てぃーだブログ › 雉鳴いちゃった

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Posted by TI-DA at

2013年03月07日

”雑草”と言う名の植物はない。

雑草と言う名の植物はない・・・・とは昭和天皇が言ったとか言わないとか。

有川浩さんの”植物図鑑”という小説よんでいます。

”なんか読む物、おくれ”とヨメはんにお願いしたら・・・・。

”これ”と一言。

・・・・・・・・・・・面白い。

ありえない話が、ありえるように思えてくる。

都会の道端や造成地の名も知られてない草花が食料になる。

主人公と相手の青年の”食と料理”を通した心が優しくなる物語。

”雑草”と言う名の植物はない。

そうだよね。

人間だってみんな其々が”こころ”を持っている。

自分さえ良ければと、踏みにじっていいわけないわな。



何年も前に戴いた蘭の一種の鉢ですが、今年も咲いてくれました。

とてもうれしいことがあった時、いただいたので戴いた気持ちを大切にと夫婦でお世話しています。

今年は、鉢の植え替えかな。



昨年まで温泉の番台してくれていて、ガンジス川へバタフライしに行ってきて人生観変わって、巫女さんになった”さっちん”が置いていった苔玉。

温泉の経営交代してから,行ったとき水も与えずひん死の状態。

そっと持ち帰り、諦めながら水やりをヨメはんがしていたら枯れた茎の横から芽が出てきました。

ホント偶然ですが、”さっちん”が友達のカップ割って金継の依頼に。

見せたら喜んでくれた。

で、5月から温泉の番台復帰が決定。

雑草と言う名の植物はない。

この言葉沁みる。  


Posted by yo1 at 06:25Comments(0)語り

2013年03月06日

きのめどき

季節が春に向かう時・・・。

植物さへ、体内時計のスィッチが入るんですから・・・・。

今朝TVのみんなの体操しようとしたら、めまいして自分のビジョンが左から右へと勝手に移動していく。

なにこれ?

一過性と気にしないで午前中は仕事を進めました。

お昼前・・・・。

吐き気が来た。

再びめまい。

あんれ~。

脳梗塞?

店が休みで、外出中のヨメはんを呼び寄せた。

そういえばその前に、mieyoがカンボジア土産に韓国のりと黒こしょうを持ってきてくれて・・・・何故か現場に遭遇。

脳神経外科に急行した。

CT撮ってもらったが、脳に異常はなかった。

診断は?

耳?

らしいということらしい。

吐き気止めもらい、帰宅。

7時前まで寝ていたが、夕食なので口にした。

で、さっきパソコンンの前に座ったが、画面へちゃげて・・・・・吐いた。

吐くと楽になり、もう一度座ってこの記事書いてる。

20~25年前に、そういえばこんな経験した。

三半規管とかバランス感覚がなんとかとか・・・・。

”きのめどき”は、人の体の体内スィッチも押すのだと思う。

結構、影響受けやすいタイプ。  


Posted by yo1 at 19:38Comments(0)日記

2013年03月05日

初めの一歩



この大量の塗り直した80年~100年前の箪笥は、3月1日きっちりと納品させていただきました。

腰を痛めたので、3日ほどウダウダとしていましたが、次のお客様のオーダーに取り掛かりました。



終戦時、大陸から引き揚げるとき診察器具を積んできたというお医者様の遺品の長持ちトランク。

修復とレフレッシュです。

総楠(くすのき)造りという大変レアなものです。(箪笥の虫除けの樟脳の原料)

2個お預かりしました。

割れているところが多くありとりあえず、接着と欠け継ぎと言う作業。

どれどれ?





たぶん、カギ失くして蝶番(ちょうつがい)もぎ取って開けたので裂けてるんだわ。

アロンアルファの木工用は、細いノズルが付いている。

けっこう強い味方に・・・・。

裂け目に沿ってノズルを差し込み・・・・。





普通クランプと言う道具使うんですが、自分的には”はたがね”という別用途の道具使う。

しかも細かく締めこむんだけれど、物との間に積層合板と言うもの挟むと均一に圧力が働き、かなり裂け目が目立たなくなるはずです。

完全にとんでなくなっている部分は、とりあえず蝶番が効くように欠け継ぎという木をはめ込む。









これは今日買ってきた、新製品のクランプで絞めてみました。



なんせ、1個¥148~170くらい。

やっすくねぇ~?

予算余裕かまして、セーフ。

道具増えて満足、満足チョキキョロキョロ

蓋部分の立ち上がりは、折れてなくなっていた。



これはしょうがないから、外して作り直し。

楠は以前材料に持っていたが、工場解体の時捨てちゃった。

なんか代用捜しましょうねぇ。

で、今後の作業方針を検討。

なんせ、70≒80年は経ていても、虫1つ食われてないってすごいな。

中まで、漆塗るんで代用の木を捜そうかと・・・・。

外装のの塗り方が問題となった。

金具付けて塗ると、失敗と綺麗さを損ねるリスクあり。

こういう時は、丁寧に金具を全部はずし黒枠も本体から外して塗る。

初めの1歩を間違えると、恐怖の2度手間という罠が待ち構える。

2~3日はねっちりと神経使った作業が続きます。

お久に、仕事の記事でした。

一応、真面目に仕事はしてるんだよ。






  


Posted by yo1 at 22:54Comments(0)日記

2013年03月05日

がんばれないわ。



1昨年の夏の終わりにXPから7にの乗り換えました。

2年近く経て・・・・。

このパソコンTV観ながらお仕事できるんだ!

めったに見ないTVをパソコンでWBC観戦。

”ながら観戦”というボタン押すと・・・・。

なんと!

パソコン画面の隅にTVが映ってる。

もちろん、集中するアナログタイプの人間なのでマルチには立ち回れない不器用人間。

機能としては理解できますが、使えないというかそんな器用じゃないんだわ。

ノートなんかもちんまいので嫌い。

携帯片手にブログ書くのも苦手。(老眼で小さい字読めない・ボタン押し間違える・英字切り替えもめんどくさ~)

しかも、デスクトップに座ることにより時間区切っていないとのめり込む性格なので、絶対無理無理。

アイ・パッドなんかは便利そうでよいのですが、自分のためのマシンではなくマシンのための自分に化すおそれあり?

だいいち、そこまでやる動機づけが自分にない。

要するに、使いこなせないということ。

前日の記事に書いたけど、face bookの目的もいまいち理解できないというか・・・・。

”いまでじゅーぶん”なんですけど・・・。

息子なんかは、先日やってきてアイパッドの一番高いやつ買ったとほざいた。

”なんでそんなもの要るん?”わたす。

”例えば、業者市でその道何十年と言うベテランがいるとして、なんか匂いのする品が出たとしようね”むすこ

”ベテランと言うのは、年寄りでネットオークションもできないけど知識だけは豊富なんよ”むすこ

”まあ、そうだわな”わたす

”あいつらにも弱点あるんよ”むすこ

”なによ?”わたす

”まず、品に対する知識の確認でしょ”むすこ

(ふむふむ、それは瞬時にわかるわな)

”一番大事なのが、その時のその品の実勢価格むすこ
(OH!,そこまで言われると、にぶい俺でも理解できる。)

”ようするに、利益でる価格で落とせないなら、赤字になる価格まで相手を追い込むわけさぁ”むすこ
(駆け出しの頃、さんざんいじめられたもんあぁ、学習したんだ!)

”生活かかっとるんよ”むすこ

”そお~、まっ、がんばって”わたす

ある意味、興味深い対話だった。

どの業界でもどの歴史でもそうなんだろうけど、技術革新と情報・合理性の波はそれまでの旧秩序を破壊して次のタームへと進む。

骨董の世界もご多聞に漏れないということかな。

ITにより、世界が変って行ってる。

とんでもない時間に生きてるのかもしれない。

国って要るんかいな?

残さなければいけないものまで流されていく気がする。

追いつけなければ、置き去りになるだけなんだろうな。

そろそろ付いてくのがしんどくなったかな。

人間というか、生き物の限界越えつつあるような・・・。

若い人大変ですね。

がんばって。
















  


Posted by yo1 at 06:21Comments(0)日記

2013年03月04日

なんかえらいことに・・・・。

face book つまらんというか自分に合わへんと、自分で騒いだくせにうっちゃらかしていて・・・・・。

なんかメールに同じ人から何度も承認の督促みたいのが来て・・・・。

しょうがないから、久しぶりにログインしたら・・・・・。

う~~~~ん。

輪が広がり過ぎていて・・・・・。

うっちゃらかした理由は、このティダのブログ書くのに、お手手が一杯で、これに自分の公式ブログとツィッターなんぞとface book 等やっとったら”いつ仕事するんじゃ~”と気づき・・・・。

うわ~~~~~~~~~~。

結構知りあいが参入してきているし~~~~~~。

かたっぱしから、承認押したが・・・・・。

今後どうしよううわーん

これから絶対時間がないもんね。

face bookって、今の自分に必要かな?

再度考えてみよう。

雉ブログ、わたしの地元の人間は数人しか知らない(ヨメはんはぜったい観てると思うが何も言わない)1日10~20人しか閲覧しない秘密のまったりとした時間の流れ好きだったのに・・・・。

とにかく、時間無いんよ。

不思議の国のアリスのうさぎさん状態。







  


Posted by yo1 at 20:43Comments(0)日記

2013年03月04日

哀(かな)し色の空

道路があって、車に乗っていて自宅から数百メートルで、あるいは車から脱出して娘を吹雪から庇(かば)って抱きかかえ倉庫の真ん前で盾となり遭難して亡くなる。

ありえない事が起こったと感じるかもしれない。

昨日の中標津(なかしべつ)での出来事。

”ホワイトアウト”と言う言葉があったと記憶しています。

車のフロントガラス全面が白一色になり、右も左も天地さえ判らなくなるほどの密度の雪が降るとき、それは起こります。

そうなると、車は運転できず立ち往生します。

見る見るうちに、雪はつもり排気ガスの出口がふさがれ一酸化炭素が車内に充満したのでしょう。





今朝の北陸は、限りない蒼さを湛(たた)えた湖の様な空でした。

もしも、”哀し色”があったなら今朝のような空の色かもしれません。

過去、2~3度”ホワイトアウト”を経験しています。

一度は、ヨメはんが遭遇し携帯に助けを求めてきました。

”とにかく、車を止めて様子見て!”

これしか言えません。

亡くなった人達が家を目の前にして、携帯で助けをもとめながら通信が不通になる。

他人事には思えませんでした。

哀し色の空、今日は北の果てまでこの空が続いたのでしょうか?



ロゼット状で越年した雪割草が、イカリ草の陰から背伸びしようとしているようです。

限りない高みを見せる空。

北国は、爆発的な春が迫っています。

この空の色を見ることなく、逝ってしまった人たちに哀悼をささげます。

嗚呼、春が来てる。





  


Posted by yo1 at 19:57Comments(0)日記

2013年03月03日

本当にあった?怖い話。

語りと言うカテゴリーということで、定かではない話の1つを語りぶしゃーし。

息子は、中学の同級生たちと沖縄旅行に行って10日ほど前に帰ってきた。

吹雪の北陸から沖縄へ行ったら、暑いのなんの。

で、夜のホテルでは窓開けっ放し。(結果的に彼は風邪ひいた。)

那覇市内で酒飲んで、まだ足りない面々が息子の部屋で吞み直したらしい。

怖かった話をしようと言うことになったらしい。

メンバーに女性もいて、彼女たち(二人が同じ体験者)が入った女子高(現在は共学となった)の1年生当時のクラスの出来事から話は始まった。

高校に入ると、色々な地区や中学から新入生がやってきて初めはなかなか打ち解けないものです。

その中で、本当に地区も学校もバラバラ同士の4人が突然ニックネームの様な昔の人の名前で呼び合うようになった。

4人は、とても仲良しで固まったらしい。

1か月もたたないうちに、教室に異変が起こり始めた。

発狂したように狂う生徒が出始めたそうである。

1人は、学校をやめていった。

クラスには体調を崩す生徒も出始めたらしい。

そんなある日、クラスの担任がやはり神経を病み休職したらしい。

新しくきた教師を、4人は”殿”と呼び始めたらしい。

なんかやばいなと同級生の2人は感じてたらしい。

ある日の休憩時間。

クラスの一人の女生徒が、狂ったように暴れだし泡を吹いて倒れたらしい。

例の4人のうち一人が”殿を、殿を呼べ!”と叫んだらしい。

”殿”が急いでやってきた。

4人は、倒れた生徒を取り囲み、”殿”がその生徒に”手かざし”を始め呪文のようなものを唱えてらしい。

当然、周りで見ていた他の生徒は、事態が吞みこめず唖然とした雰囲気になったらしい。

倒れた生徒は、やがて意識を取り戻したそうだが何も覚ええ居なかったということである。

”あんたらいったいなんね?”

この1件があって、他の生徒と詰め寄った。

4人の一人が、答えた。

”信じられないかもしれないけれど、あすこにある木はある世界との通路で、そこからこの世界へ逃げ込んだものがいる”

”私たちは、そのものを追ってきた”

俄かに信じがたい話ではある。

この事は、父兄の間で問題となり”殿”と呼ばれた教師は、学校を去った。

4人と言えば、互いに呼び合った名前も忘れたように赤の他人となっていったらしい。

”あそこにある木”はその後3年間を過ごすと確かに不思議な木だったらしい。

なにせ、冬になり雪が降っても、その木だけは絶対雪が溶けたように積もらないらしい。

ありえないと思うかもしれない。

しかし、雪国の人間は知っている。

山奥の雪深いところでも、最初に雪が溶けだし地面が現れるのは木の幹付近であるという事実。

息子の話の途中から悪寒に襲われた。

話の結末は、沖縄のホテルで突如として部屋の照明が赤い発光と共に消えたことにある。

あまりの突然に、女性の同級生は、悲鳴を上げて逃げて行ったそうである。

この発光現象は何年も前に、息子は経験していた。

当時、息子はわが温泉の支配人だった。

やはり、不思議な能力のある友人とある晩温泉の宿直室で飲んでいたら、突然部屋の電気が同じように赤く発光して停電。

それから、温泉が止った。

初めて書くが、温泉の埋め立ての土は近くの土建業者が奥山の集落のスキー場開発の折、集落の墓地を造成した残土をただで持ち込んだものだという。

火葬が始まってからその歴史は長くない。

その奥山の集落は、何百年も前から湯治場として有名で人は古くから住んでいるところであった。

当時は土葬も多く墓石を移動しただけの移転では、人骨も含め得体のしれないものも含まれていたのではないか?

しかも、後でショッキングな話もあった。

現在温泉があるところは、地元の集落の火葬場が目の前にあったところらしい。

オトンが元気に温泉に出勤していたころの話だ。

事務所にいると、前垂れをした昔の子供が突然目の前を横切って行ったらしい。

息子に至っては、うなされて目覚めると自分の布団の上に髪をふり乱した女の人が馬乗りになりじっと見つめていて、身動きできな状態を何度か経験したらしい。

誰もいないのに、2階で寝ていると窓の外から声がしたそうである。

しかし、昔から火葬場や墓地の跡で商売すると繁盛するという言い伝えがある。

亡くなった人が、人を招くということらしい。

こういう場合、事態を好意的にみることにしている。

商売繁盛、家内安全?

推測である。

息子たちが泊まったホテルが何処か聞き忘れたのであるが、もしかしたら人が多く死んだところや何かの通路とか墓地跡とかややこしい場所だったのではないだろうか?

見えない世界のことである。

信じようと信じまいとの世界である。

息子には、過去変なものが見えてしまうという体験が、多々ある。

彼にとっては、日常なのであまり気にしていない。

息子は、自分がこのように沖縄のサーバーにお気楽にブログ記事書きこんでいるなんて、露の頭も知らない。

ましてや、ファンタジーによく似たこと書いているなんて毛頭考えてもいない。

この話してくれたのは、”本当は怖い沖縄の話”という本を昨年買ったばかりなのに彼が借りて読んでて、”親父あの本読んだ?”という問いかけから始まった。

女子高の話ではなくて、その沖縄本の内容は、沖縄にはスピリチュアルが存在するという沖縄怪談話の本だったからだ。

本の内容は、うなずけない内容ではないなと感じていたから否定はしない。

ある現象(発光)が共通するところに、気持ち悪さと言うか真実味があるのである。

その本には、新都心についても書いてあった。

沖縄はある意味、傷ついた島なのかもしれない。

実感で言うと、スピリチュアルという観点で考えると、玉城城と言う遺跡がある。

あの遺跡の城壁内は、特殊を感じる。

まだ通路が生きていまいか?

数年前に、グスク巡りを集中的にしていた時期があった。

これからも折を触れてめぐってみたいが、名も知れぬグスク跡と鳥居が共存する不思議な場所もあってなんとも不思議な”気”が点在する場所であるに違いない。

神さまや霊魂が存在するかしないかは、知ったことでない。

おがみ屋さんでもない。

事実は事実なんだし、見えてしまうものは見えてしまうとお話。

幽霊は、普通の格好で足もある。

なんてことのないものだと息子は言っている。

いや~、本当にあった?怖い話でした。

怖くないかな?

おしまい。

今日の最終記事。

めでたし、めでたし。









  


Posted by yo1 at 23:42Comments(0)語り

2013年03月03日

いじわるおじい。

ほんと、腰痛で動けないので自宅療養中。(動けるが、明日から新しい注文の仕事に取り掛かるために少しでも治そうと自重中・・・・。)

寝てばっかりいられないせっかち老人で、多分仕事中毒。

寝ては起きてパソコンに向かいブログ書く。

下書きも含め、朝6時過ぎから何本書いたんだろう。

今日一日は、ストレス発散デイです。

今晩も多分書く。

飽きるまで書く。

おしゃべりを書く。

書いてる内容と違うことを考えて書いている。

これは自分にとって、カタルシスなんよね。

ブログ友の記事がすっごく受けた。

2036年の天国にて

自分の亡くなる歳を当ててくれて、尚且つ未来の大切なメッセージまで送ってくれる。

ありがたい話じゃありませんか。

ここです。

ブログ友は、82歳まで生きられるらしい。

まぁ、納得のいく線なのかな。

おまけに、ロンドン生活のプレミア付きだし・・・・・。

自分?

68歳までしか生きられない・・・・と。

運命の出会いは、上野駅。

集団就職?

ふ~ん、いいけど・・・・・。

いじわるおじいになってやった。

ハンドルネームで一回。

下の名前で一回

姓で一回。

都合3回で、応えがどう違うか?

1個だけ最初のお応えを紹介しときます。

私は最終的に、91歳まで長生きします。

運命の出会いは、ラスベガスになりました。

どうでもいいけど、以下のアンサー、90%以上の確率で自分が予感していたことと合ってるのにゾ~ッとした。

この後に記事は今夜最終便。

本当にあった怖い話?

昨日、霊感男の異名を持つ息子が、最近沖縄へ行って体験したお話です。

こわいぞ~。(あくまで書く予定ということで・・・このまんま書かないかもしれない)

以下サイト天国からのメッセージから亡くなった未来の自分から今の自分へのメッセージ。

元気ですか?      
2013年ごろの自分のことを懐かしく思い出します。
僕は68歳で、つまり西暦2020年に寿命を全うして生涯を終えます。
良い事ばかりでは無かったけれど、充実した人生だったと思います。
だたひとつだけ、過去の自分に、つまり今のあなたに伝えておきたい事があります。
それは2015年の秋の出来事。
僕はほとんど運命的に、上野である人に出会います。
そこで人生のクライマックスといえる出来事が起こるのです。
時がくればわかると思います。

最後にひと言。
68年間生きてみて思ったのは、
「危ぶむ無かれ、踏み出せば、その一歩が道となる」ってこと。

では、また。
残された人生を思う存分味わってください。

yo1より 2020年の天国にて  


Posted by yo1 at 17:55Comments(0)日記

2013年03月03日

カムイたちの黄昏、その12



午後になっても腰痛が思わしくない。

で、思い切って今日は全面OFF。

小説読んで寝て、起きたらファンタジー書いてる。

登場人物が多すぎると、こんがらかるし少なすぎると逃げが打てない。

心理描写を入れないと、絵のない紙芝居の語りみたいに講釈師然となる。

読み手の自分として、どのくらいの満足度と予想の展開を裏切るかとか、いろいろ気になってきた。

そこで、登場人物の背景描写と心理状態を入れて、主人公にも悩んでもらうことにしました。

其処んとこが、12話の注意点。

書いてる自分が、先行き読めないように・・・・。

ウフアガリの島編は、バリバリ岩と言う島のスポットの紹介で終わる。

それでファンタジーは一応おしまいにするが、余韻のための仕込だと思っている。

アーサー王と日本神話と北欧神話をミックスさせ筋立てすれば、主体になるのが主人公たちの価値観だろうと思う。

ヒルコとタケルに”自分ってなんだっけ?”という疑問をもってもらった。

自分探しの旅になった。

それは、自分自身の興味というか、問いかけにもつながるということかもしれんね。

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バリバリの丘へ



タケルは、産まれてからずっと一人ぼっちだった。

タケルの兄は、帝(みかど)と呼ばれるヤマトゥの中つ国を治める大王(おおきみ)だった。

国を治めるために、1つの国に二人以上の力があるものを残さないのが王の不文律だった。

タケルは長じるにつけ、大王の影となった。

その秀でた容姿や果敢な勇気ゆえ、兄の大王からは疎まれ遠ざけられた。

常に辺境の異国(とつくに)の蛮族や反乱の討伐に向かわされていた。

たとえ、遠征が1つ終わっても息つく暇もなく次の遠征を命ぜられた。

今回、“琉の島“へ流れ着いたのもその任に赴く旅中のことであった。

たとえその異郷で彼が命を落とそうとも、それはそれで大王を取り巻いて形成される一族にとっては厄介払いの種を始末できたということで一石二丁という話であった。

彼を都で待ってくれている人はもういない。

母はその先の大王の後宮の一人で、先の大王が身罷(みまか)った折、ともその墓に殉じた。

男子だったので、幼くして母からは離されて育った。

唯一慈しみ育ててくれた乳母を、疫病が都に蔓延したときに亡くした。

闘かい続けることでしか、己が生きている意味を見いだせない日々を過ごしていた。

兄の大王は、タケルとは別の母から生まれた異母兄弟であった。

そんなタケルが、琉の島でカナシに出会ったのだ。

言葉を交わすこともなく、モーアシビーの夜に二人は初めて出あった。

そして、2つの魂(ちむ)は天照大神の差配する世界から宙(そら)の真理の口、光輝く環を見た。

肉体を離脱した魂(ちむ)は、その環をくぐりそのすべての“存在“を残された者の記憶以外に消し去り”宙の素“、つまり”無“となっていく様を見せられた。

そして、生きとし生きたものの記憶は、その“環”をくぐる前にその場所に振り落とされていくものなのである。

記憶の図書館がそこにあった。

タケルとカナシは、その場所で己の宿命(さだめ)を知らされた。

神とは生と死を司るもの。

神の手のひらのうえに、私たち常に永劫あらねばならないのか?

いま、カナシがタケルの手からこぼれ落ちていった。

タケルは己の一部がそぎ落とされたように傷ついていた。

白骨(しらほね)と変わり果てたカナシを前に、タケルが長い間こらえていた何かが音を立てるように崩れ落ちていった。

(わたしとはなんなのか?わたしとはなんだったのか?)

受け入れているはず・疑うことを知らなかったものが、堰を切ったようにあふれ出てきた。

ふと・・・・・。

後ろに気配を感じた。

蝙蝠の姿をした“ウフーソ・ヒルコ”であった。

“お前のきもち、よくわかる”

“わたしは、役立たずの(神)として産まれた。”

“三年経って、立つこともできなかったから祖神(おやがみ)イザナギに捨てられた”

“私が産まれた意味”

“ずっと、考えてたさ”

“誰の為に産まれてきのかねぇ?”

“タケル、私も神の端くれだ。”

“祖神イザナギは、母のイザナミを慕って根の国(黄泉の国)まで追っていった”

“よせばいいのに、振り返ってイザナミの姿をのぞきこんだばかりに、夫婦げんかになってしまった”

“その禍の種が、ばらまかれたってわけさ“

“お前さんはこれからどうするつもりなんだい?”

ウフーソ・ヒルコはここまでを、一気にタケルの心へと想念を流し込んだ。

タケルにはどうしたらよいかわからなかった。

ただ、カナシが失われたことが途方もなく悲しかった。

そんなタケルの想いを、ウフーソ・ヒルコは受け止めた。

しばらく沈黙が続いたが、ウフーソ・ヒルコはあることに気付いた。

“カナシは、まだ死んではいない!”

白骨を抱えたタケルが思わず、岩穴の天井にちょこんとぶら下がっている蝙蝠の方を振り返った。

“タケル!カナシの魂(ちむ)は(光の環)の処へ行かずお前の剣の柄がしらに留まっている。”

“光の環をくぐりぬけるまでは、カナシは一応死んでいないのだ!”

“もちろん、生きるものはすべて光の環をくぐるまえに黄泉の国へとおもむく。”

“黄泉とは黄泉がえりと言って帰ってくることもままある。”

“黄泉平坂(よもつひらさか)と言うこの世との境を引き返した話がいくつかある。”

アカハチの十束剣(とつかのつるぎ)で串刺しになったままの黄泉醜女(ヨモツシコメ)は黄泉の国の首魁の一人だ。

“何かの手段を知っていてもおかしくはない。”

””

タケルはウフーソ・ヒルコの言葉を聞いて、何のため、だれの為なら生きる証(あかし)がたてられるのかを考えていた。

タケルの心の気配を察してウフーソ・ヒルコがまた語りだす。

“私も、なんでこのような(神)に産まれたのか、そろそろコソコソしないで歩みださねばいけない時かもしれない”

“お前とともに、バリバリの丘へと行こうか?”

“バリバリの丘?”

“そうよ!アカハチは天から恐ろしい速さで十束剣(とつかのつるぎ)ごとこの島にいた黄泉醜女(ヨモツシコメ)めがけて突っ込んだのよ。”

“その時、岩山が音を立てたのよ。バリバリバリとな。”

”黄泉醜女(ヨモツシコメ)から何か聴きだすことができればカナシは甦る。”

タケルは、決意した。

自分の為に、十束剣(とつかのつるぎ)のもとへ赴くことを。

“カナシを損ねないように、結界を張っておこう“

ウフーソ・ヒルコは、蝙蝠の鉤爪を前後に巡らしカナシの遺骸に薄黄色のオーラを張り付けた。

これで簡単には、だれも近づかんじゃろう。

それから、ヒヌカンのもとになった火伏の神”アキバヒノヤギ“を呼び寄せた。

火伏の神”アキバヒノヤギ“は島が裂けて北のウフアガリの島へ飛ばされていたが、わずかな島人の守られ祀られていた。

火伏の神”アキバヒノヤギ“はカナシの遺骸の周りを、消えることのない炎で覆ってくれた。

カナシの遺骸は、損なわれることなく守られるだろう。

タケルとウフーソ・ヒルコは龍の亡きがらが鍾乳洞となった“星の洞窟”を抜けてさらに北の方角“バリバリの丘”へと向かった。
  


2013年03月03日

ポチになろう。

たとえば会社なら”人事”と”金”を握れば、ほぼ全権を掌握することができるだろう。

国同士では、どうだろう?

資源と技術力は重要な要素だと思っています。

いま世界は、基軸通貨(世界のどこへ行っても通用するお金)を、”$(ドル)”にすることによって金融の秩序を保つルールの中に成り立っている。

その前は、ポンド(イギリス貨幣の単位)だった。

ⅡWAR以降金融の世界では世代交代が行われ、やがてアメリカが”王様”になった。

イギリスは、閉鎖的だった仲良し金融クラブを全世界に開放し、THE CITYとして復活した。

”王様”は何事も仕切らなければいけない。

西に宗教戦争が興れば、石油権益のために軍隊を送らなければいけない。

主義主張の違う国に対抗するために、東南アジの一角で代理戦争をしなければいけない。

今後伸びてきて、自分の座を脅かす若年寄りにはにらみを利かせるために、小さな島に軍事基地を密集させて威嚇しなければいけない。

とにかく、入るお金より使うお金が多い財政赤字と貿易不均衡に悩まされている。

ニクソンと言う人が、おカネの発行量を担保としていた金本位制(その国の金の保有量でお金の発行量が制約される制度)を捨てちゃった。

これは、それまでの固定相場(1$=¥360)を変動相場制という新しいお金の交換(為替)システムへと移行したことを意味しました。

これによって何ができるかって?

ジャブジャブ$というお金が無制限?に刷れるということなんです。

アメリカは、世界に$を垂れ流しまくった。

これで、金融は新しい世界に突入していきました。

ここまでが、プラザ合意以前の復習ね。

押さえといてください。

・・・・・試験に出ます。

2~3日前から気になる記事と言うか、今後の経済の展開に”ひょっとしたら”と言う記事をフォローしていました。

今日は、午前中はOFFにしたので、この記事書くことにしました。

キィーワードは”オイルシェール

背景: 世界最大の埋蔵量を誇るのはアメリカ合衆国のコロラド、ユタ、ワイオミングにわたって存在するグリーンリバー層である。この地域の約70%は合衆国政府の所有または管理の土地である。アメリカ合衆国内の埋蔵量は世界の62%に相当し、これにロシアとブラジルを加えると86%に達する。ただしこれは暫定値であり、まだ発見されていない、あるいは十分に調査されていないオイルシェールの鉱床が存在する可能性もある。

これ現在の石油の代替エネルギーとして150年分くらいあり、石油などと比べると5倍近く埋蔵量がある。

USAにとって好都合なのは、そのほとんどが”国有地”と言うことなんだな。

このことは、世界の警察USAにとって中東など自国の繁栄に不可欠な権益護るために”アメリカの息子たち”を紛争地域へ派遣する必要がないということ。

勝手にもめとけばって話?

基軸通貨は自国のものだし、資源を売ることもできるので赤字解消だ!(やったね!)

掘削と処理技術は、もうほとんど特許などでがんじがらめ。

向こう150年間は、だれも逆らえないと思うんだけれど・・・・。

TPPってそんな視点からも見なければいけないと思いません?

パックスロマーナとは、ローマによる統治の平和と言う意味。

パックアメリカーナ・アメリカ世がこれから始まるのかもしれませんね。

現在、インドネシアなどから電力会社が買い入れる天然ガスの価格が15ドルとすると、アメリカでは3ドル程度に下がっているという。

5分の一よ!。

日本の貿易収支の赤字部分はほとんどが燃料の輸入代金。

安倍さんも、”アメリカ産の安い燃料売ってくださいな”とお願いに行ったのです。

”代わりに何くれる”って話になるわな。

”ポチと呼んでください”

”ご主人様付いていきます”

言ったか言わないか?

為替の世界に戻りましょうね。

アメリカは、早晩ドル安をもとめないか?

だって、たくさんの金額でエネルギー売ることできるもん。

私たちの国との関連を述べるならば、この掘削技術や資材の多くが日本企業しか持ってないノウハウに支えれています。

ということは、このオイルシェール関連資材の会社・企業は株高の中伸びるってことじゃ~ないんでしょうか?

基本的に、MAKE MONEY興味ないし~、今お金ないので興味のある方は調べて投資してください。(私は調べてみましたが・・・・)

話をもとに・・・・・。

為替は、対ドル100円を目安に展開が変わるかもしれない。

このエネルギーチェンジが興ったなら100年に一度と言う大転換が起こるかもしれない。

これをパラダイムシフトと言います

勝ち馬に乗るか乗らないか。

生き残りをかけた、安倍さんの(日本を取り戻す)道は続きそうですね。

あなたは、”ポチ”になりますか、なりませんか?

これは自分たちだけでなく100年後の150年後の未来の子供たちのことでもあります。

何は幸せか?何を大切に生きていくか?

真剣に考えなければいけません。

原発の燃料のウランはもう数十年で枯渇するそうです。

次元が違う話になるのかもしれませんよね。










  


Posted by yo1 at 10:22Comments(0)日記

2013年03月02日

記念パーリー

小学校の頃、”路傍の石”とか”次郎物語”そして”今日も生きて”とか、貧乏ネタの本をオンオン泣きながら読んだ記憶を、ヨメはんと共有している。

それは、身近とか日常に近く今より豊かな人々とそうでない人との格差がたしかに目に見えてあった時代だった。

”今日も生きて”

遠足か何かに行くときに、色物のセーター(よそいき)が無くて、タンポポの煮汁で染めた。

いまなら、草木染とおしゃれなのだが、汗などで滲んで・・・・。

布団は、新聞紙に柿渋塗ったもの。(ごわごわとした感覚が想像できる。)

自分たちより苦労している人たちがいた。

今から思うと、ナンに感動したかと言うと・・・・生きていく事すら必死だった時代は生きていくことだけでいっぱいいっぱいだったということ。

すごく単純だけれど、判り易かった時代。

結局、この日本と言う国が始めから豊かでなかったことを知ってる最後の方の年代かもしれないと夕食で語り合った。

二人とも昭和20年台生まれの同級生。

互いに時代も家庭も決して豊かではなかった記憶がある。

だけど、何か夢があった。

きっと今のアセアンや中国のように未来への伸びしろを、子供心に大人たちが感じているのを汲み取った時代なのかなぁ。

なんの記念パーリーか?

借金完済記念パーリーですわ。

それと、財布がおけら状態記念パーリー。

30年近くの戦いの中で、ヨメはんは戦友になりました。

で、戦友と労わりあいました。

お店の火鉢に炭火を起こし・・・・。



戴きものの豚肉のスライスを出汁に、大根おろしを鍋に煮たて旬の野菜のみぞれ鍋。



お酒を飲みながら薄暗い照明のなか、膝はぽかぽか。





愛犬と3人で、火鉢を囲んで静かな静かなパーリーです。

鍋が、ぐつぐつと音を立てます。

”野菜っておいしいね”

”うん”

言葉はそんなに続きません。

冒頭の”今日も生きて”の互いが読んでいたエピソードを語り合いました。

同じ時代を生きて、何かの記憶を共有できたことの幸せ。

何なんでしょうね。

仕合せとかびんぼとかいう話ではなく・・・・・。

そのなんというか、まぁ、ある時間にどっぷりつかりました。

酔って候。

ファンタジーの展開の構想練るの楽しいから、これから寝転んで考えましょうね。













  


Posted by yo1 at 20:08Comments(3)日記

2013年03月02日

ひがえり

朧月夜が、ジャズアレンジされると・・・・。



キャラクターナイズされると・・・。



出発前夜。

2日間にわたって十五夜・十六夜(いざよい)の朧月が、北国の空に昇り懸かりました。

唱歌に”朧月夜”というのありますよね。

1.菜の花畠に、入日薄れ、
見わたす山の端(は)、霞ふかし。
春風そよふく、空を見れば、
夕月かかりて、にほひ淡し。
2.里わの火影(ほかげ)も、森の色も、
田中の小路をたどる人も、
蛙(かはづ)のなくねも、かねの音も、
さながら霞める朧月夜。

入日って、沈む夕日のことですよね。

日があがる、日がいる。

民俗学の学者柳田國男さんの著書を読むと、海上の道を辿り南下もしくは北上した海の民の言葉が、日本の彼方此方(あちこち)に共通語のように残っているそうな。

”あがり””いり”のルーツは海の民の失われた記憶の言葉かもしれない。

沖縄言葉で、”あがり”は東、”いり”は西。

東から昇り、西に沈む太陽の様子を方角に例えれば、海の航行の役に立つ。

そんなところかなぁ。

昨日午前6時出発、午後9時帰宅。

おおよそ15時間の内、9~10時間は高速道路での運転でした。

平均時速80~100キロとして、たぶん800~900キロは運転してきたと思います。

石川~富山~岐阜~愛知~静岡~愛知~三重~滋賀~福井~石川。

標高1000メートル以上の飛騨山岳道路から海抜0メートルの伊勢湾岸道路と天候に恵まれない中を走破して、つくずく歳なんだなと・・・・。

北陸道に入って、激しい降雨に見舞われました。

自分の感覚より大きなブレのハンドル操作に気づきました。

まずいなっと感じました。

前に青森ナンバーの大型バスが走っていました。

これは自分の知恵なんですけれど、運転にへばってきたら”ペ-スメーカー”を作ります。

長距離バスのドライバーさんは、プロです。

彼等の運転の後ろにつけて、何も考えずにひたすらついていくのです。

彼等が大事にしているのは、一定のペースです。

私が、心配するのは眠気を伴う一瞬の空白時間。

ひたすら何も考えず、バスの後部をにらみつけて同じペースで追いかけます。

時速110キロ以内で、見事に運転します。

それ以下の時速の車だけを、追い越していきます。

最小限の加速と安定した時速。

1時間ほどお付き合いいただいて、石川県と福井県の県境で雨も上がったので一気に追い越させていただきました。

おそらく、これから1000キロ余りの道のりを青森目指していくのでしょうね。

プロってすごいなと思いました。












  


Posted by yo1 at 06:23Comments(2)日記

2013年02月28日

カムイたちの黄昏、その11



明日出張だというのに、先ほどまでヨメはんと居酒屋で飲んでいた。

酒が廻ると脳の回転が増すタイプらしい。

途中まで書きかけのファンタジーをキリまで進めることができた。

明日は、出張。

ブログ書けないというか書くことしない。

これは明日の分です。

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(うふあがりの島・同時刻)

タケルとカナシが、北の方角に向かってからどれくらいの時が経ったのであろうか?

実に、洞窟の外の時間で3年余りの年月が経っていた。

地中深く朽ちた龍の胎内では、時の刻みが極端に遅かったのである。

“光”という因子と“黒い穴”というすべてを圧縮して引きずりこむ異次元へ開いた空間の綻(ほころ)びの鬩(せめ)ぎ合いは、島の時間と明らかに違っていたのであった。

二人は“神の時間”にいたのである。

ウフーソ・ヒルコは、タケルとカナシの運命(さだめ)をもうあきらめていた。

(私が出来れば、とうの昔にどうにかしていたわ)。

ウフーソ・ヒルコにとって、同じ季節や時が移ろう時間が過ぎていった。

いつものことであるが、この島へはミーニシ(北風)が吹き始める前にフェー(みなみ)から嵐がやってくる。

すさまじい風と雨が島の岸壁に押し寄せ、波は幕の上を超える。

ドーナツの穴に当たる島の中央部は、直撃と言わないまでも風が躍る。

このたびの嵐は、島でもあまり経験したこともない大きな嵐であった。

ウフーソ・ヒルコはそのとき、この大嵐を避けていつものように御嶽の見える石灰岩の割れ目に避難していた。

“神から見離された神“蝙蝠(こうもり)の付喪神になったウフーソ・ヒルコ。

彼女が見たものは嵐の中、天空より雲をかき分け幾条もの雷(いかずち)が北の森の一角に突き刺さり、地中深く地鳴りやごう音が轟(とどろ)き、島全体がふるえるように揺れる様(さま)であった。

タケルとカナシが向かった北の森が輝きだした。

初めは、森の中に蛍のような明かりが灯るような感じが森全体を光の中に浮かばせ、やがては天へと光が1本の線となり昇って行った。

金色(こんじき)の輝きに包まれた龍が、森の中から姿を現した。

雷(いかずち)は、幾重にも枝分かれしながらこの龍へと幾条の光となって落ちていく。

龍は天空からの雷(いかずち)を身にまとうように引き寄せ、黄金色の光の帯に変化していった。

喜びに身もだえするように雷を浴びた龍は、一瞬縮こまったかと思うと、雷が降り注いでくる方向へと光の矢となって昇って行った。

島が昼間のように明るくなった。

やがて嘘のように風がやんだ。

満天の星が瞬く空がひろがり夜が戻ってきた。

風も完全にやんだ。

嵐の目に入ったようだ。

上空高く、光の尾を引きずりながら“龍”は髙く高く遠ざかっていった。

風が再び反対側の方角から吹き始めた。

雷は徐々に弱まっていった。

嵐は一晩中吹き荒れ、やがて、夜が明けた。

(龍の胎内・同時刻)

龍と光の精インガンダルマを見送ったタケルは、十束剣(とつかのつるぎ)の鞘を、岩から抜き取り、インガンダルマ達が残して行ったすべてを通して透明になる衣にくるみ背にくくりつけた。

鞘を帯びていることすら見えなくなった。

タケルは、自分の持つ草薙の剣へ身を賭けて己の魂(ちむ)を投じたカナシを元の肉体へ戻そうと湖底だった場所からその湖畔の後へと地中を昇って行った。

(カナシ。あなたを元の体に戻さなくてはね。)

やがてタケルが其処で目にしたものは、カナシの衣装にくるまれ白骨(しらほね)と化したカナシの遺骸であった。

地底湖の湖畔でさえ、湖底より時は遥かに早く過ぎ去っていたのである。

タケルは、急いで歩み寄った。

そこには、生きていたカナシがあった。

生きているカナシはそこにいない。

“生”が失われるということ。

カナシには、もう帰ってくる肉体がない。

言いようのない、哀しみがタケルを襲った。

なぜ?

“このことまでも。宿命(さだめ)なのだろうか?“

時とは心の世界では長くも短くも感じられ超えることさえできるのに、生身は時を超えることができない。

草薙の剣の柄頭のカナシの勾玉がふるえながら、光る。

“タケル、悲しまないで。私はあなたとともにある。”

“あのつきぬ浜の夜を思い出して。”

“あなたはわたしに詠(うた)った、”

川の水はやがて海に注いでとどまる、そのようにやがて私の心は貴女の心に染まる・・・・と”

“わたしは、あなたに応えた”

月と太陽はいつも仲良く同じ道を通る。貴方の心も、だからいつも私一筋であってほしい

“わたしは、わたしの心に従ったまで。”

“つきぬ浜での誓いをわすれないで。”

カナシの魂(ちむ)が言葉ではなく心(くくる)となって伝わってくる。

タケルはただカナシの遺骸を抱きしめ泣きじゃくるばかりであった。
  


2013年02月28日

I(We) shall go on。OH!Yes We can。

カテゴリーは日記。

いつもの通りの朝。

朝食の食卓で、新聞に目を通す。

このブログのサーバーが置いてある沖縄の話ではなく、私の地元石川県の話。

信用調査会社のリサーチによると、石川県では県内の会社10社の内1社に今後倒産リスクがあるという。

これは、大いなる確率(パーセンテージ)だと思います。

その横にある記事は、今年1月の石川県における金融あっせん額が、4か月ぶりに減少とある。

内訳は、資金需要の多くが経営上の資金繰り(短期の運転資金)であり設備投資と言う企業の成長に寄与する借り入れではないらしい。

設備投資の意欲は、鈍いと言うことではないか?

他方、輸入飼料の高騰で県内の畜産農家に2~3000万円の補助金が下付されたということ。

この事をどう読み説くか?

推測ではなく、事実データの記事です。

突然ですが、アベノミクスが及ぼす経済的影響を個人レベルでどうしたらよいかをずっと考えて、経済・金融から考えて書いてきました。

それは、自分の思考とデータを合わせるために、素人が必死に過去の経済的歴史を紐解くショートトリップみたいなもんでした。

自分が見ている目の前の流れと、大きな河の流れが逆に見えることは儘(まま)あります。

時には、川岸に船を寄せて川の流れを見つめ直すこともよいのではないかと・・・・。

私も、第一の矢を放ちました。

1昨日から今日にかけて、ちっぽけな株式会社が抱えた銀行の有利子負債(借金)をすべて一括返済しています。

今日の空のように晴れて無借金です。

そのために、個人の資産(貯金)をはたきました。

多くは、”沖縄ちょっと移住”のための貯金でした。

年齢考えると、沖縄で生活資金稼ぐの大変。

ランニングコストを考えた生活構造に変える必要性が当然ありました。

それでも迷っていたので、3月初旬に沖縄行を予定していましたがこの決定を受けてキャンセル。

いそがばまわれ”かな。

基礎的な部分の強靭化に向けて、改めて3年ばかり頑張ります。

貯金の多くを取り崩す展開が最低この1年続くでしょう。

私の2本目の矢

築32年のアパートをリフォーム中ですが、全部屋改装していたら募集の需要期に間に合わないのでモデルルーム2部屋がほぼ完成。

写真撮りに行ってきました。



1~2日中に募集開始にこぎつけたし。



外壁を薄汚れた白1色からツートーンの色に塗り変えてみました。(ピンクの中間色)

名前も、〇〇コーポはダサイと言われ、おフランス語で私の居場所”マ・ピエス”。

名前から入ったので、イメージは後付けね。

ドアの色を全部変えるという提案をしました。





なんかここまで来たら、止まらなくなった。(いけない癖)

部屋を付属品付きで貸そうぜ!





部屋を機能的に使うために折り畳みベッド付きまでは、そんなものかと思ったのですが・・・・。

収納があまりない部屋だったんで、机にもクロークにも衣装棚にもなるスペースを、作りつけだった箪笥棚壊して設置。

パーテーションになるようにカーテンレールと飾り棚を増設。



うわ~ぁ、止まらん。



椅子とハンガー付けちゃおうぜ!(完全にお遊び状態)

とどめです。



ご入居いただいた方へ食器セット新品を記念にプレゼント。

台所のシンクタンクは入れ替えだ!





まだまだ!

ドアがカラフルなら入り口のクロスをアクセントとして、全部違うの張ろうぜ!



GO ON GO ON。(いけいけ!)

お風呂は、ちょっとしたビジネスホテル並み。(ほとんど手は加えなかったが、ホースやシャワーを替えた)



これに、無線ランでインターネット接続し放題!!!!!

でっ、でっ????

ハタと気が付いた。

いま、リフォーム代金の予算額、どうなっとるんかいな?

恐る恐る工事の担当者に,TEL。

”追加分のご相談に伺います。”

うわ~~~~~っ、早く言わんかい!

2本目の矢で、力尽きるかもしれない。

おカネは借りませんでした。

自前です。

今日のタイトル。

I(We) shall go on。(わたしは、それでもいくつもり)

もちろん、沖縄さぁ~。

OH!YES,We can!・・・・のつもり。

でも、・・・・あと3本くらい矢が無いと・・・・・。

じつは、次の山がもう迫っています。

温泉のハニカム計画も忘れてはいないというか具体的な策が無ければいけない局面に・・・・・。

もうひとつ。

これは、3月中にどうしても乗り切らなくてはいけないことがあり・・・・。

基本的に、・・・・・・運を天に任せます。

明日は、静岡県の浜松市と三重県の四日市の近くに出張。

腰痛治っていない。

もう歳なのに・・・・。

なにやってるんだろう?ぼく・・・・・。













  


Posted by yo1 at 17:32Comments(0)日記

2013年02月27日

最中も悪くない。

イタリアの総選挙の結果を受けて、円は反落(円高)株価は下げ渋るものの続落。

これで、円安が円高に振れるかと言うと、多分そうはならないとマーケットは予測していますが…。

世界が、統一マーケットとなったために今まで関係なかったことや知らなかったことで結果的に自分たちが影響を受けることとなる。

サブプライムローンに始まりリーマンショックで終わった一連の金融バブルの原因として、安い金利(円高)の日本マネーが国内ではなくアメリカに流入。

アメリカ資産バブルの一因となったと言われています。

アベノミクス・第一の矢は、このような一面も懸念されています。

つまり、大量に市中に流す日本円が国内にとどまらず、投資マネーとして他国のバブルの温床を作る?

一定の期間をおいて、それがはじけたとき金融不安が起こる。

限りない無間地獄の始まりだと。

変化の中身に、国が追い付いていけない。

ようやく見えてきたのは、グローバル化の実態の側面でした。

2か月近く、色々な経済の勉強をしてみました。

もともと、”MAKE MONEY(かねもうけ)”の学問が専攻の大学に入った。

かねもうけはあまり興味ないことが分かった。

手遅れと言うか、まっしょうがない。

でも、すこしは難しい専門用語はわかる。

見えてきた部分がある。

では、自分のレベルで今後どうしたらよいか?

ここを少しづつ進めている。

高校の卒業までには、自分の進路と言うか”自分はどんな職業に就きたいか”を考えてないといけなかったのだが、無目的に偏差値で大学に入るのが目標だった。

案の定、漂流した。

それはそれで、落ちるところまで落ちたわけだから結果、正解だと思っている。

あっ、このために過去の自分は転んだし失敗もしたんだ”とこの頃つくづく思います。

孫のKが、塾に行くらしい。

娘の教育には一切口を出していません。

娘を見ていると、”待ってあげる”という子供への視線を感じます。

孫のKが、本を読んでておまけがもらえる塾の申し込みはがきを見つけた。

おまけ目当てで、塾に行きたいと希望。

月々¥1200。

学習意欲にほど遠いが、靴1つ履くのにじっと3分でも5分でも待っている。

親としての”出来るまで待つ”という我慢強さに、もう彼女には負けたと思った

5歳で、来年小学生。

字は、2~3か月前までほとんど読めないというか、よむ意欲がなかったK。

”〇〇(自分のニックネーム)、どんどん字が読めるようになった”

親を勉強させていただいたから、この時期の”遅れ”なんて一生のうちではなんくるないことがわかった。

Kは、器量と言う点では?がつくかもしれない。

でも、魅力のある娘(こ)だとおもう。

愛嬌で勝負?

息子が、Kにしばらく逢わないと気にする。

”ブスには2通りある。逢いたくないブスと又逢いたくなるブス”

”Kは、また逢いたくなるブス”

口の悪い息子らしい表現だけど、Kは今のところ愛嬌路線をまっしぐらだ。

つらいのは、性格的な歪みがある場合。

娘が小さな頃にいった言葉。

”私は最高でなくてもいい。最中さんでいいの。”

考え方としては、遅ればせながらだがとてもよく理解できた。

息子も娘も、とっくに私を超えた部分を感じる。

それは幸せなことだと、とても感じている。






  


Posted by yo1 at 09:47Comments(0)日記

2013年02月26日

進化と生き残り

リフォーム中のアパートの件は、いくつか前のブログ記事にて書いてあると思います。

昨日は、NETの環境整備のため、量販店へ行きました。

オカンがいる実家にアパートはあって、NET環境皆無状態で、一応インターネット無料接続可は最近当たり前の条件なので。
(スマホやアイホンなど、通信環境も激変して、固定パソコン使っている私は浦島太郎と感じているにもかかわらず、しょうがないと感じつつ申込みをしました。)

ついでに、オカンに”パソコンやる?”と聴くと。

”いまさら”と言うかと思ったら”やる!”

”ひぇ~~~~~”

知らないということは、恐ろしいことだと・・・・。

中古パソコンの安いの捜して、買い与えることに……。

で!今朝は、別の記事書こうかなと、パソコンに座った。

たまたま、語句の意味を正確にするために、検索を使いました。

本来の調べたい意味よりも、サイドバーのコンテンツに目が止った。

goo辞書

サイドバーに日新語月歩 という欄あり。

今日現在、若い人が使う85個の日本語の新語のランキングが見ることできます。

もえそで【萌袖】
指の先が少し出るくらいの袖丈の服。「あの子の萌え袖、めちゃかわいいー」◆冬の女子高生によく見られる。

ぽいちょ【ポイ貯】
ポイントカードにポイントを貯めること。「今日もコンビニでポイ貯したよ」

ぶつじょ【仏女】
仏像や寺院などを愛する女性。

ちまる【チマる】
①肌の一部が少しだけはさまったり、ふまれたりする。「メガネケースに指がチマった」②机やイスのはしっこに主に足の小指をぶつける。「机の足にチマった」

やるやるさぎ【やるやる詐欺】
やるといいながら、結局はやらないこと。「今の政権はやるやる詐欺ばかりだ」

おやじたけ
ズボンや服のそでが短いこと。「おやじたけってダサイよね」◆制服が小さくなってしまった中学三年生、高校三年生によく見られる。

エアーイン
その場の雰囲気に入ること。「あの女の子たちのグループにはエアーインしにくい」

はやぶさてき【はやぶさ的】
①長い間の努力が実を結ぶさま。「彼は、はやぶさ的な出世をした」②物事の最後を美しくしめくくること。「祖父は、一生をはやぶさ的に終えた」◆無人宇宙探査機「はやぶさ」の功績から。

でんさく【電索】
電子辞書で意味を調べること。「用語の意味を電索する」

あいもこ
「曖昧模糊」の略。ものごとがはっきりせずにぼんやりしていること。「今の内閣は、あいもこで頼りにならない」

ぽちょむきん【ポチョムキン】
ぽっちゃりしているように見えて、実は意外と筋肉がある人。または、筋肉のつきすぎで体型が丸く見える人。「ポチョムキンってかっこいいよね!」

すまけん【スマ検】
「スマートフォンで検索」の略。「今日のお昼を食べるレストランをスマ検する」

ぱすどめ【パス止め】
(金額不足や定期券の期限切れなどで)改札口を通れないこと。「今朝、駅でパス止めにあって恥ずかしかったよ

せんたー【扇ター】
扇風機の真ん中。また、その場所にいる人。「暑いんだから、扇ターとらないで!」

かくしかで【カクシカで】
「かくかくしかじかで」の略。いろんなことがあって結果的に。「カクシカで待ち合わせ、10時になったよ」
◆時間がないときや急いでいるときに便利。

てきでん【適電】
「適切な節電」の略。無理のない範囲で行う節電。「今日は、気温が35.7℃だから、エアコンをつけて適電しよう」

いくじじ・いくばば【イクジジ・イクババ】
育児に協力的な祖父母。
◆高齢化社会を反映して増加傾向にある。[関連表現]いくメン(=子育てに熱心な父親)

おわこん【おわコン】
「終わったコンテンツ」の略。ブームやピークが過ぎ去ったコンテンツのこと。
◆時代遅れの人や物を指す。

だてマスク【伊達マスク】
風邪でも花粉症でもないのにマスクをすること。「伊達マスクすると気が楽になる」
◆表情を読まれないため安心感が得られる。

おゆとりさま【おゆとり様】
ゆとり教育で育ってきた世代の人たち。「今年の新入社員はおゆとり様ばかりで心配だ」


たのしいなと、1時間くらい参照。

言葉の短縮形が多いのだけれど、旬の話題や言葉の意味を若い人なりに理解した言葉。

この中から、残っていくものがでてくるんだろうなぁ。

柳田國男の方言周圏論を思い出しました。

これは、トレンド(旬)の言葉が都から各地に伝搬し、隅々まで行き渡ったころには発信地ではすたれてなくなる。

しかし、伝播していった遠隔の地域には当時の都の言葉として保管されている。

10年以上も前のトレンド言葉、”あけおめ・ことよろ”。

今の若い人が、使っているか知らない。

当時の高校生たちは、少なくとも30代に差し掛かる年齢だと思います。

当時、新鮮さを覚えた年寄り組の私たちが今、正月になると使う。

あっ!自分たち(年寄り組)って日本の都からは年齢の最遠隔地にあたるんだわ。

ちなみに、沖縄の言葉には失われた室町時代の日本語がが現存していると読んだことがあります。
(蔑視の意味で引用しているのでは決してありません)

残るには残るだけの意味があり、”な~るほど”と言う説得力が必要。

交通手段・インターネットの普及でこれらの現象のタイムラグ現象(時間差による現象)が以前ほどなくなりました。

私たちはそんな世界に生きています。

国と言うものが、営々と築きあげてきた価値観や定めごとをいとも簡単に”情報”が飛び越していく時代です。

”ひと”、”もの”、”かね”は言うまでもありません。

築き上げてきた国の形だけが取り残されて、置き去りにされた”浦島太郎たち”は知らない間に”格差”という牧場に囲い込まれているんかな?

18世紀の産業革命は、こうして興こったのかも・・・。

連鎖のように、今朝はこんなこと考えました。




  


Posted by yo1 at 07:36Comments(0)語り

2013年02月25日

カムイたちの黄昏、その10

あらすじは、この記事の最後のカテゴリーで確認できます。

さてさて、鬱と言う状態に、陥ったことがあります。

医者には、行きませんでしたので”鬱と言う状態”としか正確には表せない。

たぶんそれほどひどかったのだと想う。(ヨメはんと息子が、私を明日精神科医に見せに行こうとしていた。)

なんせ寝られない、心臓ドキドキ、突然心筋梗塞のように胸痛む、思考が停滞、人の話が理解できない、話すことに恐怖を覚える・・・・・・。

幸いだったのは、還ってこられたこと。

最近は、鬱にたいして脳のどこに対応したらよいかとか、やはり研究が進んでいるそうです。

体も含め、脳内バランスに必要な成分が足りなくなったとき症状が現れやすい。

アルツハイマーの発症過程と類似点があるかも。

社会との接触や疎外感が増幅すると気持ちの問題が作用する。

クスリにより一時的な緩和は症状に対して、できるのだけれどもやはりそれをもたらした原因解決が無いと繰り返しのループにはまってしまう。

ストレスが一因だと思う。

”鬱状態”の一番厄介なことは、原因も自覚もしっかりわかっているんだけれども、引きずり込まれていくのに抵抗できないこと。

これは、絶え間ない精神の衰弱を伴います。

そんな自分の実体感を、タケルがブラックホールの呪縛に捉われていく描写の中に込めてみました。

そんなこんな、かなり実験をしています。

おまけは、いま”鬱の入り口”だなと認識できるようになった。

そんなとき、自分で、心のケアをします。

”自分は一人じゃないんだ”

”あなたがいるからここにいる”

心底そう思えるような人生のパートナーが一人でもできればよい。

そのためには、自分が相手を信ずる努力をすること。

自分にそう言い聞かせて、”鬱の罠”から逃げることにしています。

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龍の体内にて


自分が溶けていく。

時間が溶けていく。

それは、光が造りだしてきた時間との決別でもあった。

無に戻っていく感覚。

音も聞こえなくなり、抗(あらが)う自分の動きすべてが重く封じ込められていく。

薄れ行く意識の中で、カナシの声がする。

“タケル!あなたも剣の中に入ってきて!”

タケルの心には、“無”が広がっていた。

“無”が虚ろになって、自分が崩れていく。

なにか、心の軸が失われ拠(よ)るべきものなく不安定になりひたすら哀しい。

それはすべてが理解されているのに、それでも呑み込まれていくような感覚だった。

タケルの自らの意思とは無関係に、どうしようもない“虚無”が自分を包み込んでいった。

“タケル―!早く!”

突然、カナシの魂(ちむ)がタケルの魂(ちむ)に向かって伸びてきた。

かすかに残ったタケルの魂(ちむ)は、彼が握っていた草薙の剣へと導かれていった。

この時まで、光の精が与えた衣は何の反応も示さなかった。

水中を漂うように、ゆっくりとタケルは剣を握り”黒い穴”へと吸い込まれていった。

剣の中で、タケルはカナシとかろうじて意識を保っていた。

草薙の剣は、分解も破壊もされず深い闇の中に浮かんでいた。

タケルという実態は、闇にまぎれもう存在を確かめることさえできなかった。

剣とそれを覆う衣だけが虚無の中に浮かんでいる。

・・・・・衣の糸目一つ一つが闇の中で光りはじめた。

輝きは増し、呑み込まれた”黒い穴”の入口が真上に浮かび上がった。

”黒い穴”の入口には、数多くの光の粒が集まり始めていた。

”黒い穴”の奥は、灯りがともったようなになっている。

光の粒が、自らの意思のように一粒一粒が1本の糸のようにその灯り目指して吸い込まれていくように”黒い穴”へと向かった。

中にいるタケルとカナシには、”黒い穴”の入り口から輝やく糸が降りてくるように見えた。

その糸の先端が、衣に到達したとき衣の糸目に沿って、光の粒が衣にからまり始めた。

穴に入り輝きを失っていくはずの粒たちが、煌(きら)めきを失わず入口と光の線でつながって行く。

剣の中で意識だけになった二人を、目もくらむような光が包み込む。

剣の中の世界が、光のエネルギーに満たされていくのがわかった。

光亡き世界に光が満ち、”黒い穴”の中に何かが起こりつつあった。

・・・本来は、あってはならないこと。

”黒い穴”のなかで、絶対矛盾が起きはじめていた。

矛盾は、矛盾を呼びやがて必然へと向かう。

・・・・衣のまわりの闇が白く輝き始めた。

タケルは自分の体が、闇の中で再生しはじめたのを感じた。

闇の中で、タケルは剣を握りしめ浮いている。

その体は、光に包まれている。

タケルの意識のなかの魂(ちむ)が吠えながら、剣の柄を握る”タケル”へと駆け上っていった。

タケルの意識は剣の中にとどまっている。

何一つ飾ることのなく純粋に闘うという本能が魂(ちむ)となって己の肉体へと戻っていった。

剣が魂(ちむ)に支配され、剣に取り込まれていった光のエネルギーは増殖を始めた。

剣の中は、これ以上ないほどの光のエネルギーに満たされた。

剣から、エネルギーがほとばしり始めた。

やがて剣から、闇の世界にすさまじいエネルギーが放射された。

エネルギーは、闇夜を割き、走る雷(いかずち)となって”黒い穴”と”虫の穴”のつなぎ目を縦横に走り回った。

光を超えるものの姿が、其処に表れていた。

光と闇がせめぎ合う。

宙(そら)の始まりのような爆発が”虫の穴”で起こった。

中心に、剣とともにタケルとカナシがいた。

やがて、闇は遥か下方に去り、上方は白く輝く空間へと変わっていった。

インガンダルマたちの言う、入口と出口が逆転したのだ。

空間を正のエネルギーが満たす。

永遠の収縮しかない世界に、とどまることを知らない膨張がはじまる。

光の粒たちは、そのエネルギーと溶け合い増殖を繰り返しながら金色(こんじき)の龍の姿になっていった。

地中で朽ち果てかけた青龍は光の粒とともに、金色(こんじき)の龍へと転生した。

タケルを背に乗せ、金色(こんじき)の龍は入り口となった穴へと一気に飛翔した。

穴を抜けるとタケルは元の大きさに、金色(こんじき)の龍は巨大な姿になっていた。

湖の水は干上がっていた。

眼をやると、岩壁に鞘が1本突き刺さっている。

十束剣(とつかのつるぎ)の鞘だった。

精隕岩達磨(インガンダルマ)一体になった金色(こんじき)の龍がタケルをそっと湖底に降ろした。

隕岩達磨(インガンダルマ)たちが、タケルとカナシに語りかけた。

”その時が、いつかは判りませんでした。黒い穴の手前なのかその中なのか”

”そのために、どのようにしたら良いかも判りませんでした。”

”これは、星が誕生するときの・・・・、いや、宙(そら)が生まれた時の光景なのです。”

”そのために、あなた達の魂(ちむ)の力が必要だったのですね。”

”私たちには、魂(ちむ)はありません。”素(そ)だからです。”

” 魂(ちむ)とは別の次元の成り立ちのものです。”

”私たちは、宙(そら)に還り元の”素(そ)”へと戻ります。”

”ありがとう。”

”いつかまたお目にかかりましょう”

金色(こんじき)の龍は、暗い地底の道を長い光の帯となって地上へと駆け上がり、一気に天へと駆け上がっていった。
  


2013年02月24日

カムイたちの黄昏、その8~9

なんか自分でも話の続きが判らなくなりつつあり・・・・。

8の書き出しを9と勘違いして、ダブル(重複投稿)に投稿。

ついでに、表現を少し変えたので見比べられても結構です。

腰痛で、今日は仕事セーブします。

このカテゴリーは、続き物語でしかももう少し続けないといけないかなおもいつつ、過去記事の挿入で、カバーしてましたが・・・。

うううううううっ、腰痛くて、座ってはいられない。

同じカテゴリー(カムイたちの黄昏)の記事という項目が記事の一番下にあります。

前のあらすじを確認するためには、ここをご利用ください。

わたしは、ワードで文章をうち、たまったら放出と言う段取りです。

少したまったから、今日放出します。(勘違いでした)

読み返すとこの9から、少し変化が出てきています。

今回は、カナシの心への感情移入。

試験しながら、手探りで物語とは何かという自分の学び。

結構楽しい作業かも。

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地中深く龍の胎内にて



“私たちの名前は、隕岩達磨(インガンダルマ)。“

“私たちは宙(そら)を彷徨う星の嘆き”

“私たちは星が終わるとき発せられたひかりのエネルギー。”

“私たちひとつひとつは、重さがない”

“重さはその星の最期とともに、置いてきました。。”

“そして重さなき私たちは、光の泡となって宙(そら)を彷徨い新しい星が出来る時の星の素になります。”

“だから、私たちはすでに重さのある世界に居てはいけない存在なのです。”

アカハチがシコメを地に縫い付けることが出来たのは、宇宙空間で集めた光の泡“星の素(もと)のエネルギー”を剣に集め剣の次元を変えたことにあった。

そのことにより、空間にパラドックス(矛盾)が起きた。

パラドックス(矛盾)とは剣が砕け散った時に、正と負が逆転し、何物も吸い込む“黒い穴”が出現したのだ。

“もの“が凝縮されると、”もの“の重さは限りなく重くなる。
やがて、重力に耐えかねて質も量も今ある空間から漏れだす。

今ある空間の綻(ほころ)びが、黒い穴の正体だ。

すべてを呑み込んでいく穴は時間さえ呑み込む。

黒い穴の周りには、時間がない。

というより、時間の歩みは遅くなる。

そして、時間は光の速度と重さに相対するものだ。

インガンダルマは光の精だ。

光は、時間に対して普遍なのだ。

相対するものは、惹(ひ)きあう。

黒い穴の周りでは、光の消滅が加速されていた。

黒い穴の周りの時間は、龍の胎内にあるインガンダルマを徐々にひき込み始めていた。

黒い穴の先には、空間や時空をねじまげて、どことも知れぬ時空へと運ぶチューブのような“虫の穴”という通路があらわれていた。

十束剣(とつかのつるぎ)の鞘も、一種の黒い穴なのである。

負のものに、負の産物が出来てしまったのだ。

“どうか、私たちをもとの宙(そら)へと還してください”

“そのためには、黒い穴を白い穴へと変える必要があるのです。”

“白い穴とは、黒い穴の出口なのです。”

“虫の穴を逆流させるということか!“タケルとカナシは理解した。

“この衣は、私たち”ひかり“が宙(そら)を飛ぶ以上の速さで織られたものです。”

“時間のない黒の穴の入口の世界では、ひかりの速さを超えなければその地点から脱けだすことはできないし、呪縛からも抜け出せないのです。”

“この衣を黒い穴の口に押し込んでください“

“あなたが持つ剣のエネルギーで一瞬でも黒い穴の口が満たされたら、吸い込まれる力が弱まります。その時にこの衣を口に押し込んでください”

“流れが止まる間に、エネルギーを集約して私たちは宙(そら)へ還ります。“

“あなたたちしかできません、ずっと待っていたのです。”

タケルは女神の姿をしたインガンダルマから衣を受け取った。

女神は、渡し終えると砂が崩れ去るように水の中に溶け込み、きらきらと輝く光の粒となった。

タケルとカナシは互いの眼を見つめあい、静かに湖面を漂う光の粒へと視線を移した。

タケルは、草薙の剣を抜き放った。

剣は、赤い光を帯びていた。

カナシが持っている勾玉が、抜き放った剣に感応して薄紅色に徐々に輝いていく。

カナシは、自分の勾玉をタケルの剣の柄(つか)にくくりつけた。

そうしなくてはいけないと感じたからだ。

タケルは剣に意識を集めた。

剣の先から炎のような赤い光線が走り、水面が切り分けられていく。

カナシは、勾玉に意識を集中する。

柄の勾玉は、極紅色へと変化していった。

タケルは衣をまとって剣を持ち湖に足を踏み入れた。

湖岸で、カナシは祈りの形をとった。

祈りの形とは、舞うことである。

舞うことにより、余計な雑念を消し去っていくのだ。

忘我の先に、陶酔がやってくる。

カナシが持っている“さだめ”の糸が過去生に生きてきた人たちとつながり始める。

カナシは過去生とつながることにより、つながれてきた“いのち”の環の一つとなっていく。

その“環“が見えない糸となってタケルの柄の勾玉へとつながる。

タケルは、カナシのすべてと剣によってつながったことを感じた。

タケルは、衣をまとった。

衣をまとったタケルの姿は消えた。

衣は、すべてのあるものに反発し光を通したのである。

見えなくなったタケルだが、剣の発する輝きが人型となり、湖水が左右に切り分けていくのが見えた。

カナシは目を閉じて、タケルの眼や意識と同化した。

湖底は、なだらかに傾斜し徐々に下っていく。

カナシの眼に,湖底を進みながらあたりの水や光を歪めている岩壁が目に入った。

まわりの水が、どんどん重くなっていくのをタケルを通してカナシは感じた。

岩壁の一角が、光の粒をゆっくりと吸収していた。

“鞘だ。”

鞘が岩に突き刺ささっていた。

十束剣の鞘口へと、光りの粒が誘い込まれるように消えていく。

“体が重い”とかんじた。

あるところまで来ると、身動きもままならない。

自分の意思から、剣も意識もバラバラになり離れていくのを感じた。

タケルの意識は、遠くへ、いや、鞘口へと体と分離されるように近づいていってるのだ。

すべてを呑み込んでいく“黒い穴”は形あるものは“意識”さへも分解していくようだ。

タケルの意識がとおざかっていく。

とぎれとぎれになっていく。

湖のほとりで感じていたカナシは狼狽した。

“どうしよう”

カナシがいくら勾玉へ意識を集中しようとも、底なし沼のようにずるずると引き込まれていく。

時間さえ、光りさえ戻ってこない闇の恐怖が二人を襲っていった。



すべてを呑み込んでいく“黒い穴”へ

カナシも、タケルの眼を通して水中の景色は奇妙に歪んでいくのがみえた、ゆっくりとではあるが確実にカナシの意識も引き寄せられていく。

“いやーーーーーー!”

カナシは心で叫んだ。

“おばぁさん、クスマヤーのおばぁさん、助けて、どうすればいいの?“

“カナシ、おまえのすべてをあの男に与えなさい。惜しみなく与えなさい。後を考えてはいけない。今だけを考えて。”

カナシは、クスマヤーのおばぁさんの言う意味を考えた。

(わたしは、せいいっぱいよ。これ以上何を与えるというの?)

その間も、タケルを通して見えてくる世界は奇怪にねじ曲げられた光景の世界へと変貌していく。

(・・・わたし?わたしを捨てろというのね?)

かって、アカハチが身を捨てて宙(そら)から光を集めてシコメに立ち向かったように、自らを捨て去るということは、その身をなくすことに他ならない。

カナシは、地底の湖の砂に身を横たえた。

カナシの肉体から、“魂(ちむ)”が空中へと静かに浮き上がった。

湖面に、光りがあつまってきた。

光はカナシの魂(ちむ)をやさしく包み始めた。

まるで、光がカナシの魂(ちむ)を“黒い穴”の引力から薄いバリアーで守っているように見えた。

光は、カナシの魂(ちむ)を包み込むように持ち上げ、湖底へと運んで行った。

タケルが身動きも出来ずいるところへと、光たちは自らも“黒い穴”に呑み込まれながらカナシの魂(ちむ)を運んできた。

タケルの剣の柄頭に取り付けられたカナシの勾玉の部分に来ると、カナシの魂(ちむ)はゆっくりと勾玉の中へと溶け込んでいった。

手にした剣から。暖かい何かが伝わってくる。

タケルの体の自由がわずかながら戻ってきた。

渾身の意識を込めて、草薙の剣の剣先から光線が発射された。

それは、まわりの時間に逆らうようなスピードで鞘口へと浴びせられる。

カナシの魂(ちむ)が、剣の先からほとばしっていく。

しかし放った光線は“黒い穴“に到達すると、輝くどころかろうそくの火が燃え尽きるようにゆっくりと細くなってふっと消えて吸い込まれて行った。

あたりの空間を、剣で払おうとするのだが動作はすべてスローモーションのように緩慢にしか動かなかった。

巨大な海綿が、柔らかく柔らかく水を含んでいくように、まわりの時間がが吸い込まれていく。

幾度も光線を放ち、払いもがいているうちに、鞘口がだんだん大きくなってタケルの身の丈ほどになっていく。

鞘口が大きくなったのではなく、大きなエネルギーがその口にかかったからだ。

タケルが分解・終息していく。

タケルの意識が、間延びしながら遠ざかっていく。
  


2013年02月24日

黄金の日々

インカ道という記事で、お店のお客様のTさんのことご紹介しました。

2013/02/15


出発前にふらっと訪ねてこられました。

マルタ島に1か月語学留学されるそうで、なんでか聴いた。

先端技術大学という企業や大学生が卒業してさらに学ぶための様な大学があるんですが、そこの留学生向けの日本語教師してるんだと。

ある程度は、素養がありつつ磨きをかけるというより人生の充実もかねてと言う事だそうです。

イタリアのシチリアから100キロ、アフリカ大陸やイベリア半島・スペインポルトガルなど週末の休暇を利用してしてひとっとびするつもりだとか。

地中海に浮かぶマルタ島。

この島の売りのひとつは、英領であったことを活かした英語の語学留学を昔から推進していたこと。

この島の名前は、拙(つたな)い記憶をたどれば、マルタ島の砂 / ハーブ・アルパート&ティファナ・ブラスに行き着く。(ナポレオンや英領・古くはギリシャとのかかわりも深いところと言う。)



1970年のリリース。

私の人生において、多感な時期を過ごした黄金の日々かもしれない。

なんか”♪ヒロシです♪”というフレーズが懐かしい。



この動画の画面。

よくある窓の外を眺めるネコの姿のモチーフ。

ネコは窓の外の、何を見ているのだろうか。

あした?・もう来ないきのう?・いやいや”はらへったな~”。

余韻と言う点では、このヨーロッパ的な哀愁がお気に入り。

イタリア語の歌詞の訳を見ながら音楽お楽しみくださいませ。

”ガラスの部屋”訳詩

今夜この曲は何をしたいというのだろうか...

それは過去を少し私に思い出させる...

月は私たちと共に連れ添っていた

私は感じていた、あなたは私のもの、私だけのもの、私だけのもの、

ここに私のそばにあなたを留めておきたい

今はもう私たちの間には何もない

あなたの言葉をもう一度聞きたい

もう聞くことは出来ないその言葉を

私たちの回りに世界など存在しなかった

あなたが私に幸せをくれていたから

もう私はどうしたらよいのだ!

私のこの毎日!

私の日々にはもうあなたがいないのに!

今夜この曲は何をしたいというのだろうか...

それは過去を少し思い出させる...

それはあなたの愛を少し思い出させる...

それはあなたを少し思い出させる...(yohoo知恵袋より)







う~~~む。

朝っぱらから聴くんじゃなかった。

昨日より腰痛が再び。

例のアパート用に、ニトリでベッドを購入してきたが、係りの人の前で見栄張って車に積み込んでグキッ。

ガラスの部屋ではなく、ガラスの腰だわ。





  


Posted by yo1 at 06:12Comments(0)日記

2013年02月23日

国負論、国腐論

カテゴリーは、語りです。

つまり結論は、出ていません。

さて、お仕事のケリがついて・・・・。(いま、3月の企画展のDM作りがおわりWEBアップロードして注文確定・インターネットの印刷屋さん)

朝は、税理士さんん所へ行って帰りにオカンの顔を見て実家の雪かきして帰ってきました。





ちょうど兼六園を通るころ、空から花の様な雪片がひらひらと舞い降りてきてまたたく間にサクラの木に雪華が満開になりました。

写真撮らなくちゃ。

慌てて後戻り。

道端に車を止めて、パチリ。

あ~あ、南国沖縄ではサクラが咲いているというのに・・・・。

降る雪 綿帽子 こんこんこんこん ゆっくり降りてくる そっと触れて そっと消える ふしぎだな 

降る雪 綿帽子 こんこんこんこん いつのまにか わたしも わたぼうし



何の実なんでしょうね?

柿ではなく、烏瓜でもないし・・・・。

百日紅みたいな肌の奇妙な木の不思議な実。
(ここまでは、午後からパソコンに座って下書き状態に・・・・。)

安倍さんの一本目の矢と2本目の矢は今のところ順調に放たれているようです。(まだ放たれていないが、期待で株価上昇して円安にぶれている。)

期待値が、一段と高まったようです。

さて、まだ矢がつがえられてないのが、3本目の矢。

成長戦略。

おおむね、マネタリーベースと言って市中に出回っているお金の量を増やせばインフレになり、為替が円安になる。…金融量的規制緩和

公共投資を行えば、直接ゼネコンなどの土木工事にお金が支払われ、下請け・孫請けまで裾野にお金が沁み渡る。…・乗数効果

ここまでは、効果の疑問視の意見が多いと思います。

さて、読んでいた本も、完読し2度3度と気になる部分を夕食後ベッドに寝転び再読。

私の読み込みに間違いが無ければ、小泉内閣の構造改革と安倍内閣の成長戦略の目指すところは、微妙に違うが方向性に似通ったところがあるかもしれない。

うっすらとではあるんだけれど、国家資本主義とでもいうような感覚を感じないでもない。

☆民間があほやから☆と言う発想。

政府の一部の官僚が、「家電産業などが苦境に陥っているのは経営陣がダメだから。それならば自分たちが成長分野を特定した方が絶対にうまく行く」といった。

この言葉。

ほんとうなら、シロアリ的な下心と読み解かなければいけないとおもう。

天下りや規制で、既得権益をふやす温床。

成長戦略とは、シロアリがたかる蜜の温床になった時が怖いな。

”日本をとり戻す?”って

安倍さんが、足許掬われるか否か?

この最後の一点の下準備が、2本目までの矢。

さてさて、”グローバルサプライチェーン”とは地球規模の分業体制の繋がりとでも言うんだろうなぁ。

この現象が、国富論”見えざる手”という”自分のためにすることが、いつの間にか社会経済全体にとって見えない手に導かれるように貢献するんだよ”という定義の通用しにく状況を作り出してしまった。

なぜなら、見えざる手の前提がとっくに崩れたから。

つまり、アダムスミスさんの説いた”価格はその労働価値によって決まる”、つまりかかった手間が売値?

今ほとんど違うもんね。

この値段で作るために、この値段で仕事できるところで作らせる。

つまり、1つの国で物が作られないことによって、”ひと””もの””かね”が国と関係なく自由に行き来しすぎて、国ってどこいったの状態。

日本で云えば、出られる人はとっくに外へ出て国に残った人は乗り遅れた人がおおくなり、お金稼げない年寄りの年金に500兆の負担掛る状態。

税収増やそうにも、エースがいない。

ぶら下がる人ばかり。

それでも、置いてかれた国の中で、自分たちだけは増殖して税金しゃぶりつくそうとする集団のあくなき貧欲。

突然ですが、ニクソンショックとは、簡単に言うと”金本位制の崩壊”なんだと思います。

金の保有量が通貨の発行の目安。

世界のどこにでも通用するお金を、基軸通貨と言うそうです。

いまは,$.

このニクソンショック以降、無制限にお札することできるようになった。

パックスアメリカーナ(アメリカによる平和)の終焉の象徴と言われる。

お金は、物と物との等価交換の道具だあったのですが、お金そのものが物になっちゃって商品として取引される世界?

何~~~か、本末転倒。

つまり、国が置いてけぼり食って弱者だけが国に残る世界。

TPPとは、ブロック経済といって域内だけで固まろうとする動き。

これは、世界のグローバル化に国が翻弄され、見捨てられどうしようもない人々を抱えたところに”おカネ”という制御不能の魔物に食い荒らされている姿?

今回読んでいる本は、そうならないためにどんな知恵が必要かと言う本だった。

斬新な分析は、必読だが結論はいまいち抽象的で、同じ著者の本を読み込まなければ、見えなかった。(論旨は理解できても…)

国が負ける時代かもしれない。

国が腐臭を放ってるのかもしれない。

全く別の観点から、明快に論破していらっしゃるのが高橋洋一さんというエコノミスト。

『増税をもくろむ財務省の真の意図①』高橋洋一(元財務官僚のエリートで、論理は単純明快)

以下動画ですが、興味のある人だけ。

とりあえず、増税目的の内部暴露。



明日こそ、ファンタジーの続きだ。






  


Posted by yo1 at 22:20Comments(0)語り