赤シャツや野だいこが学校に残り”ぼっちゃん”は東京に帰る。

漱石先生、近世の江戸の価値観と西洋の新しい価値観のはざまで、苦悩した。

彼が、本質的に近世(江戸期)の価値観の持ち主で彼のロンドン留学において著しく神経を衰弱させたという事実が彼をして”ぼっちゃん”という小説を書かせたということなんでしょうか?

例えを変えれば、”権力・常識”などという言葉にたどり着くと考えました。

話をポ~~~ンとアンデルセンに振ると・・・・。

彼は、バイセクシュアルでした。

妻を娶(めと)り子をもうけながら、同性愛者。

昨年5月頃まで日本語タイトル”おやゆびひめ”を英語から約してみました。

結末は、同じものは同じもの同士の元へ還ってしあわせ・めでたしめでたしと言う結末で、感じ方や価値観ですっごく不満が残る(えっ!そうじゃないでしょう?)という結末になるんですが・・・・・。

このどうしようもない締念というか、”世間ってこんなもんじゃないでしょうか?”という隠されたメッセージのお話です。

文豪といわれる人たちが、感じたとてつもない厚い壁。

フクイチの事故で、隠されていた部分に綻(ほころ)びが生じ露(あら)わになった”壁”を感じた2年でもあるし、沖縄の憂鬱を知ることの出来た10年でもあります。

明日は、震災が興ってから2年目の日。

その前後は沢山の意見やエピソードがメディアに溢れるでしょうね。

自分なりにこんなこと感じてます。

この記事のカテゴリーは、語りとフクシマノートです。

語りきれない所に、事実も有るんだと・・・。  


2013年03月09日

北国は春にて候

あそびをせんとや、うまれけむ。

雲一つなく菫色の空と昔は言えたが、最近は、黄砂とPM2.5とかいうやっかいものが・・・・。

春霞は遠くなった。

今朝ヨメはんと、近くの山際の田へと走った。



残雪のこるこの時期が狙い目です。



これ、な~~~んだ?

答え:フキノトウです。







まぁまぁの収穫。

早速、味噌汁。



も~~~~苦味・えぐ味最高です。

ゴーヤがおとなの味覚ならば、フキノトウだって負けてません。

毎年、自分たちで採っていただけることが仕合わせなんだと。

たわむれせんとや、うまれけむ

夕刻、仕事の打ち合わせから帰ったら遊びに来てた孫娘のKにつかまった。

庭に椿の実がたくさん落ちていたので・・・・。



固い実に、ドリルで穴あけてみた。

テグスを用意してKに通させました。



椿の実のネックレス。

家の中に入ったら、ドラえもんのなんでもポケットみたいにポーチの中からデコデコなものをとりだし。



ヨメはんに、ボンドでくっつけてもらい。



ふ~~~~ん。

で、散歩にも行って公園でどんぐりのはかま拾ってきた。



明日、100均行ってビーズとイヤリングの金具を捜す。

どんぐりのはかまのイアリング。

朝からお守を頼まれて。

・・・・明日はワタスの展示会の初日なんですけど。

ヨメはん。”お守お願いね”

なんとも緊張感のない話で。


  


Posted by yo1 at 22:56Comments(0)日記

2013年03月09日

思い遣りの中に生きる国

”語り”というカテゴリーで書きます。

つまり正解のない世界の話ってこと。

facebookをなぜ1年間開く気になれなかったのか?

3日間ほど、試運転してやっと気が付いた。

facebookはある意味共有感・価値観が支配するサンクチュアリ(聖域)なんだ!

昨夜、連続していくつかの記事を投稿してみました。

”いいね”という反応にばらつきがあるのに気が付いた。

そうか!

ハタと気が付いた。

少なくとも、相手も自分もわかったうえでのお付き合いって”思い遣り”という”安心感”が無ければいけないってこと。

いじわるおじいだから、”でも、その思い遣りってなによ?”って考えてしまう。

全体像がどうなっているかわからないけれど、”その場限りの思い遣り?”ってあるかも。

今朝の朝食のとき、ヨメはんに話したら、”それって、その場限りの思い遣りかもね?”と言われた。

うっかりブラックジョーク書けないんだと・・・・。

誤解を生みやすい性格であることは認める。

ブログもそうね。

コメントなどで失敗している。

ヨメはん曰く。

”また、村の論理に振り回されないように”

ぁっ、しっかり人の雉ブログよんでるやん!

ついでに、その場限りの思い遣りではなく”思い遣りのなかで生きている”を実感した次第。

うまくいえないけれど、”いいね”の向こうにみんなが求めている本当の何かが見えたような気がした。

でもそれならば、めっちゃ向き合い傷ついて判りあいがなければな!と思った。

人ってそんなに簡単に判りあえない。

でも、ここ何年かの沖縄ブログ生活でお会いしたこともなく、でも何年も互いの記事読んでたら誤魔化しようなくわかる部分ってある。

地雷を踏むことだってある。

でも、積み重ねた時間のなかにあるものの確かさは、美辞麗句を並べた文章より自分の内側?

思い遣りってなによ?

明日から、自分の”あなたの思い出家具・お直し品受け付けます”展覧会。

基本的な位置決めが、ヨメはんの「これは、こーでねぇと」で決まった。





そうそう、思い遣りのはなし。



昔の足踏みミシンの椅子。

流行のくつろげる機能を科学した椅子ではないんですが、座った途端懐かしさがこみあげてくる座りごこち。

オカンがひざ痛めて玄関先で靴はけなくなって、間に合わせに作ってあげたところから始まったイス。

結果的に売れ続けていたけれど、売れ行きは鈍くなってきている。

使い手に段々、そんなゆとりがなくなってきているのを感じてます。

トレンドは、作り手の思惑を超えて動いていくものですが”芯”は動かしてはいけないと思う。

そんな思い遣りを、実感したいな。

出会いを求めて。









  


Posted by yo1 at 09:04Comments(0)語り

2013年03月08日

わじわじ~、なめんなよ~!

タイトル面白そうで、中身スカスカの典型記事です。

預かり物の修理とリフレッシュは塗り替え前の金具外しの段階です。



70~80年前の木ネジって、錆びてるし食いこんでてなかなか外れない。

ホント、わじわじ~するんだわ。

プラスネジの場合は、食いこみのとっかかりがあればプラスドライバーの種類で何とかするが・・・・。

マイナスとなると、ねじの谷の部分に噛みつかないと”なめる”といって回らなくなる。

そんなとき、ネジ自体をドリルで削りとってしまう。


1.8~2ミリのドリルで、ネジの中央部にマーキングする。



ネジ穴に入るくらいの径のチタニュームコーティングのドリルで一気に粉砕掘削。





なめて廻らないネジはこのように”なめられないよう”に落とし前をつける。

もちろん、ネジを外すときは”なめんなよ”と心の中でお祈りする。

  


Posted by yo1 at 23:23Comments(0)日記

2013年03月08日

つれづれなるまま。


                  





                  



しめしめうまくいったわな~。

今日一日、温かかったなぁ。

10日から、ヨメはんの依頼で自分の作品展と言うか発表会します。

他の企画展の作家さんの日程のやりくり付かず・・・・。

前半のピンチヒッター。

実は、沖縄旅行企画していたが、断念。

隙間あいた。

自分で責任取るしかない。

自分的なテーマを設定。

80歳のオバァを再び嫁に出すプロジェクト・・・・なんのこっちゃ?

最低80年近く経った嫁入り箪笥やもう用途が無い刀箪笥・古民具などをリフォームしなおしてもう一度使ってもらおう。

ぁ!人間様は無理です。

まず、陳列棚の撤去から。



するとそこへ、愛犬が現れた。



うろうろシーサーの前を行ったり来たり。



棚板は、5分で分解。



やがて玄関よこに・・・・。



呼ぶと走ってきた。



体がななめ30度ぐらい傾いて・・・・。

私の左側を行き過ぎていった。

急ブレーキをかけ、戻ってくる。

なんか変な犬。

ヨメはんは、いつかしゃべってくれると信じている。

こういう願望の飼い主は多い。

そのうち、自分が産んだと言いだすに違いない。

それでは、父は私か犬かと言うことになる。

里見八犬伝か?


取り留めもまとまりもない話。

おやすみなさい。  


Posted by yo1 at 07:34Comments(0)日記

2013年03月07日

アクセスしないのに・・・・。

3月のお店のブログトップページの企画展案内の更新を今終わらせました。

これは、私の仕事であり・・・・。

しかし、中身の記事は昨年2月くらいから、ヨメはんが記事書いている。

それで、大きく変わったことは写真のセンスが自分よりやたら”うまい”と評判なこと。

”ふん”と言う話で終わっていたのだが・・・・。

アクセス数を何気に今日観たら・・・・・!!!

なんと、11万アクセス?越えてるやんけ。

自分は、ほとんどアクセスしないでひたすら”雉”書いてるもんで勘定には参加してないし・・・・・???

何なんでしょう。?

昨年は、こつこつ5~6万くらいかなぁ~。

しかも、携帯からのアクセスはカウントしてない設定。

たぶんそれ以上の数と推測。

ヨメはんの記事は、あたらずさわらず安全運転。

あ~、文章も短い。

でもなんか不思議。

そういえば、自分が担当していた頃はコアな読者が多かったっけ。

まぁ、内容軽くないし・・・・・しょうがないと言えばしょうがない。

どうしてもお客様の顔色と言うか気にしないで、政治的なことや主義主張を前面に出して過激な部分もあった。

商売と考えるとね。

で、ヨメはんに譲った。

いまは雉書いてお気楽なもんです。

まっいいか。

ヨメはんには、申し訳ないががんばってね。

  


Posted by yo1 at 22:48Comments(0)日記

2013年03月07日

私の好きな沖縄。



旅人のノスタルジーかもしれないし、ほんとの沖縄知らないくせにと言われるかもしれない。

本部半島の突端の小さな集落が好きです。

この写真は、知りあいのfacebookのトップページにあった家族写真です。

そのまんま。観光ポスターになってもいいくらい。

去年かおととし、この方たちのおかぁさんを備瀬の集落へと案内しました。

案内したのは、ホテルの朝食前の6時半くらいかな。

集落のフクギ並木は、箒(ほうき)の掃き目鮮やかに清められていました。

清々しいマイナスイオンみたいなものが満ち満ちているの感じる。

やがて浜辺に出て、伊江島が美しい姿を見せる。

懐かしいな。

素敵な写真だったので、了解を得て掲載させていただきました。

沖縄へ行きたいであります。

  


Posted by yo1 at 18:10Comments(2)日記